境界のクオリア

山碕田鶴

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47.適所 五

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「そうそう、君の話だったね。どうしたの?  明美さんが慌てるくらいだから大事件?」
「僕……石崎さんが、か、歌手だったって知って、よくわからないけれどショックだったんです」
「か、しゅ?」

 ぶわはははーっ。憲次郎は笑い転げた。

「ごめん。かしゅって単語で吹いた。そっちの方がササイさんっぽい。みんなアーティストとか言っているけれど、見た目は絶対演歌とか歌謡曲系だよなあ」
「ですよね⁉︎  それ言ったら明美さんが……」
「怒り狂って噛んだの?」
「いえ、これは犬です」

 晴久は、同情するような顔の憲次郎に無言で肩をポンポンと叩かれた。
   憲次郎は肩に手を置く直前になぜかひと呼吸あって、晴久は自然にその手を受け入れていた。

「君、前に会った時は何も知らなかったよね。明美さんが強制的にバラしたのか。で、かわいそうになって俺になんとかしろ、と」
「あの、僕大丈夫です。びっくりしただけです。明美さんも、フツーに働くオジサンだって言っていましたし」
「何言ってるの!  全然フツーじゃないって。あんなすごい人いないって。神だよ、神!  俺、何度昇天したかわからないよ?  ライブだってチケットなかなか取れねーし、普段あんな地味で無口で怖そうなのに、ステージだともうゾクゾクするくらいいい男でーって……ごめん。俺が来た意味ないね。申し訳ない。話し相手失格。これじゃササイさん、益々別世界の人だ」

 憲次郎はうなだれた。憲次郎も熱烈なササイファンだと晴久は理解した。
 憲次郎と会うのはこれが二度目だ。だが、ずっと以前からの知り合いのように楽しい。初めて会った時から楽しかった。

「僕、職場では挨拶程度しか話せないんですけど、憲次郎さんと話すのは楽しいです。自然に話せます。話せてよかったです」
「そう?  君が楽しくて嬉しかったら、俺も嬉しいなあ。痛いとか苦しくて嬉しくなるより、やっぱりいいなあ」
「え?」
「あ、ごめん。俺の話。俺、いっつも明美さんにわがまま言われてこき使われて酷い扱いなんだけどさ、常態化しててそれが俺の快感になってるの。ヤバいヤバい」

 わはははー、と憲次郎は嬉しそうに笑った。
 憲次郎はずっと笑顔だ。晴久や明美のように他人と線を引く笑顔ではない。カラッと豪快に、楽しそうに笑っている。明美はきっとこの笑顔に見守られ続けている。

「あれ?  俺、今、結構な変態発言した?  ヤバイなあ。なんか君と話していると何言っても受け入れてもらえそうな気がしてつい、ね。あの、まあ、職場の仕事仲間は友達とは違うからさ。挨拶程度で支障なければ十分、十分。大丈夫。君、ササイさんとお友達なんだから。もう俺も明美さんも友達みたいなものでしょう?」

   人懐こい笑顔の憲次郎が、はっと目を輝かせた。

「そうだ。今度遊びに来なよ。あと二人メンバーがいて、あのライブハウスの上で時々練習しているから。練習前後でメシ食うからさ、その時にササイ話でもどう?」
「あ、ぜひ……」

 晴久は、ついいつもの社交辞令で答えかけた。憲次郎は、それを遮るように続けた。

「不定期だから空振りアリだけど、君と事前の約束はしないよ。君をいつでも歓迎するけれど強制はしない。あ、これ、社交辞令じゃないから来ないでってことじゃないよ。条件をつけるとすれば、君が自分で行きたいと思うこと。俺たちは好きで集まっているだけだから。それで続かなかったらそれまで。そう思って十年つるんでる。つきあいが長過ぎて、ササイネタで盛り上がりたいのにお互い知り尽くしててつまんねーの。あはは、実は俺らが君を待っているだけかも。せっかく来てくれたのに俺らがいなかったら、受付でスタジオ借りる予定聞いてよ。明美さんの名前出せばいいから。『ササイ連合』でもわかる」
「ササイ連合⁉︎」
「バカでしょう?  俺ら三人のバンド名。ササイさんにもバカって怒られた。うひひひっ」

 憲次郎は嬉しそうだ。
 仲間がいて充実した時間があって、楽しい思い出が沢山ある。晴久には眩し過ぎる世界だ。たが、憲次郎はその明るい光の中に晴久を誘ってくれた。

   僕は、こんなふうに楽しくてもいいのかな。
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