境界のクオリア

山碕田鶴

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45.適所 三

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「明美さん、ひとつだけお訊きしてもいいですか?」

 帰りかけた明美に、晴久は声をかけた。ポケットにしまっていた職場の名札ホルダーを出すと、ケースの隙間からアルミシートの錠剤を取って明美に見せた。

「これ、石崎さんの……」
「……どうしたの、それ」

 明美はハッとしたように錠剤を見つめたが、驚きはしなかった。

「ポケットからピック……て言うんですか?  出した時に落としたみたいで。僕も後で気づいたから返せなくて」
「うわー、最悪。それヤバイやつだから、お客君飲んじゃダメだよ」

 明美は大袈裟に言った。

「ヤバイ?」
「すごく古いの。期限切れ」
「今は処方されない薬です。生産中止になっています」
「あー……やっぱ調べた?」
「え……と、まあ。粒に記号とか入っていますし、職場の入居者さんにも処方されている種類のものですから。落ち着かなかったり暴れたりする人の……」
「ああ、介護施設だものね。お客君、それ返さなくていいよ。返したら君に知られたってわかっちゃうでしょ」

 高齢者にはあまり処方されない、長時間タイプの強めの精神安定剤だ。

「それ、ササイさんの御守りらしいから。今は飲んでいないよ。昔、精神的にかなりヤバい時期があったらしくて、酒とか、薬……その、ちゃんとした薬とかでボロボロだったって。あくまで噂。オレも知らない。だから、今も何かあったら飲むつもりで持っているんじゃないの?  気が小さいっつーか弱いんだよねー」

 初めて会った時にいきなり酒とか薬とかの酩酊を疑われたのは、実体験からだったのか。
   晴久は妙に納得した。

「お客君はスッゲー強そうだから、か弱いササイさんを優しく見守ってあげてよね。オレだとすぐ罵倒しちゃうからダメなんだよ」
「いえ、見守られているのは僕の方で……」
「それよりピックって何よ!  ライブハウスで会った時?  ササイさんにもらったの?  今持ってるんでしょ?  ほら、出して」

 明美は手を出して迫った。薬よりピックに関心があるようで、興奮している。名札ホルダーから出した途端に奪われた。

「わあ、ちゃんと保護カバーつけてて偉い。あー……。お客君、これ慰謝料にもらっておくといいよ」
「え?  預かり物ですし、消耗品だって……」
「何言ってんの!  名入り特注品でしょ。前々回のツアー記念グッズだし!  本人には消耗品でも、一部マニアが値段吊り上げて超高額取引しているんだから! しかも使用済みってーっ!」
「使用済み……」

 明美は、ピックをなかなか返そうとしなかった。
 詮索と束縛はこの世の悪。そう言った石崎の家でずっと居候しているという明美は、絶対に距離を間違えないのだろう。憧れの人と一緒に生活をしていても、立ち入らない境界線をきちっと引いている。石崎の側にいる方が辛くないのだろうか。
 石崎のギターピックを大事そうに手にしている明美を見ながら、ボロボロになって幸せそうに倒れているのは明美も同じだと晴久は思った。

「うわっヤベ。じゃ、オレもう行くわ。イタズラメールにしたらかわいそうだから、ケンのこと待っててあげてね」

 逃げるように去る明美とは反対方向から、小走りで近づく影が見えた。
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