境界のクオリア

山碕田鶴

文字の大きさ
上 下
33 / 65

33.天望 四

しおりを挟む
「あの……僕が姿を消して二度と会わないっていう可能性は、考えたりしないんですか?」
「最悪に後ろ向きだな。私はずるいからな。保険はかけてある。さっきお前の手をつかんだろう?  お前は消えない」

 晴久ははっとして指先を見た。心が流れて伝わって……。晴久はそのまま顔を上げられなくなった。全部伝わっている。

「望むなら、お前に全てをやる。ただし、お前が手を伸ばすなら、だ。できるか?  今のお前に難しいのはわかっている。だが、それはお前自身の問題だ。私にはどうすることもできない。近づいてやっぱり逃げる、近づいてボロボロになる。なんだって構わないが、お前はまず最初の一歩を絶対に踏み出せない。それができたら友人だろうが恋人だろうが親子だろうが好きにしろ。お前次第だ」
「親子?」
「ま、そういうのも、な」
「はあ。あの、なんで石崎さんは……」

 そこまで僕と一緒にいてくれると言うのか。

「しつこいのか、か?  お前のストーカーよりはマシだろう」
「そんなこと言っていませんし、ストーカーなんて……あっ」

   落合……。わざわざ駅前にまで見張りに来る行動力を晴久は思い出した。

「今日はいない。あれに私はずいぶんと敵対心を持たれているな」
「……きっと僕が借金取りだと言ったから、悪い人だと思われているんです。駅前で誰と会っているのかってしつこく訊くから、借金取りだって言いました」
「……そうか。賢明だな。それならそのままにしておけ」

 石崎は憮然として言った。すみませんと晴久が謝るのを呆れたように笑った。

「どのみち私は、これから当分ここには来られない。仕事でしばらく出張だ。その間よくよく考えろ。私がお前にしつこいのは個人的な事情だ。今は気にするな」

 気になる。けれども訊いてはいけないのだろう。その先に立ち入ってはいけない……。

「また何を考えた?」

 石崎が顔を覗き込むようにして晴久を見つめた。晴久は緊張してその瞳から逃げられない。
   これだってもう十分に無理やり近づいている。何がお前次第だと晴久は思った。ただ、この緊張が怖さだけではないことを晴久はわかっている。

「気になったら、訊いてもいいんだぞ?  答えるかどうかはまた別だが、訊くのはお前の意思だろう?  私はそんなにお前を支配していたか?  刷り込み、洗脳、教導、馴致、拘束、躾、緊縛、調教……それとも、そういうのがいいのか?」
「ホントやめて下さい」

 ククッと石崎が笑った。

「次に会ったら、お前とはどんな話をするのだろうな……」

 晴久の心にふっと湧く寂しさは、別れる前の一時的なものだ。
 置いていかれる。
 また会えるはずなのにそう思う。その瞬間、ずっとひとりでいた時よりもひとりを感じるのはなぜだろう。これもいつか慣れるのだろうか。

「お前はややこしいな。自分から去る時は平気な顔でさっさと消えるのに、私が去る時は捨てられたような顔をする」
「そんなつもりは……え、と、僕から去るって……て!?」
「いつも私が眠っていて気づかないと思っていたのか?  まあ、そっちの話は今はいい。手を出せ」
「はい」

 石崎は上着のポケットから魚の鱗を大きくしたような板を取り出すと、晴久の手のひらに乗せた。

「お前に預ける。私には必要な物だ」
「特別なもの?」
「いや、消耗品の類だな。だが使いやすい」
「使っている物をくれるんですか?」
「やらない。預けるからそのうち返せ。それでお前にまた会う理由ができる。お前の一歩を待っていたら、会える保証はないからな。会わなければいけない理由があれば、必ず会える」
「会わなければいけない……」
「大事なんだよ。いや、ソレ自体がではないが、私が生きるために必要な物だ」

 確か、ギターを弾いていた時に持っていた……。
 石崎は開いたままの晴久の手を握って閉じさせると、晴久の耳元でささやいた。

「望むなら、手を伸ばせ。私はお前に全てをやる。ただし、お前にそれができるなら、な」

 ティアドロップ型のギターピックは、石崎の心の波のしずくのようだと晴久は思った。
 複縦の先の転調。
 駅の改札方面に向かった石崎の後ろ姿を晴久はぼんやりと見送った。

「……あれ?」

 晴久は石崎が去ったベンチを見た。爪ほどの大きさの四角いシートが街灯に照らされて銀色に光っていた。石崎がポケットからピックを取り出した時に落としたのか。
 そっとつまんで手に乗せた。アルミのシートには識別コードとカタカナ。数字。
 裏を返して見える中身は、白い錠剤だ。
 これ……。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...