18 / 65
18.偶然 五
しおりを挟む
「僕は助けを求めているわけじゃない」
いつ口にしたのか、よくわからない。
「そうか」
抑揚のない答えを聞いた気がする。
「慰めて欲しかったわけじゃない」
誰に言ったのか、わからない。
「そうだな」
耳元でささやかれたような気がする。
波が僕を沖に連れ去る。ゆっくりとゆっくりと、静かで強い波が僕を戻れなくする。
「少し弱っていただけで……」
「……知っている」
暗い水底に沈んでいく理由は、偶然。
言い訳は、必要ない。
全て委ねて何も考えられなくなるまで沈むことに許しはいらない。
今日も偶然会えたから。
ただ、それだけだ。
落合と別れた後、晴久は駅前にいた。いつ男が現れたのかは覚えていない。
二十一時。男がそう言うのを聞いた気がする。早いな。そう思った気がする。
再会した時、何か酷く驚かれた気がする。冷たくなった手の甲に触れられた。いつもなら絶対にしないのに。
「ずっとここにいたのか?」
そう訊かれた気もするが、曖昧だ……。
「……痛っ」
そっと顔を寄せ、唇で触れられる程度でも腕が痛む。
男は何も訊かない。晴久も何も言わない。
ああ、また酷いことになっていると晴久は溜息をついた。つま先の怪我がやっと治ってきたのに。
落合につかまれた左腕にはっきりと三本のアザが残っていた。
内出血の跡は、これからもっと酷く目立つようになるだろう。
「痛っ……」
優しく触れられているのに、落合につかまれた時よりも激しい痛みが広がる。
涙は痛みを逃してくれない。
痛みが落合を思い出させる。
憎悪、驚き、怯えの顔。
「痛い……痛っ……」
腕の痛みだけではない。落合の前では何も感じなかったはずの胸の奥の痛みが溢れ出す。
「なんで……思い出させるようなこと……ここで、思い出したくなんかないのに」
誘うように腕の痛みを呼び起こし、悲しみを拾うように頬に触れて涙を拭い、寄せては返す波のように、繰り返し繰り返し……浜辺に投げ出されたような晴久の心は、波に叩かれ砕け散っていく。
「なんでそんな酷いこと……する……」
「それは、酷いことをした奴に訊け」
男は独り言のように言った。
その通りだ。
痛みを消してほしい。腕も心も、僕ごと全て。
それをこの人に望むのは間違っている。これは、僕の問題だ。
数日前、腕にアザをつけられた。
それ以降、晴久は落合に避けられている気がしている。そもそも落合に元気がない。
そのアザを男に酷く悪化させられ、晴久は毎日の業務が辛い。
川島だけが変わらず笑顔だった。
「広瀬さん、今日みんなでご飯行きませんか?」
退勤時に晴久に声をかけるのは、いつからか川島の役割になっていた。
「すみません、先約があって。ほら、落合君待ってますよ」
遠くから見ている落合は、不満そうだが晴久に近づいて嫌味を言うことはない。
「広瀬さんが落合君に気を遣うことないんですよ。私、別に落合君とつきあっているわけじゃありませんから」
「……そうですか」
そうですかなんて笑顔で言って、どう受け取られただろう。難しいな。
川島はモテるらしいと晴久は聞いた。落合ではなく、他の女性職員からの話だ。そんなものかと晴久は関心もなかったが、自分がその構成要員の一人にされており、落合との不仲の原因が川島だと言われると穏やかではいられない。
少なくとも落合とは、一緒に仕事をして支障が出ない程度のつきあいはしたい。
晴久一人ではどうにもならないことだ。全てが難しい。でも、どうにかしたい。
いつ口にしたのか、よくわからない。
「そうか」
抑揚のない答えを聞いた気がする。
「慰めて欲しかったわけじゃない」
誰に言ったのか、わからない。
「そうだな」
耳元でささやかれたような気がする。
波が僕を沖に連れ去る。ゆっくりとゆっくりと、静かで強い波が僕を戻れなくする。
「少し弱っていただけで……」
「……知っている」
暗い水底に沈んでいく理由は、偶然。
言い訳は、必要ない。
全て委ねて何も考えられなくなるまで沈むことに許しはいらない。
今日も偶然会えたから。
ただ、それだけだ。
落合と別れた後、晴久は駅前にいた。いつ男が現れたのかは覚えていない。
二十一時。男がそう言うのを聞いた気がする。早いな。そう思った気がする。
再会した時、何か酷く驚かれた気がする。冷たくなった手の甲に触れられた。いつもなら絶対にしないのに。
「ずっとここにいたのか?」
そう訊かれた気もするが、曖昧だ……。
「……痛っ」
そっと顔を寄せ、唇で触れられる程度でも腕が痛む。
男は何も訊かない。晴久も何も言わない。
ああ、また酷いことになっていると晴久は溜息をついた。つま先の怪我がやっと治ってきたのに。
落合につかまれた左腕にはっきりと三本のアザが残っていた。
内出血の跡は、これからもっと酷く目立つようになるだろう。
「痛っ……」
優しく触れられているのに、落合につかまれた時よりも激しい痛みが広がる。
涙は痛みを逃してくれない。
痛みが落合を思い出させる。
憎悪、驚き、怯えの顔。
「痛い……痛っ……」
腕の痛みだけではない。落合の前では何も感じなかったはずの胸の奥の痛みが溢れ出す。
「なんで……思い出させるようなこと……ここで、思い出したくなんかないのに」
誘うように腕の痛みを呼び起こし、悲しみを拾うように頬に触れて涙を拭い、寄せては返す波のように、繰り返し繰り返し……浜辺に投げ出されたような晴久の心は、波に叩かれ砕け散っていく。
「なんでそんな酷いこと……する……」
「それは、酷いことをした奴に訊け」
男は独り言のように言った。
その通りだ。
痛みを消してほしい。腕も心も、僕ごと全て。
それをこの人に望むのは間違っている。これは、僕の問題だ。
数日前、腕にアザをつけられた。
それ以降、晴久は落合に避けられている気がしている。そもそも落合に元気がない。
そのアザを男に酷く悪化させられ、晴久は毎日の業務が辛い。
川島だけが変わらず笑顔だった。
「広瀬さん、今日みんなでご飯行きませんか?」
退勤時に晴久に声をかけるのは、いつからか川島の役割になっていた。
「すみません、先約があって。ほら、落合君待ってますよ」
遠くから見ている落合は、不満そうだが晴久に近づいて嫌味を言うことはない。
「広瀬さんが落合君に気を遣うことないんですよ。私、別に落合君とつきあっているわけじゃありませんから」
「……そうですか」
そうですかなんて笑顔で言って、どう受け取られただろう。難しいな。
川島はモテるらしいと晴久は聞いた。落合ではなく、他の女性職員からの話だ。そんなものかと晴久は関心もなかったが、自分がその構成要員の一人にされており、落合との不仲の原因が川島だと言われると穏やかではいられない。
少なくとも落合とは、一緒に仕事をして支障が出ない程度のつきあいはしたい。
晴久一人ではどうにもならないことだ。全てが難しい。でも、どうにかしたい。
1
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。
白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。
最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。
(同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!)
(勘違いだよな? そうに決まってる!)
気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる