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4.遭遇 三
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駅前に戻った晴久は、また同じベンチに座ってみた。人通りはまだ多いが、先ほどの騒ぎを知っている人はいない。ただ人が通り過ぎて行くだけの場所だ。晴久を気にかける者は誰もいない。
今日も、晴久はこうしてベンチに座ってぼんやりと人の往来を眺めていた。仕事帰りのいつもの習慣だ。
僕は誰も知らない。誰も僕を知らない。ここに僕は存在しない。
自分に暗示をかけるようにして、ゆっくりと意識を落としていく。静かに水底に沈むように、深く、深く、自分はどこにも存在しないと確認して安心できるまで。
晴久にとって、それは一日の終わりの儀式のようなものだった。
人と接することの苦痛。人と関わりたいのに踏み込めない葛藤。
澱のように溜まっていく今日一日分のストレスの感情を全て捨て、自分を空にする。そこまでしないと明日を生きられない。
男に呼びかけられた時、晴久は自分の心の底に沈んでいた。
いつもなら意識朦朧となったりはしない。たぶん疲れ過ぎていたせいだ。
新年度が始まって、職場の人間関係が再構築される時期は慣れるまでが辛い。
深く沈み過ぎて、自分で戻れなくなっていた。そして、心の底に埋めたはずの声を聞いてしまった。
「あなたはいらない」
「消えてしまえばいいのに」
晴久がどれだけ過去に遠ざけても、なお消えない母の声が意識を侵食する。呪詛のように自分に向けられ続けた言葉だ。
油断をすると心の奥底から声が聞こえて来てしまうのは、自分でもわかっている。自分で勝手に思い出しているだけだ。
晴久はそう思うが、声が聞こえた瞬間に体が固まったように動かなくなるのをどうすることもできない。溺れて水に沈むような息苦しさと胸の痛みから逃れられない。
実際に言われたわけでもないのに、とっくに過去になっているのに、そう理解できるのに、体が勝手に反応する。心が勝手に騒いで暴れる。
あの人が偶然僕を助けてくれたのだ。
あの人が呼んでくれたおかげで、僕は溺れる水底から這い出せた。
無愛想で気難しそうでいきなり説教してきて宇宙人の話で……見た目はきちっとした感じだったのに、衝撃的に変な人だったな。でも、僕を不審者扱いしながらも心配してくれていた。
そういえば、きちんとお礼を言っていなかった。
ありがとうございました。
何のお礼か説明するのは難しいけれど。あの人にまた会うことなんてないだろうけれど……。
今日も、晴久はこうしてベンチに座ってぼんやりと人の往来を眺めていた。仕事帰りのいつもの習慣だ。
僕は誰も知らない。誰も僕を知らない。ここに僕は存在しない。
自分に暗示をかけるようにして、ゆっくりと意識を落としていく。静かに水底に沈むように、深く、深く、自分はどこにも存在しないと確認して安心できるまで。
晴久にとって、それは一日の終わりの儀式のようなものだった。
人と接することの苦痛。人と関わりたいのに踏み込めない葛藤。
澱のように溜まっていく今日一日分のストレスの感情を全て捨て、自分を空にする。そこまでしないと明日を生きられない。
男に呼びかけられた時、晴久は自分の心の底に沈んでいた。
いつもなら意識朦朧となったりはしない。たぶん疲れ過ぎていたせいだ。
新年度が始まって、職場の人間関係が再構築される時期は慣れるまでが辛い。
深く沈み過ぎて、自分で戻れなくなっていた。そして、心の底に埋めたはずの声を聞いてしまった。
「あなたはいらない」
「消えてしまえばいいのに」
晴久がどれだけ過去に遠ざけても、なお消えない母の声が意識を侵食する。呪詛のように自分に向けられ続けた言葉だ。
油断をすると心の奥底から声が聞こえて来てしまうのは、自分でもわかっている。自分で勝手に思い出しているだけだ。
晴久はそう思うが、声が聞こえた瞬間に体が固まったように動かなくなるのをどうすることもできない。溺れて水に沈むような息苦しさと胸の痛みから逃れられない。
実際に言われたわけでもないのに、とっくに過去になっているのに、そう理解できるのに、体が勝手に反応する。心が勝手に騒いで暴れる。
あの人が偶然僕を助けてくれたのだ。
あの人が呼んでくれたおかげで、僕は溺れる水底から這い出せた。
無愛想で気難しそうでいきなり説教してきて宇宙人の話で……見た目はきちっとした感じだったのに、衝撃的に変な人だったな。でも、僕を不審者扱いしながらも心配してくれていた。
そういえば、きちんとお礼を言っていなかった。
ありがとうございました。
何のお礼か説明するのは難しいけれど。あの人にまた会うことなんてないだろうけれど……。
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