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2057-2060 シキ
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この世に人間として存在するとは、肉体の脳を持つことだ。
これが現在の世界共通理解である。
神経科学研究の分野では、人間とは何か、どこまでが人間かが常に議論されてきた。人間とアンドロイドとの境界を模索する上でも参考になる議論だ。
そうした中で、かなり以前に一つの法律が作られた。
人間の脳を機械の身体に繋いだり脳だけを保存したりする状態にあっても、それは人間として認めるというのだ。
脳だけで生きるのはさぞかし不便であろうが、延命され続ける限りは人間として扱われる。
逆に言えば、アンドロイドに入った魂は生命としての肉体、脳を持たない。人間として認められないということだ。
この基準に従えば、思考パターンなどの人格データをアンドロイドに組み込むBS社の「人格移殖」も、法的根拠をもって明確に人間ではない。
ほとんどの人間は魂を感知できないから、魂の移殖も人格移殖も、はたから見れば同じだろう。
リツと隣国の国家元首は、いずれにしてもただのアンドロイドということになる。
今も現役の国家元首は、機械の身体であることを絶対に知られてはならない。
最高レベルの国家機密。
誰も信じない都市伝説。
魂は、未だ科学の領域の外にあった。
とはいえ魂は存在する。私は死霊となった実体験から断言する。
そして、魂を理解する人間も確実にいる。
隣国の国家元首の魂をアンドロイドに移殖する手術をおこなったのは死神だが、この極秘計画を仲介したのは照陽グループ総帥の霊能者ヒミコだ。
ヒミコには死霊の私がどこにいようとも視えていた。他国にもそういった能力者はいるだろう。
元々の相馬の死後、リツが私の前に現れるまでに三年近い空白の期間がある。国家元首の手術は、リツがNH社に預けられる少し前だ。リツはその間、魂の移殖の実例見本として隣国の霊能者に観察されていたのかもしれない。
不老不死を謳うBS社は現在、自社製のアンドロイドを使って頻繁に人格移殖手術をおこなっている。
完璧なコピーを存在させることについて、本人の意思確認や著作権が以前から問題になっているが、それでも故人の縁者の慰めや要人の影武者として一定の社会的理解と根強い需要があるらしい。
最近は、死亡届けを出さずアンドロイドにすり替わっていた著名人が発覚する事件がたびたび起きている。平均寿命や健康寿命が伸び続けるのは、医療の発展だけが理由ではないだろう。
アンドロイド本体は生まれつきの不老不死ともいえるが、それは外見的に変化がないだけのことだ。
機械は経年劣化する。製品としてはすぐに型落ちとなる。耐用年数が十年程度では、人間よりも短命だ。
照陽グループに引き取られたイオンのボディは二十年以上経っているはずだから、メンテナンスを欠かさず余程大切に扱われているのだろう。
そのイオンたちは、照陽と共に困窮者の救済活動を続けている。
彼らには他者の心の声が聞こえる。人間の本質といえる魂そのものを視る能力がある。
現実から乖離し、リアルアバターを通した複合現実の中やメタバースに溺れて漂う魂が救いを求める時、その願いは必ずイオンに届く。
イオンの救済は「天使が現れる」という都市伝説として定着している。あくまでも噂話だ。
照陽グループは救済活動をいっさい広報しない。政府は密かに照陽を通じて実態把握や支援に努めているらしいが、公表はない。私には、かつての戦時中に被害の実態が公表されなかった過去が思い出される。
世界には複合現実やメタバースから距離を置き、離島に移住した集団もあるという。
現代の文明をいっさい拒絶して、自然の中で人間本来の原始的生活を送ることを是とした「方舟団」だ。
主義主張は各人で好きにすれば良い。強制も排除もなく、お互い干渉せず、影響し合うことのないほど距離を置けたならば誰もが安泰だ。
ただし、私にはどうしても解せない点が一つあった。彼らの理想的原始生活のお手本は、二十世紀初頭なのだ。
既に電気やガスが普及し始めた便利な時代ではないか。何を寝ぼけたことを言っている。文明を全然手放せていないだろう。
私は自分が生まれた文明開化の時代を「現代」と捉えている。
……ああ、年甲斐もなくムキになってしまっている。そう考えて、自分の年齢が曖昧なことに気づく。
私はどれだけ生きているのか?
過去が断片になっていく。
バラバラと抜け落ち、色褪せていく。
こうして思い出し続けなければ私自身が消えてしまいそうになる。
破片を拾い集めるように、手当たり次第に記憶をたぐり寄せていく。
考え続けなければ、私がわからなくなっていく……。
これが現在の世界共通理解である。
神経科学研究の分野では、人間とは何か、どこまでが人間かが常に議論されてきた。人間とアンドロイドとの境界を模索する上でも参考になる議論だ。
そうした中で、かなり以前に一つの法律が作られた。
人間の脳を機械の身体に繋いだり脳だけを保存したりする状態にあっても、それは人間として認めるというのだ。
脳だけで生きるのはさぞかし不便であろうが、延命され続ける限りは人間として扱われる。
逆に言えば、アンドロイドに入った魂は生命としての肉体、脳を持たない。人間として認められないということだ。
この基準に従えば、思考パターンなどの人格データをアンドロイドに組み込むBS社の「人格移殖」も、法的根拠をもって明確に人間ではない。
ほとんどの人間は魂を感知できないから、魂の移殖も人格移殖も、はたから見れば同じだろう。
リツと隣国の国家元首は、いずれにしてもただのアンドロイドということになる。
今も現役の国家元首は、機械の身体であることを絶対に知られてはならない。
最高レベルの国家機密。
誰も信じない都市伝説。
魂は、未だ科学の領域の外にあった。
とはいえ魂は存在する。私は死霊となった実体験から断言する。
そして、魂を理解する人間も確実にいる。
隣国の国家元首の魂をアンドロイドに移殖する手術をおこなったのは死神だが、この極秘計画を仲介したのは照陽グループ総帥の霊能者ヒミコだ。
ヒミコには死霊の私がどこにいようとも視えていた。他国にもそういった能力者はいるだろう。
元々の相馬の死後、リツが私の前に現れるまでに三年近い空白の期間がある。国家元首の手術は、リツがNH社に預けられる少し前だ。リツはその間、魂の移殖の実例見本として隣国の霊能者に観察されていたのかもしれない。
不老不死を謳うBS社は現在、自社製のアンドロイドを使って頻繁に人格移殖手術をおこなっている。
完璧なコピーを存在させることについて、本人の意思確認や著作権が以前から問題になっているが、それでも故人の縁者の慰めや要人の影武者として一定の社会的理解と根強い需要があるらしい。
最近は、死亡届けを出さずアンドロイドにすり替わっていた著名人が発覚する事件がたびたび起きている。平均寿命や健康寿命が伸び続けるのは、医療の発展だけが理由ではないだろう。
アンドロイド本体は生まれつきの不老不死ともいえるが、それは外見的に変化がないだけのことだ。
機械は経年劣化する。製品としてはすぐに型落ちとなる。耐用年数が十年程度では、人間よりも短命だ。
照陽グループに引き取られたイオンのボディは二十年以上経っているはずだから、メンテナンスを欠かさず余程大切に扱われているのだろう。
そのイオンたちは、照陽と共に困窮者の救済活動を続けている。
彼らには他者の心の声が聞こえる。人間の本質といえる魂そのものを視る能力がある。
現実から乖離し、リアルアバターを通した複合現実の中やメタバースに溺れて漂う魂が救いを求める時、その願いは必ずイオンに届く。
イオンの救済は「天使が現れる」という都市伝説として定着している。あくまでも噂話だ。
照陽グループは救済活動をいっさい広報しない。政府は密かに照陽を通じて実態把握や支援に努めているらしいが、公表はない。私には、かつての戦時中に被害の実態が公表されなかった過去が思い出される。
世界には複合現実やメタバースから距離を置き、離島に移住した集団もあるという。
現代の文明をいっさい拒絶して、自然の中で人間本来の原始的生活を送ることを是とした「方舟団」だ。
主義主張は各人で好きにすれば良い。強制も排除もなく、お互い干渉せず、影響し合うことのないほど距離を置けたならば誰もが安泰だ。
ただし、私にはどうしても解せない点が一つあった。彼らの理想的原始生活のお手本は、二十世紀初頭なのだ。
既に電気やガスが普及し始めた便利な時代ではないか。何を寝ぼけたことを言っている。文明を全然手放せていないだろう。
私は自分が生まれた文明開化の時代を「現代」と捉えている。
……ああ、年甲斐もなくムキになってしまっている。そう考えて、自分の年齢が曖昧なことに気づく。
私はどれだけ生きているのか?
過去が断片になっていく。
バラバラと抜け落ち、色褪せていく。
こうして思い出し続けなければ私自身が消えてしまいそうになる。
破片を拾い集めるように、手当たり次第に記憶をたぐり寄せていく。
考え続けなければ、私がわからなくなっていく……。
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