182年の人生

山碕田鶴

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2043ー2057 高瀬邦彦

79-(1)

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 研究施設を去ったのはふた月近く前のことだ。
 イオンと再会を約束したものの、これほど早く会えるとは考えていなかった。高瀬はこれからイオンに会いに行く。
 私はとうとう、いや今度こそ「魂の器」を手に入れるのだ。
 だが、イオンは照陽グループに差押えられている。私がイオンに入れば、少なくともヒミコは気づくだろう。どうするか。
 現状、妙案はなかった。
 迎えに来た車の後部席に座った高瀬は、眠るようにうつむいたまま終始無言だった。
 高瀬の健康状態は決して良くはない。だが、寝姿まで隙のない男はいつもこうなのだろう。運転手が気にする様子はない。
 研究施設までの道中、時折高瀬が目をやる田舎の景色にはどこか懐かしい気持ちが湧いた。吉澤や小林であった頃に見慣れた森林が多く残っているからだろうか。高瀬が住む都心とは別世界だ。
 ここに暮らせば、時間は私を千年先まで緩やかに連れて行ってくれるに違いない。
 変化も刺激もなくただ生きることを想像して、つくづく自分は年を取ったと実感した。自分の輪郭がぼやけ始めている気がしてならない。
 きっと、自分の肉体を持たないせいだ。
 研究施設に入った車窓から売店がちらりと見えた。

 リツは元気にしております。

 ヒミコの穏やかな微笑みを思い出す。
 私の心配を消し去る慈悲は、要するに浄霊だ。
 この世に思い残すことがなくなれば、私は自らここを去るのだろう。
 研究棟の正面で車は停まった。ここまで五時間近くかかったが、高瀬は疲れも見せず車を降りると運転手にねぎらいの声をかけた。
 玄関前には早川が待っていた。彼女は現在の管理責任者だ。
 既に閉鎖が決まっているので、他に誰もいない。早川も、この件が片付けば本人の希望で本部勤務になる。
 早川はBS社の人格移殖について、核心は知らないが詳細を知っている。自分が監視対象になることを承知しているからこそ、あえて監視する側の近くにいて自分が不都合な存在ではないと証明したいのだろう。
 保身にはそれが一番だ。高瀬が自らマイクロチップを埋めて行動をさらすのと同じ判断だ。
 高瀬の場合、監視を許容するまでは潔いが、自分をペットと同じだと卑下するところが何とも鬱陶しい。

「早川さん、しばらく大変かと思いますが宜しくお願いします」
「本部長も遠路お疲れ様です」

 お互いそれ以上の話はない。
 高瀬が数日研究棟に寝泊まりすることは了承済みだ。早川は簡単な案内だけしてマスターキーを高瀬に預けると、研究棟を後にした。
 エントランスホールにイオンの姿はなかった。
 既に実験対象でないイオンは、自動で起床就寝しても日中の用事はない。照葉グループが内々に引き取ることになっているので電源を落とすわけにもいかず、放置された状態だ。監視カメラで動向だけは確認しているのだろう。

「イオンの部屋は二階だったな」

 イオンは多目的室にいた。
 かつて相馬や大村が居室として使っていた場所だ。現在は、テーブルとソファがあるだけの簡素なリビングになっている。
 イオンたちはテーブルを囲んで紙に絵を描いていた。昔から「らくがきちょう」に色々書かせていた名残か。
 高瀬を見て、五体はすぐに近づいて来た。

「こんにちは。ようこそお越し下さいました、高瀬統括本部長」

 過去に出会った人物は、データに残っている。
 にこやかに挨拶すると、イオンは笑顔のまま高瀬の目を見つめた。

「お待ちしておりました。お帰りなさい、先生」

 イオンの見つめる先には私がいる。
 私と目を合わせているのがはっきりとわかる。
 イオンは、高瀬の中にいる私を認識した。
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