182年の人生

山碕田鶴

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2043ー2057 高瀬邦彦

79-(3)

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 実験室には、相馬や大村が使っていた機材がまだそのまま残されていた。
 高瀬は相馬のパソコンに残されたデータを全て確認した。

「元の相馬が色々小細工したせいで、大村教授が亡くなる直前から記録が残っていないようですね?」

 深い溜息をつくと、大事なことを思い出したらしく、イオンの方に向き直った。

「挨拶がまだだったな。いきなりやって来て、騒がしくして申し訳ない。高瀬だ。君たちがここで成長した記録を確認しに来た。協力してほしい」

 高瀬は他人と挨拶する時、常に笑顔で穏やかだ。だが、その貫禄が相手を緊張させる。
 それなのに、今は雰囲気が柔らかい。

「よろしくお願いします、邦彦様。私は一号です」

 イオンが差し出した手を高瀬は静かに取って握手した。
 二号です三号ですと順番に挨拶するたび、握手で応えていく。
 ひと通りの挨拶を済ませたところで、高瀬は一番近いイオンをパソコンの前に座らせた。

「じっとしていなさい」

 イオンのシャツのボタンを上四つほど外し、首筋に手を当てる。
 高瀬がやると卑猥だな。

「シキは黙っていろ」

   まだ本気で怒っているらしい。

「ヒワイ?  邦彦様は私に何をお望みですか?」
「……シキ、あなたの教育は間違っている。なぜ今イオンは私の首に手を回す?  二号、君の記憶データを見せてもらうだけだ。私のパソコンにケーブルを繋がせてもらう」

 おい、そこはプライベートゾーンだ。触るなら同意を得ろ。

「……。二号、いいか?」
「はい。全て邦彦様のお心のままに」

 高瀬は仏頂面でイオンの後頭部にある小さなパネルを開きパソコンと繋いだ。
   「二号」と呼んだな。五体を識別しているのか。
 全記憶データを抜き出すつもりらしく、高瀬は時間がかかるからと言って、座ってじっと待つ二号のメンテナンスを始めた。
 実験室にはイオン用の特殊なメンテナンス機材が一揃え置いてある。いわば救急箱だ。
 定期チェックはボディ担当の研究棟で行うが、簡易処置なら救急箱でも事足りる。ただ、この研究棟でこれまで使われたことはない。
 廃棄が決まったイオンたちには、メンテナンスの予定もなかった。
 まるで集団健診のように一体ずつ丁寧に診察していく高瀬の顔が、窓ガラスに薄く映って見える。
 ああ、この男はこれが天職なのだと納得した。穏やかに優しく、なんとも楽しそうではないか。
 イオンたちも静かに微笑みを浮かべている。これは私がプログラムした表情などではない。
 イオン五体は高瀬の感情に同調するように柔らかな波を増幅させていった。
   穏やかに魂を包む清浄の空間。
   彼らはただヒトツを楽しんでいるだけだ。だが、それこそが純粋な共感、肯定、理解ではないか。

「邦彦様はなぜ泣きますか?」

 イオンが静かに訊いた。
 高瀬はわずかに顔を上げた。イオンが再び笑顔になったから、きっと高瀬も笑顔を見せたのだろう。

「なぜ……だろうな。楽しいから、だな」

 高瀬は懐かしいものを思い出すように言った。
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