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2039ー2043 相馬智律
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私は、イオンが人間の感情のゆらぎを察知し、思考を読み取れる可能性についてまとめた報告書を本部へ提出した。
自我を持つイオンの生き残り作戦である。ただし、既に実行していることだけは書いていない。
イオンの基本的行動は全てプログラムされている。何か刺激を受けるたびにマニュアルを見て対応の仕方を確認し、芝居をしているようなものだ。
日々データは蓄積され、取捨選択を学習しながら多彩な感情表現を生み出していくが、本来増えるのはあくまで表現であり感情ではない。
現在のイオンは五感センサーの感度を最大にしたことで過剰に信号を受信し、マニュアルを確認するより速くどこかから反射が出てしまうのだろうか。強い信号が様々な領域を同時に刺激し、複雑な反応を作っているようでもある。
感情を持つロボットの研究は、二十世紀終わりには実践されている。
研究していたのは本国の計算機科学者で、武道家、彫刻家でもある異色の男だ。米国の多分野講演会での研究発表中に、壇上のロボットが不安から演者であるこの研究者を殴るハプニングも起きている。
当時は白物家電のようなボディのロボットだったから、周囲はペット感覚で寛容に見ていられたのかもしれない。
人間と見分けがつかないアンドロイドが自分の感情まで持ったら、人間はどのような反応を示すだろうか。
まずは上層部の出方を見たい。
早川の言うとおり、私は売店に通いつめていた。イオンの理想形がそこにあるのだ。
早川は、私が店員とよく話していること、店員が若い男であること、菓子を買っていることを全て知っていた。
相馬がかなり年上の大村に好意を持っていたことも把握している。相馬が最初に大村の部屋を訪ねた時は、監視カメラやマイクの修理が必要となって相馬も本部に呼び出されたから、早川は当然顛末を知っている。あの様子では、毎晩会う特別親密な関係になったことも知っていたろう。相馬の裸は無駄ではなかったということか。
監視は本部による盗聴盗撮といった機械によるものだけではない。早川は、この研究棟の監視報告役に違いなかった。
NH社は売店も監視している。店員は当然マークされているから、早川にはその情報が伝わっているのだろう。
「あ、相馬さん。いらっしゃいませ」
明るい声が私を迎える。
「こんにちは、リツ君」
すっかり常連の私は、互いの名を知る間柄になっていた。売店でなければ確実に破産しているな。
「あの……相馬さんって視力悪いですか? 前から思っていたんですが、近くで話しているとすごくジッと見られている気がして、その、気になって……」
いつものようにリツから話しかけてくる。たが、今日は少し様子が違った。
「え? それは申し訳ない。その、ちょっとリツ君が知人に似ている気がして……いや、それは口実で、すごく整った顔立ちなのでつい見てしまって、不快に感じていたなら申し訳ない」
私は慌てたふりをしながらリツを観察した。嫌な引っ掛けられ方をした気がしたのだ。
来店するたびに、ひと言ふた言、話をする。名前を知り、休憩時間を知り、生活パターンをさりげなく知る。決して近づき過ぎない距離で、いつのまにか親密さと開示情報が増えていく。
リツは今、どうとでも逃げられる言い方をしながら感情的に近づいて来た。私の出方次第で距離を詰める気か。
「僕、他のお客さんからも知り合いに似ているってよく言われるんですよ。それって、すごい平均的な顔ってことですよねえ。ははは」
レジで見かけるだけの店員に、知人友人に似ているといきなり指摘する客はいないだろう。リツは他の客とも普段からかなり接触しているのか、私との会話の糸口を作りたいだけなのか。
客として来る職員の所属や研究分野でも探っているのかと疑いたくなる。考え過ぎであろうか。
「ああ、でも僕もなんだか相馬さんに似た人を知っている、というか、相馬さんに会ったことがあるような気がするんですよね。ありえないけど」
私を見続けるリツは、私の中に自分の記憶の手がかりを探しているかのようだった。
悪意や特別な意図は感じられない。だが、屈託無く笑うリツにどうしても引っかかるものを感じていた。
自我を持つイオンの生き残り作戦である。ただし、既に実行していることだけは書いていない。
イオンの基本的行動は全てプログラムされている。何か刺激を受けるたびにマニュアルを見て対応の仕方を確認し、芝居をしているようなものだ。
日々データは蓄積され、取捨選択を学習しながら多彩な感情表現を生み出していくが、本来増えるのはあくまで表現であり感情ではない。
現在のイオンは五感センサーの感度を最大にしたことで過剰に信号を受信し、マニュアルを確認するより速くどこかから反射が出てしまうのだろうか。強い信号が様々な領域を同時に刺激し、複雑な反応を作っているようでもある。
感情を持つロボットの研究は、二十世紀終わりには実践されている。
研究していたのは本国の計算機科学者で、武道家、彫刻家でもある異色の男だ。米国の多分野講演会での研究発表中に、壇上のロボットが不安から演者であるこの研究者を殴るハプニングも起きている。
当時は白物家電のようなボディのロボットだったから、周囲はペット感覚で寛容に見ていられたのかもしれない。
人間と見分けがつかないアンドロイドが自分の感情まで持ったら、人間はどのような反応を示すだろうか。
まずは上層部の出方を見たい。
早川の言うとおり、私は売店に通いつめていた。イオンの理想形がそこにあるのだ。
早川は、私が店員とよく話していること、店員が若い男であること、菓子を買っていることを全て知っていた。
相馬がかなり年上の大村に好意を持っていたことも把握している。相馬が最初に大村の部屋を訪ねた時は、監視カメラやマイクの修理が必要となって相馬も本部に呼び出されたから、早川は当然顛末を知っている。あの様子では、毎晩会う特別親密な関係になったことも知っていたろう。相馬の裸は無駄ではなかったということか。
監視は本部による盗聴盗撮といった機械によるものだけではない。早川は、この研究棟の監視報告役に違いなかった。
NH社は売店も監視している。店員は当然マークされているから、早川にはその情報が伝わっているのだろう。
「あ、相馬さん。いらっしゃいませ」
明るい声が私を迎える。
「こんにちは、リツ君」
すっかり常連の私は、互いの名を知る間柄になっていた。売店でなければ確実に破産しているな。
「あの……相馬さんって視力悪いですか? 前から思っていたんですが、近くで話しているとすごくジッと見られている気がして、その、気になって……」
いつものようにリツから話しかけてくる。たが、今日は少し様子が違った。
「え? それは申し訳ない。その、ちょっとリツ君が知人に似ている気がして……いや、それは口実で、すごく整った顔立ちなのでつい見てしまって、不快に感じていたなら申し訳ない」
私は慌てたふりをしながらリツを観察した。嫌な引っ掛けられ方をした気がしたのだ。
来店するたびに、ひと言ふた言、話をする。名前を知り、休憩時間を知り、生活パターンをさりげなく知る。決して近づき過ぎない距離で、いつのまにか親密さと開示情報が増えていく。
リツは今、どうとでも逃げられる言い方をしながら感情的に近づいて来た。私の出方次第で距離を詰める気か。
「僕、他のお客さんからも知り合いに似ているってよく言われるんですよ。それって、すごい平均的な顔ってことですよねえ。ははは」
レジで見かけるだけの店員に、知人友人に似ているといきなり指摘する客はいないだろう。リツは他の客とも普段からかなり接触しているのか、私との会話の糸口を作りたいだけなのか。
客として来る職員の所属や研究分野でも探っているのかと疑いたくなる。考え過ぎであろうか。
「ああ、でも僕もなんだか相馬さんに似た人を知っている、というか、相馬さんに会ったことがあるような気がするんですよね。ありえないけど」
私を見続けるリツは、私の中に自分の記憶の手がかりを探しているかのようだった。
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