182年の人生

山碕田鶴

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1974ー2039 大村修一

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「息……していなかったんです」
「そうか……いよいよおしまいか。どうりで死神が優しかったわけだ」

 相馬の顔は真っ青だった。

「私はまだ生きているよ。ああ、君が人工呼吸をしてくれたのか」
「していませんって」

 すう、と深呼吸をした。
 自然な死を迎えるのは初めてで、どうしたらよいのか勝手がわからないな。

「イオンを……君に託さないといけないな。この身体は、本当にもうダメそうだ」
「……教授、すみません。出入り禁止になったのに来てしまいました。このまま、朝までここに置いて下さい。今日だけで……いいんです。どうか……」

 相馬はそれこそ覚悟を決めたように、私をまっすぐ見つめた。最期を見届ける気なのだろうか。

「そんな不安そうな君を追い出せるほど私は頑固ではないよ。隣に居てくれ」

 はい、と返事をしても笑顔にはならない。空気が重い。

「相馬君、そんな怖い顔をされても困る」
「あ……」

 気づいていなかったのか。本当に私はお終いのようだな。
 相馬は私の横に倒れ込むと、顔を伏せたまま訊いてきた。

「身体から魂が抜けるって、どんな感じですか?」
「そうだなあ。私はいつも切羽詰まっていて、じっくり観察している場合ではなかったからね。勢いで出てしまったようなものだな。怖くはない。ふわりと軽くなって……何やら心もとない感じだった。薄い膜がこの世と私とを隔てているような、ぼんやりとした感覚……見えるし聞こえるが、遠い……遠くて、孤独だ」
「孤独、ですか」
「目の前に変わらぬ日常があるのに、私だけがすっぽりと抜け落ちている。それが当然であるかのように皆がふるまう。私の未来、いや、現在の私の存在そのものが完全に消えたのだと悟る瞬間だ。まあ、私の場合は人生がいつわりだらけだったから、寂しさなどたかが知れている。そのまま生に執着しなければ、自然に天まで浮かび上がれたはずなのだ」
「死んでもこの世をさまようと聞きますが」
「お別れというか、気持ちに区切りをつけるための時間だったような気がしたよ。最初に死んだ時は、会社のその後や実家の様子など色々見て回って、過去も未来も覗いたものだ。あの世とやらにすぐ向かっても構わないようだがね。四十九日の間はフラフラできるらしい。それからあの世でしばらく過ごした後、別の、元々我々がいたところへ帰るそうだ」
「……また生まれて来ることはできますか?」
「この世は一度きりではない、望めばまた来ることができる。死神はそう言っていた。どれくらい間を置けば来られるのかはわからない。人間の肉体を持つ死神は、死の直後に別の人間として生まれていた。まあ、あれは特例だろう。我々は、また生まれることができても前の記憶は持っていないだろうしな」
「僕は忘れたくない。教授も、イオンも。僕はあなたを絶対に忘れない……シキ……」

 相馬は静かに私を見ていた。
 こんなに幸せそうな顔を見たことはなかった。こんなに嬉しそうな泣き顔は見たことがなかった。

「シキ。僕は、絶対に忘れない。僕はきっとあなたに会うために、あなたと『魂の器』を作るためにこの時代に生まれたんだ。あなたに出会って、僕は生きていることを強く意識した。生きていることを実感した。今だってこんなに心が震えている。シキ、僕はあなたの存在を愛している。あなたがこの世に生み出したイオンを、あなたがいるこの世界を愛している」

 相馬の両手がそっと私の手を包んだ。温かさに想いがにじむ。

「ずいぶんと情熱的な告白だな。……私も君に出会えて嬉しいよ。長生きはするものだ。だが……私は運命を信じない。全ては自己選択の積み重ねと偶然の結果だろう。どういう人生をたどろうと、出会いは皆奇跡だ」
「ああ、運命よりも結果論の方が確率を計算できて説得力がありそうだから、なんだか特別な絆感が増しますね」
「そうかね? 君は案外ロマンチストだな。そして、もの好きだ」
「ふふっ、アンドロイドを研究しようなんて人間はみんなロマンチストですよ。それに、僕が老け専なのは本当です。大村教授はドストライクだったけれど、シキはその倍も年上だった! そんなのを目の前にしたらヤバ過ぎて理性も吹っ飛びますって」

 場違いなほどにはしゃぐ相馬は、しかし、もう笑ってはいなかった。感情が高ぶっているのは確かだろう。ずっと指先が震えている。

「……ねえシキ。どうか僕の願いを聞いて欲しいんです。どうか、僕のわがままを受け入れて欲しい」

 私の手を大事そうに包んだまま、相馬は正面から私を見据えた。

「シキ。どうか僕として、相馬智律とものりとして生きて欲しい」
「……なに……を?」

 相馬智律として、生きる?
 相馬の言うことが理解できなかった。相馬は何を言っている?
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