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1974ー2039 大村修一
36ー(1/2)
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修一の二歳下の妹は安子といった。二人兄妹の仲は良かったようだが、安子は幼い頃から独り言が多かったり、突然じっと何かを凝視するような仕草をして動かなくなったりと奇行が目立ったらしい。
小学校に上がると安子は周囲から仲間はずれにされることが多くなった。兄の修一も安子のことでからかわれることが増えた。
当時は超能力や心霊現象全般が流行していて特に小学生は熱中したが、あくまでも娯楽の範囲であり、お化け屋敷の延長であった。確度が高過ぎる安子の透視や予言、幽霊話はむしろ気味悪がられ疎まれた。
安子は常に淡々と自分の知る事実を語った。それが安子自身にとって未知で理解できないことであっても、視えたままを伝えようとした。
修一が殺人未遂事件に遭った時も、まるでその場で見ていたかのように遠藤の殺意を否定し、兄をかばおうとはしなかった。
安子が事件当日の修一を詳細に語ったことについて、私には心当たりがある。きっと過去を視ていたのだ。
私自身、吉澤識としての死の直後に過去や未来を自在に見た。未来はあくまで予測値であるらしいが、あれを安子は生きたままやったのだ。
それだけではない。安子には幽霊が視えている。かつて出会ったヤイがそうであったように、安子には幽霊が寄ってきて話しかけるのであろう。
私が修一の魂を捨てた直後から、安子は泣き続けた。泣くたびに私の身体を強く掴んで離さなかった。
「お兄ちゃんに返せ」
両親はその言葉と行動の意味がわからず、事件のショックだと理解しようとした。
お兄ちゃんにこの身体を返せ。
安子はそう言っている。きっとまだ近くに修一がいたに違いない。私が捨てた形のない魂を安子は視ていたのだ。
私は自室にこもり、誰にも会いたくないと言って安子を遠ざけた。
この子供は、私が修一でないことを知っている。私が修一の魂を捨てたことを知っている。修一が遠藤に殺されそうになっていないことを知っている。遠藤が秋山のカバンを奪おうとしていなかったことを知っている。
安子には全て視えていたのだ。
遠藤の罪状を殺人だけではなく、強盗殺人ならびに殺人未遂にしようと画策したことの意味を安子はまだ理解していない。
併合した犯罪は求刑までの時間が長引く。特に強盗殺人の審理期間は圧倒的に長く、量刑に至っては死刑または無期懲役だ。
死神の行動を制限するには人間のまま牢獄に閉じ込めるのが最善だ。死刑にさえならなければ、絶対に死なせずに拘束してもらえる。
あれは律儀に人間をやっているから、きっと自死は選ばない。かつて黒い影が現れた時のように、一部が抜け出して会いに来るくらいであれば怖くはない。私には遠藤寛治の一生分の時間的猶予ができたはずである。
自室にこもってひと月も過ぎると、安子はもう何も言わなくなった。修一の魂はあの世へ行ったに違いない。
その後からは、逆に安子が私を避けるようになった。私は兄の身体を乗っ取った悪霊である。当然であろう。
安子は自分の言葉を誰も信じてくれないことを理解していた。修一の事件でそれが決定的になった。だから、修一が乗っ取られたことは両親に話していない。そして、ついに一度も私がお兄ちゃんと呼ばれることはなかった。
私が東京の大学に進学するのと時期を同じくして、安子は遠くの親戚の家で世話になることが決まった。
修一の事件がなかったとしても、理解者のいない安子がここで暮らし続けるのは辛かろう。特別な能力を持った安子は、それにふさわしい生き方を探さねばならなかった。
「申し開きのできない力を持った者は、それにふさわしい生き方を見つけねばならない……」
冬が終わり、大村の家を出る準備をしながらふと口をついて出た。ヤイに言われた言葉だ。
「それは、誰のことですか?」
突然、背後から声がかかった。振り向くと安子が部屋の入り口に立っていた。
最近は引きこもりをやめてふすまを開け放していたから、安子に気づかなかった。いや、安子に気配がなかったのだ。
話しかけてきたのは十年ぶりだった。私を見つめる少女に幼さは消えていた。
他人を寄せつけない冷たさが凛と強く美しい。同時に、頼るもののない不安がはかなく見え隠れする。
「昔、私が言われた言葉です。今はあなたのことかもしれませんね」
安子に対して今さら修一のふりをする必要はない。
「安子には未来が視えますか?」
急に訊かれて驚いたのか、安子はとまどいながらうなずいた。
「ならばその力は、あなた自身を守りますよ。オカルトだ迷信だと言いながら、政治や経済を動かす人間は特別な能力者をそばに置いています。相手をよく選んで、あなたを守ってくれる人のために力を使うことをお勧めします。あなたを理解する人間は存外多いものです。安心して下さい」
「なんでそんなアドバイスみたいなことを私に……」
「助言ではなくて忠告ですよ。あなたの力は特別だから、あなたにとって悪い人間に利用されないようにしろと言っているのです。地位や権力が絡むと面倒ごとが増えますから。それから、視える未来はあくまでもその時点での予測値です。時々刻々と事象は変化することをお忘れなく」
「悪い人間は……あなたです」
安子はまっすぐに私を睨みつけてきた。修一のことを恨み続けて吐き出せなかった思いが、呪いのように込められた目だ。
だが、その奥には揺らぎがみえる。自分の力を理解されたことも肯定されたこともない安子は、私をあっさりと信用しかけているのだ。
私ならあなたを理解してやれるし守ってやれる。わずかにもそんなそぶりを見せれば、私と共に生きることさえしかねないな。
もちろん過去に一度もそのような籠絡はしなかった。孤立した世間慣れのしない人間を落とすのは容易いが、修一への罪悪感がそれをさせなかった。
「ククッ。そうですね。私は……安子の大切な兄を奪った悪霊だ」
このまま私を頼っても、憎む相手に依存する弱い自分を赦せなくなるだけだぞ。
「……私は……あなたを生涯赦さない……」
「わかっています」
それでいい。あなたが赦さないのは私だ。私は赦されてはいけないのだ。
修一を思い涙をこぼした安子に背を向け、私は荷造りを進めた。
小学校に上がると安子は周囲から仲間はずれにされることが多くなった。兄の修一も安子のことでからかわれることが増えた。
当時は超能力や心霊現象全般が流行していて特に小学生は熱中したが、あくまでも娯楽の範囲であり、お化け屋敷の延長であった。確度が高過ぎる安子の透視や予言、幽霊話はむしろ気味悪がられ疎まれた。
安子は常に淡々と自分の知る事実を語った。それが安子自身にとって未知で理解できないことであっても、視えたままを伝えようとした。
修一が殺人未遂事件に遭った時も、まるでその場で見ていたかのように遠藤の殺意を否定し、兄をかばおうとはしなかった。
安子が事件当日の修一を詳細に語ったことについて、私には心当たりがある。きっと過去を視ていたのだ。
私自身、吉澤識としての死の直後に過去や未来を自在に見た。未来はあくまで予測値であるらしいが、あれを安子は生きたままやったのだ。
それだけではない。安子には幽霊が視えている。かつて出会ったヤイがそうであったように、安子には幽霊が寄ってきて話しかけるのであろう。
私が修一の魂を捨てた直後から、安子は泣き続けた。泣くたびに私の身体を強く掴んで離さなかった。
「お兄ちゃんに返せ」
両親はその言葉と行動の意味がわからず、事件のショックだと理解しようとした。
お兄ちゃんにこの身体を返せ。
安子はそう言っている。きっとまだ近くに修一がいたに違いない。私が捨てた形のない魂を安子は視ていたのだ。
私は自室にこもり、誰にも会いたくないと言って安子を遠ざけた。
この子供は、私が修一でないことを知っている。私が修一の魂を捨てたことを知っている。修一が遠藤に殺されそうになっていないことを知っている。遠藤が秋山のカバンを奪おうとしていなかったことを知っている。
安子には全て視えていたのだ。
遠藤の罪状を殺人だけではなく、強盗殺人ならびに殺人未遂にしようと画策したことの意味を安子はまだ理解していない。
併合した犯罪は求刑までの時間が長引く。特に強盗殺人の審理期間は圧倒的に長く、量刑に至っては死刑または無期懲役だ。
死神の行動を制限するには人間のまま牢獄に閉じ込めるのが最善だ。死刑にさえならなければ、絶対に死なせずに拘束してもらえる。
あれは律儀に人間をやっているから、きっと自死は選ばない。かつて黒い影が現れた時のように、一部が抜け出して会いに来るくらいであれば怖くはない。私には遠藤寛治の一生分の時間的猶予ができたはずである。
自室にこもってひと月も過ぎると、安子はもう何も言わなくなった。修一の魂はあの世へ行ったに違いない。
その後からは、逆に安子が私を避けるようになった。私は兄の身体を乗っ取った悪霊である。当然であろう。
安子は自分の言葉を誰も信じてくれないことを理解していた。修一の事件でそれが決定的になった。だから、修一が乗っ取られたことは両親に話していない。そして、ついに一度も私がお兄ちゃんと呼ばれることはなかった。
私が東京の大学に進学するのと時期を同じくして、安子は遠くの親戚の家で世話になることが決まった。
修一の事件がなかったとしても、理解者のいない安子がここで暮らし続けるのは辛かろう。特別な能力を持った安子は、それにふさわしい生き方を探さねばならなかった。
「申し開きのできない力を持った者は、それにふさわしい生き方を見つけねばならない……」
冬が終わり、大村の家を出る準備をしながらふと口をついて出た。ヤイに言われた言葉だ。
「それは、誰のことですか?」
突然、背後から声がかかった。振り向くと安子が部屋の入り口に立っていた。
最近は引きこもりをやめてふすまを開け放していたから、安子に気づかなかった。いや、安子に気配がなかったのだ。
話しかけてきたのは十年ぶりだった。私を見つめる少女に幼さは消えていた。
他人を寄せつけない冷たさが凛と強く美しい。同時に、頼るもののない不安がはかなく見え隠れする。
「昔、私が言われた言葉です。今はあなたのことかもしれませんね」
安子に対して今さら修一のふりをする必要はない。
「安子には未来が視えますか?」
急に訊かれて驚いたのか、安子はとまどいながらうなずいた。
「ならばその力は、あなた自身を守りますよ。オカルトだ迷信だと言いながら、政治や経済を動かす人間は特別な能力者をそばに置いています。相手をよく選んで、あなたを守ってくれる人のために力を使うことをお勧めします。あなたを理解する人間は存外多いものです。安心して下さい」
「なんでそんなアドバイスみたいなことを私に……」
「助言ではなくて忠告ですよ。あなたの力は特別だから、あなたにとって悪い人間に利用されないようにしろと言っているのです。地位や権力が絡むと面倒ごとが増えますから。それから、視える未来はあくまでもその時点での予測値です。時々刻々と事象は変化することをお忘れなく」
「悪い人間は……あなたです」
安子はまっすぐに私を睨みつけてきた。修一のことを恨み続けて吐き出せなかった思いが、呪いのように込められた目だ。
だが、その奥には揺らぎがみえる。自分の力を理解されたことも肯定されたこともない安子は、私をあっさりと信用しかけているのだ。
私ならあなたを理解してやれるし守ってやれる。わずかにもそんなそぶりを見せれば、私と共に生きることさえしかねないな。
もちろん過去に一度もそのような籠絡はしなかった。孤立した世間慣れのしない人間を落とすのは容易いが、修一への罪悪感がそれをさせなかった。
「ククッ。そうですね。私は……安子の大切な兄を奪った悪霊だ」
このまま私を頼っても、憎む相手に依存する弱い自分を赦せなくなるだけだぞ。
「……私は……あなたを生涯赦さない……」
「わかっています」
それでいい。あなたが赦さないのは私だ。私は赦されてはいけないのだ。
修一を思い涙をこぼした安子に背を向け、私は荷造りを進めた。
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