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1940ー1974 秋山正二
33-(1)
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一人で飲むと必ず店で見かける男がいた。いつからか記憶にないほど頻繁に、思い返すと確かにいた。
ただの常連客だと思い、気にも留めなかった。
つい今までは。
「相席、いいですか?」
「座ってから訊かないで欲しいな」
男はグラス片手に声をかけてきて、勝手に目の前で飲み始めた。先日、松川と飲んだ時に目が合った二十代後半くらいの男だ。
ここは行きつけの店ではない。いつも飲む時間でもない。初めて来た土地で、初めて寄る、気まぐれに入った店だ。
あえて私の習慣から外した全く想定外の状況でなぜ現れた? 常に尾行されていたのか。
違う。店で男を見た瞬間に覚悟せねばならなかった。私は、その事実を認めたくなかっただけだ。
「死神……」
こいつは、あの死神だ。今度はまたずいぶんと男前ではないか。やや癖のある長めの髪が目や頬にかかって揺れる。痩せ気味でやさぐれた感じが、酒場に似つかわしい。肉の嫌いなお前は、モテても困るだけだろう。
「酒がないと生きられない身体にして申し訳ない。着心地はどうだ?」
口角を上げて不敵に笑う死神は、ぞっとするほど冷たい目をしていた。
「久しぶり、だな」
自分の声がかすかに震えるのがわかる。身体が勝手に緊張する。怯えだ。
「そうか? 俺はずっとお前のそばにいたつもりだが。なあ、シキ」
テーブルを挟んで向かい合っているのに、喉元を掴まれたような錯覚を覚える。一瞬息ができなくなった。
「シキ。お前は相変わらず言うことを聞かないから、こうして直接出向いてやったのだ。夢の中でせっかくいい思いをさせてやろうと思ったのにな」
「カ……イ……」
「そうだ。俺はカイだ。俺の名を呼べと夢で何度も教えたのに、お前は拒み続けた。ようやく言えたな。イイ子だ」
死神は満足そうに言った。
魂が支配される。このまま地獄に引きずり込まれそうな恐怖に精神が高揚している。
「シキ、お前は規則違反の不法滞在者だ。わざわざこの世に生まれ来た者が生き急ぐ必要はないが、お前はすぐに去らねばならない」
テーブルに置いたままの腕を死神が触れてきた。肘から手首、手の甲をなぞったかと思うと、ゆっくりと指を絡めてきた。指先が私の反応を楽しんでいる。
死神の肉体は私より余程温かかった。
「俺は、この肉の感触が我慢ならない。お前はどうだ? その身体では、一切の肉を受けつけないのではないか? 身体に残る五感の記憶は、魂を侵食するだろう? さっさと脱いだらどうだ?」
「お前は、武力では何も解決しないと悟ったのか? 平和的交渉をしに来たのか?」
「お前の出方次第だ。夢の中なら楽に逝けたものを」
魂を喰われたい。
死神を前にすると異様な興奮と衝動に駆られる自分がいる。
かつて小林であった時に、魂を引きずり出されながら掴まれた死神の腕の感触をはっきりと覚えている。肉体を介さず、魂が直接触れ合う快感に抗う自信がない。
「何を考えている? お前の欲しい物を俺はいくらでも与えてやれるぞ?」
死神は静かに指を離しながら、意味ありげな視線を送ってきた。じわじわと崖に追い込む作戦か。
ただの常連客だと思い、気にも留めなかった。
つい今までは。
「相席、いいですか?」
「座ってから訊かないで欲しいな」
男はグラス片手に声をかけてきて、勝手に目の前で飲み始めた。先日、松川と飲んだ時に目が合った二十代後半くらいの男だ。
ここは行きつけの店ではない。いつも飲む時間でもない。初めて来た土地で、初めて寄る、気まぐれに入った店だ。
あえて私の習慣から外した全く想定外の状況でなぜ現れた? 常に尾行されていたのか。
違う。店で男を見た瞬間に覚悟せねばならなかった。私は、その事実を認めたくなかっただけだ。
「死神……」
こいつは、あの死神だ。今度はまたずいぶんと男前ではないか。やや癖のある長めの髪が目や頬にかかって揺れる。痩せ気味でやさぐれた感じが、酒場に似つかわしい。肉の嫌いなお前は、モテても困るだけだろう。
「酒がないと生きられない身体にして申し訳ない。着心地はどうだ?」
口角を上げて不敵に笑う死神は、ぞっとするほど冷たい目をしていた。
「久しぶり、だな」
自分の声がかすかに震えるのがわかる。身体が勝手に緊張する。怯えだ。
「そうか? 俺はずっとお前のそばにいたつもりだが。なあ、シキ」
テーブルを挟んで向かい合っているのに、喉元を掴まれたような錯覚を覚える。一瞬息ができなくなった。
「シキ。お前は相変わらず言うことを聞かないから、こうして直接出向いてやったのだ。夢の中でせっかくいい思いをさせてやろうと思ったのにな」
「カ……イ……」
「そうだ。俺はカイだ。俺の名を呼べと夢で何度も教えたのに、お前は拒み続けた。ようやく言えたな。イイ子だ」
死神は満足そうに言った。
魂が支配される。このまま地獄に引きずり込まれそうな恐怖に精神が高揚している。
「シキ、お前は規則違反の不法滞在者だ。わざわざこの世に生まれ来た者が生き急ぐ必要はないが、お前はすぐに去らねばならない」
テーブルに置いたままの腕を死神が触れてきた。肘から手首、手の甲をなぞったかと思うと、ゆっくりと指を絡めてきた。指先が私の反応を楽しんでいる。
死神の肉体は私より余程温かかった。
「俺は、この肉の感触が我慢ならない。お前はどうだ? その身体では、一切の肉を受けつけないのではないか? 身体に残る五感の記憶は、魂を侵食するだろう? さっさと脱いだらどうだ?」
「お前は、武力では何も解決しないと悟ったのか? 平和的交渉をしに来たのか?」
「お前の出方次第だ。夢の中なら楽に逝けたものを」
魂を喰われたい。
死神を前にすると異様な興奮と衝動に駆られる自分がいる。
かつて小林であった時に、魂を引きずり出されながら掴まれた死神の腕の感触をはっきりと覚えている。肉体を介さず、魂が直接触れ合う快感に抗う自信がない。
「何を考えている? お前の欲しい物を俺はいくらでも与えてやれるぞ?」
死神は静かに指を離しながら、意味ありげな視線を送ってきた。じわじわと崖に追い込む作戦か。
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