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1913ー1940 小林建夫
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その日も朝からよく晴れていた。ヨーロッパでは、独国軍、伊国軍が周辺国を次々と侵攻している。本国内はここ数日、この二国と我が国が同盟を結んだという報道でもちきりであった。
人生晩年となった私は、ただ知り、考えることしかできない。せめて一日でも長く生きて、世情の多くを見届けたかった。
秋山は二十七か。徴兵が及ばなければ、これからの人生を記者として長く生きて行けるのか。羨ましい限りだな。
早朝の散歩は私の日課だ。すっかり整備された大通りは行かず、工場敷地裏手の竹林をのんびりと散策する。八十を越えた身体には、これでもかなりの運動だ。
田舎暮らしには慣れた。肉体を鍛えることで魂とよく馴染んだのか、身体はどこにも違和感がない。
過去が遠くなるにつれ記憶は勝手に補正され、まるではじめから小林だったような気さえする。意識は既成事実を是とするらしい。
私は奇跡の時間を生きてきた。どうせ奇跡ならば、これが永遠に続けばよいのにと思う。
しばらく歩いて、はたと足が止まる。
監視の気配だ。
天から見張られているような、背筋が寒くなる異様な空気に思わず辺りを見回した。
竹林に人影がある。
じっとこちらを見たまま動かない。
「秋山……」
秋山は無表情のままこちらに向かって来た。意志の強そうな顔立ちは子供の頃と変わらない。かつての痩せた少年は、細身のまま私の身長を越していた。
「おはようございます。散歩はお済みで?」
「見ての通り、まだ途中だよ」
「そうですか。とっくに終わっていると思っておりましたが」
「……何が言いたい?」
「言わずとも貴方はご承知でしょう」
秋山は淡々と言った。
ああ、この目だ。私を監視してきたあの視線の主はこの男なのだ。
直感で確信した。私が小林となった時から常に感じ続けた恐怖が今、目の前にある。
「君は私をずっと監視していたのか?」
「俺は第二部の所属ではないので、諜報のやり方など知りません。気配を完全に消すことはできなかったようですね」
私を嘲笑するかのように、秋山の口角がわずかに上がる。射るような目は私の動揺を見逃さない。
第二部か。懐かしい言葉だ。
秋山は私が吉澤識であった過去を知っている。私の全てを知っている。
かつてヤイが言っていた。秋山は人ならざる何か大きな存在だと。それならば納得がいく。
この男は、私が監視の視線に気づき、怖れるように仕向けていたのだ。私が小林となって再びこの世を生き始めた時から。
秩序を乱すものは、速やかに排除されなければなりません。
秋山の言葉だ。
秩序とは、すなわちこの世での生き死にのことか。私は存在してはならないということか。
「……お前は死神か?」
馬鹿げている。そう思いながら、それ以外が思いつかない。
「呼び方はどうとでも。貴方が二度目の人生にすぐ飽きてあの世へ行くと思い、黙って見ておりました。しかしながら、向かう様子が微塵もない。仕方なくこうして直接会いに来ました」
秋山はつまらなそうに言った。
「貴方は存在してはならない。可及的速やかにこの世から消えていただかねばならない。おわかりか? 貴方は規則違反なのだ」
「小林を殺して肉体を奪ったことか? その罪を罰するために私を消すのか?」
「この世でそれを立証できる者はいない。俺はこの世の善悪を問うてはいない。この世の善悪は、俺の関与するところではない。ひとつ教えてやる。小林建夫は自らこの世を去った。お前はただその場に居合わせただけだ。お前が殺したわけではない」
秋山は、はっきりと人ならざる者に変わっていた。
いや、はじめからこれが秋山なのだ。
正二と初めて会った時の強い視線を私は覚えている。今と同じだ。
秋山は私に対してなんの感情も持っていない。ただ排除しようとしている。平然と。
はじめから敵う相手ではない。
目の前にいるのは、秋山正二という人間の姿をした死神なのだ。
人生晩年となった私は、ただ知り、考えることしかできない。せめて一日でも長く生きて、世情の多くを見届けたかった。
秋山は二十七か。徴兵が及ばなければ、これからの人生を記者として長く生きて行けるのか。羨ましい限りだな。
早朝の散歩は私の日課だ。すっかり整備された大通りは行かず、工場敷地裏手の竹林をのんびりと散策する。八十を越えた身体には、これでもかなりの運動だ。
田舎暮らしには慣れた。肉体を鍛えることで魂とよく馴染んだのか、身体はどこにも違和感がない。
過去が遠くなるにつれ記憶は勝手に補正され、まるではじめから小林だったような気さえする。意識は既成事実を是とするらしい。
私は奇跡の時間を生きてきた。どうせ奇跡ならば、これが永遠に続けばよいのにと思う。
しばらく歩いて、はたと足が止まる。
監視の気配だ。
天から見張られているような、背筋が寒くなる異様な空気に思わず辺りを見回した。
竹林に人影がある。
じっとこちらを見たまま動かない。
「秋山……」
秋山は無表情のままこちらに向かって来た。意志の強そうな顔立ちは子供の頃と変わらない。かつての痩せた少年は、細身のまま私の身長を越していた。
「おはようございます。散歩はお済みで?」
「見ての通り、まだ途中だよ」
「そうですか。とっくに終わっていると思っておりましたが」
「……何が言いたい?」
「言わずとも貴方はご承知でしょう」
秋山は淡々と言った。
ああ、この目だ。私を監視してきたあの視線の主はこの男なのだ。
直感で確信した。私が小林となった時から常に感じ続けた恐怖が今、目の前にある。
「君は私をずっと監視していたのか?」
「俺は第二部の所属ではないので、諜報のやり方など知りません。気配を完全に消すことはできなかったようですね」
私を嘲笑するかのように、秋山の口角がわずかに上がる。射るような目は私の動揺を見逃さない。
第二部か。懐かしい言葉だ。
秋山は私が吉澤識であった過去を知っている。私の全てを知っている。
かつてヤイが言っていた。秋山は人ならざる何か大きな存在だと。それならば納得がいく。
この男は、私が監視の視線に気づき、怖れるように仕向けていたのだ。私が小林となって再びこの世を生き始めた時から。
秩序を乱すものは、速やかに排除されなければなりません。
秋山の言葉だ。
秩序とは、すなわちこの世での生き死にのことか。私は存在してはならないということか。
「……お前は死神か?」
馬鹿げている。そう思いながら、それ以外が思いつかない。
「呼び方はどうとでも。貴方が二度目の人生にすぐ飽きてあの世へ行くと思い、黙って見ておりました。しかしながら、向かう様子が微塵もない。仕方なくこうして直接会いに来ました」
秋山はつまらなそうに言った。
「貴方は存在してはならない。可及的速やかにこの世から消えていただかねばならない。おわかりか? 貴方は規則違反なのだ」
「小林を殺して肉体を奪ったことか? その罪を罰するために私を消すのか?」
「この世でそれを立証できる者はいない。俺はこの世の善悪を問うてはいない。この世の善悪は、俺の関与するところではない。ひとつ教えてやる。小林建夫は自らこの世を去った。お前はただその場に居合わせただけだ。お前が殺したわけではない」
秋山は、はっきりと人ならざる者に変わっていた。
いや、はじめからこれが秋山なのだ。
正二と初めて会った時の強い視線を私は覚えている。今と同じだ。
秋山は私に対してなんの感情も持っていない。ただ排除しようとしている。平然と。
はじめから敵う相手ではない。
目の前にいるのは、秋山正二という人間の姿をした死神なのだ。
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