182年の人生

山碕田鶴

文字の大きさ
上 下
49 / 199
1913ー1940 小林建夫

19-(2/2)

しおりを挟む
「御足労いただいて恐縮です。こちらの湖の鰻も浜名湖に劣らず旨いでしょう? ここの鰻は蒸さずに焼く関西風です。ですが、さばき方は西の腹開きではなく東京と同じ背開きなのですよ。この辺りの地域がちょうど東西の境目らしいですね。まあ、周辺のお店は全て蒸して焼く関東風だったりするようで、単に創業店主の好みかもしれませんがね。タレだって、東でも西でも、こんなに濃くて甘いのはありません」
「小林さん、こんな田舎育ちというのにずいぶんと博識でいらっしゃる」
「いやあ、鰻ごときで博識ですか? 店の宣伝文句ですよ。私は鰻を食えるような身分ではありませんでしたから」

 佐藤は笑いながら常に私を観察している。言葉一つも逃さないらしい。
 店の女将が追加の酒を運んで来た。

「小林さんが全部お話して下さるから、私から改めて料理のご説明を申し上げることはございませんねえ。このお方、ちょいと変わっていましてね。料理人がさばくところを見たいだとか店を構えたのはいつからだとか、まあ細々とあれこれ聞くんですよ。お教えしているうちに今度は村長さんやらあちこちの社長さんやらに話して下さるのか、お客様が次々いらして。今度は東京からのお客人ですか? どうぞごゆっくり」

 愛想良く振る舞う女将の後ろ姿を佐藤は目で追い続けた。
 こんな田舎の料理屋であれほど人目を惹く女将に出会えるとは思わなかったか?
 ほうけた顔の佐藤に私は満足した。これくらい驚いてくれると接待のしがいがあるというものだ。

「あの、僕だけ酒をいただいていますが小林さんは?」
「恥ずかしながら、下戸げこでして。これでは商談もままならない。どうぞ私の分も佐藤さんが味わって下さい」

 そう、小林は酒が飲めない。身体がいっさい受けつけないのだ。小林になって初めて口にした酒は、苦くて毒のようだった。人生の楽しみを半分失ったのかと本気で落涙した。
 だが、酒を欲するのは肉体の要求であったらしく、小林になってからの私に宴席を懐かしむ気持ちは全く起きなかった。目の前で美味そうに酒をあおる佐藤を見ても、羨ましいとも何とも思わない。

「小林さんは吉澤の社長と直談判して出資を得ることになったのでしょう?  ずいぶんと豪胆な方だ。それに、周辺の小規模工場と結社を作るそうではないですか」
「一度死にかけていますから。なんだって怖くはありません」
「そう、それですよ。あなたの半生を追った連載の見出しは『渡船賃とせちんを払えなかった男』にしようと思っております。吉澤の反応は良かったですよ」
「佐藤さん、これはやはり吉澤さんのさしがねですか」
「そりゃあそうですよ。汽車賃も宿代も全て吉澤から出ていますから」
「それなら、わざわざ私に会わなくても適当に話を作って書けばよろしいではありませんか?」
「いや、書かねばならないことは決まっていますが、せっかく会える機会ができたんです。もったいないでしょう。一期一会ですよ」

 佐藤もまた好奇心旺盛な男であった。
 佐藤が書いた「渡船賃を払えなかった男」は相当に評判が良かったようだ。
 吉澤組は益々業績を伸ばしたらしい。
 小林の会社も日々成長し、村も周辺地域も確実に豊かになり始めた。
 小林建夫たけおは報徳の聖者として皆に知られる存在となっていった。



しおりを挟む
ツギクルバナー
感想 0

あなたにおすすめの小説

バベル病院の怪

中岡 始
ホラー
地方都市の市街地に、70年前に建設された円柱形の奇妙な廃病院がある。かつては最先端のモダンなデザインとして話題になったが、今では心霊スポットとして知られ、地元の若者が肝試しに訪れる場所となっていた。 大学生の 森川悠斗 は都市伝説をテーマにした卒業研究のため、この病院の調査を始める。そして、彼はX(旧Twitter)アカウント @babel_report を開設し、廃病院での探索をリアルタイムで投稿しながらフォロワーと情報を共有していった。 最初は何の変哲もない探索だったが、次第に不審な現象が彼の投稿に現れ始める。「背景に知らない人が写っている」「投稿の時間が巻き戻っている」「彼が知らないはずの情報を、誰かが先に投稿している」。フォロワーたちは不安を募らせるが、悠斗本人は気づかない。 そして、ある日を境に @babel_report の投稿が途絶える。 その後、彼のフォロワーの元に、不気味なメッセージが届き始める—— 「次は、君の番だよ」

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

あーあ。それ、壊しちゃったんだ? 可哀想に。もう助からないよ、君ら。

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
ホラー
流行から少し遅れ、祠を壊しました。 ****** 僕らの学校では「悪いことが格好いい」と流行っていた。 カーストトップの奴らが自慢する行為に苦々しい思いをしていた普通モブの僕らのグループは、呪われると言われている学校裏の祠を壊そうと決め……。

ゾンビと片腕少女はどのように死んだのか特殊部隊員は語る

leon
ホラー
元特殊作戦群の隊員が親友の娘「詩織」を連れてゾンビが蔓延する世界でどのように生き、どのように死んでいくかを語る

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

たまご

蒼河颯人
ホラー
──ひっそりと静かに眺め続けているものとは?── 雨の日も風の日も晴れの日も どんな日でも 眺め続けているモノがいる あなたのお家の中にもいるかもしれませんね 表紙画像はかんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html) で作成しました。

【1分読書】意味が分かると怖いおとぎばなし

響ぴあの
ホラー
【1分読書】 意味が分かるとこわいおとぎ話。 意外な事実や知らなかった裏話。 浦島太郎は神になった。桃太郎の闇。本当に怖いかちかち山。かぐや姫は宇宙人。白雪姫の王子の誤算。舌切りすずめは三角関係の話。早く人間になりたい人魚姫。本当は怖い眠り姫、シンデレラ、さるかに合戦、はなさかじいさん、犬の呪いなどなど面白い雑学と創作短編をお楽しみください。 どこから読んでも大丈夫です。1話完結ショートショート。

処理中です...