48 / 199
1913ー1940 小林建夫
19-(1/2)
しおりを挟む
吉澤組から小林組への出資は、いずれ買収することも見込んだものであったろう。だが、田舎の零細会社が生き残るには吉澤の力がどうしても必要だった。
村も社員たちも、経営者が誰であろうと働き口があればそれで良いだろう。
父の独断即決に見えて、もう十分な根回しは終えているはずだ。
吉澤邸に行った際、父は製糸業の展望を語っていた。専門の部署と職員の配置を既に計画済みだったと後になって知った。つまり、同業の貿易会社をはじめ、軍やら政府やら、吉澤組と関わりのあるところには話を通してあるということだ。
父は隠れて他社を出し抜くようなことは決してしない。それでいて自社が不利になることは絶対に良しとしない。複雑難解な思考につきあう父の側近たちには尊敬しかないな。
出資が決まった直後、私の元には東京の新聞社から連絡があり、佐藤という記者がわざわざ訪ねてきた。
三十を過ぎたばかりだという小柄で人懐こそうな男だ。吉澤組が生糸の輸出だけでなく直接生産にも事業展開する噂を聞いたので取材したいと言う。
聞かされたというのが正しいだろう。どうせ吉澤組の広報だ。
小林の半生はなかなか好感を呼ぶ素材であった。
貧しい村の農家に生まれ、村を豊かにするために工場を作った滅私奉公の男。
時代の波に乗り急成長するかに見えたが旧式の方法で生産量が上がらず経営が傾き始め、生糸の値段が一時期暴落した影響も受けてしまう。全財産を投げ打っても手立てなく、追い詰められた末に入水。
運良く社員たちに助けられて再起を決意し、吉澤組に出資を直談判して吉澤社長と意気投合した。
そうだ。吉澤組の好感度を上げるに、これほどふさわしい人情話はないだろう。
父は新聞記事という形の広告を使って株価も吊り上げる気か。
時代は再び戦争に向かっている。基幹輸出産業を後押しして外貨を獲得したい国も、いずれ国威発揚に利用するに違いない。
「ずいぶんと用意周到な美談ですなあ」
小料理屋で酒と鰻を堪能しながら佐藤は上機嫌に笑った。
佐藤は、初対面の相手にも臆さず言いたいことを言うらしい。かつて私が知る記者たちも皆そんな感じではあったな。
村にはまともに接待できるような場所はない。少し遠出ではあったが、鉄道駅近くの店を指定して佐藤と面会することにした。
製糸業は国の代表的産業に成長し、生糸の生産地には早くから鉄道が敷かれていたから、山奥の田舎とはいえ駅周辺はそれなりの店もあり賑わっている。
「上から言われて、こんな山奥まで来ることになりました。ちょっと憂鬱だったんですが、いやあ、この酒も鰻も素晴らしい。来てよかったです」
佐藤は素直に喜んだ。
村も社員たちも、経営者が誰であろうと働き口があればそれで良いだろう。
父の独断即決に見えて、もう十分な根回しは終えているはずだ。
吉澤邸に行った際、父は製糸業の展望を語っていた。専門の部署と職員の配置を既に計画済みだったと後になって知った。つまり、同業の貿易会社をはじめ、軍やら政府やら、吉澤組と関わりのあるところには話を通してあるということだ。
父は隠れて他社を出し抜くようなことは決してしない。それでいて自社が不利になることは絶対に良しとしない。複雑難解な思考につきあう父の側近たちには尊敬しかないな。
出資が決まった直後、私の元には東京の新聞社から連絡があり、佐藤という記者がわざわざ訪ねてきた。
三十を過ぎたばかりだという小柄で人懐こそうな男だ。吉澤組が生糸の輸出だけでなく直接生産にも事業展開する噂を聞いたので取材したいと言う。
聞かされたというのが正しいだろう。どうせ吉澤組の広報だ。
小林の半生はなかなか好感を呼ぶ素材であった。
貧しい村の農家に生まれ、村を豊かにするために工場を作った滅私奉公の男。
時代の波に乗り急成長するかに見えたが旧式の方法で生産量が上がらず経営が傾き始め、生糸の値段が一時期暴落した影響も受けてしまう。全財産を投げ打っても手立てなく、追い詰められた末に入水。
運良く社員たちに助けられて再起を決意し、吉澤組に出資を直談判して吉澤社長と意気投合した。
そうだ。吉澤組の好感度を上げるに、これほどふさわしい人情話はないだろう。
父は新聞記事という形の広告を使って株価も吊り上げる気か。
時代は再び戦争に向かっている。基幹輸出産業を後押しして外貨を獲得したい国も、いずれ国威発揚に利用するに違いない。
「ずいぶんと用意周到な美談ですなあ」
小料理屋で酒と鰻を堪能しながら佐藤は上機嫌に笑った。
佐藤は、初対面の相手にも臆さず言いたいことを言うらしい。かつて私が知る記者たちも皆そんな感じではあったな。
村にはまともに接待できるような場所はない。少し遠出ではあったが、鉄道駅近くの店を指定して佐藤と面会することにした。
製糸業は国の代表的産業に成長し、生糸の生産地には早くから鉄道が敷かれていたから、山奥の田舎とはいえ駅周辺はそれなりの店もあり賑わっている。
「上から言われて、こんな山奥まで来ることになりました。ちょっと憂鬱だったんですが、いやあ、この酒も鰻も素晴らしい。来てよかったです」
佐藤は素直に喜んだ。
1
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説

『霧原村』~少女達の遊戯が幽から土地に纏わる怪異を呼び起こす~転校生渉の怪異事変~
潮ノ海月
ホラー
とある年の五月の中旬、都会から来た転校生、神代渉が霧野川高校の教室に現れる。彼の洗練された姿に女子たちは興味を示し、一部の男子は不満を抱く。その中、主人公の森月和也は、渉の涼やかな笑顔の裏に冷たさを感じ、彼に違和感を感じた。
渉の編入から一週間が過ぎ、男子達も次第に渉を受け入れ、和也の友人の野風雄二も渉の魅力に引き込まれ、彼の友人となった。転校生騒ぎが終息しかけたある日の学校の昼休み、女子二人が『こっくりさん』で遊び始め、突然の悲鳴が教室に響く。そしてその翌日、同じクラスの女子、清水莉子が体調不良で休み、『こっくりさん』の祟りという噂が学校中に広まっていく。その次の日の放課後、莉子を心配したと斉藤凪紗は、彼女の友人である和也、雄二、凪沙、葵、渉の五人と共に莉子の家を訪れる。すると莉子の家は重苦しい雰囲気に包まれ、莉子の母親は憔悴した姿に変わっていた。その異変に気づいた渉と和也が莉子の部屋へ入ると、彼女は霊障によって変わり果てた姿に。しかし、彼女の霊障は始まりでしかなく、その後に起こる霊障、怪異。そして元霧原村に古くから伝わる因習、忌み地にまつわる闇、恐怖の怪異へと続く序章に過ぎなかった。
《主人公は和也(語り部)となります。ライトノベルズ風のホラー物語です》

アポリアの林
千年砂漠
ホラー
中学三年生の久住晴彦は学校でのイジメに耐えかねて家出し、プロフィール完全未公開の小説家の羽崎薫に保護された。
しかし羽崎の家で一ヶ月過した後家に戻った晴彦は重大な事件を起こしてしまう。
晴彦の事件を捜査する井川達夫と小宮俊介は、晴彦を保護した羽崎に滞在中の晴彦の話を聞きに行くが、特に不審な点はない。が、羽崎の家のある林の中で赤いワンピースの少女を見た小宮は、少女に示唆され夢で晴彦が事件を起こすまでの日々の追体験をするようになる。
羽崎の態度に引っかかる物を感じた井川は、晴彦のクラスメートで人の意識や感情が見える共感覚の持ち主の原田詩織の助けを得て小宮と共に、羽崎と少女の謎の解明へと乗り出す。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる