182年の人生

山碕田鶴

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1913ー1940 小林建夫

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 吉澤組から小林組への出資は、いずれ買収することも見込んだものであったろう。だが、田舎の零細会社が生き残るには吉澤の力がどうしても必要だった。
 村も社員たちも、経営者が誰であろうと働き口があればそれで良いだろう。
 父の独断即決に見えて、もう十分な根回しは終えているはずだ。
 吉澤邸に行った際、父は製糸業の展望を語っていた。専門の部署と職員の配置を既に計画済みだったと後になって知った。つまり、同業の貿易会社をはじめ、軍やら政府やら、吉澤組と関わりのあるところには話を通してあるということだ。
 父は隠れて他社を出し抜くようなことは決してしない。それでいて自社が不利になることは絶対に良しとしない。複雑難解な思考につきあう父の側近たちには尊敬しかないな。
 出資が決まった直後、私の元には東京の新聞社から連絡があり、佐藤という記者がわざわざ訪ねてきた。
 三十を過ぎたばかりだという小柄で人懐こそうな男だ。吉澤組が生糸の輸出だけでなく直接生産にも事業展開する噂を聞いたので取材したいと言う。
 聞かされたというのが正しいだろう。どうせ吉澤組の広報だ。
 小林の半生はなかなか好感を呼ぶ素材であった。
 貧しい村の農家に生まれ、村を豊かにするために工場を作った滅私奉公の男。
 時代の波に乗り急成長するかに見えたが旧式の方法で生産量が上がらず経営が傾き始め、生糸の値段が一時期暴落した影響も受けてしまう。全財産を投げ打っても手立てなく、追い詰められた末に入水。
 運良く社員たちに助けられて再起を決意し、吉澤組に出資を直談判して吉澤社長と意気投合した。
 そうだ。吉澤組の好感度を上げるに、これほどふさわしい人情話はないだろう。
 父は新聞記事という形の広告を使って株価も吊り上げる気か。
 時代は再び戦争に向かっている。基幹輸出産業を後押しして外貨を獲得したい国も、いずれ国威発揚に利用するに違いない。

「ずいぶんと用意周到な美談ですなあ」

 小料理屋で酒と鰻を堪能しながら佐藤は上機嫌に笑った。
 佐藤は、初対面の相手にも臆さず言いたいことを言うらしい。かつて私が知る記者たちも皆そんな感じではあったな。
 村にはまともに接待できるような場所はない。少し遠出ではあったが、鉄道駅近くの店を指定して佐藤と面会することにした。
 製糸業は国の代表的産業に成長し、生糸の生産地には早くから鉄道が敷かれていたから、山奥の田舎とはいえ駅周辺はそれなりの店もあり賑わっている。
 
「上から言われて、こんな山奥まで来ることになりました。ちょっと憂鬱だったんですが、いやあ、この酒も鰻も素晴らしい。来てよかったです」

 佐藤は素直に喜んだ。
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