46 / 199
1913ー1940 小林建夫
18-(1/2)
しおりを挟む
吉澤の家に赴くのは何年ぶりか。前に来た時は幽霊だったから数には入らないだろう。
都市部近郊の閑静な邸宅が並ぶ一角に吉澤邸はある。大豪邸というわけではないが、和洋折衷の風変わりな建物は目立つ。
仕事の話であれば吉澤外海組の事務所へ呼べば済むはずだが、父は取引相手との長いつきあいを前提に、商品の前に人間を見定める。まずは客人のように遇するのだ。
商売は水物だから、何が起きても融通の効く信頼関係構築が大事だと父はよく言っていた。それでいて実態は、常にこちらが優位に立てるよう相手を掌握する手間を惜しまないだけだろう。
卑屈にならない腰の低さと人を油断させる笑顔は、誰にも真似できない父の武器だ。
使用人に案内された応接間は、幼い頃、厳に立ち入り禁止であった。
どう運んだのかわからない巨大な壺や呪物にしか見えない置物など、怪しい物で溢れている。主人を待つ間に客人はすっかり圧倒されてしまうだろう。そうして来客を驚かせるためだけに並べてある品々について、父は意地悪くいっさい話題にしない。
客人の反応を観察しているのだ。父は相手の一挙手一投足を逃さず見ている。
今、自分がその客人としてここにいる。緊張に身震いがした。
怪しまれてはならぬ。平静を装うのだ。だが緊張を隠す必要はない。小林にはその方が相応しい。
気配が近づく。私は椅子から立ち上がると深々と頭を下げたまま、父が言葉を発するのを待った。
「遠路ようこそお越し下さいましたな。小林さん、どうぞ頭を上げて下さい」
「は。小林建夫と申します。こたびお時間をいただけましたことをまず感謝申し上げます」
父は笑顔で小林を迎えた。
「当主の吉澤弥彦です。早速ですが、貴殿の事業計画をうかがいたい」
余計な世間話はない。いきなり本題に入ると、村や会社、そして小林自身の経歴を詳細に聞いてきた。
部屋中の珍品に驚く小林には興味がないのか。恐縮する田舎者の挙動不審に目が行かないのか?
下手な小芝居をする気はないが、少しは噂通りの小林らしく振る舞っているというのに拍子抜けだ。
小林らしく……。
どうせ調べはついている。父にとっては旧知も同然ということか。
入水を決行して死に損なった男が工場の再起をかけて吉澤邸に押し入っているのだから、不退転の決意も承知しているだろう。
私の事業計画にしても、答え合わせをしているに過ぎないのだ。ここに呼ばれた時点で、父の頭の中では既に新規事業が始まっているに違いない。
私は淀みなく答えながら、父の様子をうかがった。
どうやら父は小林個人にも関心を寄せているらしい。
「ところで小林さん」
私を見据える目には、不信も疑念も感じなかった。ただ私、小林を知ろうとしている。
私は父と目を合わせたまま出方を待った。
「なぜ吉澤組にお声がけ下さいましたか?」
手紙にはあえて書かなかった。本来ならば、はじめに伝えるべきことであろう。
「……ご子息、識殿を存じ上げていたからです」
「ほう」
父は、意外だという顔をした。識と小林に接点はない。父が小林について事前に調べていれば、当然疑問に思うはずだ。
小林と同じ村に宮田がいる。宮田の父と小林が馴染みなのだから二人は当然知り合いだ。宮田と識は大陸で直接会っているから、こちらも繋がる。だが、小林と識の間に宮田を挟んで繋ぐ理由がない。吉澤識も吉澤組もそもそも製糸に関わったことがない。識と小林は絶対に繋がらない。
父の感情が微妙に揺らぐのがわかる。
吉澤の後継者の名前くらい、面識がなくても知ることは可能だ。父は識の友人に飽きるほど会っているだろう。
どうだ、私も胡散臭いペテン師のひとりに見えてきたか?
「なぜと問われれば、識殿のご縁かと。ですが、吉澤様を頼ろうというのは私の勝手な判断で、もちろん識殿は存じません。残念ながらもうお会いすることは叶いませんので」
識の本葬はまだだ。本国で識の死は未だ公表されていない。だが、私は知っている。大陸に渡っている大きな会社の役員たちとはいっさい無縁の小林がそれを知っている。父はそれで小林が識に近い人間であると信用するか?
父は、私を好きにさせているようで全てを把握していた。結局父の手のひらで踊らされていた感がある。だから私の死も、父は真実を掴んでくれた。
それがありがたくもあり、悔しくもある。ひとつくらい父が絶対に把握できないことがあってもよかろう。
私は小林の件とは関係なく、父に一泡吹かせたい子供じみた意地で望んでいた。さすがに死後の繋がりは卑怯だろう。我ながらずるいとは思う。
「ひとつお聞きしたい」
「何なりと」
「あれは、どんな男でしたか」
「……」
そうきたか。
都市部近郊の閑静な邸宅が並ぶ一角に吉澤邸はある。大豪邸というわけではないが、和洋折衷の風変わりな建物は目立つ。
仕事の話であれば吉澤外海組の事務所へ呼べば済むはずだが、父は取引相手との長いつきあいを前提に、商品の前に人間を見定める。まずは客人のように遇するのだ。
商売は水物だから、何が起きても融通の効く信頼関係構築が大事だと父はよく言っていた。それでいて実態は、常にこちらが優位に立てるよう相手を掌握する手間を惜しまないだけだろう。
卑屈にならない腰の低さと人を油断させる笑顔は、誰にも真似できない父の武器だ。
使用人に案内された応接間は、幼い頃、厳に立ち入り禁止であった。
どう運んだのかわからない巨大な壺や呪物にしか見えない置物など、怪しい物で溢れている。主人を待つ間に客人はすっかり圧倒されてしまうだろう。そうして来客を驚かせるためだけに並べてある品々について、父は意地悪くいっさい話題にしない。
客人の反応を観察しているのだ。父は相手の一挙手一投足を逃さず見ている。
今、自分がその客人としてここにいる。緊張に身震いがした。
怪しまれてはならぬ。平静を装うのだ。だが緊張を隠す必要はない。小林にはその方が相応しい。
気配が近づく。私は椅子から立ち上がると深々と頭を下げたまま、父が言葉を発するのを待った。
「遠路ようこそお越し下さいましたな。小林さん、どうぞ頭を上げて下さい」
「は。小林建夫と申します。こたびお時間をいただけましたことをまず感謝申し上げます」
父は笑顔で小林を迎えた。
「当主の吉澤弥彦です。早速ですが、貴殿の事業計画をうかがいたい」
余計な世間話はない。いきなり本題に入ると、村や会社、そして小林自身の経歴を詳細に聞いてきた。
部屋中の珍品に驚く小林には興味がないのか。恐縮する田舎者の挙動不審に目が行かないのか?
下手な小芝居をする気はないが、少しは噂通りの小林らしく振る舞っているというのに拍子抜けだ。
小林らしく……。
どうせ調べはついている。父にとっては旧知も同然ということか。
入水を決行して死に損なった男が工場の再起をかけて吉澤邸に押し入っているのだから、不退転の決意も承知しているだろう。
私の事業計画にしても、答え合わせをしているに過ぎないのだ。ここに呼ばれた時点で、父の頭の中では既に新規事業が始まっているに違いない。
私は淀みなく答えながら、父の様子をうかがった。
どうやら父は小林個人にも関心を寄せているらしい。
「ところで小林さん」
私を見据える目には、不信も疑念も感じなかった。ただ私、小林を知ろうとしている。
私は父と目を合わせたまま出方を待った。
「なぜ吉澤組にお声がけ下さいましたか?」
手紙にはあえて書かなかった。本来ならば、はじめに伝えるべきことであろう。
「……ご子息、識殿を存じ上げていたからです」
「ほう」
父は、意外だという顔をした。識と小林に接点はない。父が小林について事前に調べていれば、当然疑問に思うはずだ。
小林と同じ村に宮田がいる。宮田の父と小林が馴染みなのだから二人は当然知り合いだ。宮田と識は大陸で直接会っているから、こちらも繋がる。だが、小林と識の間に宮田を挟んで繋ぐ理由がない。吉澤識も吉澤組もそもそも製糸に関わったことがない。識と小林は絶対に繋がらない。
父の感情が微妙に揺らぐのがわかる。
吉澤の後継者の名前くらい、面識がなくても知ることは可能だ。父は識の友人に飽きるほど会っているだろう。
どうだ、私も胡散臭いペテン師のひとりに見えてきたか?
「なぜと問われれば、識殿のご縁かと。ですが、吉澤様を頼ろうというのは私の勝手な判断で、もちろん識殿は存じません。残念ながらもうお会いすることは叶いませんので」
識の本葬はまだだ。本国で識の死は未だ公表されていない。だが、私は知っている。大陸に渡っている大きな会社の役員たちとはいっさい無縁の小林がそれを知っている。父はそれで小林が識に近い人間であると信用するか?
父は、私を好きにさせているようで全てを把握していた。結局父の手のひらで踊らされていた感がある。だから私の死も、父は真実を掴んでくれた。
それがありがたくもあり、悔しくもある。ひとつくらい父が絶対に把握できないことがあってもよかろう。
私は小林の件とは関係なく、父に一泡吹かせたい子供じみた意地で望んでいた。さすがに死後の繋がりは卑怯だろう。我ながらずるいとは思う。
「ひとつお聞きしたい」
「何なりと」
「あれは、どんな男でしたか」
「……」
そうきたか。
1
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説

『霧原村』~少女達の遊戯が幽から土地に纏わる怪異を呼び起こす~転校生渉の怪異事変~
潮ノ海月
ホラー
とある年の五月の中旬、都会から来た転校生、神代渉が霧野川高校の教室に現れる。彼の洗練された姿に女子たちは興味を示し、一部の男子は不満を抱く。その中、主人公の森月和也は、渉の涼やかな笑顔の裏に冷たさを感じ、彼に違和感を感じた。
渉の編入から一週間が過ぎ、男子達も次第に渉を受け入れ、和也の友人の野風雄二も渉の魅力に引き込まれ、彼の友人となった。転校生騒ぎが終息しかけたある日の学校の昼休み、女子二人が『こっくりさん』で遊び始め、突然の悲鳴が教室に響く。そしてその翌日、同じクラスの女子、清水莉子が体調不良で休み、『こっくりさん』の祟りという噂が学校中に広まっていく。その次の日の放課後、莉子を心配したと斉藤凪紗は、彼女の友人である和也、雄二、凪沙、葵、渉の五人と共に莉子の家を訪れる。すると莉子の家は重苦しい雰囲気に包まれ、莉子の母親は憔悴した姿に変わっていた。その異変に気づいた渉と和也が莉子の部屋へ入ると、彼女は霊障によって変わり果てた姿に。しかし、彼女の霊障は始まりでしかなく、その後に起こる霊障、怪異。そして元霧原村に古くから伝わる因習、忌み地にまつわる闇、恐怖の怪異へと続く序章に過ぎなかった。
《主人公は和也(語り部)となります。ライトノベルズ風のホラー物語です》

アポリアの林
千年砂漠
ホラー
中学三年生の久住晴彦は学校でのイジメに耐えかねて家出し、プロフィール完全未公開の小説家の羽崎薫に保護された。
しかし羽崎の家で一ヶ月過した後家に戻った晴彦は重大な事件を起こしてしまう。
晴彦の事件を捜査する井川達夫と小宮俊介は、晴彦を保護した羽崎に滞在中の晴彦の話を聞きに行くが、特に不審な点はない。が、羽崎の家のある林の中で赤いワンピースの少女を見た小宮は、少女に示唆され夢で晴彦が事件を起こすまでの日々の追体験をするようになる。
羽崎の態度に引っかかる物を感じた井川は、晴彦のクラスメートで人の意識や感情が見える共感覚の持ち主の原田詩織の助けを得て小宮と共に、羽崎と少女の謎の解明へと乗り出す。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

感染
saijya
ホラー
福岡県北九州市の観光スポットである皿倉山に航空機が墜落した事件から全てが始まった。
生者を狙い動き回る死者、隔離され狭まった脱出ルート、絡みあう人間関係
そして、事件の裏にある悲しき真実とは……
ゾンビものです。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる