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1913ー1940 小林建夫
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吉澤の家に赴くのは何年ぶりか。前に来た時は幽霊だったから数には入らないだろう。
都市部近郊の閑静な邸宅が並ぶ一角に吉澤邸はある。大豪邸というわけではないが、和洋折衷の風変わりな建物は目立つ。
仕事の話であれば吉澤外海組の事務所へ呼べば済むはずだが、父は取引相手との長いつきあいを前提に、商品の前に人間を見定める。まずは客人のように遇するのだ。
商売は水物だから、何が起きても融通の効く信頼関係構築が大事だと父はよく言っていた。それでいて実態は、常にこちらが優位に立てるよう相手を掌握する手間を惜しまないだけだろう。
卑屈にならない腰の低さと人を油断させる笑顔は、誰にも真似できない父の武器だ。
使用人に案内された応接間は、幼い頃、厳に立ち入り禁止であった。
どう運んだのかわからない巨大な壺や呪物にしか見えない置物など、怪しい物で溢れている。主人を待つ間に客人はすっかり圧倒されてしまうだろう。そうして来客を驚かせるためだけに並べてある品々について、父は意地悪くいっさい話題にしない。
客人の反応を観察しているのだ。父は相手の一挙手一投足を逃さず見ている。
今、自分がその客人としてここにいる。緊張に身震いがした。
怪しまれてはならぬ。平静を装うのだ。だが緊張を隠す必要はない。小林にはその方が相応しい。
気配が近づく。私は椅子から立ち上がると深々と頭を下げたまま、父が言葉を発するのを待った。
「遠路ようこそお越し下さいましたな。小林さん、どうぞ頭を上げて下さい」
「は。小林建夫と申します。こたびお時間をいただけましたことをまず感謝申し上げます」
父は笑顔で小林を迎えた。
「当主の吉澤弥彦です。早速ですが、貴殿の事業計画をうかがいたい」
余計な世間話はない。いきなり本題に入ると、村や会社、そして小林自身の経歴を詳細に聞いてきた。
部屋中の珍品に驚く小林には興味がないのか。恐縮する田舎者の挙動不審に目が行かないのか?
下手な小芝居をする気はないが、少しは噂通りの小林らしく振る舞っているというのに拍子抜けだ。
小林らしく……。
どうせ調べはついている。父にとっては旧知も同然ということか。
入水を決行して死に損なった男が工場の再起をかけて吉澤邸に押し入っているのだから、不退転の決意も承知しているだろう。
私の事業計画にしても、答え合わせをしているに過ぎないのだ。ここに呼ばれた時点で、父の頭の中では既に新規事業が始まっているに違いない。
私は淀みなく答えながら、父の様子をうかがった。
どうやら父は小林個人にも関心を寄せているらしい。
「ところで小林さん」
私を見据える目には、不信も疑念も感じなかった。ただ私、小林を知ろうとしている。
私は父と目を合わせたまま出方を待った。
「なぜ吉澤組にお声がけ下さいましたか?」
手紙にはあえて書かなかった。本来ならば、はじめに伝えるべきことであろう。
「……ご子息、識殿を存じ上げていたからです」
「ほう」
父は、意外だという顔をした。識と小林に接点はない。父が小林について事前に調べていれば、当然疑問に思うはずだ。
小林と同じ村に宮田がいる。宮田の父と小林が馴染みなのだから二人は当然知り合いだ。宮田と識は大陸で直接会っているから、こちらも繋がる。だが、小林と識の間に宮田を挟んで繋ぐ理由がない。吉澤識も吉澤組もそもそも製糸に関わったことがない。識と小林は絶対に繋がらない。
父の感情が微妙に揺らぐのがわかる。
吉澤の後継者の名前くらい、面識がなくても知ることは可能だ。父は識の友人に飽きるほど会っているだろう。
どうだ、私も胡散臭いペテン師のひとりに見えてきたか?
「なぜと問われれば、識殿のご縁かと。ですが、吉澤様を頼ろうというのは私の勝手な判断で、もちろん識殿は存じません。残念ながらもうお会いすることは叶いませんので」
識の本葬はまだだ。本国で識の死は未だ公表されていない。だが、私は知っている。大陸に渡っている大きな会社の役員たちとはいっさい無縁の小林がそれを知っている。父はそれで小林が識に近い人間であると信用するか?
父は、私を好きにさせているようで全てを把握していた。結局父の手のひらで踊らされていた感がある。だから私の死も、父は真実を掴んでくれた。
それがありがたくもあり、悔しくもある。ひとつくらい父が絶対に把握できないことがあってもよかろう。
私は小林の件とは関係なく、父に一泡吹かせたい子供じみた意地で望んでいた。さすがに死後の繋がりは卑怯だろう。我ながらずるいとは思う。
「ひとつお聞きしたい」
「何なりと」
「あれは、どんな男でしたか」
「……」
そうきたか。
都市部近郊の閑静な邸宅が並ぶ一角に吉澤邸はある。大豪邸というわけではないが、和洋折衷の風変わりな建物は目立つ。
仕事の話であれば吉澤外海組の事務所へ呼べば済むはずだが、父は取引相手との長いつきあいを前提に、商品の前に人間を見定める。まずは客人のように遇するのだ。
商売は水物だから、何が起きても融通の効く信頼関係構築が大事だと父はよく言っていた。それでいて実態は、常にこちらが優位に立てるよう相手を掌握する手間を惜しまないだけだろう。
卑屈にならない腰の低さと人を油断させる笑顔は、誰にも真似できない父の武器だ。
使用人に案内された応接間は、幼い頃、厳に立ち入り禁止であった。
どう運んだのかわからない巨大な壺や呪物にしか見えない置物など、怪しい物で溢れている。主人を待つ間に客人はすっかり圧倒されてしまうだろう。そうして来客を驚かせるためだけに並べてある品々について、父は意地悪くいっさい話題にしない。
客人の反応を観察しているのだ。父は相手の一挙手一投足を逃さず見ている。
今、自分がその客人としてここにいる。緊張に身震いがした。
怪しまれてはならぬ。平静を装うのだ。だが緊張を隠す必要はない。小林にはその方が相応しい。
気配が近づく。私は椅子から立ち上がると深々と頭を下げたまま、父が言葉を発するのを待った。
「遠路ようこそお越し下さいましたな。小林さん、どうぞ頭を上げて下さい」
「は。小林建夫と申します。こたびお時間をいただけましたことをまず感謝申し上げます」
父は笑顔で小林を迎えた。
「当主の吉澤弥彦です。早速ですが、貴殿の事業計画をうかがいたい」
余計な世間話はない。いきなり本題に入ると、村や会社、そして小林自身の経歴を詳細に聞いてきた。
部屋中の珍品に驚く小林には興味がないのか。恐縮する田舎者の挙動不審に目が行かないのか?
下手な小芝居をする気はないが、少しは噂通りの小林らしく振る舞っているというのに拍子抜けだ。
小林らしく……。
どうせ調べはついている。父にとっては旧知も同然ということか。
入水を決行して死に損なった男が工場の再起をかけて吉澤邸に押し入っているのだから、不退転の決意も承知しているだろう。
私の事業計画にしても、答え合わせをしているに過ぎないのだ。ここに呼ばれた時点で、父の頭の中では既に新規事業が始まっているに違いない。
私は淀みなく答えながら、父の様子をうかがった。
どうやら父は小林個人にも関心を寄せているらしい。
「ところで小林さん」
私を見据える目には、不信も疑念も感じなかった。ただ私、小林を知ろうとしている。
私は父と目を合わせたまま出方を待った。
「なぜ吉澤組にお声がけ下さいましたか?」
手紙にはあえて書かなかった。本来ならば、はじめに伝えるべきことであろう。
「……ご子息、識殿を存じ上げていたからです」
「ほう」
父は、意外だという顔をした。識と小林に接点はない。父が小林について事前に調べていれば、当然疑問に思うはずだ。
小林と同じ村に宮田がいる。宮田の父と小林が馴染みなのだから二人は当然知り合いだ。宮田と識は大陸で直接会っているから、こちらも繋がる。だが、小林と識の間に宮田を挟んで繋ぐ理由がない。吉澤識も吉澤組もそもそも製糸に関わったことがない。識と小林は絶対に繋がらない。
父の感情が微妙に揺らぐのがわかる。
吉澤の後継者の名前くらい、面識がなくても知ることは可能だ。父は識の友人に飽きるほど会っているだろう。
どうだ、私も胡散臭いペテン師のひとりに見えてきたか?
「なぜと問われれば、識殿のご縁かと。ですが、吉澤様を頼ろうというのは私の勝手な判断で、もちろん識殿は存じません。残念ながらもうお会いすることは叶いませんので」
識の本葬はまだだ。本国で識の死は未だ公表されていない。だが、私は知っている。大陸に渡っている大きな会社の役員たちとはいっさい無縁の小林がそれを知っている。父はそれで小林が識に近い人間であると信用するか?
父は、私を好きにさせているようで全てを把握していた。結局父の手のひらで踊らされていた感がある。だから私の死も、父は真実を掴んでくれた。
それがありがたくもあり、悔しくもある。ひとつくらい父が絶対に把握できないことがあってもよかろう。
私は小林の件とは関係なく、父に一泡吹かせたい子供じみた意地で望んでいた。さすがに死後の繋がりは卑怯だろう。我ながらずるいとは思う。
「ひとつお聞きしたい」
「何なりと」
「あれは、どんな男でしたか」
「……」
そうきたか。
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