182年の人生

山碕田鶴

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1913ー1940 小林建夫

17ー(1/2)

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 寺に本格的に居候をさせてもらうことになった私は、さっそく製糸工場の再建に乗り出した。
 世界中が動乱に向かう不穏な時代だ。この国もいずれ戦争に加わるだろう。
 貿易の制限。輸出入の停滞。軍需拡大。暗い話ばかりがおどるが、その中にも例外はあった。製糸の需要拡大である。
 小林は時代の寵児になれる。何という機運か。
 だが、頼れるものが何もない。資金調達すらままならない。高利貸しに言いくるめられて膨らむ借金をまずどうにかしたい。不当に弱い立場で取引をさせられてきた状況も改善したい。負債だらけでどうしろというのだ。
 私はなりふり構わず、吉澤組に接触を試みた。
 時代は製糸だ。信州の地の利を生かし、事業拡大の展望有り。この村には養蚕がある。従業員も確保できている。工員たちの能力は決して低くない。
 ただし生産量に問題がある。工場はあるが、「座繰ざくり」は時代遅れだ。器械化できればすぐにでも量産可能なはずだ。製品を卸すのにこの工場だけでは財閥出資の大会社に見劣りするのであれば、周辺の小規模製糸場に呼びかけ、結社を立ち上げてみせる。
 だから、「小林組」に今すぐ投資するべきである。
 吉澤組も貿易に支障が出て事業の見直しが急務のはずだ。興味を持たないはずがない。
 だが、どこの馬の骨とも知れぬ田舎者から届いた無心の手紙だ。どうするかは、もちろん父の裁量ひとつである。
 捨て置かれても文句は言えないが、私には期待があった。
 小林は貧しい村のために己の全てを捧げてきた男だ。私欲のかけらも持たぬ聖人だ。その小林を散々食い物にしてきた各種業者たちは当然小林の人となりを十分に知っている。
 父が製糸に興味を持てば、まず小林の素性を調べるはずだ。いくらでも愚かな美談が集まるだろう。
 それだけでいい。この手紙がただの無心や寄付の願い出ではなく、あくまでも事業の提案であると理解されれば父は動く。
 はたして、父はすぐに返事をよこした。
 話を聞くから直接来い。
 さすがとしか言いようがない。



 私は、資金繰りが悪化して運営できなくなった工場に社員を集め、このたびの詫びと今後について申し伝えることにした。
 集まってきたのは社員にとどまらず、その家族、そして村とは無縁の者まで含まれていた。村長でもあるまいに。さすがに気圧けおされていると、本物の村長、藤森が笑って言った。

「小林さん、あんたはこの村の救い神だよ。身を投げたと聞いた時は驚いたが、人身御供じゃあるまいし、そこまで背負わなくても良かったんだ。だから、戻ってきてホッとした。まあ、神様に戻されたから、今のあんたはさしずめ御神饌ごしんせんだな」

 御神饌……神に供える食事か。今の私は、まさに神のお下がりとして皆で分けいただかれる状態だな。

「私は、三途の川で渡船賃が払えず戻って来たんですよ。しっかり働いて、次こそ一等客船で行きますよ」

 これから吉澤組と交渉し、必ずや製糸工場を再興してみせる。これからの時代に欠くことのできない成長産業をこの地で発展させてみせる。
 夢物語の仔細は理解できずとも、熱は伝わるものだ。
 人の心を動かせ。進む先を自ら選んだと思わせて、それと気づかせずに誘導しろ。勢いは加速する。
 私は、小林のふりはしなかった。僧侶と村長が二人して神仏のお導きやら村のために生き返ったやら怪しい説法をして、小林の人格が変わったことを正当化していたからだ。事をなす前から聖者扱いである。
 藤森は地元の名士で周辺の村にも顔が利くらしく、組合を立ち上げることになれば非常に頼れる存在であった。
 吉澤組へ行くための金は僧侶が用意した。宮田が生前貯めていたものだという。
 宮田が繋いだ縁で再びこの世の人となり、吉澤の父と直接話す機会を得るとは。
 これこそ神仏のお導きと僧侶は言うが、私からすれば宮田のお導きに過ぎない。
 私は、神仏を信じていなかった。
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