182年の人生

山碕田鶴

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1878ー1913 吉澤識

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 加藤はけっして罪人ではない。
 父が真相を知っている様子に私は安堵した。宇都宮と呼ばれた客人は第二部本部の関係者か。父とは旧知の仲らしい。

「吉澤、済まないが識には何もしてやれん。山本の件は表に出ない。我が国は表向き、大陸政府を支持している。革命の煽動に関することはいっさい口外してはならんのだ。ましてや大陸にくみする者が出たなどと、第二部内でさえ語るのもはばかられる。よって、協力者として殉職したことにもできないのだ」
「殉職させられた、だ」

 宇都宮はハッとして父を見た。一瞬だけ真剣な顔を見せた父は、すぐにいつもの柔和な笑顔に戻っていた。

「どこの世界に無理心中を殉職と呼ぶやつがおる?  お前が気にすることはない。識には軍との関わりなどはじめから一切なかった。それでしまいだ。あれは吉澤の人間だ。これは吉澤内部の問題だ」
「吉澤……」
「加藤の家族が事件調書の内容を信じなければそれでいい。道楽息子の護衛はさぞや難儀であったろうな」

 父は静かに笑った。
 書斎にこもって警察が作った事件調書と記者たちの記録とを照合していたのは、真相に近づくためだ。
   事件直後に殺到した記者たちに屋敷の立ち入りや使用人への取材を許可したのは、初めからこうして確認するつもりでいたからか。
 我が父ながら、つくづく食えない男だ。
 事件調書には私と加藤の死以外に真実がないのはわかりきっている。父が見ていたのはそこではない。
 加藤についての記述が酷いな。一昨日、私は父の背後から調書を覗いて、父と共に溜息をついた。
 加藤は識を口説くような言動が頻繁に見られた。識の部屋を密かに何度も訪れていた。他の使用人に識との関係をほのめかす発言があった。
 書かれていたのは事件の動機に信憑性を与える内容だが、いくら加藤でもそこまではしていない。
 記者の取材にも同様の証言をしたのは一人だけだ。複数の取材記録に残された言葉は、父宛の手紙の内容とも一致していた。
 卓上には、一冊の業務日誌も置かれていた。大陸に随行した使用人の一人が記録したものだ。
 使用人は、屋敷内にいて私と経の予定や来客を書きとめていただけである。父からはそれしか依頼されなかったらしい。だから、あの静かな夜に私が厩舎へ向かい、深夜戻って来たことも書かれている。その少し前に、加藤が私の不在を見計らって部屋に忍び入った記録もある。逆に、加藤が私の在室時に部屋を訪れた記録はひとつもない。
 日誌には、私や経がやり取りした手紙についての宛先と差出人も逐一逃さず残されていた。
 経には来客がほとんどなかったが大量の手紙のやり取りがあった。大陸内からの差出人は全て違う名だ。あまりにも不自然と思ったのか、使用人は筆跡甲、乙、丙、と分類していた。本国の妻からの手紙は、ここ数ヶ月で急に増えていた。
 父は全てを見比べた。ひとり淡々と真実を追い、漏らさず受け止め、吉澤組の命運をかけて処し方を決めるのであろう。

「宇都宮、愚息が世話になった」
「嫌味か?  お前が長年私を支えてくれたことで陸軍内部の反感を買い、安全のためとはいえ識に偽名まで使わせる羽目になったというのに。それが今になってアダとなり、事件の遠因となった」
「長州出身でないお前が、無謀にも長州閥の巣窟たる陸軍の組織でのし上がる。会社の成長を見越して株を買うより、お前に投資する方が面白かったぞ。識の安全には十分配慮してもらったではないか。大陸へ渡る時にも、最強の護衛を手配してくれた。お前には心底感謝している。あれには目立つなと言っておいた。あとは、己の才覚と運だ。どうしようもあるまい」
「お前の息子だというのに、ずいぶんと優秀であったな」
「私の自慢だ。そして、誇りだ」

 私は二人を見た。その瞬間、私は父の視点で走馬燈のように私の人生を見ていた。これは父の記憶であろうか。
 私が軍の学校へ行くと言い出した時に父が頼ったのは、古くからの友人であったこの宇都宮だ。私に偽名を使わせ、その後第二部へ配属させ、頃合いを見て父の元へ送り返し、大陸へ渡るに際し現地協力者になることを提案した張本人だ。加藤をよこしたのも、吉澤組を政商にしたのもこの男の采配だ。
 そうか、この男だったのか……。
 陸軍参謀本部海外情報担当、通称第二部の統括責任者、宇都宮四郎。



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