182年の人生

山碕田鶴

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1878ー1913 吉澤識

13-(3)

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 民家もない林の入り口で馬車は止まった。
 西陽が落ちる直前で、遠目が利かない。かろうじて加藤の動く影が車内から見える程度だ。
 扉を開けた加藤は、私が降りるのを静かに待った。

「降りるのもきつい。手を貸せ加藤」
「……」
「加藤!」
「……ただ今」

 加藤は馬車に入って来て、私が立ち上がるのを支えた。そのまま手を引くようにして、私を外に連れ出す。
 加藤は私の手を取ったまま頭を下げた。
 周囲に人影はない。私を消すのは、結局そういうことなのか。

「……お前か」
「はい」
「初めからお前がやると決まっていたのか。お前はずっと解雇されたがっていたように見えたが?」
「許可が下りませんでした」

 加藤は頭を下げたまま言った。私を支える手を離そうとしたのを、私は強く掴んで引かせなかった。

「だったら脱走でもなんでもして逃げれば良かっただろう。許可は下りたぞ。今すぐ堂々と去れ」
「貴様が。……貴様が逃げれば、俺も逃げていた。貴様は逃げられなかったではないか。逃げられないのであれば、せめて俺が……」

   震える声には、怒りと絶望しかなかった。

「馬鹿なやつだな。お前が私につきあう必要などなかったろう。お前だけならどうにでも逃してやれた」

 私の手を支える加藤の手は、体温が全く感じられない。ただ、震えていた。

「俺がやらなければ他のやつがやるだけだ。貴様はどのみち消される」
「……そうだろうな」
「だから……俺が……。俺以外のやつになど……」

   加藤はようやく頭を上げた。私をやや見下ろすいつもの無愛想な顔には、はっきりと意志が表れていた。
 ああ、ようやくわかった。あの静かな夜の、加藤の決断の意味が。
 お前は、最期まで私の護衛であり続けることを選んだのか。

「加藤、私は宮田に別れを言わなかった。それが唯一の心残りだ。だから、お前には先に言う。世話になった、加藤。お前のおかげで楽しく道楽三昧だった。なんの礼もしてやらなかったな。だから……お前の一番欲しいものをくれてやる」
「貴様はつくづく嫌なやつだな」

 加藤は本当に嫌そうに私を睨んだ。
   そうだ。それが私の知るいつもの顔だ。

「クククッ。悪くはないだろう?  なあ、加藤。私の人生に後悔はない。お前に私はどう見えていた?  私を一番よく知るのは、常に側にいたお前だ。私はどんな男だった?  加藤……」

 私と加藤の目が合った。互いが、互いの熱を嫌というほど感じていた。
   どちらが先に近づいたのかはわからない。
 私は黙って加藤のするままにさせた。
 加藤の震える手から異常なほどの熱が伝わってくる。私と加藤の吐息が絡まり、二人の鼓動が激しくぶつかり合う。私が生きていることを執拗に確かめながら歓喜と絶望に落涙する加藤に、私は何の感慨も抱かなかった。

 シキ……シキ……シキ……

 夢にうなされるような加藤の呼び声は、段々と遠ざかっていく。
   お前の体温は、もう届かない。
 半刻ハントキも経っただろうか。ようやく私をアキラめた加藤の全てが赤く染まり、加藤の熱も震えも息づかいも、私の感覚から消えた。
 草むらに横たわる私とそれにしがみつくようにしてむせび泣く加藤がいた。
 私は、目の前の光景をぼんやりと眺めていた。加藤の恍惚とした表情にも、何も感じることはなかった。
 お前は満足か?  私の抜け殻を支配したお前は満足か?  今生の別れに、それはくれてやる。憐れなお前への餞別だ。お前とは二度と会うまい。
 草を踏む足音が聞こえた。
 二人?  いや、三人。背広の男に警察か。用意周到だな。
 加藤、お前も時間が来たようだ。
 加藤はその場を離れなかった。自分よりも赤い塊に覆いかぶさると、しがみついて大事そうにかき抱き、まるで自らを盾にして守るようにじっとしたまま動かなかった。
 銃声と、鳥の飛び立つ音が同時に聞こえた。
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