31 / 197
1878ー1913 吉澤識
13-(3)
しおりを挟む
民家もない林の入り口で馬車は止まった。
西陽が落ちる直前で、遠目が利かない。かろうじて加藤の動く影が車内から見える程度だ。
扉を開けた加藤は、私が降りるのを静かに待った。
「降りるのもきつい。手を貸せ加藤」
「……」
「加藤!」
「……ただ今」
加藤は馬車に入って来て、私が立ち上がるのを支えた。そのまま手を引くようにして、私を外に連れ出す。
加藤は私の手を取ったまま頭を下げた。
周囲に人影はない。私を消すのは、結局そういうことなのか。
「……お前か」
「はい」
「初めからお前がやると決まっていたのか。お前はずっと解雇されたがっていたように見えたが?」
「許可が下りませんでした」
加藤は頭を下げたまま言った。私を支える手を離そうとしたのを、私は強く掴んで引かせなかった。
「だったら脱走でもなんでもして逃げれば良かっただろう。許可は下りたぞ。今すぐ堂々と去れ」
「貴様が。……貴様が逃げれば、俺も逃げていた。貴様は逃げられなかったではないか。逃げられないのであれば、せめて俺が……」
震える声には、怒りと絶望しかなかった。
「馬鹿なやつだな。お前が私につきあう必要などなかったろう。お前だけならどうにでも逃してやれた」
私の手を支える加藤の手は、体温が全く感じられない。ただ、震えていた。
「俺がやらなければ他のやつがやるだけだ。貴様はどのみち消される」
「……そうだろうな」
「だから……俺が……。俺以外のやつになど……」
加藤はようやく頭を上げた。私をやや見下ろすいつもの無愛想な顔には、はっきりと意志が表れていた。
ああ、ようやくわかった。あの静かな夜の、加藤の決断の意味が。
お前は、最期まで私の護衛であり続けることを選んだのか。
「加藤、私は宮田に別れを言わなかった。それが唯一の心残りだ。だから、お前には先に言う。世話になった、加藤。お前のおかげで楽しく道楽三昧だった。なんの礼もしてやらなかったな。だから……お前の一番欲しいものをくれてやる」
「貴様はつくづく嫌なやつだな」
加藤は本当に嫌そうに私を睨んだ。
そうだ。それが私の知るいつもの顔だ。
「クククッ。悪くはないだろう? なあ、加藤。私の人生に後悔はない。お前に私はどう見えていた? 私を一番よく知るのは、常に側にいたお前だ。私はどんな男だった? 加藤……」
私と加藤の目が合った。互いが、互いの熱を嫌というほど感じていた。
どちらが先に近づいたのかはわからない。
私は黙って加藤のするままにさせた。
加藤の震える手から異常なほどの熱が伝わってくる。私と加藤の吐息が絡まり、二人の鼓動が激しくぶつかり合う。私が生きていることを執拗に確かめながら歓喜と絶望に落涙する加藤に、私は何の感慨も抱かなかった。
シキ……シキ……シキ……
夢にうなされるような加藤の呼び声は、段々と遠ざかっていく。
お前の体温は、もう届かない。
半刻も経っただろうか。ようやく私を諦めた加藤の全てが赤く染まり、加藤の熱も震えも息づかいも、私の感覚から消えた。
草むらに横たわる私とそれにしがみつくようにしてむせび泣く加藤がいた。
私は、目の前の光景をぼんやりと眺めていた。加藤の恍惚とした表情にも、何も感じることはなかった。
お前は満足か? 私の抜け殻を支配したお前は満足か? 今生の別れに、それはくれてやる。憐れなお前への餞別だ。お前とは二度と会うまい。
草を踏む足音が聞こえた。
二人? いや、三人。背広の男に警察か。用意周到だな。
加藤、お前も時間が来たようだ。
加藤はその場を離れなかった。自分よりも赤い塊に覆いかぶさると、しがみついて大事そうにかき抱き、まるで自らを盾にして守るようにじっとしたまま動かなかった。
銃声と、鳥の飛び立つ音が同時に聞こえた。
西陽が落ちる直前で、遠目が利かない。かろうじて加藤の動く影が車内から見える程度だ。
扉を開けた加藤は、私が降りるのを静かに待った。
「降りるのもきつい。手を貸せ加藤」
「……」
「加藤!」
「……ただ今」
加藤は馬車に入って来て、私が立ち上がるのを支えた。そのまま手を引くようにして、私を外に連れ出す。
加藤は私の手を取ったまま頭を下げた。
周囲に人影はない。私を消すのは、結局そういうことなのか。
「……お前か」
「はい」
「初めからお前がやると決まっていたのか。お前はずっと解雇されたがっていたように見えたが?」
「許可が下りませんでした」
加藤は頭を下げたまま言った。私を支える手を離そうとしたのを、私は強く掴んで引かせなかった。
「だったら脱走でもなんでもして逃げれば良かっただろう。許可は下りたぞ。今すぐ堂々と去れ」
「貴様が。……貴様が逃げれば、俺も逃げていた。貴様は逃げられなかったではないか。逃げられないのであれば、せめて俺が……」
震える声には、怒りと絶望しかなかった。
「馬鹿なやつだな。お前が私につきあう必要などなかったろう。お前だけならどうにでも逃してやれた」
私の手を支える加藤の手は、体温が全く感じられない。ただ、震えていた。
「俺がやらなければ他のやつがやるだけだ。貴様はどのみち消される」
「……そうだろうな」
「だから……俺が……。俺以外のやつになど……」
加藤はようやく頭を上げた。私をやや見下ろすいつもの無愛想な顔には、はっきりと意志が表れていた。
ああ、ようやくわかった。あの静かな夜の、加藤の決断の意味が。
お前は、最期まで私の護衛であり続けることを選んだのか。
「加藤、私は宮田に別れを言わなかった。それが唯一の心残りだ。だから、お前には先に言う。世話になった、加藤。お前のおかげで楽しく道楽三昧だった。なんの礼もしてやらなかったな。だから……お前の一番欲しいものをくれてやる」
「貴様はつくづく嫌なやつだな」
加藤は本当に嫌そうに私を睨んだ。
そうだ。それが私の知るいつもの顔だ。
「クククッ。悪くはないだろう? なあ、加藤。私の人生に後悔はない。お前に私はどう見えていた? 私を一番よく知るのは、常に側にいたお前だ。私はどんな男だった? 加藤……」
私と加藤の目が合った。互いが、互いの熱を嫌というほど感じていた。
どちらが先に近づいたのかはわからない。
私は黙って加藤のするままにさせた。
加藤の震える手から異常なほどの熱が伝わってくる。私と加藤の吐息が絡まり、二人の鼓動が激しくぶつかり合う。私が生きていることを執拗に確かめながら歓喜と絶望に落涙する加藤に、私は何の感慨も抱かなかった。
シキ……シキ……シキ……
夢にうなされるような加藤の呼び声は、段々と遠ざかっていく。
お前の体温は、もう届かない。
半刻も経っただろうか。ようやく私を諦めた加藤の全てが赤く染まり、加藤の熱も震えも息づかいも、私の感覚から消えた。
草むらに横たわる私とそれにしがみつくようにしてむせび泣く加藤がいた。
私は、目の前の光景をぼんやりと眺めていた。加藤の恍惚とした表情にも、何も感じることはなかった。
お前は満足か? 私の抜け殻を支配したお前は満足か? 今生の別れに、それはくれてやる。憐れなお前への餞別だ。お前とは二度と会うまい。
草を踏む足音が聞こえた。
二人? いや、三人。背広の男に警察か。用意周到だな。
加藤、お前も時間が来たようだ。
加藤はその場を離れなかった。自分よりも赤い塊に覆いかぶさると、しがみついて大事そうにかき抱き、まるで自らを盾にして守るようにじっとしたまま動かなかった。
銃声と、鳥の飛び立つ音が同時に聞こえた。
1
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
FLY ME TO THE MOON
如月 睦月
ホラー
いつもの日常は突然のゾンビ大量発生で壊された!ゾンビオタクの格闘系自称最強女子高生が、生き残りをかけて全力疾走!おかしくも壮絶なサバイバル物語!
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
おシタイしております
橘 金春
ホラー
20××年の8月7日、S県のK駅交番前に男性の生首が遺棄される事件が発生した。
その事件を皮切りに、凶悪犯を標的にした生首遺棄事件が連続して発生。
捜査線上に浮かんだ犯人像は、あまりにも非現実的な存在だった。
見つからない犯人、謎の怪奇現象に難航する捜査。
だが刑事の十束(とつか)の前に二人の少女が現れたことから、事態は一変する。
十束と少女達は模倣犯を捕らえるため、共に協力することになったが、少女達に残された時間には限りがあり――。
「もしも間に合わないときは、私を殺してくださいね」
十束と少女達は模倣犯を捕らえることができるのか。
そして、十束は少女との約束を守れるのか。
さえないアラフォー刑事 十束(とつか)と訳あり美少女達とのボーイ(?)・ミーツ・ガール物語。
本当にあった怖い話
邪神 白猫
ホラー
リスナーさんや読者の方から聞いた体験談【本当にあった怖い話】を基にして書いたオムニバスになります。
完結としますが、体験談が追加され次第更新します。
LINEオプチャにて、体験談募集中✨
あなたの体験談、投稿してみませんか?
投稿された体験談は、YouTubeにて朗読させて頂く場合があります。
【邪神白猫】で検索してみてね🐱
↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください)
https://youtube.com/@yuachanRio
※登場する施設名や人物名などは全て架空です。
すべて実話
さつきのいろどり
ホラー
タイトル通り全て実話のホラー体験です。
友人から聞いたものや著者本人の実体験を書かせていただきます。
長編として登録していますが、短編をいつくか載せていこうと思っていますので、追加配信しましたら覗きに来て下さいね^^*
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
蜥蜴の尻尾切り
柘榴
ホラー
中学3年生の夏、私はクラスメイトの男の子3人に犯された。
ただ3人の異常な性癖を満たすだけの玩具にされた私は、心も身体も壊れてしまった。
そして、望まない形で私は3人のうちの誰かの子を孕んだ。
しかし、私の妊娠が発覚すると3人はすぐに転校をして私の前から逃げ出した。
まるで、『蜥蜴の尻尾切り』のように……私とお腹の子を捨てて。
けれど、私は許さないよ。『蜥蜴の尻尾切り』なんて。
出来の悪いパパたちへの再教育(ふくしゅう)が始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる