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1878ー1913 吉澤識
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宮田の死を知ってからも、表向き私の日常は変わらなかった。だが、内面は放心状態に近く、ふわふわと漂う幽霊の如く心ここにあらずだった。加藤が心配のあまり私を散々踏みつけにするほどに、だ。
あれが加藤の愛情表現か。酷いな。だが、あれで私の気が紛れたのも事実だ。
熱に浮かされたように宮田の消息を探り、自らの危機さえどこか夢物語のように捉えていた。
大陸の政情不安、治安悪化は益々酷くなるばかりで、おちおち道楽旅行にも出られない。大陸各地から友人を招き饗宴を催すことも叶わない。よって市井の情報が滞る。
悪い流れに溺れかけた私を加藤は救ってくれたのだ。
流れに逆らうことは叶わなくとも、覚悟はできる。
冷静に現実を見る。後悔なく日を送る。私の信条を取り戻した途端、これまでの鬱々とした気分が嘘のように心が軽やかになっていた。
新たな飲み友達を作りに近場の現地人の食堂へでも行きたい気分であったが、加藤に止められた。
今は本国人への悪感情がさらに増している。友達はできてもその人物と裏で接触しようとする者が確実に現れるから、友達から得られる情報に嘘が混じる。不特定多数に私の容姿をさらすことで、標的として狙われやすくなる。
いちいちごもっともだ。長く私の護衛をやっていながら、一度もこのような助言をしてきたことはなかった。職務怠慢だったな。
仕方なく本業の仕事に勤しむ。私の真面目な姿がよほど珍しく映るのか、経も社員も天変地異の前触れだと騒いでいる。商業会の連中を宴席に招いても、天変地異の話題で私は興ざめする。
「お疲れ様でございました」
加藤は相変わらず愛想もなく馬車の扉を開けて待つ。
「お手を……」
差し出される手を自然に掴み、私は馬車に乗り込んだ。
加藤に踏みつけられた背と胸がまだ痛む。
医者には診せていない。こんなにアザだらけでは、転びましたで済むはずがない。経に知られたくなかったのもあるが、とにかく大ごとにはしたくなかった。
あの夜の濃密な相引きは二人の秘密だ。
私を消す側の人間であるはずの加藤が、逃げろと警告してきた。どう考えても加藤の独断だ。加藤もまた危うい立場にあるのではないのか。
私を酷くした加藤の身を案じても仕方ないが、第二部の出方がわからない。おとなしくしておくのが得策だろう。
馬車の振動が痛みに拍車をかける。胸が痛むたびに、あの静かな夜を思い出す。
繰り返し想起することで思い出が定着してしまったらしい。最悪だ。
屋敷に着いて、今度は私が座席から立ち上がるのを支えるために加藤が馬車に乗り込んで来た。
そこまでしなくても私は動ける。これでは老人扱いだ。だが、加藤は私の身体の具合を相当に気にしている。罪悪感に苛まれる加藤が面白くて好きにさせた。主人を足蹴にした不届きをもっと反省しろ。
「酒は、お身体に障ります。ほどほどに」
お前に言われたくはない。そう反論する苛立ちが湧かない。加藤の言葉からは、とげがなくなっていた。拍子抜けするほどだ。何やら思いつめているのがわかる。見ていて痛々しい。
ほら、玄関先に経が出てきたぞ。あれはまた相当に怒っている。
「兄上、お帰りなさいませ。今夜も宴席ですか」
「今日は、商業会のもてなしだ。全くの仕事だ」
加藤を無視する経の後ろをついて屋敷に入る。ちらりと振り返ると、頭を下げたままの加藤がわずかに私を見た。
そんな顔をするな。大丈夫だ。
私はまだ、生きている。
あれが加藤の愛情表現か。酷いな。だが、あれで私の気が紛れたのも事実だ。
熱に浮かされたように宮田の消息を探り、自らの危機さえどこか夢物語のように捉えていた。
大陸の政情不安、治安悪化は益々酷くなるばかりで、おちおち道楽旅行にも出られない。大陸各地から友人を招き饗宴を催すことも叶わない。よって市井の情報が滞る。
悪い流れに溺れかけた私を加藤は救ってくれたのだ。
流れに逆らうことは叶わなくとも、覚悟はできる。
冷静に現実を見る。後悔なく日を送る。私の信条を取り戻した途端、これまでの鬱々とした気分が嘘のように心が軽やかになっていた。
新たな飲み友達を作りに近場の現地人の食堂へでも行きたい気分であったが、加藤に止められた。
今は本国人への悪感情がさらに増している。友達はできてもその人物と裏で接触しようとする者が確実に現れるから、友達から得られる情報に嘘が混じる。不特定多数に私の容姿をさらすことで、標的として狙われやすくなる。
いちいちごもっともだ。長く私の護衛をやっていながら、一度もこのような助言をしてきたことはなかった。職務怠慢だったな。
仕方なく本業の仕事に勤しむ。私の真面目な姿がよほど珍しく映るのか、経も社員も天変地異の前触れだと騒いでいる。商業会の連中を宴席に招いても、天変地異の話題で私は興ざめする。
「お疲れ様でございました」
加藤は相変わらず愛想もなく馬車の扉を開けて待つ。
「お手を……」
差し出される手を自然に掴み、私は馬車に乗り込んだ。
加藤に踏みつけられた背と胸がまだ痛む。
医者には診せていない。こんなにアザだらけでは、転びましたで済むはずがない。経に知られたくなかったのもあるが、とにかく大ごとにはしたくなかった。
あの夜の濃密な相引きは二人の秘密だ。
私を消す側の人間であるはずの加藤が、逃げろと警告してきた。どう考えても加藤の独断だ。加藤もまた危うい立場にあるのではないのか。
私を酷くした加藤の身を案じても仕方ないが、第二部の出方がわからない。おとなしくしておくのが得策だろう。
馬車の振動が痛みに拍車をかける。胸が痛むたびに、あの静かな夜を思い出す。
繰り返し想起することで思い出が定着してしまったらしい。最悪だ。
屋敷に着いて、今度は私が座席から立ち上がるのを支えるために加藤が馬車に乗り込んで来た。
そこまでしなくても私は動ける。これでは老人扱いだ。だが、加藤は私の身体の具合を相当に気にしている。罪悪感に苛まれる加藤が面白くて好きにさせた。主人を足蹴にした不届きをもっと反省しろ。
「酒は、お身体に障ります。ほどほどに」
お前に言われたくはない。そう反論する苛立ちが湧かない。加藤の言葉からは、とげがなくなっていた。拍子抜けするほどだ。何やら思いつめているのがわかる。見ていて痛々しい。
ほら、玄関先に経が出てきたぞ。あれはまた相当に怒っている。
「兄上、お帰りなさいませ。今夜も宴席ですか」
「今日は、商業会のもてなしだ。全くの仕事だ」
加藤を無視する経の後ろをついて屋敷に入る。ちらりと振り返ると、頭を下げたままの加藤がわずかに私を見た。
そんな顔をするな。大丈夫だ。
私はまだ、生きている。
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