182年の人生

山碕田鶴

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1878ー1913 吉澤識

11-(7)

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 加藤は伏したままの私を抱き起こすと、背広の汚れを手で払って回った。
 背も胸も痛む。息が苦しい。
 加藤の胸に頭をもたれかけたまま肩で息をする私に、加藤は苛立つように言った。

「状況はわかっているだろう?  どこにでもいい。逃げろ」

 そうか。加藤は、私が逃げないことに怒っているのか。骨董商が警告をしてきた後も変わらずここにいる私に苛立っているのか。それほど状況は切迫しているということか。
 はあと溜息をつこうとして、胸に激痛が走った。
 これはかなり重症だな。

「ククッ、私を心配しておいて、私を散々痛めつけるのか。酷いやつだな」

 私の身体を支える加藤の手にそっと手を重ねた瞬間、加藤が身体を固くした。

「手を……離せ」

   手の甲から爪の先まで静かに指を這わせる私の戯れを加藤は無視し続ける。
   お前の言うとおり、私は何でも利用する。お前が他の使用人に言いふらしている劣情とやらが本物かどうかは知らないが、少なくとも今触れた指を意識しているのは確かだ。それもありがたく使わせてもらうぞ。
 お前は長らく護衛として暴漢から私を守ってきた。私は弱いが立場は上だ。その私を今のお前は自らの暴力で完全に支配した。
 さぞや満たされたことであろうな。私はかわいそうで哀れな存在だろう? 今なら少しくらいはお前の知る情報をおねだりしても、気前良く答えてくれるのではないか?
 さて、お前はどこまで知っている?

「なあ、私がここにいては危険か?」

 加藤の厚い胸にさらに身体を預ける。

「離れろ。貴様は本当に嫌なやつだ。色仕掛けのような真似で人の心に入り込む。鬱陶しい」

   お前にとってこれは色仕掛けか。
   指先を握ると、加藤が緊張するのがわかった。

「私は、何に狙われているのだ?」
「手を離せ」

 はぐらかしたか。

「お前は、何から逃げろと言うのだ? 誰が、私を消すと言い出したのだ?」

   わずかに顔を上げた瞬間、目が合った加藤に動揺する気配を感じた。
   何を思い出していた?
   それを隠すように、私から目を逸らそうともせず睨み返してくる。私が指を絡めていることには気づいていない。

「私は、いつ消される?」
「触れるな!」

   手を振り払った加藤は、ハッとした。私の質問に態度で答えていたことに気づいたらしい。
 気づいて、その瞬間に感情が消えた。気配を消すように、心を隠したのだ。
 馬鹿だな。それでは、今まで心を読まれていたと認めたことになる。

「加藤、お前は私に逃げろと言う。ならば知らないのか? 私には、本国から警告も退避勧告も来ていない」

 組織再編で用済みになるにせよ、第二部の情報が漏れて危険にさらされる可能性のある協力者に何の連絡もないのは不可解だ。

「もうひとつ。宮田が消えた時点で私は帰国申請を出した。お前に言われるまでもなく、私はできることはやっている。……だが、許可が下りない。何度問い合わせても、手続き中だと言うばかりだ。同時に申請してみた会社の人間には、すぐに許可が下りたのにな。大陸の事務所では埒があかないからと本国に送った帰国申請の依頼も、この分だと届いてはいないだろう。ならば密航すればいいのか? 私が不在になった途端、港が警察や憲兵で溢れそうだな。なあ、加藤。私は、どこの都合で大陸に留め置かれているのだ?」
「……」

 加藤は無言だ。知らない、いや、言えないのだろう。
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