182年の人生

山碕田鶴

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1878ー1913 吉澤識

11-(1)

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 久々に租界の本国人会に顔を出した。政情不安と今後の治安が主題だ。
 大陸の混乱と本国の混乱とが共に激しさを増している。二国だけではない。世界中が、嵐を迎える前のような異様な雰囲気に包まれていた。政治経済の不安定が、いつ武力行使に発展してもおかしくない状況だ。
 宮田は本国へ帰ったことになっていた。初めから何も起きなかった。そういうことだ。
 江西での二人の死については、やはり本国人会の誰も知らないようだ。
 身体も心もなぜか重かった。淀みのない会話と笑顔は自然と出るのに、鬱々とした感情が澱のように溜まっていく。
 負の感情は捨てるに限る。これまでも、今でさえ捨て続けている。だが、捨てる以上に降り積もる。
 夜遅く屋敷に戻った頃には、かつてないほどの疲労感に襲われていた。加藤は馬車を降りた私を何も言わず見送った。

「あ……」

 自室を開けた瞬間、初めて感じる違和感に私は立ちすくんだ。
 緊張で心臓が高鳴る。
 人が入った形跡があった。
 いつも家事を頼んでいる使用人とは違う、誰か。
 何も盗られてはいない。だが、物を動かし戻したとわかる微細なずれが部屋中にある。
 わざとだ。やろうと思えば微塵も気づかせずに物色できたであろうに、わざと気配を残してある。
 気づけ。
 そう訴えかけてくる。鬱陶しい。

「加藤!」

 私は厩舎に向かった。屋敷に戻ったばかりだから、まだ馬を世話しているはずだ。

「加藤!」

 暗闇に向かって叫んだ。馬の鼻息と蹄の音だけの厩舎をランプの薄明かりでひととおり照らす。
 既に屋敷へ戻ったか。
 勢いで出てきたのは軽率だった。加藤が安全であるとは限らない。加藤が守っているのは第二部であって、私ではない。
 帰ろうと振り返りかけた時、背後の気配に気づいた。
 近い。ほぼ、真後ろだ。

「お呼びですか」

 抑揚のない声がした。静かな息が耳にかかる。
 いつからそこにいたのか。私が来ると見越していたか。

「……私の部屋で何をした?」

 加藤を背にしたまま訊いた。嫌な緊張があった。動けなかった。

「何も」

 入ったことは認めるのか。それにしても、いつどうやって入ったのだ。

「なぜ入った?」
「残されると困る物の処分です。貴方は、恋文ひとつ残さないようだ」

 私的な痕跡を残さないのは、昔からの習慣だ。
   公的な軍歴すら消されているのだ。いずれ誕生歴も消されるかもしれないな。そう笑おうとして、笑えなかった。代わりに溜息が出た。この状況は、さすがに厳しい。

「誰が入っていいと言った?」
「許可を取ってから侵入する泥棒などいません」

 悪びれずに言う加藤がかすかに笑ったような気がした。加藤がもし凶器を持っていたら、確実にやられている。
 少し前に腕を掴まれて動けなくなった時のことを思い出した。恐怖だ。加藤が怖い。この男には力で敵わない。
 冷静になれ。恐怖は判断を鈍らせるだけだ。
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