182年の人生

山碕田鶴

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1878ー1913 吉澤識

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「初めまして。吉澤外海そとうみ組の吉澤識よしざわしきと申します。公使館ご着任早々、宮田様にお目にかかれて光栄です。以後お見知りおきを」
「宮田です。こちらでのお噂はかねがね。豪商の跡取りともなると、遊びも豪快のようで。今、この地は政情不安、動乱、革命……治安は決して良くありませんよ。どうぞ道楽も程々に」
「いやあ、ご忠告いたみいります」

 初対面で握手をしながら、私、吉澤識を値踏みするような強い視線を笑顔でかわした。
 時は明治のご維新後である。国も社会も産業も全てが大きく変革し、世界中が激動の予兆に包まれた先の見えない時代に私は生まれた。
 貿易商「吉澤外海組」は自由貿易の波に乗ってみるみる業績を伸ばし、大陸に駐在所まで作るに至った。そうして跡取りである私を所長として送り出したものの、三代目の放蕩息子は例にもれず道楽に明け暮れていた。
 現地では欧米列強との軋轢から革命の気運が高まり、動乱が続いている。大陸公使館付武官として赴任したばかりの宮田に、私はさっそく目をつけられてしまった。
   商業会議所の会議室には、本国から渡ってきている数多あまた企業の重鎮が宮田への挨拶と就任祝いで集まっていた。その冒頭で、いきなり説教をされたのだ。
   日頃私を苦々しく思っていた連中は、胸のすく思いをしただろう。
   三十四にもなって、大陸駐在所長の肩書きまで持って、このご時世に遊びほうけてけしからん。嫉妬と羨望込みで、腹わたが煮えくり返ると顔に出ている。
   それを言わせないのが、吉澤外海組の実績と財力だ。
   宮田の一言が老人どものガス抜きになっただろうか。
   私は、商業会の連中と揉めごとを起こしたいわけではない。できれば上手くやっていきたい。
   常に顔は立ててやるし宴席にも呼んでいる。盆暮れの挨拶も欠かさない。それでも嫉妬は消せないのだ。
   宮田に叱られるのは悪くない。時々大勢の面前で小言を言われておけば、当面安泰であろう。



   商業会議所を出て、待たせていた馬車に乗ると御者ぎょしゃの加藤がチラリと視線を向けてきた。

「旦那様、良いことでも?」
「そう見えるか?  気のせいだ」

   お前に話すことではない。言外の拒絶を悟ってか、加藤は失礼致しましたと言って扉を閉めた。
   加藤は四十を過ぎた私専属の従者だ。背が高く体格も良いので、圧迫感がある。目つきが鋭いせいか常に不機嫌そうに見えるが、護衛も兼ねているので仕方がない。言葉の通じない現地人も、これに襲いかかろうとは軽々に考えないだろう。優男やさおとこ然として軟弱だと幾度も罵倒されたことのある私としては、羨ましい限りだ。
 羨ましいが、鬱陶しい。
   加藤は常に私を監視している。そう、監視だ。周囲の不審者にではなく、私に注意を払っている。「第二部」へ報告するために。
   軍参謀本部第二部。諸外国の情報収集分析を担当する諜報部門だ。本国に利するとあらば、他国の革命動乱気運を高めるべく潜伏活動もする。今まさに、この大陸で行われていることだ。
 私は大陸に渡った当初から、第二部に請われて大陸各地の世情を手紙に書いて本国の第二部へ送り、また、大陸に潜る者たちを迎え、情報提供する役割りを担っている。いわば民間人協力者だ。当然ながら極秘任務である。
 その私を、第二部は密かに監視している。監視役として派遣されたのが加藤だ。加藤自身、第二部所属の軍人であろう。それを私にはいっさい告げず、身分を隠し、従者として側にいる。私も知らぬ顔を続ける。私が監視に気づいていることを加藤は当然わかっているはずだ。
   欺あざむく者を欺き、嘘を嘘で隠す。
   常に疑え。仲間こそ疑え。信じるのは自身の信念と直感。
   そういう世界に私は生きている。
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