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第2章 小満

8.一郎の新生活(一)

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 僕が日当たり良好の格安ボロ借家に引っ越してから、二週間ほどが過ぎた。
 大学入学直後で新しいことだらけの毎日だったから、さすがに心身ともに限界を迎えていた。
 近所のスーパーで週二日のバイトも始めた。本当はもっと増やしたいけれど、今の生活に慣れるまで当分は無理だろう。
 日曜日なのに朝からだるい。
 しっかり休んで夕方からバイトして、自炊も頑張って……。
 目標はあるのにやる気が今ひとつで、床に寝転がって伸びをする。
 窓から縁側に出られるが、先客が占拠しているのでつい遠慮してしまう。
 疲労の最大の原因は彼らだろう。
 僕の新生活にとって、最難関は同居人に慣れることだった。
 菊の精キクは、怖くない。
 庭を眺めれば目に入る、ふわふわと漂う姿は癒しそのものだ。もう、一日中見ていても飽きないと思う。
 黒髪おかっぱのあんな美少女が、いつでも家にいる。信じられない。
 ただ、キクを見ているとなぜか現実逃避している気分になる。まるでストーカーが覗きをするような罪悪感さえ持ってしまう。自分の家の中から庭を覗くって変だとは思うけれど。
 なるべくキクを意識せずに生活したい。ストイックさを試されているみたいで、段々つらくなってくる。それでまた、癒しを求める。その繰り返しだ。そのうち慣れるだろうか。
 縁側では、体格のいい爽やかなお兄さんたちが三人もくつろいでいる。なぜ作業着姿なのかはわからない。
 前の借主さんが作った花壇のフリージア、ガーベラ、ビオラの精は常に一緒に行動している。三人とも同じ顔だ。
 キクと違って僕と直接話すことはないし、僕を意識することなく勝手気ままに庭をふらふらしている。縁側が特にお気に入りらしく、だいたいはそこにいる。
 いつもニコニコして優しそうだから見ていて飽きないけれど、どこか意思疎通できない怖さがある。
 それでも最近は、僕が庭の水やりをすると学習したらしい。玄関脇の水道につないだホースを持つと僕を見て体を左右に揺らすようになった。
 嬉しいということかな。
 懐いてくれたみたいで嬉しいが、三兄弟が動くたびにどうしても緊張してしまう。
 三兄弟が左右に揺れている時に僕も目の前でやってみたけれど、なんだか無視された気がした。全然、気持ちが通じていない。
 野良猫が家に居つくのと同じだと自分に言い聞かせる。
 少し前に、大学で同じ学科の友人たちがうちに寄ったことがあった。縁側には三兄弟がいて、キクも庭に立っていたけれど、友人たちには全く見えていなかった。
 縁側に近づいた一人は、三兄弟の体を突き抜けていることに気づきもしなかった。
 僕だけの現実だ。この状況にも慣れることはできるのだろうか。
 大家の孫の誠が除草剤の結界を張ってくれたおかげか、家の中で精霊を見たことはない。この安心感は貴重だ。
 誠にも精霊が見える。僕の現実を共有してくれる唯一の人物だ。
 人物、なのかはちょっと怪しい。誠は実はタンポポの精かもしれない。
 その誠とはあれから一度も会っていない。友達ではないし会う理由もないけれど、具合が悪そうなのが気がかりだった。
 本当にタンポポの精だったとか?
 まさかね。
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