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Ep.1 革命の足音
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昼を過ぎたあたりから、連中は酒場に来る。
平面映像機の黒い板では昼のシルディアナ放送が、ここ数日起こった事件、北の貿易他大国シヴォンとの経済問題、武器や魔石の密輸問題、反乱軍が立てこもる領地への制裁など、様々な問題を大貴族や大商人の姿を映しながら解説している時間帯だ。客は殆どいない。それを横目に見ながら、黒い外套を羽織った暑そうな人影が、丁度人の少なくなる頃を見計らって中へ入っていくのだ。
この建物には地下があることをラナは知っていたし、そこに下りたことも何度かあった。食糧貯蔵庫だからだ。そこには水魔石を組み込んだシヴォライト鋼製の白い冷蔵保管箱が設置されていて、草食竜の干し肉やシルディアナ帝国でしか取れない香りのきつい香辛料などが大量に保管してある。干し肉と香辛料の入った保管箱の並ぶ空間に入って、彼らは毎日夕刻まで何かを話していた。
好き好んで入る場所ではないから、きっとよからぬことに違いない。夜になればその日のつとめを終えた勘のいい帝国軍の兵士達がやってくるので、下手な話は出来ないからだ。
アルジョスタ・プレナと呼ばれる反乱軍はここ数年で大規模になってきているらしかった。服の装飾や刺繍が少ないところから下層市民であろうと思われる、とある酒場の客が言うには、反乱軍に属する者は帝国軍の半分ほどもいるとのことだ。
ラナは、きっと昼過ぎに戻ってくる者達は反乱軍の人間ではないか、と思っている。だが、彼らが一体何であるかはサイアもナグラアスもフローリシェも他の従業員も全く口にしなかったし、ラナ自身も敢えて訊かなかった。
たまに声を掛けてくるとき、彼らの表情――といっても鼻から下を黒い布で覆っている為に目だけで汲み取るしかない――は柔らかだったし、敵意を向けてくることもなかった。ラナもついこの間、腕輪の緑と目の色がそっくりで美しい、と言われたことがあった。誰だっただろう、いつも顔を黒いマントで殆ど覆っていて誰かはわからなかったが、その声は若く、瞳は空のように蒼く、心地よい低さで胸の奥に沁み込んできたのを彼女は覚えている。
「竜酒を三つと、乳酒を二つ頼む」
今日もまた彼らのうちのひとりがそんな注文とともにラナの肩をぽんと叩き、他の四人とともに地下の梯子を下りていった。
草食竜の肝を水につけて発酵させた酒は非常に臭いがきつく、癖がある。何故こんなものを好むのか、などと思いながら、ラナは盆の上に五つのグラスを乗せて店の奥へと向かい、そっと梯子を下りる。階上では、映像機が帝都シルディアナに突如現れた『自称大怪盗』に関することを放送しているのが、流れてくる音声で分かった。
足元の火魔石のランプの光が頼りなげに揺れている。声が聞こえてきた。
「……が嗅がれているかも知れない」
「確証は?」
「特に、だが、いずれにせよここはもう危ないだろう」
ラナは梯子を下りるのを思わずやめた。大怪盗の犯行予告状よりも聞き捨てならない言葉だった。
彼らの会話は尚も淡々と続く。
「しかし、その為にここから更に穴を掘ったんじゃないのか」
「それはいざという時の為だ、だが……」
「今がいざ、という時だろう」
「違う、奴らは……いや、竜騎士団が近いうちに摘発を行う、それも、シルディアナの第二城壁内全てで」
第二城壁。ラナは身構えた。
第二城壁は、千年前から存在するシルディアナ主要八区が全て内包されている。帝国貴族の邸宅が多く立ち並びサヴォラ離発着用の尖塔も多い貴族街区、北街区はそれに連なる上層から中層の市民の住宅が大半だ。遥か四千年昔よりシルダ一族が根を下ろし、現在の帝国における政治の拠点となっている宮殿は中央区に、首都を突っ切るアルヴァ川の中州にあるのが、火、水、風、土、光、闇、それぞれの精霊王を祀る精霊殿が存在する精霊殿区。最も雑多な北商業区と南商業区は首都東側を占めており、千年前からの街並みが美しい旧跡指定地区である西街区。南街区はここ「竜の角」がある場所だ。
彼らの話はまだ続いている。
「なら、穴は使えたとしても、どのみち出口で終わりか」
「そういうことになる……おれは、その時が来たら腹痛を起こすつもりだからな」
これは、単にこの人達だけが危険なのだろうか、とラナは思った。店の人にも知らせる必要性がある。だが、その前に盆をひっくり返しそうになって何とか不安定な梯子の上に踏み止まった。
「そんなに器用に腹痛が起こせるもんか、マルクス」
「起こせるさ、言えば何とでもなるからな、所要の腹痛だ」
「冗談を言っている場合か、ふたりとも」
「言っている場合さ、ティルク、ここにだって何度も出入りしている癖に、そんなに固く……怖くなってどうするんだよ、それに、梯子の所で――」
マルクスと呼ばれた男がいつの間にか自分を眺めているのに気付いて、ラナはびっくりした。肩の震えが竜酒を少しグラスから減らす。
「――お嬢ちゃんが、荒れ地のスピトみたいに固まってる」
全身針だらけのものいわぬ植物などではないと言い返してやりたかったが、ラナの口は思い通りに動いてくれなかった。立ち上がってラナの方へ近付いてくるマルクスという男は気を使って場を和ませようとしたのだろうが、何が面白いのか何処で笑っていいかなんてラナにはさっぱりわからなかった。
「……聞かれていたか」
ティルクと呼ばれた男はランプの光だけの薄暗い中で目を細める。マルクスが硬直したままのラナの肩を親しげに抱いた時、鋼の腕輪がランプの炎に反射して一瞬、きらりと煌いた。
温かい腕だ。
「おれ達のことは怖がらなくていいよ、お嬢ちゃん、元々ここはおれ達の家だった……そこに、今の酒場が入ってきたんだ。ねえ、名前は?」
「……マルクス」
ティルクが、ラナの腕輪から目を離さずに鋭い声を出す。ラナはマルクスと言う男の顔を見てみた。太めの眉に引き締まった顎、黒い瞳は人懐こく輝き、怪しい話をしている筈なのに親しみやすい印象を抱かせる。短く切られた髪は背後の闇に溶け込むほど暗い色だった……明るい所に出たらわかるだろう。そして、その背で呼吸に合わせてゆっくりと上下するのは、これまた暗い色の鱗に覆われ、まるで刃のような鉤爪がついた、紛れもない蝙蝠のような大きい翼。
「……竜騎士?」
「おっと、しいっ」
ラナは思わず大きな声を出して、マルクスにやんわりと咎められた。おいそれと口に出してはいけないことらしい。
「確かに、おれは竜人族ではあるが、竜騎士といえる者ではない」
「でも、どうやってここへ入ってきたの、さっきはそんな大きいもの、見えなかった」
マルクスはラナがひそひそ声になったことに満足したらしく、にっこりしながら自身もまたひそひそ喋った。
「見えなくするんだよ、術士の術で」
「さあマルクス、いい加減その娘に構うのはやめにして、酒を持ってきて貰いたいものだ」
また別の、四人目の男の声がしてマルクスから解放されたラナは、さっきより幾分か中身の減った五つのグラスを彼らの集まる円の中心へと運んだ。肩と肩の間からちらりと見えたのは、ランプの光に照らされる薄汚れた獣皮紙や植物紙の束と図面のようなものだった。明るいとは言えない状況で字など読めなかったが、それが妖しいにおいを放っていることぐらいはわかった。酒を飲み過ぎて暴れ出す前の客みたいなものだろうか、いや、ちょっと違う。
その間じゅう、ティルクがずっと射るような目で自分を観察しているのが気配だけでわかった。
五人はラナが引くまでひとことも発しなかった、余程聴かれたくない話のようだ。梯子を上がりきるまで、十の視線は客がラナのチュニックの中を見る時とは全く違うものを乗せながら追ってきた。堅気の気配すらない彼らにとっては、少女の下着など、どうでもよいものに違いない……女ということではなくもっと別の何かを値踏みしているようだ、と彼女は思う。
今日に限って地下での会話をとてつもなく聴きたかったが、昼下がりの酒場には夜の働き手達がまだ沢山いて、シルディアナ放送にケチを付けながら浴びるように酒を飲んでいたので、ラナは諦めて接客を再開することにした。
ただ、ここはもう危ないだろう、という言葉が頭から離れない。言いようのない不安が心を薄く覆っていた。
平面映像機の黒い板では昼のシルディアナ放送が、ここ数日起こった事件、北の貿易他大国シヴォンとの経済問題、武器や魔石の密輸問題、反乱軍が立てこもる領地への制裁など、様々な問題を大貴族や大商人の姿を映しながら解説している時間帯だ。客は殆どいない。それを横目に見ながら、黒い外套を羽織った暑そうな人影が、丁度人の少なくなる頃を見計らって中へ入っていくのだ。
この建物には地下があることをラナは知っていたし、そこに下りたことも何度かあった。食糧貯蔵庫だからだ。そこには水魔石を組み込んだシヴォライト鋼製の白い冷蔵保管箱が設置されていて、草食竜の干し肉やシルディアナ帝国でしか取れない香りのきつい香辛料などが大量に保管してある。干し肉と香辛料の入った保管箱の並ぶ空間に入って、彼らは毎日夕刻まで何かを話していた。
好き好んで入る場所ではないから、きっとよからぬことに違いない。夜になればその日のつとめを終えた勘のいい帝国軍の兵士達がやってくるので、下手な話は出来ないからだ。
アルジョスタ・プレナと呼ばれる反乱軍はここ数年で大規模になってきているらしかった。服の装飾や刺繍が少ないところから下層市民であろうと思われる、とある酒場の客が言うには、反乱軍に属する者は帝国軍の半分ほどもいるとのことだ。
ラナは、きっと昼過ぎに戻ってくる者達は反乱軍の人間ではないか、と思っている。だが、彼らが一体何であるかはサイアもナグラアスもフローリシェも他の従業員も全く口にしなかったし、ラナ自身も敢えて訊かなかった。
たまに声を掛けてくるとき、彼らの表情――といっても鼻から下を黒い布で覆っている為に目だけで汲み取るしかない――は柔らかだったし、敵意を向けてくることもなかった。ラナもついこの間、腕輪の緑と目の色がそっくりで美しい、と言われたことがあった。誰だっただろう、いつも顔を黒いマントで殆ど覆っていて誰かはわからなかったが、その声は若く、瞳は空のように蒼く、心地よい低さで胸の奥に沁み込んできたのを彼女は覚えている。
「竜酒を三つと、乳酒を二つ頼む」
今日もまた彼らのうちのひとりがそんな注文とともにラナの肩をぽんと叩き、他の四人とともに地下の梯子を下りていった。
草食竜の肝を水につけて発酵させた酒は非常に臭いがきつく、癖がある。何故こんなものを好むのか、などと思いながら、ラナは盆の上に五つのグラスを乗せて店の奥へと向かい、そっと梯子を下りる。階上では、映像機が帝都シルディアナに突如現れた『自称大怪盗』に関することを放送しているのが、流れてくる音声で分かった。
足元の火魔石のランプの光が頼りなげに揺れている。声が聞こえてきた。
「……が嗅がれているかも知れない」
「確証は?」
「特に、だが、いずれにせよここはもう危ないだろう」
ラナは梯子を下りるのを思わずやめた。大怪盗の犯行予告状よりも聞き捨てならない言葉だった。
彼らの会話は尚も淡々と続く。
「しかし、その為にここから更に穴を掘ったんじゃないのか」
「それはいざという時の為だ、だが……」
「今がいざ、という時だろう」
「違う、奴らは……いや、竜騎士団が近いうちに摘発を行う、それも、シルディアナの第二城壁内全てで」
第二城壁。ラナは身構えた。
第二城壁は、千年前から存在するシルディアナ主要八区が全て内包されている。帝国貴族の邸宅が多く立ち並びサヴォラ離発着用の尖塔も多い貴族街区、北街区はそれに連なる上層から中層の市民の住宅が大半だ。遥か四千年昔よりシルダ一族が根を下ろし、現在の帝国における政治の拠点となっている宮殿は中央区に、首都を突っ切るアルヴァ川の中州にあるのが、火、水、風、土、光、闇、それぞれの精霊王を祀る精霊殿が存在する精霊殿区。最も雑多な北商業区と南商業区は首都東側を占めており、千年前からの街並みが美しい旧跡指定地区である西街区。南街区はここ「竜の角」がある場所だ。
彼らの話はまだ続いている。
「なら、穴は使えたとしても、どのみち出口で終わりか」
「そういうことになる……おれは、その時が来たら腹痛を起こすつもりだからな」
これは、単にこの人達だけが危険なのだろうか、とラナは思った。店の人にも知らせる必要性がある。だが、その前に盆をひっくり返しそうになって何とか不安定な梯子の上に踏み止まった。
「そんなに器用に腹痛が起こせるもんか、マルクス」
「起こせるさ、言えば何とでもなるからな、所要の腹痛だ」
「冗談を言っている場合か、ふたりとも」
「言っている場合さ、ティルク、ここにだって何度も出入りしている癖に、そんなに固く……怖くなってどうするんだよ、それに、梯子の所で――」
マルクスと呼ばれた男がいつの間にか自分を眺めているのに気付いて、ラナはびっくりした。肩の震えが竜酒を少しグラスから減らす。
「――お嬢ちゃんが、荒れ地のスピトみたいに固まってる」
全身針だらけのものいわぬ植物などではないと言い返してやりたかったが、ラナの口は思い通りに動いてくれなかった。立ち上がってラナの方へ近付いてくるマルクスという男は気を使って場を和ませようとしたのだろうが、何が面白いのか何処で笑っていいかなんてラナにはさっぱりわからなかった。
「……聞かれていたか」
ティルクと呼ばれた男はランプの光だけの薄暗い中で目を細める。マルクスが硬直したままのラナの肩を親しげに抱いた時、鋼の腕輪がランプの炎に反射して一瞬、きらりと煌いた。
温かい腕だ。
「おれ達のことは怖がらなくていいよ、お嬢ちゃん、元々ここはおれ達の家だった……そこに、今の酒場が入ってきたんだ。ねえ、名前は?」
「……マルクス」
ティルクが、ラナの腕輪から目を離さずに鋭い声を出す。ラナはマルクスと言う男の顔を見てみた。太めの眉に引き締まった顎、黒い瞳は人懐こく輝き、怪しい話をしている筈なのに親しみやすい印象を抱かせる。短く切られた髪は背後の闇に溶け込むほど暗い色だった……明るい所に出たらわかるだろう。そして、その背で呼吸に合わせてゆっくりと上下するのは、これまた暗い色の鱗に覆われ、まるで刃のような鉤爪がついた、紛れもない蝙蝠のような大きい翼。
「……竜騎士?」
「おっと、しいっ」
ラナは思わず大きな声を出して、マルクスにやんわりと咎められた。おいそれと口に出してはいけないことらしい。
「確かに、おれは竜人族ではあるが、竜騎士といえる者ではない」
「でも、どうやってここへ入ってきたの、さっきはそんな大きいもの、見えなかった」
マルクスはラナがひそひそ声になったことに満足したらしく、にっこりしながら自身もまたひそひそ喋った。
「見えなくするんだよ、術士の術で」
「さあマルクス、いい加減その娘に構うのはやめにして、酒を持ってきて貰いたいものだ」
また別の、四人目の男の声がしてマルクスから解放されたラナは、さっきより幾分か中身の減った五つのグラスを彼らの集まる円の中心へと運んだ。肩と肩の間からちらりと見えたのは、ランプの光に照らされる薄汚れた獣皮紙や植物紙の束と図面のようなものだった。明るいとは言えない状況で字など読めなかったが、それが妖しいにおいを放っていることぐらいはわかった。酒を飲み過ぎて暴れ出す前の客みたいなものだろうか、いや、ちょっと違う。
その間じゅう、ティルクがずっと射るような目で自分を観察しているのが気配だけでわかった。
五人はラナが引くまでひとことも発しなかった、余程聴かれたくない話のようだ。梯子を上がりきるまで、十の視線は客がラナのチュニックの中を見る時とは全く違うものを乗せながら追ってきた。堅気の気配すらない彼らにとっては、少女の下着など、どうでもよいものに違いない……女ということではなくもっと別の何かを値踏みしているようだ、と彼女は思う。
今日に限って地下での会話をとてつもなく聴きたかったが、昼下がりの酒場には夜の働き手達がまだ沢山いて、シルディアナ放送にケチを付けながら浴びるように酒を飲んでいたので、ラナは諦めて接客を再開することにした。
ただ、ここはもう危ないだろう、という言葉が頭から離れない。言いようのない不安が心を薄く覆っていた。
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