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回想電車 没7月4日7時14分

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「切符を拝見いたします」
 
 声をかけてきたのは電車の乗務員だった。わたしはビクリと肩を震わせた。

 通学電車で、こんなことを初めて言われた。

 切符? 何のことだろう?

 慌てながら、乗務員の目の前に定期券を掲げた。
 
「ああ、これは定期券ですね。 乗車券はお持ちではないですか?」
 
 さっきとは違い、少しだけ低い声だった。まるで相手を牽制するような凄みがあった。
 深く被った帽子のせいで目が良く見えないが、ギロリと鋭い視線を向けられたように感じた。

 悪いことなんてしていないのに責められている気分になる。体が熱くなり、ぶわっと額に汗が滲む。

 とても居心地が悪い。
 特急券がないと乗ってはいけない列車に乗り込んでしまった、そんな気分だ。
 
「あ、あの……、その……」
 
 素直に「乗車券は持っていない」と言えばいいのに、すぐに言葉が出ない。

 自分が置かれている状況がわからない。もやもやとした疑問がわたしの口をこわばらせる。

 探し物なんてないのに、鞄の中を漁る。
 特にこの場を助けるアイテムもなければ、気の効いた返答も思いつかない。ただ気まずい時間が数秒流れるだけで、ついに覚悟を決めた。
 
「……持ってません」
 
 カタンカタンと電車の走行音が響く。ふたりの間に無言の時間があった。ほんの数秒だったけど、大分長い時間に感じられた。
 
「切符がないと回想電車には乗車できないのですが……」
 
 沈黙を破った乗務員は口元が緩んでいて、苦笑したように見えた。
 
「回送電車だったんですか!?」
 
 カイソウと言う言葉に慌てた。
 どうやら乗車してはいけない電車に乗ってしまったらしい。
 
「いえ、カイソウ違いです。切符がないと乗車できない電車です」
 
 苦笑いを交えながら、乗務員はさっきの言葉を繰り返した。声色からして、困った客だなと呆れているようだ。
 
「きっとどこかに乗車券が紛れているはずです。例えば、制服のポケットに……」
 
 乗務員はスッと人差し指で、わたしのブレザーをさした。
 その手は節ばっているけど、細くて長くて綺麗だった。

 もしかしたら女の人なのでは?
 見惚れてしまい、指先を目で追っていた。

 顔を見上げると帽子から瞳がのぞいた。
 闇夜に光る不気味な猫の目をしたその瞳に凝視され、わたしは凍りついた。全てを見透かすような鋭い視線にわたしのすべてが貫かれたような気がした。
 
「ポケットにありませんかね?」

「……あっ、はい」
 
 乗務員はもう一度繰り返した。

 声を聞いてやっぱり女性ではないと思った。
 声は低く、男性みたいだ。この人が醸し出す違和感のせいか、声を掛けられる度に自分の思考が止まってしまう。
 
 促されるまま、わたしはポケットに手を入れた。

 切符なんて。そんなもの、あるはずはない。ブレザーのポケットには何も入れない主義だ。自分から何かを入れた記憶もない。
 
 だけど……、指先になにかが触れた。
 
 まさか。

 ポケットの中に固い紙片がある。取り出すと、切符だった。買った覚えも、見た覚えもない。

 表には『回想 没7月4日7時14分』と印字されている。
 
「そうです。 この切符です」
 
 乗務員は切符を確認して、ニヤリと笑った。すごく不気味な笑みだった。
 
「では」
 
 乗務員は帽子に手を添え一礼すると、背を向け立ち去ろうとした。先程までの部外者を追い出そうと敵視していた様子は消え、歓迎している雰囲気だった。

 でも……。

 状況がまったく理解できない。

 切符に印字されている日時が表す意味は?
 回想電車とは何なのか?

 居心地の悪さを感じて、乗務員を呼び止めた。
 
「あの……!」

「はい? なんでしょう?」

「間違えて乗ってしまってすみません。どこで降りればいいでしょうか? もしかして、このまま車庫に行くんですか?」

 乗務員は黙り込んでしまった。
 切符を見せた後の穏やかな雰囲気は消え去り、冷たい空気が漂う。

「ふふっ。まだこの状況が飲み込めていないようですね……」

 口の端を吊り上げた微笑を投げ掛けられる。寒くもないのに背中がゾクゾクっと震えた。

「この電車は特別です。生きているうちに乗ることがない電車ですから。人生の終わりに、今までの出来事が走馬灯のように駆け巡ると言いますよね?  あなたは今、電車に乗って過去を旅しているんですよ」
 
 わたしはハッとした。

 うそ!? と、同時に、やっぱり! とも思った。

 謎の切符。いつもと違う電車。
 すべてがわたしのなかで繋がった。

 カイソウとは過去を振り返る回想のことだった。わたしは今、死者が乗る回想電車に乗っているのだ。
 
「わたし、死んじゃったの!?」

「ええ。……北見朱音きたみあかねさん」
 
 やっと理解したか。とでも言いたいのか、乗務員がニヤリと微笑んだ。しかも、みずから名乗っても居ないのにわたしの名を呼んで。

「7月4日7時14分に亡くなったあなたの魂を送り届けるのが私の仕事ですから。それはもうすでに決まっていました」

 事務的に淡々といきさつを告げる乗務員の声は、右から左に通り抜けていく。
 
 わたしが死んだ!?
 いつ、どこで、どうやって? 
 まったく記憶にない。

 生きた心地がしない。なんて表現があるが、同じく死んだ心地もわからない。今は生きている時と、何も変わらない。
 わたしが本当に死んでいるとしたら、この瞬間あれこれ考えているわたしは何者なのだろうか。
  
 わたしは至って冷静だった。冷静に状況を分析していた。
 この状況は一体何なのか? 頭の中でぐるぐると思考が巡る。
 
 何も言い出せずにいると、なだめるように乗務員が口を開いた。
 
「みなさん、ご自身が死んでいたことには気づかないものです。気づいたら死んでいて、ここにやってくるのです」

「……そういうものなんですか?」

 すんなり状況を受け入れることができず、唇を噛む。

 あなたは死にました。はい、そうですか。と、冷静に受け止められない。
 死んだ実感がないので、この状況が理解できない。
 
 乗務員は「困った客だ」と言いたげな顔をした。
 困っているのはこっちの方だ。わたしはむぅと膨れ面をした。
 
「これはきっと夢です! だってわたし、どうやって死んじゃったのか、覚えてないもの!」
 
 わたしは乗務員に食ってかかった。乗務員は座席から立ち上がろうとするわたしに両手をかざして、どうどうとなだめる。
 
 その時だった。

 ガタッと車両が大きく揺れた。ホームに入る前、ポイントを通過していく電車のようにギィーと音をたてながら、車体が軽く傾く。
 いつにも増して、車体が傾いた時の力が身体にかかったように感じて怖くなり、鞄を抱える。
 
「どうしたんですか?」

「そろそろ駅に到着します」

「駅……?」

「あなたが亡くなった時の記憶です」
 
 目深に被った帽子の奥で鋭い眼光がギラリと光る。

 反動を伴い電車は停車した。ドアが開くとあたりは真っ白になった。
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