2 / 17
回想電車 没7月4日7時14分
しおりを挟む
「切符を拝見いたします」
声をかけてきたのは電車の乗務員だった。わたしはビクリと肩を震わせた。
通学電車で、こんなことを初めて言われた。
切符? 何のことだろう?
慌てながら、乗務員の目の前に定期券を掲げた。
「ああ、これは定期券ですね。 乗車券はお持ちではないですか?」
さっきとは違い、少しだけ低い声だった。まるで相手を牽制するような凄みがあった。
深く被った帽子のせいで目が良く見えないが、ギロリと鋭い視線を向けられたように感じた。
悪いことなんてしていないのに責められている気分になる。体が熱くなり、ぶわっと額に汗が滲む。
とても居心地が悪い。
特急券がないと乗ってはいけない列車に乗り込んでしまった、そんな気分だ。
「あ、あの……、その……」
素直に「乗車券は持っていない」と言えばいいのに、すぐに言葉が出ない。
自分が置かれている状況がわからない。もやもやとした疑問がわたしの口をこわばらせる。
探し物なんてないのに、鞄の中を漁る。
特にこの場を助けるアイテムもなければ、気の効いた返答も思いつかない。ただ気まずい時間が数秒流れるだけで、ついに覚悟を決めた。
「……持ってません」
カタンカタンと電車の走行音が響く。ふたりの間に無言の時間があった。ほんの数秒だったけど、大分長い時間に感じられた。
「切符がないと回想電車には乗車できないのですが……」
沈黙を破った乗務員は口元が緩んでいて、苦笑したように見えた。
「回送電車だったんですか!?」
カイソウと言う言葉に慌てた。
どうやら乗車してはいけない電車に乗ってしまったらしい。
「いえ、カイソウ違いです。切符がないと乗車できない電車です」
苦笑いを交えながら、乗務員はさっきの言葉を繰り返した。声色からして、困った客だなと呆れているようだ。
「きっとどこかに乗車券が紛れているはずです。例えば、制服のポケットに……」
乗務員はスッと人差し指で、わたしのブレザーをさした。
その手は節ばっているけど、細くて長くて綺麗だった。
もしかしたら女の人なのでは?
見惚れてしまい、指先を目で追っていた。
顔を見上げると帽子から瞳がのぞいた。
闇夜に光る不気味な猫の目をしたその瞳に凝視され、わたしは凍りついた。全てを見透かすような鋭い視線にわたしのすべてが貫かれたような気がした。
「ポケットにありませんかね?」
「……あっ、はい」
乗務員はもう一度繰り返した。
声を聞いてやっぱり女性ではないと思った。
声は低く、男性みたいだ。この人が醸し出す違和感のせいか、声を掛けられる度に自分の思考が止まってしまう。
促されるまま、わたしはポケットに手を入れた。
切符なんて。そんなもの、あるはずはない。ブレザーのポケットには何も入れない主義だ。自分から何かを入れた記憶もない。
だけど……、指先になにかが触れた。
まさか。
ポケットの中に固い紙片がある。取り出すと、切符だった。買った覚えも、見た覚えもない。
表には『回想 没7月4日7時14分』と印字されている。
「そうです。 この切符です」
乗務員は切符を確認して、ニヤリと笑った。すごく不気味な笑みだった。
「では」
乗務員は帽子に手を添え一礼すると、背を向け立ち去ろうとした。先程までの部外者を追い出そうと敵視していた様子は消え、歓迎している雰囲気だった。
でも……。
状況がまったく理解できない。
切符に印字されている日時が表す意味は?
回想電車とは何なのか?
居心地の悪さを感じて、乗務員を呼び止めた。
「あの……!」
「はい? なんでしょう?」
「間違えて乗ってしまってすみません。どこで降りればいいでしょうか? もしかして、このまま車庫に行くんですか?」
乗務員は黙り込んでしまった。
切符を見せた後の穏やかな雰囲気は消え去り、冷たい空気が漂う。
「ふふっ。まだこの状況が飲み込めていないようですね……」
口の端を吊り上げた微笑を投げ掛けられる。寒くもないのに背中がゾクゾクっと震えた。
「この電車は特別です。生きているうちに乗ることがない電車ですから。人生の終わりに、今までの出来事が走馬灯のように駆け巡ると言いますよね? あなたは今、電車に乗って過去を旅しているんですよ」
わたしはハッとした。
うそ!? と、同時に、やっぱり! とも思った。
謎の切符。いつもと違う電車。
すべてがわたしのなかで繋がった。
カイソウとは過去を振り返る回想のことだった。わたしは今、死者が乗る回想電車に乗っているのだ。
「わたし、死んじゃったの!?」
「ええ。……北見朱音さん」
やっと理解したか。とでも言いたいのか、乗務員がニヤリと微笑んだ。しかも、みずから名乗っても居ないのにわたしの名を呼んで。
「7月4日7時14分に亡くなったあなたの魂を送り届けるのが私の仕事ですから。それはもうすでに決まっていました」
事務的に淡々といきさつを告げる乗務員の声は、右から左に通り抜けていく。
わたしが死んだ!?
いつ、どこで、どうやって?
まったく記憶にない。
生きた心地がしない。なんて表現があるが、同じく死んだ心地もわからない。今は生きている時と、何も変わらない。
わたしが本当に死んでいるとしたら、この瞬間あれこれ考えているわたしは何者なのだろうか。
わたしは至って冷静だった。冷静に状況を分析していた。
この状況は一体何なのか? 頭の中でぐるぐると思考が巡る。
何も言い出せずにいると、なだめるように乗務員が口を開いた。
「みなさん、ご自身が死んでいたことには気づかないものです。気づいたら死んでいて、ここにやってくるのです」
「……そういうものなんですか?」
すんなり状況を受け入れることができず、唇を噛む。
あなたは死にました。はい、そうですか。と、冷静に受け止められない。
死んだ実感がないので、この状況が理解できない。
乗務員は「困った客だ」と言いたげな顔をした。
困っているのはこっちの方だ。わたしはむぅと膨れ面をした。
「これはきっと夢です! だってわたし、どうやって死んじゃったのか、覚えてないもの!」
わたしは乗務員に食ってかかった。乗務員は座席から立ち上がろうとするわたしに両手をかざして、どうどうとなだめる。
その時だった。
ガタッと車両が大きく揺れた。ホームに入る前、ポイントを通過していく電車のようにギィーと音をたてながら、車体が軽く傾く。
いつにも増して、車体が傾いた時の力が身体にかかったように感じて怖くなり、鞄を抱える。
「どうしたんですか?」
「そろそろ駅に到着します」
「駅……?」
「あなたが亡くなった時の記憶です」
目深に被った帽子の奥で鋭い眼光がギラリと光る。
反動を伴い電車は停車した。ドアが開くとあたりは真っ白になった。
声をかけてきたのは電車の乗務員だった。わたしはビクリと肩を震わせた。
通学電車で、こんなことを初めて言われた。
切符? 何のことだろう?
慌てながら、乗務員の目の前に定期券を掲げた。
「ああ、これは定期券ですね。 乗車券はお持ちではないですか?」
さっきとは違い、少しだけ低い声だった。まるで相手を牽制するような凄みがあった。
深く被った帽子のせいで目が良く見えないが、ギロリと鋭い視線を向けられたように感じた。
悪いことなんてしていないのに責められている気分になる。体が熱くなり、ぶわっと額に汗が滲む。
とても居心地が悪い。
特急券がないと乗ってはいけない列車に乗り込んでしまった、そんな気分だ。
「あ、あの……、その……」
素直に「乗車券は持っていない」と言えばいいのに、すぐに言葉が出ない。
自分が置かれている状況がわからない。もやもやとした疑問がわたしの口をこわばらせる。
探し物なんてないのに、鞄の中を漁る。
特にこの場を助けるアイテムもなければ、気の効いた返答も思いつかない。ただ気まずい時間が数秒流れるだけで、ついに覚悟を決めた。
「……持ってません」
カタンカタンと電車の走行音が響く。ふたりの間に無言の時間があった。ほんの数秒だったけど、大分長い時間に感じられた。
「切符がないと回想電車には乗車できないのですが……」
沈黙を破った乗務員は口元が緩んでいて、苦笑したように見えた。
「回送電車だったんですか!?」
カイソウと言う言葉に慌てた。
どうやら乗車してはいけない電車に乗ってしまったらしい。
「いえ、カイソウ違いです。切符がないと乗車できない電車です」
苦笑いを交えながら、乗務員はさっきの言葉を繰り返した。声色からして、困った客だなと呆れているようだ。
「きっとどこかに乗車券が紛れているはずです。例えば、制服のポケットに……」
乗務員はスッと人差し指で、わたしのブレザーをさした。
その手は節ばっているけど、細くて長くて綺麗だった。
もしかしたら女の人なのでは?
見惚れてしまい、指先を目で追っていた。
顔を見上げると帽子から瞳がのぞいた。
闇夜に光る不気味な猫の目をしたその瞳に凝視され、わたしは凍りついた。全てを見透かすような鋭い視線にわたしのすべてが貫かれたような気がした。
「ポケットにありませんかね?」
「……あっ、はい」
乗務員はもう一度繰り返した。
声を聞いてやっぱり女性ではないと思った。
声は低く、男性みたいだ。この人が醸し出す違和感のせいか、声を掛けられる度に自分の思考が止まってしまう。
促されるまま、わたしはポケットに手を入れた。
切符なんて。そんなもの、あるはずはない。ブレザーのポケットには何も入れない主義だ。自分から何かを入れた記憶もない。
だけど……、指先になにかが触れた。
まさか。
ポケットの中に固い紙片がある。取り出すと、切符だった。買った覚えも、見た覚えもない。
表には『回想 没7月4日7時14分』と印字されている。
「そうです。 この切符です」
乗務員は切符を確認して、ニヤリと笑った。すごく不気味な笑みだった。
「では」
乗務員は帽子に手を添え一礼すると、背を向け立ち去ろうとした。先程までの部外者を追い出そうと敵視していた様子は消え、歓迎している雰囲気だった。
でも……。
状況がまったく理解できない。
切符に印字されている日時が表す意味は?
回想電車とは何なのか?
居心地の悪さを感じて、乗務員を呼び止めた。
「あの……!」
「はい? なんでしょう?」
「間違えて乗ってしまってすみません。どこで降りればいいでしょうか? もしかして、このまま車庫に行くんですか?」
乗務員は黙り込んでしまった。
切符を見せた後の穏やかな雰囲気は消え去り、冷たい空気が漂う。
「ふふっ。まだこの状況が飲み込めていないようですね……」
口の端を吊り上げた微笑を投げ掛けられる。寒くもないのに背中がゾクゾクっと震えた。
「この電車は特別です。生きているうちに乗ることがない電車ですから。人生の終わりに、今までの出来事が走馬灯のように駆け巡ると言いますよね? あなたは今、電車に乗って過去を旅しているんですよ」
わたしはハッとした。
うそ!? と、同時に、やっぱり! とも思った。
謎の切符。いつもと違う電車。
すべてがわたしのなかで繋がった。
カイソウとは過去を振り返る回想のことだった。わたしは今、死者が乗る回想電車に乗っているのだ。
「わたし、死んじゃったの!?」
「ええ。……北見朱音さん」
やっと理解したか。とでも言いたいのか、乗務員がニヤリと微笑んだ。しかも、みずから名乗っても居ないのにわたしの名を呼んで。
「7月4日7時14分に亡くなったあなたの魂を送り届けるのが私の仕事ですから。それはもうすでに決まっていました」
事務的に淡々といきさつを告げる乗務員の声は、右から左に通り抜けていく。
わたしが死んだ!?
いつ、どこで、どうやって?
まったく記憶にない。
生きた心地がしない。なんて表現があるが、同じく死んだ心地もわからない。今は生きている時と、何も変わらない。
わたしが本当に死んでいるとしたら、この瞬間あれこれ考えているわたしは何者なのだろうか。
わたしは至って冷静だった。冷静に状況を分析していた。
この状況は一体何なのか? 頭の中でぐるぐると思考が巡る。
何も言い出せずにいると、なだめるように乗務員が口を開いた。
「みなさん、ご自身が死んでいたことには気づかないものです。気づいたら死んでいて、ここにやってくるのです」
「……そういうものなんですか?」
すんなり状況を受け入れることができず、唇を噛む。
あなたは死にました。はい、そうですか。と、冷静に受け止められない。
死んだ実感がないので、この状況が理解できない。
乗務員は「困った客だ」と言いたげな顔をした。
困っているのはこっちの方だ。わたしはむぅと膨れ面をした。
「これはきっと夢です! だってわたし、どうやって死んじゃったのか、覚えてないもの!」
わたしは乗務員に食ってかかった。乗務員は座席から立ち上がろうとするわたしに両手をかざして、どうどうとなだめる。
その時だった。
ガタッと車両が大きく揺れた。ホームに入る前、ポイントを通過していく電車のようにギィーと音をたてながら、車体が軽く傾く。
いつにも増して、車体が傾いた時の力が身体にかかったように感じて怖くなり、鞄を抱える。
「どうしたんですか?」
「そろそろ駅に到着します」
「駅……?」
「あなたが亡くなった時の記憶です」
目深に被った帽子の奥で鋭い眼光がギラリと光る。
反動を伴い電車は停車した。ドアが開くとあたりは真っ白になった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
お母様と婚姻したければどうぞご自由に!
haru.
恋愛
私の婚約者は何かある度に、君のお母様だったら...という。
「君のお母様だったらもっと優雅にカーテシーをきめられる。」
「君のお母様だったらもっと私を立てて会話をする事が出来る。」
「君のお母様だったらそんな引きつった笑顔はしない。...見苦しい。」
会う度に何度も何度も繰り返し言われる言葉。
それも家族や友人の前でさえも...
家族からは申し訳なさそうに憐れまれ、友人からは自分の婚約者の方がマシだと同情された。
「何故私の婚約者は君なのだろう。君のお母様だったらどれ程良かっただろうか!」
吐き捨てるように言われた言葉。
そして平気な振りをして我慢していた私の心が崩壊した。
そこまで言うのなら婚約止めてあげるわよ。
そんなにお母様が良かったらお母様を口説いて婚姻でもなんでも好きにしたら!
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
蝶々結びの片紐
桜樹璃音
ライト文芸
抱きしめたい。触りたい。口づけたい。
俺だって、俺だって、俺だって……。
なぁ、どうしたらお前のことを、
忘れられる――?
新選組、藤堂平助の片恋の行方は。
▷ただ儚く君を想うシリーズ Short Story
Since 2022.03.24~2022.07.22
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる