生贄令嬢は怠惰に生きる~小動物好き竜王陛下に日々愛でられてます~

雪野ゆきの

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1巻

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   プロローグ 生贄いけにえ令嬢


「――お初にお目にかかります。リア・エスコッタと申します」

 初めて訪れた場所、初めて出会う人々の前でカーテシーの姿勢をとる。後ろにはここまで来る時に乗ってきた竜が座り込んでいて逃げられない。そもそもここは浮島だから飛び降りたら死んでしまうのだけど。
 侍女どころか知っている人間は一人すらいない。
 周囲から視線が刺さるのを感じる。
 こっそり視線を上げてみると、目の前の竜王陛下は、夜空のような濃紺色の髪に透き通ったコバルトブルーの瞳をした美しい人だった。瞳の奥が本当に星のようなきらめきに満ちているが、その視線は私の方を向いていない。
 ――竜王国で代替わりをしたばかりの竜王陛下。人間とは比べ物にならない力を持っているという彼らに何かでも一つ無礼があれば、私は殺されてしまうかもしれない。
 歓迎されていないのだろう、と思いながらも頭を下げ続ける。
 私は『貢ぎ者』としてここにやってきたのだから。帰ることなどもはやできないし、帰りたくもない。
 そう思いながら、私は自分がここに来ることになった理由を思い出していた。


   ◆◇◆


 典型的な悪徳貴族――私の叔父がドスンと書類の山を机に置く。

「これは明日までに。それからこの前の仕事には不備があったから今日は飯抜きだ」
「――かしこまりました」

 まるで召使いのように叔父に頭を下げる毎日。
 いつも通り逆らう気力もない私を見て、叔父はでっぷりと太った腹を撫でると満足げに頷いた。
 まあ、たとえ逆らっても怒鳴られ、結局は叔父の要望通りに仕事をするしかないので意味はない。今だって、私が少しでも反抗するような態度を見せたらわめき散らしてくるだろう。
 他に身寄りのない私はこの家にいるしかない。だけど、私は叔父に意見をすることすら許されてないのだ。
 ――はぁ、手にした書類は馬鹿みたいに重たい。お腹もすいたけれど、ご飯抜きを命じられてしまったから食事をとることもできない。
 私はよろよろと書類を部屋に持ち帰ってため息をつく。
 ドアの隣に置かれている鏡の中を見ると、くたびれた少女がこちらを見返していた。パサパサの白銀の髪とよどんだ紫の瞳。腰まで伸びた髪は伸ばしているのではなく、単純に切る暇がないから伸びてしまっただけだ。
 私は椅子に腰かけて、ペンを握った。
 嫌がらせなのか、素で忘れていたのかは分からないけど、毎度毎度ギリギリで大量の仕事を押し付けるのは止めてほしい。百歩譲って私が仕事をやるのはいいけれど、叔父は遊んでいるだけなのだから、せめて早く渡してほしい。
 それで仕事が遅れたら困るのは自分なのに、叔父にはそんなことすら分からないのだろうか。
 おかげで毎日寝不足でまともに休めたためしがない。叔父の代わりに書類仕事をして、酷使しすぎた私の右手薬指には立派なペンダコができている。これだけやっているんだからもうちょっと美味しいか量のあるごはんくらい欲しいところだ。
 くうくうと鳴るお腹を押さえながら、私は机に向かった。
 両親が行方不明になり、叔父に引き取られてからはずっとこんな日々だ。
 叔父ばかりか、叔父の娘である私の従姉いとこも同じように、私に粗末な食事を押し付ける。おかげでこの小さな体は全く成長しないままだ。
 他に行く場所もない私は、こんな日々がずっと続くのだと思っていた。
 勝手に私の部屋に入ってきた、従姉いとこの話を聞くまでは。


「――いけにえ」

 仕事を黙々とこなしている最中、突然部屋に入ってきた従姉いとこの発した言葉が信じられず、私は思わずペンを走らせていた手を止めた。
 艶のある赤髪をゆるく縦巻きにしている、キリッとした美人が腕を組んでこちらを見ている。私とは対照的なメリハリのある体型をしている彼女は、従姉いとこのエルゼリアだ。
 そして彼女はイラついたように先程の言葉を復唱した。

「そう。あなたは竜王陛下に差し出す生贄いけにえに選ばれたのよ。出立は明日になったそうだからさっさと準備なさい」
「……生贄いけにえ、とはもしかして竜王陛下への『貢ぎ者』のことでしょうか」
「そうとも言うわね」
「そうとしか言いませんよ」
「でもほんとのことじゃない」

 その呼び方は竜王国への不敬では? そう思って見上げるが、従姉いとこは全く悪びれない。
 この世界の空には竜人が住む竜王国が浮いていると言われている。竜人族は人のような見た目でありながら、人よりも圧倒的に強い。竜王を血筋ではなく武勇で選ぶことから、野蛮で冷酷な実力主義の国と言われている。しかし誰もその浮島どころか、その影すら見たことがない。
 そんな竜王国をべているのが竜王陛下だ。
 ただ、竜王国は非常に恐れられている。
 原因になっているのは『貢ぎ者』と呼ばれる慣例だ。
 竜王が代替わりした後、この国――人王国から竜王国の陛下に『貢ぎ者』として人王国の女性を差し出すことになっている。
 これは竜王国と私たちの住む人王国が共存するために定められた古くからのしきたりだそうだ。
『貢ぎ者』になるのは人王国の貴族か王族の、独身かつ年頃の少女と定められているが、なりたがる者はほとんどいない。
 慣れ親しんだ者達と離れ、単身で見知らぬ土地へと移り住まなければならない上、竜王国でどんな扱いをされるかも分からない。しかも竜王国よりも人族の王国の立場は圧倒的に低く、『貢ぎ者』は竜王国での待遇がどんなものであったとしても文句を言うことはできないのだから当然だ。また、この二国間の国交は、このしきたりを除くとほぼ皆無のため『貢ぎ者』となった娘が実家に文句を伝えようとしても不可能に近い。つまりは待遇がどのようなものかを伝えることすらできないのだ。それもかの国への恐怖を強めている。
 こうして、竜王国への『貢ぎ者』は人王国民の間でいつからか『生贄いけにえ』と呼ばれている。
 だがそれでも、『貢ぎ者』の実家に贈られる王室からの莫大な財を目当てに『貢ぎ者』として娘を差し出す家は存在している。
 それが、私が今お世話になっているこの家だったというわけだ。
 すべてが呑み込めて、私はこくりと頷いた。

「――それなら準備をしなければなりませんね」
「あら、嫌がらないのね」
「もう決まっている話を今さら嫌がってもしょうがないでしょう」

 きっともう国王陛下に承認されている話だ。今さら私がどうこう言ったところで変更されるわけない。
 貴族なら結婚相手を親に決められるのはある種当然だし、反抗したところでいいことなんて一つもない。
 ため息交じりにそう言うと、従姉いとこが小さく鼻で笑う。

「まあ、リアならそう言うと思ってたわ。はい」

 そう言った従姉いとこに一抱えほどの小包を投げ渡されて首を傾げる。思わず受け止めてしまったそれは布で包まれていて柔らかい。

「これは?」
「私からのせんべつよ。役に立つか立たないかは貴女あなた次第だけど」
「……ありがとうございます」

 一応お礼を言っておいた。頭を下げると、従姉いとこは満足そうに頷いている。
 傲慢で常に私から何かを奪おうとしている叔父とは違い、彼女は時折気まぐれのようになにかを寄越した。今日もその一環でしょう。

「しっかし、あなた本当にボロボロね。私が言うのもなんだけど、もうちょっと身ぎれいにしてから明日は出掛けなさいね」

 本当に従姉いとこが言うことではない。誰のせいでこんなにボロボロだと……。確かにほとんどは体罰を与えてきたり、衣服のほとんどを売り払ったりした叔父のせいなんだけれど。
 従姉いとこの嫌がらせは食事を制限してくることくらいだからまだマシだ。それに、悪意たっぷりで嫌がらせをしてくる叔父と違って彼女からは悪意をあまり感じない。
 そんなことを考えていると、従姉いとこはもう用は済んだとばかりにこちらに背中を向けて、ヒラヒラと手を振った。

「まあ殺されないようにがんばりなさい」
「は、い……」

 それだけ言うと、彼女は私の部屋から出ていった。文句を言う隙もない。しかしここで文句を言ったところでどうにかなるわけでもない。
 ……さて、もう夜も遅いし、急いで支度をしないと。
 そう思いながらそっと従姉いとこのくれた包みを開くと、メイド服が入っていた。
 ……メイド服? 命乞い代わりに働く宣言でもすればいいんでしょうか。
 少なくともあの叔父からは解放されるらしい。竜王国で酷使されるのとどっちの方がましだろう、と思いながら私は、残る書類をまとめ始めた。


 そして翌日、私はまとめた荷物を持って屋敷を出た。大した量はない。昨日従姉いとこに渡された包みが一つに、なんとか着られるレベルの衣服をかき集めた着替え程度だ。
 玄関の前には叔父や従姉いとこが立ち、その奥には屋敷の使用人がズラリと並んでいる。流石さすがに今日くらいは見送りをしてくれるらしい。
 私は屋敷と叔父達の方を振り向き、深々と礼をした。足を引き、粗末なドレスの裾を持ち上げる。

「……今まで大変お世話をいたしました。どうか没落しないようお気をつけください」

 私の精一杯の嫌味だ。もう会うことはないだろうし、最後くらいは言わせてほしい。

「な⁉」
「あっはははははははは!」

 すると、私の言葉に叔父は絶句し、従姉いとこは声を上げて爆笑した。
 特にお世話になった記憶はありませんからね。本来叔父がやるはずだった仕事のほとんどは私がやっていたわけですし。

「さ、さっさと行ってしまえ! お前のようなバケモノは生贄いけにえになるのがふさわしい!」
「ええ、承知しております」

 これ以上言うこともないので、私はもう一度だけ軽く頭を下げるとさっさと迎えの馬車に乗り込んだ。
 これから一度王宮に向かい、そこから竜王国に行く。竜王国は空に浮かんでいるので、王宮からは迎えの竜に乗っていくそうだ。原理も何も分からないが、とにかく竜王国とはとんでもないところなのだと再度実感する。
 もしかしたら死んでしまうかもしれないけど、叔父の怒鳴り声をもう二度と聞かなくていいのは正直嬉しいかもしれない。
 ……案外、何の感慨もないものですね。
 そう思いながら馬車の窓から、流れていく外の景色を無感動に見つめる。
 それから休憩もないまま馬車は走り続け、到着したとぎょしゃから声がかかるまで馬車内には沈黙だけがあった。
 馬車の扉が開いても誰も手を貸してくれなかったので落下するように馬車から降りる。するとそこは王宮だった。白亜のお城に、の咲き乱れる庭。しかし、今まで見たことがなかった王宮に感動する暇もなく、国王陛下と対面させられてしまう。
 またぎこちなく礼をすると、陛下は何も言わずに中庭の奥を指さした。
 するとそこにはとてつもない大きさの竜がいた。

「あれが……」

 本当に竜って存在したんですね。
 初めて竜を見た感想は……うん、とにかく大きいです。鱗は硬くて分厚そうだし、翼はあの巨体を浮かせるだけあってとても立派だ。そして、その背中にはくらのようなものがついている。
 もしかしなくても、陛下の後ろにいるあの背の高い青年が乗ってきたんだろう。
 きっとあの方が竜人族の方ですね……
 しかし物語に登場する冷酷で恐ろしい天上の国に住まう竜人……とはどこか印象が違う。
 かなり体格がいいこと以外は、人族との違いは見受けられないし、彼は私を見て微笑みさえした。
 国王陛下は彼に何やら話し掛けた。すると竜人の青年は陛下に一礼し、すぐにこちらに向かってずかずかと歩いてくる。
 間近で見ると迫力がすごい。

「リア・エスコッタ様ですか?」
「はい」
「承知いたしました。それでは早速我が国へ参りましょう。あちらの竜へお乗りください」

 竜に乗るように促される。展開が早すぎませんか?

「あの、陛下にご挨拶とか……」
「我々には必要ございませんから」
「あ、そうですか……」

 そう言われてしまえば何も言えない。
 荷物と私自身、そして竜人のお兄さんが竜に乗り込むと、あっという間に竜の巨体は空へと舞い上がった。
 その後のことは、正直覚えていない。記念すべき初飛行だったけど、落とされないようにしがみついているだけで精一杯だった。


   ◆◇◆


 そして、今に至る。
 無言の竜王陛下の前に立ち、震える足で必死に体を支えカーテシーの姿勢を保つ。
 いまだにやめていいという言葉がない。
 チラリと目線を上げてうかがい見ると、陛下もその後ろにいる人達もなんだか唖然としている。
 みんな固まっていて言葉も発していない。それどころか瞬きをしているかも危うい。
 私の目の下には消えないくまが張り付いているし、お世辞にも優れた容姿とは言えない。こんなのを『貢ぎ者』に寄越したことをもし叱責されるのであれば――、大変申し訳なく思う。
 そんなことを考えつつ、私は必死に足の震えをドレスの生地の下に隠す。
 もしかしてこれが竜王国流の見極めなんだろうか。屈強な足腰がないと『貢ぎ者』としてすらダメ、というような。
 まあ、郷にりては郷に従え。それが竜王国流なら頑張って耐えきらなければ。
 そう思って、耐えること十数分――
 ――あ、限界がきました。
 決意もむなしく、私の体はあっさりと限界を迎えた。私の足からカクンと力が抜け、そのままぺしゃんと地面に座り込んでしまう。
 中庭の整えられた花壇を横目で見る余裕すらない。
 カーテシーって結構きつい体勢だったのだ、と初めて知った。急いで立ち上がろうとするけど足がプルプル震えて上手く立てない。まさか生まれたての小鹿にこんな共感する日がくるとは……
 とりあえずドレスの裾を直し、みっともない見た目になることを避ける。
 それから立ち上がってもう一回……? それも難しい……と思っていると、目の前に立っていた竜王陛下達が一斉にハッとした顔になった。
 あれ? やっぱりみんなしてボーっとしてただけなのでしょうか。試されていたわけではない?
 どうしよう、と迷っていると、竜王陛下が足音も荒く私の方に歩いてきた。
 不敬だとののしられるのか、それとも不出来すぎると地上に戻されるのか――
 殴られると思ってとっに防御姿勢をとると、竜王陛下の手は私の背中と膝の裏に回った。
 次の瞬間、足が地面から浮く。
 こ、これは、抱き上げられてるんですか⁉
 動揺する私をよそに竜王陛下は大きく息を吸うと言った。


「城にあるありったけのクッションを用意しろ‼ マッサージが得意な者もすぐここに!!!」

 キーン、と空気の割れる音。竜王陛下は、城中に響き渡りそうな声でそう叫んだ。叫んだというか、もうえたというのに近い。ほうこうです、ほうこう
 そして私の耳もお亡くなりになりました。
 あまりの衝撃に、生理的な涙が目からにじむのを感じる。すると焦ったような声が隣からかかった。
 ちらりと見ると、私を竜に乗せてくれたお兄さんだ。

「陛下、姫様の耳元でそんな大きな声を出されたら……!」
「あ」

 彼の言葉に陛下がやってしまった、みたいな声を出すがもう手遅れだ。
 鼓膜どころか頭の奥まで震えてしまって、くらくらする。
 視界がブラックアウトする寸前、一瞬だけ竜王陛下と目が合った。深い深い青の瞳だ。

「――!」
「――⁉」

 なにか言われていたようだけど、結局私がその意味を理解することはなかった。



   第一章 生贄いけにえですが、甘やかされています。


「……ん」

 あったかい。ぬくぬく。久々によく眠れた気がする……
 私はフカフカの何かの上で寝がえりを打って、スゥっと目を開いた。
 知らない天井だ。――って、そうだ、私。『貢ぎ者』なのに倒れてしまいました! 
 慌てて体を起こす。するとまたふんわりとした地面が私を受け止めて――

「え」

 周囲の状態をあらためて認識して、思わず声が漏れる。
 私の周りにはベッドから溢れんばかりのフカフカクッションが積まれていた。全部ヒラヒラが付いていたり、薄ピンク色だったりと乙女仕様だ。
 そして、私が寝ているベッドの周りは白いカーテンで覆われている。
 あ、もしやこれは噂に聞くてんがい付きのベッド? 従姉いとこが欲しがっていましたね。
 私はどうやら気絶した後、日頃の寝不足がたたってスヤスヤと寝ていたようだ。気絶してしまったのは竜王陛下の大声で脳味噌を揺らされたせいだろう。竜人と私達ただの人間では身体能力に大きな差があるとは聞いていましたけど、まさかこんなことになるとは……
 無理やり体を伸ばすと、ごきりと音がした。それに、気付けば私はボロボロのドレスから着心地のいいワンピース型の寝巻に着替えさせられている。
 これもまたメルヘンチックな可愛らしいデザインだ。
 モゾモゾと大きなベッドの端まで行き、ベッドを覆うカーテンを少しだけ開いて外を覗く。

「あ」

 女の人と目が合った。その女性は私を視界に映すなり目を真ん丸に見開くと、ワタワタと手を動かし始めた。

「へ、へいか――むごっ!」

 何かを叫ぼうとした彼女の口を、隣にいたメイドさんが手で塞いだ。

「こらアリサ! また姫様を気絶させるつもり⁉」
「ハッ! 申し訳ございません!」
「あ、いえ。そんな謝られるようなことでは……」

 アリサと呼ばれたメイドさんは勢いよく私に頭を下げてきた。そんなちょっと大声を出そうとしたくらいで謝られても……というか、姫様? きょろきょろと見回しても、自分とメイドさん達以外には誰も見当たらない。
 そうこうするうちに、もう一人のメイドさんはきりっとした声でドアを指さした。

「陛下に姫様が目覚めたと報告してきてちょうだい」
「はい!」

 アリサさんは返事をすると、部屋から走り去っていった。
 ……では、もしかして姫様って私のことですか?

「えっと……」
「姫様、少しお声がれてらっしゃいます。まずはどうぞこちらで喉をうるおしてくださいませ」
「あ、ありがとうございます」

 あ、やっぱり「姫様」とは私のことを指しているみたいだ。そんな身分じゃないので恐れ多いやら気恥ずかしいやら。それよりも一体この待遇はどういうことだろう。想像していたものをはるかに超えて甘く優しい竜人さん達からの扱いに戸惑ってしまう。
 恐る恐る彼女からコップを受け取り、口をつけた。程よく冷えていて、ほんのりハチミツとレモンの味がしてとてもおいしい。……家ではこんなもの、飲んだこともありませんでしたね。
 思ったよりも喉が渇いていたらしく、一気に一杯分飲み干してしまった。

「これ、とてもおいしいです」
「ふふっ、それはよかったです。おかわりはいかがですか?」
「あ、はい、お願いします」

 メイドさんにもう一杯注いでもらうと、私はそれもまた一気に飲み干した。
 それにしても、どうしてこんなに喉が渇いてるんだろう。私が倒れたのは正午くらいだったし、窓の外を見ても夕方にはなっていないようだからまだそんなに時間は経ってないはずなのに。
 首を傾げていると、察したメイドさんがその疑問を解消してくれた。

「姫様は丸一日寝ていらしたのですよ」
「……へ?」

 聞き間違いですかね?
 私が理解できていないと見るや、メイドさんは優しく微笑んで丁寧に復唱してくれた。

「姫様がお倒れになったのは昨日のお昼でございます」

 なんと。衝撃の事実に目をしばたたかせると、ドアが勢いよく開いた。

「起きたのか!」

 竜王陛下だ。メイドさんは陛下の姿をみとめると、すぐに私からコップを受け取って後ろに控える。すると陛下は大股で私のすぐ目の前までやってきて屈み込んだ。慌てて起き上がろうとすると、そのままで、と言うように首を横に振られた。

「昨日は本当にすまなかった。もう痛い所などはないか?」
「は、はい! むしろよく寝たのでここ最近で一番体調がいいくらいです」
「それはよかった」

 私の返答に、陛下はほっとしたように笑った。
 じょうの笑顔は破壊力が高い。瞬きを繰り返すと、さらに陛下に微笑まれる。
 私はびっくりするほど整った顔の陛下に恐る恐る声をかけた。

「……ところで陛下」
「なんだ?」
「一つだけお聞きしてもいいでしょうか」
「一つと言わずなんでも聞いてくれ」

 陛下は快く私の申し出を了承してくれた。じゃあ遠慮なく聞こう。

「どうして陛下達はずっと小声で話されているのでしょうか」

 そう、最初に思わず大声を出そうとしたアリサ以外、みんなコソコソ話をする時のような小声で話しているのだ。
 昨日は普通の声――どころか滅茶苦茶大声を出していた気がするんですけど……

「……いや、だって俺達が普通に話したら君は弱ってしまうんだろう……?」

 すると陛下はやはり小声で、眉尻を下げながらひそひそ声で私の耳に囁いた。低めの声が耳に注がれて、ひえっとなりながら首を振る。

「……いえ、普通の音量でしたら私は死にも弱りもしませんよ」
「そうなのか?」
「陛下、もしかしたら耳元でのほうこうが特別悪かったのではありませんか?」

 陛下についてきた男の人がそう陛下に耳打ちする。
 そうです! その通り!
 にしても、やっぱりほうこうで合ってたんですね。竜人にはそういう技があるんでしょうか。
 こくこくと頷くと、私を見た陛下が重々しく頷いた。

「確かにな。俺達も耳元でほうこうされることは好まない」
「はい」

 いや、あれが『好まない』で済むってすごいですね。竜人は鼓膜まで頑丈なのでしょうか。
 しかもあのほうこう、超音波みたいな感じで脳まで揺らしてきましたよ。とはいえ、そんなことを言うわけにいかず黙っていると、陛下はわずかにため息をついてこちらを見た。

「なるほど、俺が悪かったな」
「左様ですね」
「ああ……すまない」

 お兄さんは陛下の言葉にさらっと頷いているし、陛下は私を見てしょんぼりと肩を落としている。
 陛下の素直な謝罪に腰を抜かしそうになる。
 これが竜王国の通常なんでしょうか……、常に「自分は貴族だから」と言って偉そうだった叔父とは全然違う。

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