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第97話 お返し

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「ゆーうきくん。試合、お疲れ様!」

 たたたっ、と小走りに駆けてきた小悪魔こと愛は、優樹に背中に抱きついた。

「おい、お前ら離れろ」

 誠司に優樹、優樹に愛がくっついたことで、三人が連なる。
 誠司がようやく引っ剥がすと、そのやり取りを見ていた男が驚いた様子で口を開いた。

「なんだ、優樹が言ってたコーチ候補ってのは、兄ちゃんのことだったのか?」

 作業着を着た、白髪が混じる短髪の中年男性。誠司と同じ工場で働き、毎度誠司の給料を奪っていく前田である。
 近くにいたようだが、テレビのニュースと優樹に気を取られていたため、全く気が付かなかった。

「うおぉ⁉︎ なんでお前がここに⁉︎ え、優樹くんと知り合いなのか? あっおい! また金盗ろうってんじゃないだろうな! 誠司に近付くなよ!」

 琥珀が勢いよく吠えると、前田は「元気な犬だな」と言って、鞄から厚みのある茶封筒を取り出した。

「あ、忘れないうちに。兄ちゃん、ほら」

 誠司はポンッと渡された茶封筒の中を取り出すと、大量の諭吉とこんにちはする。

「え、これ……」

「全部で百五二万。耳揃えて返したぜ。いやあ、五年も借りちまって、悪かったなぁ」

 誠司も琥珀も、予想外の展開に言葉を失っていた。まさか、出勤のたびに誠司の半分以上の給料をかっぱらっていくこの男に、返す意思があったなんて。

「なんだよ。合ってるだろ? ちょろまかしてねぇぞ! ちゃんと借りた金額はメモしてたからな」

「あ、いや。返ってくるとは思ってなかったんで」

 毎週五千円、八千円と奪われ続けて五年だ。合計金額など、誠司だって把握していない。

「は⁉︎ 返すから貸してくれって言ったろうが! おま、じゃあ何か? 俺が盗ると思ってたのか? かー、信じらんねぇ。ん、いや、でもそもそも俺のせいか」

 腕を組んで考える前田は、非は自分にあると答えを出したようだ。

「兄ちゃんも、金ない中で悪かったな。実は借金が返済出来たっつーか、過払いだったらしくてよ。ほら、最近ニュースでやってるだろ? 高橋っつー悪徳金利屋。うちもあいつにやられてたんだ。んで、金返す必要がなくなった上に、いくらか返金されたから兄ちゃんに返しにきたんだよ」

 ずいぶん遅くなっちまったが、金が手に入って一番に来たから勘弁してくれよな、と、大口を開けて笑う。

「そうだ、優樹。さっきの話だが、優樹が野球を教えてもらった相手は、兄ちゃんのことだったのか?」

 優樹は頷いて、誠司の指導力を熱弁し始める。前田と優樹の関係性が分からずにいると、それに気付いた優樹が紹介してくれた。

「あ、すみません。僕の同級生が野球チームのエースピッチャーをしてるんですけど、そのお父さんが前田さんです」

「ははっ、こんなことあるもんなんだな! 兄ちゃんがコーチ、いいじゃねぇか!」

 前田は誠司にがっと肩を組み、いつから指導に来てくれるのかと予定を聞く。

「い、いや、俺は」

「なんだ? チームの指導は嫌なのか?」

 ホームレスが少年野球のコーチなんて保護者が許すはずがないと、断りを入れれば、前田は「なんだそんなこと」と誠司の背中をばんばんと叩いた。

「兄ちゃんなら、信用出来る」

「え?」

「工場でみんな手抜いてサボってる中、兄ちゃんが毎日真面目に働いてるとこ、何年見てると思ってんだ」

 それに優樹とのやり取りをずっと見ていたと言って、前田は続けた。
 ぽかんとしている誠司のことなどお構いなしだ。

「兄ちゃん、ずっと優樹の心配しかしてなかったな。自分を犠牲にしても、生徒優先! おいおい、指導者の鏡じゃねぇか。大事な子どもを預けるなら、あんたみたいに生徒思い
な奴がいい。保護者には俺からも説明する。断る理由がそれだけなら、うちのチーム強くするために、力貸してくれねぇか? 工場より、これもいいぜ?」

 前田はにっと八重歯を見せて、親指と人差し指で輪っかを作り、お金のジェスチャーをする。

「な、頼むよ兄ちゃんいいだろ?」

「誠司さん、とりあえず模擬指導でもいいんです」

「おお。さすが優樹、名案だな! それなら兄ちゃんもいつでも出来るだろ。いつにする?」

 完全に前田の独壇場であり、優樹も前田と一緒になって攻撃の手を休めない。
 さらに愛という伏兵もいて、総攻撃を受けた誠司は圧倒的敗北だった。

 誠司の記念すべき初指導日は、明後日の土曜日だ。ほとんど三人が決めたようなものである。

「じゃ、兄ちゃん。また後でな」

 約束を取り付けると、前田はひらひらと手を振って、先に工場へ入っていく。
 茶封筒を手に、立ち尽くす誠司を見て、琥珀は笑い声をあげる。

「いやぁ誠司、あのおっさんと相性悪いな」

「……話すといつも、あの人のペースになんだよ」

「でも、良かったじゃん。仕事見つかってさ」

 少年野球のコーチ。未来ある少年たちの成長を手助けする職業だ。面倒見がよく、実は熱血漢な誠司によく合っている。

「俺が……また野球を。琥珀、お前の力すげぇな」

 驚いている誠司に、愛は首を振って、琥珀を抱き上げる。

「ううん。おじさんの人柄よ?」

「は?」
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