上 下
55 / 99

第54話 キャッチボール①

しおりを挟む

 危惧していた集会は結果的に、行って良かったと言える時間になった。
 むしろ、容姿というコンプレックスを克服した琥珀の視界は、以前よりも明るい。

 琥珀は澄んだ青空を見上げながら、ご機嫌に商店街からの帰路を歩いている。
 もうすぐ年の瀬ということで「年越し蕎麦が食べたい」と、何気なくした琥珀の申請が通ったのだ。

「俺、年越し蕎麦初めて」

 ひと玉20円の蕎麦をみっつと、ボトルに入った薄めずに使えるストレートタイプのつゆだけ購入して、誠司と帰宅しているところだ。
 かけ蕎麦だが、今は節約生活中だ。鍋で熱々になった蕎麦は、十分美味しいだろう。


 
「あっ」

 帰り道の途中で、知った顔を見かけて、琥珀が立ち止まる。
 琥珀の視線を辿った誠司もまた、その人物達に気が付いたらしい。

「愛ちゃんだ! 優樹くんもいる」

 商店街通りのすぐそばに公園がある。遊具は、錆びれたブランコと滑り台だけ。
 他には、鬼ごっこは難しいが、縄跳び等の道具遊びなら、なんとか出来そうな広場がある。
 そこに愛達の姿があったのだ。

 二人は一緒にいるが、同じことをしているわけではない。
 優樹は古過ぎて誰も寄り付かないトイレを壁にして、野球のボールを投げていた。それを愛が、タピオカを片手に眺めている。


「わーなんか……」

 めちゃくちゃなフォームで力一杯に投げつける優樹のボールは、至る方向へ跳ね返り、優樹のもとへは戻ってこない。

「一生懸命、だよな!!」
「ああ、下手くそだな」
「おい、誠司!」

 あまりにも必死な表情で優樹が投げているから、琥珀もオブラートに包んだというのに。誠司には優しさというものが足りない。

「いや、でもまあ……」

 確かに、誰がどう見ても下手だ。
 本人は真剣なのだろうが、毎回投げる位置が違う。だから、高さも左右にもばらつきしかない。
 きっとこのまま、何時間投げ続けようとも、それほど上達はしないだろう。


「そういや誠司、昔野球やってたんだろ?」

 二ヶ月ほど前に、商店街で誠司の同級生に出会った時。確か、俊とかいう失礼な男は、そう言っていた。
 誠司の実力は知らないが、野球の強豪校にいたというのなら、それなりに出来ると考えていいのだろう。

「……だからなんだ」
「教えてやったら?」
「断る」

 少しも悩む素ぶりがないほど、即答だった。

「なんでだよ」
「嫌だからだ」
「だってさ、あれ見て何も思わねぇの?」

 本人は至って真面目なのだろう。大真面目に、へなちょこのボールを投げている。
 それほど離れた距離から投げていないのに、どうしてそうも方向が定まらないのか。

「おじさーん、琥珀ー」

 向こうも、琥珀たちの存在に気が付いたようだ。愛は名前を呼んで、手を振っている。
 おいでおいでと、手招きされたそれに誘われて、琥珀は愛のもとへ向かう。誠司も渋い顔をしながらも、ついて来た。


「あ、こんにちは。お久しぶりです」
「優樹くん久しぶりだなー!」

 琥珀が駆け寄れば、優樹は壁当てを中断し、居住まいを正して頭を下げる。
 なんだろう、やはり彼の所作には少年感がまるでない。愛とはまた違った雰囲気で、大人びた少年である。


「今ね、野球の練習してるのよ」
「野球は体育の時間でもなかったから、初めてなんですけど……難しいです」

 この真冬に大粒の汗をかきながら、優樹くんは苦笑する。
 仲の良い友達が辞めて寂しいから来て欲しいと、友人に頼まれて、優樹は少年野球チームに入ったらしい。
 だが、チームはすでに出来上がっていて、それなりに強いチームだった。メンバーは、小学校入学と共に、野球を始めた子ばかりだったそうだ。

「みんな、僕に優しくしてくれるけど申し訳なくって」

 そんな中で、小学五年生で急に野球を始めた優樹がついていけるはずもなく。
 こうして、一人で練習に励んでいるわけだ。

「ねぇおじさん、野球してたんでしょ? 教えてくれない?」

 誠司が野球をしていたという発言は、なかなか強烈に愛の記憶に残っている。
 今では無気力極まりないおっさんが、過去とはいえ、スポーツに勤しんでいる姿が想像出来ないのだ。

「無理だ」

 先ほど交わしたやり取りをもう一度するのかと、誠司はしかめっ面を見せるが、少年少女の引きは思ったよりも早かった。

「そっかー、残念」
「いえ、そんな! 大丈夫です、出来ない僕が悪いので」

 あっさりと手助けを諦めた二人に、少々拍子抜けする。琥珀だけが、まだ少し納得しかねているようだ。
 練習を再開した優樹に、琥珀はもどかしそうにその場をうろついていた。

「俺が手伝う!」

 三球分のストックを持っている優樹のボールは、三回投げたらなくなり、すぐに拾いに行かなくてはならない。
 見ていられなくて、琥珀は散らばっているボールを拾いに行く。

「はい、ボール」
「えっ……ありがとう」

 優樹のもとへボールを運んでやれば、照れの混じった笑顔を向けられる。
 愛の容姿があまりに天使的な愛らしさだったため、影に埋もれていたが。
 優樹も優樹で、相当整った顔立ちをしていた。少しタレ目なところが、彼の優しい雰囲気を引き出している。将来きっと男前になるだろう。


「……おい」
「なぁにおじさん」
「あいつは、いつからああしてんだ」
「優樹くん? もう五時間ぐらいかな」

 愛の隣に腰を下ろしていた誠司だが、表情は見る度に険しくなっていく。
 あさっての方向にボールを投げる優樹と、甲斐甲斐しくボールを拾いに行く琥珀。
 十分ほどこの光景を眺めていたが、まるで上手くなる兆しがない。再現を見ているようだ。

「……お前が、相手してやればいいんじゃないか。壁じゃ的がでか過ぎる。キャッチボールの方がいい」
「うーん、私もそう思ったんだけど」

 見てて、と立ち上がった愛は、琥珀を呼び寄せてボールを受け取った。

「おじさん、行くよ」
「は? おい」

 少し離れてから、振りかぶった愛は、誠司に向かってボールを投げる。
 そう。投げた、はずだった。
 誠司に飛んで行くはずのボールは、愛の目の前で地面に叩きつけられて、ほぼ真上にバウンドする。

「とった!」
「ナイスキャッチ」

 ぱくりと、高く上がったボールをジャンピングキャッチした琥珀に、愛が拍手を送る。
 そして、愛の視線は誠司へと向けられた。

「どう?」
「天才か。何をどうやったらそうなんだよ」
「優樹くんとキャッチボール、出来なかったの」
「だろうな」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

幾久しくよろしくお願いいたします~鬼神様の嫁取り~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
キャラ文芸
「お前はやつがれの嫁だ」 涼音は名家の生まれだが、異能を持たぬ無能故に家族から迫害されていた。 お遣いに出たある日、涼音は鬼神である白珱と出会う。 翌日、白珱は涼音を嫁にすると迎えにくる。 家族は厄介払いができると大喜びで涼音を白珱に差し出した。 家を出る際、涼音は妹から姉様が白珱に殺される未来が見えると嬉しそうに告げられ……。 蒿里涼音(20) 名門蒿里家の長女 母親は歴代でも一、二位を争う能力を持っていたが、無能 口癖「すみません」 × 白珱 鬼神様 昔、綱木家先祖に負けて以来、従っている 豪胆な俺様 気に入らない人間にはとことん従わない

秘伝賜ります

紫南
キャラ文芸
『陰陽道』と『武道』を極めた先祖を持つ大学生の高耶《タカヤ》は その先祖の教えを受け『陰陽武道』を継承している。 失いつつある武道のそれぞれの奥義、秘伝を預かり 継承者が見つかるまで一族で受け継ぎ守っていくのが使命だ。 その過程で、陰陽道も極めてしまった先祖のせいで妖絡みの問題も解決しているのだが…… ◆◇◆◇◆ 《おヌシ! まさか、オレが負けたと思っておるのか!? 陰陽武道は最強! 勝ったに決まっとるだろ!》 (ならどうしたよ。あ、まさかまたぼっちが嫌でとかじゃねぇよな? わざわざ霊界の門まで開けてやったのに、そんな理由で帰って来ねえよな?) 《ぐぅっ》……これが日常? ◆◇◆ 現代では恐らく最強! けれど地味で平凡な生活がしたい青年の非日常をご覧あれ! 【毎週水曜日0時頃投稿予定】

高尾山で立ち寄ったカフェにはつくも神のぬいぐるみとムササビやもふもふがいました

なかじまあゆこ
キャラ文芸
高尾山で立ち寄ったカフェにはつくも神や不思議なムササビにあやかしがいました。 派遣で働いていた会社が突然倒産した。落ち込んでいた真歌(まか)は気晴らしに高尾山に登った。 パンの焼き上がる香りに引き寄せられ『ムササビカフェ食堂でごゆっくり』に入ると、 そこは、ちょっと不思議な店主とムササビやもふもふにそれからつくも神のぬいぐるみやあやかしのいるカフェ食堂でした。 その『ムササビカフェ食堂』で働くことになった真歌は……。 よろしくお願いします(^-^)/

虐殺者の称号を持つ戦士が元公爵令嬢に雇われました

オオノギ
ファンタジー
【虐殺者《スレイヤー》】の汚名を着せられた王国戦士エリクと、 【才姫《プリンセス》】と帝国内で謳われる公爵令嬢アリア。 互いに理由は違いながらも国から追われた先で出会い、 戦士エリクはアリアの護衛として雇われる事となった。 そして安寧の地を求めて二人で旅を繰り広げる。 暴走気味の前向き美少女アリアに振り回される戦士エリクと、 不器用で愚直なエリクに呆れながらも付き合う元公爵令嬢アリア。 凸凹コンビが織り成し紡ぐ異世界を巡るファンタジー作品です。

キャラ文芸 コミュ症はスーパーヒロイン(一般作)

ヒロイン小説研究所
キャラ文芸
キャラ文芸にして、キャラに深みをもたせました。

ハピネスカット-葵-

えんびあゆ
キャラ文芸
美容室「ハピネスカット」を舞台に、人々を幸せにするためのカットを得意とする美容師・藤井葵が、訪れるお客様の髪を切りながら心に寄り添い、悩みを解消し新しい一歩を踏み出す手助けをしていく物語。 お客様の個性を大切にしたカットは単なる外見の変化にとどまらず、心の内側にも変化をもたらします。 人生の分岐点に立つ若者、再出発を誓う大人、悩める親子...多様な人々の物語が、葵の手を通じてつながっていく群像劇。 時に笑い、たまに泣いて、稀に怒ったり。 髪を切るその瞬間に、人が持つ新しい自分への期待や勇気を紡ぐ心温まるハートフルストーリー。

よんよんまる

如月芳美
キャラ文芸
東のプリンス・大路詩音。西のウルフ・大神響。 音楽界に燦然と輝く若きピアニストと作曲家。 見た目爽やか王子様(実は負けず嫌い)と、 クールなヴィジュアルの一匹狼(実は超弱気)、 イメージ正反対(中身も正反対)の二人で構成するユニット『よんよんまる』。 だが、これからという時に、二人の前にある男が現われる。 お互いやっと見つけた『欠けたピース』を手放さなければならないのか。 ※作中に登場する団体、ホール、店、コンペなどは、全て架空のものです。 ※音楽モノではありますが、音楽はただのスパイスでしかないので音楽知らない人でも大丈夫です! (医者でもないのに医療モノのドラマを見て理解するのと同じ感覚です)

結婚式の晩、「すまないが君を愛することはできない」と旦那様は言った。

雨野六月(旧アカウント)
恋愛
「俺には愛する人がいるんだ。両親がどうしてもというので仕方なく君と結婚したが、君を愛することはできないし、床を交わす気にもなれない。どうか了承してほしい」 結婚式の晩、新妻クロエが夫ロバートから要求されたのは、お飾りの妻になることだった。 「君さえ黙っていれば、なにもかも丸くおさまる」と諭されて、クロエはそれを受け入れる。そして――

処理中です...