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文化祭とクリアリーブル事件。
文化祭とクリアリーブル事件⑭
しおりを挟む放課後 沙楽学園1年5組
授業を全て終え、文化祭の準備も今日すべきことは一通り終わり、生徒たちがそれぞれの目的地へと向かって行く中、5組には二人の影だけが残っていた。
夕日に優しく包まれながら、今日も彼は一生懸命練習に励んでいる。 文化祭まで残り一週間となり、そろそろ劇を最初から最後まで通したいところだ。
立ち位置を確認しなければならないし、衣装を着ての練習にも慣れておかなくてはならない。 衣装は物作り係の中から、女子が手作りで作ってくれたそうだ。
結人は演劇部の女子から考えてほしいと言われていたシーン以外、全ての台詞は一応頭に入っていた。 あとは前後の台詞の人と上手く繋げられるか、といったところだ。
考えてほしいと言われたシーンを早く手を付けないといけないと思ってはいるが、考えれば考える程劇の内容とは全く関係のないことを考えてしまいなかなか進まない。
クリアリーブル事件のことや椎野のことなど、色々だ。 こんな調子では、本番までには考えられそうにない。 それまでには、流石に何とかしなければ――――
「お、俺は、強くなる・・・! 人に何と、言われようとも、俺の意志は、絶対に、変えないぞ・・・!」
頑張っている彼を見ると、何故かホッとしてしまう。 “追い込まれているのは自分だけではないんだな”と、思えるから。
―――・・・まぁ、そんなことを考えるなんて最低だけどな。
彼は台詞を発するのはゆっくりだが、今では噛まずに言えていた。 あとは少しでも感情を込めて発言をしてもらえれば、もっといいのだが。
そして彼は、台詞を徐々にだが憶えていた。 日に日に家で憶えてくる台詞の量が多くなっているのだ。 だけどそんな彼には申し訳ないが、結人には思っていることが一つあった。
―――こんな感じだけど、本当に本番までには間に合うのかなぁ・・・。
他の生徒は自分の台詞をしっかりと憶えられていた。 憶える量が少ないという理由もあるが、他の生徒は完璧に仕上がっている。
仲のいい友達と台本を持たずに練習している光景をよく目にしているから、きっと彼らは大丈夫だろう。
だからそろそろ彼の方も、台本を持たず劇に立たせてやりたいと思っていた。 剣の方も彼一人では練習しているが、誰とも一緒に練習していないため距離感など何も掴めていない。
―――さて・・・これからどうするか。
だが真面目な彼のことだ。 本番までにはきっと、完璧にしてくるのだろう。 結人もそんな彼に見習って、自力で台詞を考えないといけない。
「そろそろ日が落ちる。 今日はもう帰ろうか」
切りのいいところでそう声をかけ、彼が頷くのを確認してから共に教室を後にした。
文化祭で活躍をする美術部やダンス部など、日が落ちそうになっても皆完成に向けて頑張っている。
彼が練習を終えて『帰りたい』というまで教室に残っていてもいいのだが、流石に結人でもそこまで彼の責任を持つことはできなかった。
立川は賑わっていて、街にはたくさんのカップルが見受けられる。 女子は彼氏であろう男子の腕に絡み付き、綺麗な笑顔を彼氏に向けていた。
―――放課後デートか。
―――羨ましいぜ。
そんなことを思いつつ、彼の方へ目を移した。 だがいつもと様子が違う。 普段は早く家へ帰って練習をしたいというように、彼からは僅かだが情熱的なオーラが感じられた。
だけど今の彼は、何か様子が変だ。 先程からずっと俯いていて、すれ違う人と何度もぶつかったりぶつかりそうになったりを繰り返している。
「どうした? 櫻井。 何かあったのか?」
その様子を見ているだけでは我慢できず、直接尋ねてみた。 すると彼は、次にとんでもないことを口にしたのだ。
彼はすぐには発言せず、しばらく躊躇っていた。 だが結人が黙って返事を待っていると、彼はやっと口を開き小さな声でこう言葉を紡がせる。
「俺・・・主役を、降りたい」
―――・・・は?
「ッ、おい、ふざけんなよ! 今更何を言ってんだ! 文化祭まで残り一週間なんだぞ!」
そう――――彼は突然『主役を降りたい』と言い出したのだ。 今から役を変えるわけにもいかないし、ましてや主役は輝ける役だが剣さばきも難しく台詞も多い。
そんな大量な台詞を今から憶えられる生徒なんて当然いなく、それよりも主役をやりたいという生徒すら見つからないだろう。
―――櫻井は今まで練習を頑張ってきた。
―――なのにどうして、主役をやりたいという熱い気持ちが櫻井からなくなってしまったんだ!
思ってもみなかった発言に結人はその場に立ち止まり、思わず彼に強く当たってしまった。 だけど結人は、その興奮はすぐには治まらない。
「主人公は・・・色折くんの方が、向いている」
「は? 何を言ってんだよ、今更そんなの無理だ。 主役の台詞なんて憶えられっこねぇだろ!」
―――どうにかして、櫻井をまた主役をやりたいという気持ちに戻さないと。
主役を押し付けてこようとする彼に、結人は断固として拒んだ。 どうしても主役は彼にやらせたかったのだ。
この気持ちはいつもからかっている男子たちとは違い、彼には変わってほしくて主役を是非やってほしいという気持ちだった。
だが彼はそんな簡単には引き下がらず、自分の思いをゆっくりとした口調で結人に主張をし続ける。
「でも、執事コンテストの時、ちゃんと台詞を憶えられていたでしょ?」
「はぁ? あんなもん全てアドリブだ! 台詞は完璧になんて憶えてねぇよ」
「でも・・・そのアドリブスキルがあれば、大丈夫だよ」
彼は本当に主役をやりたくないのか、無茶苦茶な発言を言い出した。
「何だよ、アドリブスキルって・・・」
これ以上主役を強く否定しても無理だと思い、一度深呼吸をして自分を落ち着かせる。 そして今の思いを、彼に向けて丁寧に綴った。
「・・・あんな、櫻井。 文化祭まで、まだ一週間もあるんだ」
「・・・」
彼の反応を確認しつつ、自分の思いを更に紡いでいく。
「だから今、そんなに心配する必要もねぇし不安がる必要もねぇ」
実際のところ、先刻までは心配だった。 このままの調子で本当に大丈夫なのかな、と。 だが大丈夫かどうかは彼自身によって左右される。
だから彼が頑張るという意志があれば、どうにだってなることだ。 だけどこれ以上頑張れないと言うのなら、きっともう無理なのだろう。
だが結人は、どうしても彼に主役をやってもらいたく、説得させる言葉を言い続けた。
「・・・でも」
「櫻井は、主役を任せられたんだろ? クラスのみんなは、主役をお前に推薦してくれたんだ」
どうにか説得させるような発言をしたが、彼はそれでも諦めなかった。 そして彼は自虐的に笑いながら、続けて静かにこう口にする。
「・・・いや。 俺を、推薦したみんなは・・・。 俺が主役になって、だけど実際主役に向いてなくて、駄目駄目になっている、俺の姿を見て・・・楽しみたいだけなんだ。
だから・・・俺なんか、やっぱり主役には向いていなかったんだよ」
―――・・・そのことについては、言われなくても俺は分かっていたよ。
直接本人には言えないが、どう見ても彼は主役をやるようなタイプではない。 なのにどうしてそんな彼を推薦するのだろうと考えたら、彼の言った通りにしか考えられなかった。
―――だけど俺は、そんな櫻井だからこそ、頑張って主役をやってほしいんだ。
一人で落ち込み何の取り柄もない自分に絶望を感じている彼に対し、結人は優しい口調でこう返した。
「何を言ってんだよ、櫻井。 今まで主役の練習を頑張ってきたじゃねぇか。 俺はずっと、お前の頑張りを見てきたんだ。 櫻井の頑張りは偽りじゃない。
俺は目の前で見てきたんだから。 だから絶対にいける。 お前の努力は、必ず報われる。 だから櫻井をよくからかっているアイツらに、ギャフンと言わせてやろうぜ?
折角櫻井は、主役という素晴らしい役をもらったんだからさ」
そこで一度言葉を切り、改めて彼の方へ目を向けた。 そして続けて、更に言葉を紡ぎ出す。
「だから、これからも俺と一緒に頑張ろう? 櫻井には、俺がちゃんと付いているから」
笑顔で結人はそう口にした。 そして少しの間を開けて、彼も続けて言葉を発する。
「俺、は・・・一人じゃ、ない・・・?」
「あぁ、一人じゃない」
「俺、は・・・主役、できると、思う・・・?」
「あぁ、思う」
そこまで言うと彼はしばし黙り込んだが、急に結人の方へ顔を向けてきた。 その突然の行為に驚くが、それよりもっと驚いたことがある。
だって――――今の彼の表情は先程とはまるで違い、活き活きとしていたのだから。
「・・・うん。 俺、頑張ってみる。 ・・・ここまで来たから、主役を・・・やり切りたい」
結人はその言葉を凄く嬉しく思い、大きな声で言葉を返した。
「おう! その意気だ! 明日も頑張ろうな? 俺も、一緒にいてやるからさ」
「・・・うん!」
そう言って、笑顔で頷いてくれたのだ。 これで彼はまた、主役をやる気になってくれた。
―――よかった。
結人の中には、その一言しかなかった。 とにかくよかった。 彼がまた、頑張る気になってくれて。
この後は互いのことを話しながら、彼を家まで送った。 辺りは既に暗く、クリアリーブル事件が起きる前でギリギリセーフといったところだ。
「じゃあ、また明日な」
「また明日。 今日はありがとう、色折くん」
「おう」
彼を無事に送り終え、結人はポケットに手を突っ込み携帯を手に取った。 そしてそのまま、ある仲間に電話をかける。
「・・・もしもし? 真宮か? 今櫻井を家まで送った。 ・・・あぁ。 じゃあゲーセン前で集合な。 ・・・おう、また後で」
この後は休む間もなく、真宮と立川のパトロールだ。 彼と待ち合わせ場所のゲームセンターへと、今度は足を運ぶ。 櫻井の家は住宅街にあり、少し街から離れていた。
そのせいか、ここは人通りが少なく街灯もあまりない。 だからクリアリーブルにとっては襲うのにもってこいの場所だ。
とにかく今日は、櫻井がまた主役をやってくれる気になってくれてよかった。 別に自分が主役になってもよかったと思うが、ここは我慢だ。
主役という一番輝けるポジションを彼に譲った。 自分よりも、今の彼の方が実際輝いているから。
そんなことを考えながら道を歩いていると、一人でいる人と何度もすれ違った。
―――・・・あぁいう奴が、クリーブルの被害者となるんだよな。
そんな彼らを横目で見ながら、今度は歩道橋へと足を運ぶ。 そこを超えて少し歩いたらすぐに街だ。 もうすぐで真宮に会える。 そう思いつつ、街へ向けて足を進めた。
そう言えば今日は夜月に藍梨を任せたが、今頃彼らは何をやっているのだろうか。 そう言えば椎野は、今頃大丈夫なのだろうか。
そう言えば未来は、今頃ちゃんと大人しくしているのだろうか。 色々なことを思い出しそれらが頭を何度も行き交う中、結人は歩道橋を下る。
街灯がないせいか、真っ暗で何もかもが見にくかった。 そのため、足元に注意を払いながら歩いていく。 それに、ちょっとした音すらも聞こえない。
身体を容赦なく吹き抜ける冷たい風の音だけが、結人の耳には届いている。 その時、再び櫻井のことを思い出していた。
明日からの練習は、もう少しペースを上げた方がいいのだろうか。 でないと、少しギリギリかもしれない。
かといって、急がせるわけにもいかない。 彼のペースで進んでもらわないと、また今日みたいになってしまうかもだから。
―――でもまぁ、櫻井は俺のことを信頼してくれているみたいでよかっ・・・た・・・え?
―トス。
その軽い音が耳に届いてきたのと同時に、結人は不思議な錯覚に陥った。 言葉では上手く伝えられない。 今、自分の身に起きていることがよく理解できないでいた。
ただ一つ言えるのは、視界が先程と比べてほんの少し変わっているのだということ。 周りが暗過ぎてよく見えないのだ。 そしてもう一つ、感じる取れることがあった。
それは、自分の身体が今とても軽いということ。 つまり――――
―――俺は今・・・飛んでいる?
そう――――結人は今、誰かに背中を押され、そのまま階段のある地面へと向かって飛んでいるのだ。 この歩道橋は都会のせいかとても高い。
だからもちろん階段は何十段もある。 下りを半分くらいまで降りたところで、突然視界が変わったのだ。
背中を押されこのまま階段へと転がり地面に叩き付けられると確信した時には、もう既に自分ではどうすることもできなかった。
段差があるせいで上手く手をつくことはできない。
―――どう・・・して・・・!
地面に叩き付けられる直前に、最後の力を振り絞って自分を押した相手の方へと顔を向けた。
―――まだこんなところで終わりたくねぇ。
―――明日の櫻井との約束はどうなるんだよ?
―――未来と夜月の喧嘩だって、まだ解決できていない。
―――椎野の見舞いにだって、まだ行けていない。
―――それにまだ、クリーブル事件のことだって・・・!
今更押した相手に手を出せるわけでもなく言葉すら発する時間もないため、思い切り相手を睨み付けた。
今の思い全てを、目だけでアイツに――――訴えるように。
―――ふざけん、なよ・・・ッ!
―ドス、ドスドス。
結人は真正面から階段に叩き付けられ、残りの段を無様な姿で転がりながら地面へと到着した。
そして――――先程とは違った鈍い音と共に、結人の意識は遠のいていく。
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