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「ピウス、ここで大人しく待っててな」
「いってきますね」

『ブルル……』
 渡船場の近くの水場で馬車を停め、僕とマイカはコーエン夫妻の家に向かった。

「ん? 灯りが点いてる……誰か来てるのかな」
「ミレイさん達じゃないですか?」

「そっか……ごめん、マイカ。念のため僕が先に行ってみる」
「え、でも……」

「大丈夫、念のためだから。もし、僕が戻らなかったらすぐにピウスに乗ってバートンさんを呼んでくれる?」
「やっぱり私も一緒に……」

 マイカが不安げな顔で僕を見つめる。
 風で銀髪が靡く。
 僕はマイカの口元にひっかかった一筋の髪の毛を、そっと耳にかけ直した。

「心配ないよ。こう見えて鍛えてるからね」
 少しふざけて見せるが、マイカの顔は晴れない。

「……」
「危ないと思ったら必ず逃げるから。約束する、ね?」

「……はい」
 やっと頷いたマイカにそっとハグをしてから、僕はコーエンさんの家に向かった。


 家に近づくと妙な気配に気付く。
 何だろう……この緊張感というか張り詰めた空気は。

 昔、父と森で大きな手負いの熊と出くわしたことを思い出した。
 あの時と同じだ……。

 どうする、引き返してマイカとバートンさんを呼びに戻るか。
 それとも中の様子だけでも探っておくべきか……。

 木陰に身を隠し、家の外観を観察する。
 父が口うるさく言っていた。

『観察しろ、シチリ。見えているようで人は何も見えていない』

 僕は大きく深呼吸をした。
 心をフラットにして、ただ目の前の光景を注意深く観察する。

 石造りの平屋……入り口側に窓がひとつ……扉は木製……。
 家の周囲の地面に少し踏み荒らしたような跡……茂みが建物の裏手にかけて広がっているようだ。

 ――あれは?

 茂みの中に何かが落ちている。

「オレンジ……?」

 僕はさながら猟で獲物を追うときのように、気配を殺しながら茂みに近づく。
 近くで見ると、それはやはりオレンジだった。

 なぜこんな場所に一個だけ……。
 不思議に思い周囲を見渡すと、少し離れた場所に紙袋とワインの瓶も転がっていた。

「なぜこんなところに……」

 もしかして、ヘンリーさんが持って来たお土産⁉
 だとすれば家に入る前に何かあったのだろうか……。

 僕は正面に回り込み、そっと窓から中を覗いてみた。

「――⁉」

 中にはミレイさんとモーレスさんのふたりが縛られたまま床に転がっていた。
 口には猿轡をされ、顔には明らかに殴られたような跡があった。
 慌てて入り口のドアを開け、中に入る。

「モーレスさん! ミレイさん!」
 ふたりは横になったまま動かない。

「今、外しますから!」

 そう言って、ふたりのところへ行こうと足を踏み出した瞬間――、男の声がした。

「せっかく縛ったものを外されると困ってしまいます」
「⁉」

 咄嗟に振り返り、壁際に身を寄せて身構える。

「反応がいいですねぇ。君も見た目より強そうだ」

 長い黒髪の男……祭司服?
 どうして祭司様がここに……。

 祭司が黒縁眼鏡の位置を直すとレンズに光が反射した。

「私は大聖堂で祭司を努めているミハイルと申します……。はて、君は何をしにここへ?」
「ふ、ふたりをこんなにしたのは祭司様ですか?」

「質問をしているのは私なのですが……いいでしょう、お答えします。ええ、そうですよ。二人を拘束したのは私です。ですが、勘違いしないでいただきたい、これは大聖堂の意志であり、何よりも優先されるべき事由なのです」
「罪なき人を苦しめるのが? そんな馬鹿な!」

 ミハイルが入り口の扉を閉める。
 入り口の壁に穴が空いているのが見えた。

「私はある人物を探しています。君はこれをご存じですか?」

 祭司服のポケットから、薬瓶を取り出して僕に見せた。
 あれは――⁉

 僕の作った薬だ……間違いない。

「おや、その顔は何か知っているようですね?」
「その薬が……何だって言うんです」

「なるほど、君が薬師でしたか……」
 ミハイルが不気味な笑みを浮かべながら前に出る。

「え……」
「私はこれが"薬"だとは言っておりません」

 サッと血の気が引いた。
 どうしよう、何がなんだか……。

「作ったら何だって言うんですか? 薬は皆の役に立つものです!」
「ええ、もちろん。これがなら――の話ですが」

「どういう……」

 口を開きかけた瞬間、ミハイルは僕の真横に立っていた。
 い、いつの間に⁉

「お聞きしたいことがあります」
「ぐっ⁉」

 腕を取られ、背中の方へねじり上げられる。
 肩に激痛が走り、片膝を床についた。

「あれを作ったのはあなただけではありませんね?」
「な、何を……」

 腕をねじり上げる手に力が加わる。

「ぐあああっ!」
 猛烈な痛みが襲ってくる。

「痛むでしょう? あなたが素直に話してくだされば、こんなことをしなくても済むのです」
「ぼ、僕が作ったんだ!」

「やれやれ、そこのふたりといい、あなたといい、どうしてこの町の住人は反抗的なのか……」
「し、知らない! 僕が作ったものを作ったと言って何がいけないんです!」

 ミハイルが大きなため息をつく。
 そして、僕は意識が飛びそうになるくらいの激痛に襲われた。

「ああああぁっ!!!」

 ゴギッという鈍い音が響く。
 だらんと垂れ下がった右腕。指の感覚がなかった。

「あ……ああ……うぐ……」
「さあ、言いなさい。誰がいたのですか?」

 マイカの顔が浮かぶ。
 こんな痛みが何だ……死んでも言うもんか。

 今頃、マイカがバートンさんを呼びに行っているはず……、もう少しの辛抱だ。

「し、知るもんか……」
「……そうですか」

 左腕を掴まれ、同じようにねじり上げられる。

「うわぁああ!」

 頬が床に付く。
 ワックスの匂いがした。

 向こうに横たわるふたりと目が合う。
 眉をしかめ、辛そうな瞳を向けるふたりに、僕は精一杯大丈夫だと目で訴えた。

 負けない……。

 たぶんミハイル祭司は、ヘンリーさんの言っていた禁忌の森の監視人だ……。
 マイカを見つけたら、きっと……。

「知るもんかぁーーっ! 僕は、僕は何も知らないぞ!」
 腹の底から叫んだ。

「困りましたね……君はずいぶんと我慢強い。では、他人の痛みならどうでしょうか?」

 僕の手を離すと、ミハイルはミレイさんの側に行った。

「や、やめ……」
「まずは彼女から――」

 ゴッ! という籠もった音が響く。
 ミレイさんの頭をミハイルが踏みつけていた。

「やめろ!」

 ミレイさんの鼻から血が流れ出した。

「どうですか? 少しは気が変わりましたか?」
「……ミ、ミレイさん……う、うぅ……」

「さぁ、言いなさい。あの薬は誰と作ったのですか?」
「……」

「参りましたねぇ……ではこっちの男はどうでしょう」

 ミハイルはモーレスさんの顔を躊躇なく蹴り始めた。

「や、やめろ! やめてくれ!」
「なら、いい加減言いなさい。彼らの命はあなたが握っているのですよ?」

 だ、駄目だ……見殺しにはできない。
 でも、それでも、マイカだけは……。

「僕を……僕を代わりに殺せばいいだろ!」

 ミハイルが足をとめ、眼鏡の位置を直して僕に向き直った。

「これはね、君の命を賭けて済む話ではないんですよ」

 ゆっくりとミハイルが僕に近づいてくる。
 その時、入り口の扉がゆっくりと開き、一番見たくない顔が覗いた。

「シチリ……?」
「く、来るなぁーーーーーっ!!!」

 そう叫んだ瞬間、目の前が真っ暗になった。
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