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第一章
ウィンローザ家の使用人 1
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「――un, deux, trois、un, deux, trois!」
ダンス講師を務めるルーカスが叩くリズムに合わせて、私は懸命にステップを踏んでいた。
「un, deux, troi……ほらリリィ! また足っ!」
ルーカスの鋭い声が、鏡張りのホールに響いた。
私は額に汗を滲ませながら、何度も鏡に映る自分の動きを確認する。
「そこまで!」
ルーカスが大きく手を叩く。
私は足を止め、呼吸を整えた。
ウェーブの掛かった黒い長髪を後ろで一つに束ねたルーカスが、目尻に皺を寄せて微笑む。
その細面で、中性的な顔立ちからは想像もつかないほど均整の取れた身体を見ていると、さすがは元王立劇場舞踏団のプリンシバルを努めていただけのことはある、と感心すると同時に、さぞや若い頃は浮名を流したのだろうな……と、あらぬ妄想をしてしまう。
「うん、かなり良くなった、もう誰の前に出ても恥はかかないだろうね」
「……これじゃヴィリアに勝てない」
ルーカスの言葉に、私はハンカチで汗を拭いながら呟く。
「おいおい、ヴィリアに勝とうだなんて正気かい?」
ストレッチをしながら、ルーカスはからかうような笑みを浮かべた。
「うぅ……ひどい」
「はは、悪かったよ、そんなにむくれないで」
「ルーカスは、ヴィリアの若い頃を知ってるんでしょ?」
私が聞くと、ルーカスは誰もいないホールを見て目を細めた。
「ああ、あの頃のヴィリアは、まるで妖精のようだった。彼女が踊るとね……こう、会場が輝き始めるんだ。男達は皆、その光に夢中になっていたよ」
「モテたんだ……」
「そんな生易しいものじゃなかったよ、それこそ戦争さ――かく言う私も戦った一人だけどね」
ルーカスは懐かしそうに微笑む。
「でも、ヴィリアはなぜ社交界を去ったのかな……」
「……それはヴィリアにしかわからない。ただ、その選択のお陰で、彼女の最期に立ち会うことができたし、こうしてリリィにも出会えた」
「……うん、そうだね」
ヴィリアの最期は、私にとって理想だった――。
その昔、『霧』と呼ばれ暗躍した元諜報員の執事、アルフレッド・オールドミストを始めとする、ウィンローザ侯爵家のちょっと訳ありな使用人達。
衣装番、ルーカス・シュナイダー、料理番、ジョン・カイエン、金庫番、ロイド・ヴァレンタイン――そして、花売りの孤児だった私。
ヴィリアの最期を看取った面々は、実に曲者揃いだ。
そんな家族同然の彼らと共にベッドを囲み、私はヴィリアにありったけの謝意と敬愛を注いだ。
自分の愛する者達に見送られる――、それほど理想的な旅立ちがあるだろうかと、ヴィリアの最期は、幼かった私の死生観を変えた。
憂いを含んだ瞳で、虚空を見つめるルーカス。
彼もヴィリアの最期を思い出しているのだろう。
私はルーカスの広い背中にぎゅっとハグをした。
ちょうど腰の上辺りに顔が当たり、ルーカスは、ぽんぽんと私の手を優しく叩く。
「リリィは優しいね、ヴィリアと大違いだ」
「もう、ヴィリアに怒られちゃうよ?」
「あはは、そうだね――ごめん、ヴィリア! 今のは忘れて!」
ルーカスが天に向かって拝んだ。
「ふふ、ヴィリアぜーったい怒ってるよ?」
「え⁉ それはマズいな……」
私達の笑い声がホールに響く。
彼女の死を共有できる家族をくれたヴィリアに、私は心から感謝した。
「ん、そろそろ時間だよリリィ、ロイドが待ってる」
「はーい、じゃあ、ルーカス先生、ご指導ありがとうございました」
私は姿勢を正し、丁寧にお辞儀をする。
「いいえ、こちらこそありがとうございました」
目を細めたルーカスがお辞儀を返した。
ダンス講師を務めるルーカスが叩くリズムに合わせて、私は懸命にステップを踏んでいた。
「un, deux, troi……ほらリリィ! また足っ!」
ルーカスの鋭い声が、鏡張りのホールに響いた。
私は額に汗を滲ませながら、何度も鏡に映る自分の動きを確認する。
「そこまで!」
ルーカスが大きく手を叩く。
私は足を止め、呼吸を整えた。
ウェーブの掛かった黒い長髪を後ろで一つに束ねたルーカスが、目尻に皺を寄せて微笑む。
その細面で、中性的な顔立ちからは想像もつかないほど均整の取れた身体を見ていると、さすがは元王立劇場舞踏団のプリンシバルを努めていただけのことはある、と感心すると同時に、さぞや若い頃は浮名を流したのだろうな……と、あらぬ妄想をしてしまう。
「うん、かなり良くなった、もう誰の前に出ても恥はかかないだろうね」
「……これじゃヴィリアに勝てない」
ルーカスの言葉に、私はハンカチで汗を拭いながら呟く。
「おいおい、ヴィリアに勝とうだなんて正気かい?」
ストレッチをしながら、ルーカスはからかうような笑みを浮かべた。
「うぅ……ひどい」
「はは、悪かったよ、そんなにむくれないで」
「ルーカスは、ヴィリアの若い頃を知ってるんでしょ?」
私が聞くと、ルーカスは誰もいないホールを見て目を細めた。
「ああ、あの頃のヴィリアは、まるで妖精のようだった。彼女が踊るとね……こう、会場が輝き始めるんだ。男達は皆、その光に夢中になっていたよ」
「モテたんだ……」
「そんな生易しいものじゃなかったよ、それこそ戦争さ――かく言う私も戦った一人だけどね」
ルーカスは懐かしそうに微笑む。
「でも、ヴィリアはなぜ社交界を去ったのかな……」
「……それはヴィリアにしかわからない。ただ、その選択のお陰で、彼女の最期に立ち会うことができたし、こうしてリリィにも出会えた」
「……うん、そうだね」
ヴィリアの最期は、私にとって理想だった――。
その昔、『霧』と呼ばれ暗躍した元諜報員の執事、アルフレッド・オールドミストを始めとする、ウィンローザ侯爵家のちょっと訳ありな使用人達。
衣装番、ルーカス・シュナイダー、料理番、ジョン・カイエン、金庫番、ロイド・ヴァレンタイン――そして、花売りの孤児だった私。
ヴィリアの最期を看取った面々は、実に曲者揃いだ。
そんな家族同然の彼らと共にベッドを囲み、私はヴィリアにありったけの謝意と敬愛を注いだ。
自分の愛する者達に見送られる――、それほど理想的な旅立ちがあるだろうかと、ヴィリアの最期は、幼かった私の死生観を変えた。
憂いを含んだ瞳で、虚空を見つめるルーカス。
彼もヴィリアの最期を思い出しているのだろう。
私はルーカスの広い背中にぎゅっとハグをした。
ちょうど腰の上辺りに顔が当たり、ルーカスは、ぽんぽんと私の手を優しく叩く。
「リリィは優しいね、ヴィリアと大違いだ」
「もう、ヴィリアに怒られちゃうよ?」
「あはは、そうだね――ごめん、ヴィリア! 今のは忘れて!」
ルーカスが天に向かって拝んだ。
「ふふ、ヴィリアぜーったい怒ってるよ?」
「え⁉ それはマズいな……」
私達の笑い声がホールに響く。
彼女の死を共有できる家族をくれたヴィリアに、私は心から感謝した。
「ん、そろそろ時間だよリリィ、ロイドが待ってる」
「はーい、じゃあ、ルーカス先生、ご指導ありがとうございました」
私は姿勢を正し、丁寧にお辞儀をする。
「いいえ、こちらこそありがとうございました」
目を細めたルーカスがお辞儀を返した。
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