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バウムクーヘンを捧げよ

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――翌日。

目的地の最寄り駅は、西武新宿線の下井草駅だ。
本人は気にする様子がないが、シルフィと電車に乗ると目立って仕方が無い。

特に男性からの視線は異常だ、熱を帯びすぎている。
お陰で一緒にいる割には、俺に対して敵意を向けてくる輩は殆どいない。
皆、シルフィの顔面を拝むのに必死なのだ。

駅を降りると、ドラッグストアやコンビニ、カフェなどが並ぶ小さな商店街があった。
都内とは思えないローカル感にホッとする。

「お! 森田、ツルヤドラッグがあるぞ! ヘアパック買え、捧げろ」
「今じゃなくていいだろ? ったく、行くぞ」
「ぐ……エルフは綺麗好きなんだっ! ヘアパックは我の生命線だというのに……」
「もー! わかった、買うから後でな! 今買っても帰りに買っても一緒だろ⁉」
「言質は取ったからな」
「……」

そう言って、するりと俺に腕を絡ませてくる。
もう慣れたが、エルフってのは距離感が人間と違う。
ボディタッチも多いし、俺も最初は勘違いして戸惑ったもんだ。

「おい、アレ見ろよ、羨ましい」
「すげー美人、俺エルフって初めて見た」
「飯田橋にもいるらしいぜ」
「マジ? 今度……」

すれ違ったお兄さん達が皆、羨ましそうに俺を見る。
ええ、わかります、わかりますよ、その気持ち。
俺もそう思っていた時期がありました……。

「森田、暇だな、何かネタやれ」
「俺は芸人じゃねぇ!」
「つまらん男だ……知ってるか? 人間がつがいを選ぶ時は外見よりもを重視すると言っておったぞ?」
「俺にユーモアを求めるな」
「ははは! やはり森田は面白いな!」
「何もしてねぇよ」

折笠さんに描いてもらった地図を頼りに、俺達は現場に向かった。


 * * *


「あそこに見える青い壁のマンションが、折笠さんの住んでいるマンションだ」
「ほぅ、悪くない住居だな」

車一台が余裕を持って通れるくらいの道沿いにマンションは建っていた。
周りには、路駐のトラックやゴミ置き場、時間制の駐車場、民家の庭木、隠れようと思えばいくらでも隠れる場所がある。

「ふむ……確か、帰り道につけられたと言ってたな?」
「ああ、多分、この道の事だと思うよ」

シルフィはまるでテレビドラマの探偵のように、腕組みをして顎に手を当てる。

「森田、ヒントを出せ」
「は?」

「いや、だから、こういう時はヒントが出るもんだろう? 大体いつもそうだぞ? お前のスマホが鳴って新展開に繋がったり……」
「テレビ見すぎなんだよ! あればフィクション! なの!」
俺が突っ込んでいると、シルフィが突然手を向けた。
「ちょっと待て――」
「何だよ?」

「あいつは誰だ?」

見ると、目の前の電柱に隠れてマンションを見上げている男がいた。
もう、誰が何と言おうと怪しさしかない、見事なまでの不審者だ。

「マジかよ……」
「はははは! 因果律の存在が証明されたな! 我の日頃の善行がこの結果をたぐり寄せたのだ。さ、森田、捕まえてこい。デウス・エクス・マキナの加護があらんことを」
「ちょ……無茶言うなよ! まだ犯人と決まったわけじゃねぇだろ!」
「アホなのか? 隠れて折笠のマンションを見ているのだ、あいつに決まってるだろう⁉」
「ばっ……声でけぇよ」

俺達の声が聞こえたのか、男が振り返った。
数秒、目が合ったまま、互いにフリーズしていたが、急に男が走り出した。

「あ⁉ ちょ……」
「ほら行け森田! 逃がすな!」
「あーもう! どうなっても知らねぇからな!」

俺は覚悟を決めて男を追いかけた。

「――って、遅っ⁉」
数メートルも走らないうちに捕まえてしまった。

男の顔には、まだあどけなさが残っている、恐らく二十歳前後だろう。
栗色の髪に洒落っ気のあるパーマを掛けている。
ゆったりとしたTシャツにワイドパンツ、靴は有名スポーツブランドのスニーカー。
大学のキャンパスに居そうな量産型の好青年だ。

俺は男のシャツを掴んだまま、
「あのー、ちょっとお伺いしたいことがあるんですが……」と訊ねてみた。
「ハァ、ハァ……な、なんでしょうか……ハァ、ハァ」

息を切らしながら男が答える。

「あの、向こうのマンション見てましたよね? 何か御用があるんですか?」
「ハァハァ……ノーコメントで……ハァハァ」
「は?」

「ハァハァ……ノーコメントです」
「あ、うん、聞こえてはいるんだけど……」

「ハァハァ……良かったです……ハァハァ」
「ハァハァしすぎじゃない?」

「ハァハァ……それもノーコメントでお願いします」
「……」

これがジェネレーションギャップって奴なのか?
いやいや、俺だってまだ25だけど……。

だが、俺には友達がいない。
世間の同年代がどういう会話をして、何をして遊んでるかなんて想像もつかない。
もしかして、世の中こういうものなのか……?

と、そこにゆっくり歩きながらシルフィがやって来た。

「やったな森田、お手柄だ。おい、真犯人、折笠を知っているな?」
「え⁉ お、おりちゃんの友達……ですか?」
「友達ではない契約者だ。さあ、神妙にお縄を頂戴しろ! このくされ外道がぁっ!」

突然キレたシルフィに、俺と男は完全に引いた。

「ちょ、もう、お前黙ってろよ。話がややこしくなるわ」
「なぜだ! これが犯人逮捕の定石という奴だろう? 違うのか?」

俺はシルフィを無視して男に言った。

「僕たちは折笠さんから頼まれて、この辺りを調べてたところだったんですよ」
「……調べる? おりちゃんに何かあったんですか⁉」

んー、ここはハッキリ言って反応を見てみるか。

「実は最近、誰かにつけられているらしくてね」
「えっ⁉」

男は驚いた様子で、何か考え込んでいる
 

「何か心当たりでも?」
「い、いや、僕もおりちゃんが心配で……夜は遠くから見守ったり、家の周りに変な奴がいないか見張ってたんです。そうか……やっぱり、おりちゃん可愛いからそういう被害に……」

「……」

あれ? 犯人って……こいつだよな?

 
 * * *


「森田ぁー、麦茶」
「自分で取れよ! お前、朝から動いてねぇぞ⁉」

シルフィはゲームのコントローラーを持ったままソファに沈んでいる。

「仕方がないだろう、今日中にレベル50に乗せるとリリスに約束しているからな」
「誰だよリリスって……ったく」
「誰って、おま……この大魔道士シルフィ・アイリスヴェルダ率いる『奈落の牙』のメンバーに決まっているではないか⁉」
「お前のパーティーなんて知らねぇよ! オンゲやる前に仕事しろ!」

俺はシルフィの横にあるサイドテーブルに麦茶を置いた。
その時、玄関の呼び鈴が鳴る。

誰だ? N○Kか?

「はーい、テレビは持ってませーん」

玄関の戸を開けると、そこには手提げを持った折笠さんが立っていた。

「あ、どうも……」
「あの、先日はお世話になりました、これ、約束のお礼です」

折笠さんは可愛らしい笑みを向けながら、手提げを俺に差し出す。
おぉ……バウムクーヘンだ。
既に美味しそうな匂いがするぞ……。

「ほほぅ、これが噂の……」
「お、お前、いつの間に⁉」

シルフィが鼻をスンスンさせながら、隣に立っていた。

「あ、シルフィさん、本当にありがとうございました!」

折笠さんが丁寧に頭を下げる。

「よいよい、我はバウムクーヘンがあれば文句はない、そういう契約だ」
「ちゃんと有名店のを選んで来ましたから、ぜひお二人で召し上がってください」

シルフィは「うむ」と、ご満悦の表情で手提げを持って家の中に戻っていった。

「あの、良かったら一緒にどうです?」

折角、知り合った可愛い女性を逃すわけにはいかない。
これがきっかけで……何てことも無いとは限らないからな。

「あ、いえ……その、彼が待ってますので」
「え……?」

そう言って、折笠さんは恥じらいながら少し離れた場所に目を向ける。
するとそこにはあの、ストーカー男が立っていた。

「あ⁉ あの男は⁉」
「じ、実は……その、彼は私入っているサークルの先輩で、ずっと片思いだと思ってたんですけど……どうやら先輩も私のこと気になってくれてたみたいで……」

「じゃあ、ストーカーじゃなかったってこと?」
「結果的にはそうなりますね。今回の件で、お互いの気持ちがわかったんで、付き合うことになりました……お二人のお陰ですっ、えへ」

――不思議だ。
ほんの数分前の俺なら、恋に落ちていたかも知れない笑顔。
だが、今の俺の心にはさざ波ひとつ立たない!

「あ、そうですか。それは良かったですー、彼にもよろしくお伝えくださいねー、では」
「あ、あの……」

俺はぴしゃりと戸を閉め、リビングに戻る。
何だったんだこの不毛な時間は……まあバウムクーヘンで矛を収めるとしよう。

「おい、シルフィー、紅茶でも淹れ……」

そこにはバウムクーヘンが鎮座してたであろう台紙と、僅かな残りカスが散らばっていた。

「お、おい……本体は? バウムクーヘンの本体はどこだ!」

見るとシルフィはコントローラーを握ったまま、目を閉じて瞑想にふけっている。

「おい! バウムクーヘンは!」
「まさに我にふさわしい供物……かの禁断の果実の如き芳醇な旨味よ……」

「全部喰いやがった! こ……の、ク○エルフがぁーーー!!!!」
「いちいち声を荒げるなやかましい! 瞑想ができんだろうが! ほら、バイトの時間が迫ってるぞ、働かざる者喰うべからず、この世界の掟だろうが!」
「それを言うならお前も働け!」

俺は肩で息をしながら、泣く泣くバウムクーヘンの台紙を片付ける。
くそっ……。

テーブルの上を掃除して、俺はバイトへ行く支度をする。

「クソが! 行ってくる!」
「おい、森田、そう怒るな……」

珍しくシルフィが玄関まで見送りにやって来た。
何だ、ご機嫌取りか。

靴紐を結ぶ俺の顔を覗き込む。
はらりと流れた髪が頬に当たり、ちょっとドキッとした。

「な、何だよ……」
「元気出せ、揉むか?」

シルフィがおっぱいを持ち上げた。
Tシャツ越しにたわわんとしたその柔らかさが視覚を通して伝わってくる。

「も……揉まねぇわ!!」
俺は玄関の戸を勢いよく閉めた。

「ったく、あいつは何を考えてるんだ……」

電車に乗り、少し気持ちが落ち着いた頃、俺はやっぱり揉んでおけばよかったと死ぬほど後悔した。
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