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2 執事フレディ
しおりを挟む処置を終えて、アイネリス家のお抱えであるクリストフ医師が部屋を出た直後のことだった。
「エリーゼ様、申し訳ありませんでした!」
執事のフレディが床に頭を擦り付けて土下座するのを、ひどく落胆した気持ちで自室のベッドから見下ろしていた。
「……別にいいです、こんな怪我なんて」
折れたのは左脚の脛と右の鎖骨、しばらくはベッド生活を余儀なくされる。
頭も打ったけれど、既にコブになっていて明日にでも腫れは引くと言われた。
治癒魔法でほとんどの擦過傷は回復している。
あとは骨が完全にくっつけば終わりだ。
治癒魔法と薬おかげで、多分1週間もすれば元通りだろう。
でも、そんなことはどうでも良かった。
死ぬことが出来ていないのだから、なんだって同じことだ。
本当は…………きっかけさえあれば、いつでも死ぬつもりだった。
「はぁ……」
床に手をついて土下座をする執事服の背中を見て、落胆の溜息が出る。
魔力無しの私は、この家のお荷物であり隠したい恥部だ。
家族や使用人からも無視され、誰も私に近づかない。
この離れに幽閉されて、世界から切り離され、廃人のように生活する私は何の意味もない。
荒れ果てた離れで、死を待つだけの人生。
そんなお荷物である私の世話役を押し付けられたのが、執事フレディ。
私が5歳の時に私の執事に就任した彼は、当初からこの役職に不満を持っていた。
そして、フレディは当然のように、私に辛く当たった。
幼少期から私に対して罵詈雑言を浴びせ、食事を抜かれたり、必要な物資を届けなかったり、無視をしたりと本当に嫌われていた。
私にとってフレディは、恐怖の対象でしかなかった。
いつも機嫌が悪く、いつも私の心を砕く。
『なんで俺ばっかりが、こんな仕事なんだ!』
それが口癖だった。
姉のアレクサンドラや妹シャルロッテ付きの執事になりたかったのだろう。
そして、そのフラストレーションが溜まりに溜まってこうなった。
では、なぜずっと私に酷い態度を取ってきた執事フレディがこんなに辛そうな顔で土下座をしているのか。
そんなこと、考えなくても分かる。
保身だ。
いくら厄介者の私に対してでも、傷害事件ともなれば彼のキャリアを汚してしまう。
執事フレディはそういう男だ。
目の前の執事フレディは床に手をついたまま、かぶりを振った。
今まで暴力的なことは一切しなかったフレディだったが、きっとイライラしてやってしまったのだろう。
予想以上の大怪我になってしまったので、自分の経歴の傷にならないようにこうして謝罪しているに違いない。
だから、どうでもいい。
早く休ませて欲しい。
「良くありません!
今までの私はエリーゼ様に対して、礼節を欠いた酷い態度や暴言を日常的に行っておりました。
今回の大怪我も、ひとつ間違えばエリーゼ様は死んでいたかもしれない。
私は、今までエリーゼ様にした全てを事細かに憶えています!
執事としてあるまじき言動と行動、誰もエリーゼ様を守ってくれない環境だったのに……私は、私は……!
エリーゼ様、どうか私に相応しい罰をお下しください」
悲痛な面持ちのフレディは私を見上げて言い募った。
やけに大仰で同情的なその言葉は、かえって酷く私を不快にさせた。
フレディが私のことを嫌っていることは、よく知っていた。
彼は私に聞こえるように、わざと悪口を言っていたこともある。
『はぁーこんな珍獣みたいなドブスの世話係なんて、マジで嫌だ。
こんなやつ、いなければいいのに』
一度や二度じゃない、キツい言葉に心を抉られてきた。
だから、今のフレディのこの態度は、私を煽るための皮肉だとよく分かっている。
「……やめて」
「しかし」
「……聞きたくないです」
私は魔法が使えないせいで家族に疎まれて、いつもひとりぼっちだった。
表向きには病弱で魔術学園に行けない子供。
しかし、それは私を表に出さないための建前で、病弱でも何でもない、ただの無能で恥晒しなお荷物。
こんな身の上を、私は私なりに受け入れていた。
魔法が使えないのは、もうどうしようもないことだ。
両親に口を聞いてもらえなくても仕方がないし、姉や妹ばかり可愛がられるのも仕方がない。
こんな面汚しな娘がいて家族には申し訳ないけれど、こうして隠れても生きさせてもらえることに感謝していた。
そして、執事フレディが私なんかの世話係をさせられていることに申し訳なさを感じていた。
大怪我したって別にいい。
でも、そんな気は更々無いくせに、まるで過去を悔いているかのように皮肉に言い募られるのは耐え難かった。
「……もう、嫌……」
だから、私はこの最低な茶番をどす黒く終わらせたくなった。
「フレディ、罰が欲しいならあげます。
今すぐ私を殺してください。
それができないのなら、もう貴方には何も望みません」
息を呑む声だけが、聞こえた気がした。
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