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8012年の正月とスラム街と工業地帯

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8011年の大晦日の朝、俺はレンの家へ向かっていた。この日は元旦まで、ヨシュアやレンと一緒に宴会をする事になっていたのだ。
(滅茶苦茶寒いな…)
エリア003の冬は、092とは比べ物にならないほどに冷える。今俺が歩いている道も、既に雪が降り積もっていた。
(足を滑らせない様に注意しないと)
既にエリア003では、転倒事故が何件か発生していた。俺は足元に注意しながらも、レンの家へと急いだ。

「よぉ、来たか」
「これで揃いましたね」
既にレンの屋敷にはヨシュアがいて、俺を待っていたようだ。外は寒かったが、屋敷の中は暖房が効いていて暖かった。
「この前のクリスマスは大変でしたね…」
「あの日は流石に混むから…」
ヨシュアも最近、俺が働いている洋食店でアルバイトを始めた。この前のクリスマスの日も働いて、沢山の客の対応に追われた。
「じゃあさっそくゲームやろうぜ」
「たまにはオンラインでやるのもいいと思いますよ」
まずは3人で対戦した後、オンライン対戦をする事にした。まず最初に挑戦したのはレンだったが、中々勝てなかった。
「どいつもこいつも強えなぁ…」
「僕の友達のカエデさんは、オンライン対戦でも上位に食い込みますよ」
「それは凄いですね…僕も自信はありますけど…」
カエデについては、レン達には友達とだけ伝えておいて、作曲家だとは明かしていなかった。カエデが困る様な事は、できるだけ避けたかったのだ。
「うーん…中々勝てないなぁ…」
「次は僕の番ですね」
俺もオンライン対戦に挑戦したが、やはり勝率は良くなかった。その次に挑戦したのはヨシュアで、どうやら自信があるみたいだ。
「やるじゃねぇか木村」
「ホントに強いな…」
ヨシュアのプレイスキルは俺やレンよりも、遥かに高いものだった。オンライン対戦を勝ち上がって、どんどんレートを上げていった。
「カエデさんは、もっと強いんですか」
「うーん…実際にやってみないと分からないな…」
ヨシュアは上位層が相手になると、急に勝率が悪くなり始めた。彼より実力が上のプレイヤーは、沢山いるみたいだ。

「三浦先輩は、もう少し丁寧に操作キャラを動かして…」
「これでもやろうとしてるんだが…」
その後は3人での対戦となったが、ヨシュアがレンに操作レクチャーを始めた。レンのプレイスキルは、中々上達しない様子だった。

結局、1位になった回数が多かったのは、ヨシュアだった。俺のプレイスキルでは、ヨシュアには中々勝てなかったのだ。
「そろそろ昼にしようぜ、冷蔵庫に残り物があるからよ」
レンの家の冷蔵庫には、大晦日に何かを作るための食材が残してあった。食材だけでなく各種調味料もあり、選べる範囲はそれなりにありそうだった。
「蕎麦と…揚げ玉に葱…これは年越し蕎麦に使う物ですね。じゃあ鶏挽肉と玉葱と卵で…」
「俺も手伝います」
「キッチン広いからな。邪魔にならない様に手伝うぜ」
ヨシュアは挽肉を使った親子丼を作る事にして、俺とレンも手伝った。調理器具も調味料も揃っていたので、足りない物は無かった。

「おお…いい匂いだぜ」
「見た目も悪くないですね」
ヨシュアが中心になって作った親子丼は、中々に美味しそうだった。俺達は火傷しない様に気をつけながら、親子丼を食べ始めた。
「うまいな!」
「シンプルだけど、そこがいいですね」
「また食べたい味だな」
挽肉を使った親子丼の味は素朴なものだったが、だからこそ美味しかった。庶民的な料理だから、また作って食べれるというのもいい点だ。

「ごちそうさまでした」
「美味かったぜ、今から飲むか?」
「エドガー君は飲めませんし…昼間から飲むんですか…」
この屋敷の冷蔵庫には酒がいくつかあり、別の部屋にも酒が保管されていた。どうやらレンは、かなりの酒好きらしい事が分かった。
「じゃあ地下街にでも行くか?」
「何でこんな寒い中行かなきゃいけないんですか。家でのんびりしましょうよ」
「それに年末年始の地下街は酒を飲んだ大人達が暴れていますし…」
しかし、また対戦ゲームをする気にはなれなかったので、いつも利用しているスーパー銭湯が開いているか確認してみた。元旦は休みだが、大晦日は開いている事が分かった。
「じゃあ、銭湯行ってみるか」
「そうですね…」
俺達は3人で屋敷を出て、いつもの銭湯に行く事にした。寒空の下、足を滑らせない様に気をつけながら、銭湯へと向かった。
「今日も雪が積もっているなぁ…雪合戦でもするか?」
「いい歳して、やりませんよ…」
「俺雪合戦なんてやった事ない…」
レンは雪合戦を提案したが、ヨシュアはすぐに却下した。エリア092では雪が積もるなんて滅多に無いので、雪合戦はした事が無かった。

俺達はスーパー銭湯に到着して、すぐに建物の中に入った。室内は、暖房が効いていたので暖かく、寒くは無かった。
「思ったよりも、客が少ないな」
「お祭り騒ぎがしたい人は別の所に行ってるんでしょう」
「ともあれ…落ち着けそうそうだね」
スーパー銭湯は混雑しているどころか、意外と空いていた。俺達はすぐに、3人で大浴場へと向かう事にした。

大浴場にいる客も少なく、室内風呂にのんびり入る事ができた。雪も積もる程の寒さなので、露天風呂に行こうとする客はいなかった。
「人が少ないとこの風呂も意外と広いって、分かりますね」
「木村、今日はいつもの高温サウナじゃなくて、アメジストサウナの方に行きたいぞ」
「あ、いいですね」
俺達は3人で大浴場から、サウナフロアへ向かった。やはり、サウナフロアにいる人もいつもより少なかった。
「じゃあ、俺は黄土サウナの方に行きますので…」
「おう、じゃあな」
俺はレンやヨシュアと別れて、黄土サウナに入った。黄土サウナにいたのは俺1人だったので、伸び伸びとする事ができた。

しばらく黄土サウナに入っていた俺は、サウナフロアで休んでいた。ただでさえ外が寒いので、クールルームには入る気になれなかった。
「おおエドガー、先に出てたのか」
アメジストサウナから出てて来たレン達も、冷水浴はしない様だった。サウナフロアを出た俺達はシャワーを浴びた後、大浴場から出て脱衣所へ戻った。
この日は風呂上がりの冷たい飲み物は、飲まない事にした。後で温かい飲み物を買う事にして、食事スペースには行かず、休憩スペースへと向かった。

「三浦先輩…もう少しちゃんとして下さい…エドガー君も」
休憩スペースにも人が殆ど居なかったので、俺とレンは寝転がっていた。ヨシュアはそんな俺たちの様子を見て、呆れているみたいだった。
「こうして見るとすげぇよな。俺たちが住んでる街が真っ白だ」
「おお…」
雪が降るエリア003の街並みは、非常に美しい景色になっていた。俺はその様子を写真に撮って、ライネスやカエデに送った。
「こっちは全然積もってないぞ。寒いけどな」
ライネスからは、エリア092の街並みが映った写真がメッセージと共に送られてきた。092でも大晦日は、あちこちで盛り上がりを見せる日だ。
「これ、冬の017の景色」
カエデから送られて来たのは、017の街並みを映した写真だった。017も冬は積もるほど雪が降る様で、美しいが寒そうな景色になっていた。
「それ、017の写真か?」
「確か、2本の軌道エレベーターがある場所ですよね」
レンとヨシュアも、エリア017には興味がある様だった。カエデは017に住んでいた時期があると、彼らに説明した。
「017…行こうと思えば、日帰りでも行けるんだよなぁ」
「でも、かなり疲れそうです…向こうでホテルに泊まれるのならいいんですけど…」
今の世界でも特に栄えているエリアである017の話をして、その後俺達は帰る事にした。寒空の下で、俺達は転ばない様に慎重に歩きながら、レンの屋敷へと急いだ。

「えっと…夜ご飯は」
「年越し蕎麦を作るぜ」
レンはあらかじめ、夜ご飯は年越し蕎麦にすると決めていた。俺とヨシュアも賛成で、他の物がいいと言うつもりは無かった。
「蕎麦の具材は…」
「揚げ玉と葱があればいいだろ」
「見た目は地味になりそうだけど、しょうがないですよね」
今回の年越し蕎麦には色々な具材が載らないが、それはそれで良さそうだった。調理の面でも、葱を切って蕎麦を茹でるだけなので、簡単に終わった。

「見た目は悪くないですよ」
「まぁ、美味しい事には間違いないからな」
出来上がった蕎麦の上に、切った葱と揚げ玉を載せる。地味さは否定できないが、素朴な見た目で美味しそうだった。
「うん、美味い」
シンプルな蕎麦に葱の味や揚げ玉の風味が合わさる、素朴な味だった。だが、また作って食べたいと思う、美味しさもあった。
「ごちそうさまでした」
「美味かったな」
「材料がこれだけなら、また作るのも簡単ですからね」
年越し蕎麦を食べ終わった俺達は、風呂を沸かした。事前にレンが掃除をしといた様で、後は湯を張るだけだった。

最後に風呂に入った俺が居間に戻ると、レンは既に酒を飲んでいた。ヨシュアはまだみたいだが、これから飲むつもりらしい。
「エドガーが酒を飲めるようになるのは、来年か…そう言えば誕生日はいつだ?」
「5月24日です」
「思えば色んなことがありましたよね…」
レンとヨシュアは大学生で、そっちでも色々あった様だ。空手部の練習がキツい事や、大会での成績について話していた。
「ヤクザのアジトの件については、ヨシュアの手柄だったね」
「エドガー君も三浦先輩もやめてくださいよ、あんな事…命がいくつあっても足りません」
「でも、そのおかげであの子を助けられたじゃねぇか」
俺達はヤクザのアジトに潜入した事も、思い出していた。思えば、あれは俺がレンやヨシュアと初めて会った日の出来事だ。
「何か話してるうちに、もうすぐ8012年か…」
「8012年も、この日常が続いていくでしょうか…」
既に8012年まで後10分になっていて、ヨシュアも酒を飲み始めた。俺も乾杯用のコップにお茶を注いで、準備を始めた。

「あけましておめでとう」
俺達は新年を迎えると同時に、コップを軽くぶつけて乾杯をした。そのままレンとヨシュアは酒を飲み、俺もお茶を飲む。
「三浦先輩、飲み過ぎには気をつけてくださいね」
「分かってるよ…」
レンはそう言っていたが、明らかに飲む量が多そうだった。酒に強いタイプなのは間違い無さそうだが、大丈夫なのだろうか。
「三浦さんの事、放っとくんですか」
「このまま寝かしといてあげましょうよ」
レンは酒を飲んでいる内に眠ってしまい、ヨシュアはミネラルウォーターを飲み始めた。お茶を飲み終えた俺も、持参した歯ブラシを使って歯磨きを始めた。

「じゃあ、おやすみ…三浦さんは」
「僕が部屋まで運びますよ」
もう夜も遅かったので、俺は客人用の寝室で眠る事にした。ヨシュアはレンを、彼の寝室まで運んでからねる支度を始める様だ。
客人用の寝室は古いが掃除が行き届いていて、落ち着ける空間だった。俺はベッドに入って横になると、すぐに眠りについた。

元旦の朝、目が覚めて起き上がり、取り敢えず窓の外を見た。雲一つない黎明であり、もうすぐ日の出を迎えるタイミングだった。
(取り敢えず着替えて…)
服を着替えた俺がリビングに向かうと、既にヨシュアとレンがいた。ヨシュアは普段通りだが、レンはまだ眠たそうにしていた。
「おはようエドガー…」
「起きて来たか…日の出は庭で見ようぜ」
俺達は厚着をした上で庭に出て、初日の出を見る事にした。建物もあるので地平線から日が昇る瞬間は見れないが、それでも見たいと思っていた。
「おお…日が昇って来た…眩しっ」
「新年の夜明けですね」
新年の初日の出は、とても眩しいものになっていた。写真は撮れなかったが、日の出を見たとライネスや爺ちゃんにメッセージを送った。

「朝ご飯は雑煮です」
ヨシュアが用意した雑煮は、白味噌仕立ての汁だった。具材は鶏肉や大根、人参や葱などの一般的な物だった。
「うん、美味いな」
「温まりますね…」
雑煮の味は普通だったが素朴な味で、安心感を感じさせてくれるものだった。それぞれの具材を味わうのを忘れないようにしながら、俺は雑煮を食べた。
「さて、元旦だしゲームして酒飲もうぜ」
「いつもそんな感じじゃないですか…」
元旦とは言え、特別な事をするつもりは無かった。むしろこの日に初詣なんかに行ったら、混んでいて嫌になるだろう。

「三浦先輩、まだ酔ってるんですか…」
「別にいいだろ…」
レンはこの日は昼から飲み始めて、ヨシュアが飲み始めるのも早かった。俺はこの日もこの家に泊まって、明日の朝に帰る事にしていた。

1月5日、俺はレンやヨシュアと一緒に、窪地に作られた街である雪月花区に向かっていた。レンはこの街の店の、正月限定のメニューに興味があるらしかった。
「何度見ても冬の桜は美しいですね」
窪地の上から見ても、花を象った超巨大ソーラーパネルと、冬に咲いている桜を見る事ができた。俺は駅に着く前に、以前桜雪庭苑に泊まった事があると伝えた。
「エドガーあんな高級ホテルに泊まったのかよ?!」
「爺ちゃんもお金出してくれたんだ」
やはり、レンもヨシュアも驚きを隠せないでいると、もうすぐ到着のアナウンスがされた。エリア003でもっとも美しい、雪月花区に到着するのだ。

「観光客多すぎでしょ…」
「どのレストランも人が多くて、待ち時間も長そうですね」
「…期間限定メニューは明日の朝にするぞ」
俺達はコンビニに行って昼ごはんを買おうとしたが、既に売り切れの物も多かった。結局、おにぎり3個とサンドイッチ3切れを買うのが精一杯だった。
「こんなんじゃ足りねぇ…」
「取り敢えずホテルに行きましょうよ…」
俺達は観光客で溢れる街の中で、今晩泊まるホテルに急いだ。値段は安かったが、シャワーや風呂の設備はあるみたいだった。

「まぁ、それなりって感じだな」
「そうですね…」
俺達が泊まるホテルは、値段の割には快適そうだった。どの場所も清潔なホテルで、一日泊まるには十分だった。
「夜メシはラーメン屋に行くぞ。観光ガイドにも載ってないから、混んではいないはずだ」
「それでもSNSで話題になってたら…」
「そのラーメン屋は住宅街の辺りですから、大勢の観光客は来てないと思いますよ。まぁ、噂を聞いてやって来る観光客はいるでしょうから、普段よりは混んでいると思います」
そのラーメン屋は夜しか店を開けていないらしく、メニューは豚骨ラーメンと餃子、ビールなどらしい。こうした隠れ家的名店には当たりが多いので、俺は早くも楽しみになっていた。

6時を過ぎてから、俺達はラーメン屋がある住宅街へと向かった。住宅街の辺りには、流石に観光客の姿は無かった。
「あの明るい所が…」
「ああ、俺達の目的の場所だ」
そのラーメン屋は住宅街の隅にひっそりとある店で、普通の観光客は訪れない様な場所にあった。数人の客がいるので店だと分かるが、昼間だったら通り過ぎてしまうだろう。

俺はラーメンと一口餃子を注文して、レンはビールも注文していた。しばらくすると、スープの臭みの無い、香ばしく濃厚な香りのするラーメンが出された。
(麺は極細麺で…具材は青ネギとチャーシューだけか…)
髄も骨も溶けるまで徹底的に煮出した豚骨のスープはかなり濃厚だった。極細の麺に良く絡み、とても美味しい味になっていた。

「ふぅ~美味かっただろ」
「ええ…また食べに来たいですね」
レンは既にビールを飲んで酔っていたので、俺が一番最初に風呂に入る事になった。それぞれの個室にある風呂は狭かったが、綺麗に整えられていたので、不快になる事は無かった。

「僕たちはシャワー浴びるだけにしておきます…お酒も飲んでますから」
この日は明日に備えて早めに寝る予定だったが、レンはシャワーを浴びた後も酒を飲んでいた。俺もヨシュアも明日の事を心配していたが、レンは気にしていなかった。

結論から言えば、レンは酒の飲み過ぎで体調を崩し、店を巡るどころでは無かった。結局観光はせず、その日の午前中に列車に乗って自分達の住んでいる街に帰る事になった。
(あのラーメンは、また食べたいけどね)
決して充実した結果では無かったが、収穫が無いわけでは無かった。ヨシュアもレンに4月に予定してるエリア004への旅行の時は、酒での失敗は絶対に避ける様に何度も言っているようだ。

8012年2月10日の夜、俺はいつもの様に小説の執筆を進めていると、爺ちゃんからメッセージが届いた。メッセージを確認すると、15日辺りにエリア003に向かうと記されていた。
(15日…その日なら大丈夫だな)
俺は了解のメッセージを送って、シャワーを浴びに行った。爺ちゃんは寝台特急を使って、エリア003に来るらしい。
俺は爺ちゃんが来るのを楽しみに待つ事にしていた。14日の夜には寝台特急に乗ったというメッセージが届いて、15日の朝には003に着く事が分かった。

「爺ちゃん、久しぶり」
「取り敢えず元気そうだな」
爺ちゃんは15日の朝に、俺が住んでいる洋食店にやって来た。お互いに再会を喜んだ後、何処に行くか話し合った。
「地下街に行くぞ」
「あそこは観光向けじゃ…」
それでも爺ちゃんは、地下街に行くと言っていた。爺ちゃんはそもそも観光地に行きたい訳では無かったのだ。

俺は爺ちゃんと一緒に地下街に行く為に、003の中央駅、セントラルステーションへと向かった。中央駅へ行く途中の電車の中で、レンとヨシュアに爺ちゃんと一緒に地下街に向かっているとメッセージを送った。

セントラルステーションの地下道は、相変わらず臭かった。俺は嫌だったが、爺ちゃんは気にする素振りを見せずに進んで行くので、俺も引き返しはしなかった。

「なるほど…スラム街の延長線と言ったところだな」
2月の地下街は相変わらず騒々しい様子で、暖房も無いので屋外と同じ様に寒かった。地下街の人々は厚着をして、寒さを凌いでいるみたいだった。
「昼メシはあのラーメン屋の屋台で食べよう」
爺ちゃんが気になったのは「龍麟」という看板を立てていたラーメンの屋台だった。以前、俺が地下街を訪れた時に食べたラーメン屋である。

爺ちゃんはラーメン一杯を頼み、俺はチャーシュー麺を頼んだ。俺の前に用意されたラーメンのチャーシューの量は多かったが、他の具材は大蒜と玉子で以前と変わりは無かった。
(ここのチャーシューは悪く無いんだよな…)
普通の味の醤油ラーメンだが、チャーシューはそれなりに美味しかった。爺ちゃんも表情を変える事は無いが、味わって食べている様だ。

「普通の味だったが美味しかったな」
完食した爺ちゃんの感想も、普通の味というものだった。とは言え、美味しいとは言っていたので、期待外れでは無かったようだ。

「実はここで待ち合わせをしてるんだ」
「こんな地下街で…?」
爺ちゃんと俺は地下街の広場で、ある人を待つ事になった。そこにやって来たのは、爺ちゃんよりもさらに年齢が上と思われる老人だった。
「来たかジェラルド。孫を連れて来たぜ」
その老人はジェラルドという名前で、既に俺の事を話していた様だ。ジェラルドさんは俺の方にしばらく観察するような目線を向けていた。
「ま、思っていた通り体の細いガキだな。ちゃんと飯食ってるのか?」
ジェラルドさんは俺の事にはそこまで関心が無いみたいだった。ジェラルドさんも、別の人の事を待っている様子だった。
「おーい、エドガー…って」
「久しぶりだな、レン」
そこにやって来たのはレンとヨシュアで、ジェラルドさんはレンに挨拶をした。やはりレンが以前言っていた、ジェラルドさんというのはこの人だったのだ。
「エドガーの爺さんとジェラルドさんって知り合いなのか…?」
「まぁ、友達というか…」
「腐れ縁だ」
爺ちゃんは友達だと言おうとしたが、ジェラルドさんは腐れ縁だと断言した。爺ちゃんもただ単に友達だと言っているのではなく、因縁がある様子だった。
「レンも来たし、スラム街を見に行くか」
どうやら爺ちゃんとジェラルドさんの目的はスラム街を見に行く事らしい。レンが生まれ育った場所と、同じ場所なのだろうか。

「エドガー、間違っても俺達から離れるなよ。もし恐かったら先に地下街の外に戻っていても…」
「大丈夫。一度はスラム街を見てみたい」
俺は一度はエリア003の影の面を見るべきだと思っていた。少し前ならすぐに逃げ帰っていたが、インスピレーションを得る為にも行きたくなっていた。

「ここに帰って来るのも久しぶりだな…」
スラム街は地下街のすぐ近くにあり、活気はなく淀んだ空気だった。レンはその街並みを感慨深いと言うように見つめていた。
「俺が住んでいた小屋は…ぶっ壊れてる」
「ここに営業所を置いてる企業も、流石に減って来ているみたいですね」
スラム街は閑散とした雰囲気で、少なくとも幼い子供はいなかった。何度も公的機関による介入が行われて、孤児を利用しようとする者達も減って来ているみたいだ。
「ジャンクパーツ置き場…無くなっている」
「俺が丸ごと買い取っちまったんだ」
かつてレンが売れるパーツを探していた場所も無くなっていた。どうやらパーツ目当てで、ジェラルドが買い取った様だ。
「…ここには孤児達はもういないのか?」
「ここよりマシな場所にいる…解決するのは難しいんだ」
俺達は地下街を出て、電車に乗って移動を始めた。今回の目的地はそんなに離れていなかったようで、割とすぐに着いた。

俺達が降りた駅の場所は、工業地帯の周辺だった。エリア003では古代の設備も修理しながら使っているらしく、独特な形状の建物が多く建っていた。
「スラム街で暮らしていた子達も、今はここの近くの居住区に住んでいる…空気は多少汚いが」
居住区には子供達が集まって暮らしている家もあった。そこの子供達は貧しい様子ではあったが、元気に暮らしているみたいだった。
「ここの子達は学校にも通えている…大抵の場合は中卒になるが」
大帝の孤児達は高校には進学せずに、ここの工場で働く事になる。給料が安いせいで、貧困層から抜け出せないままなのが、今の課題である。
「俺がスラムで暮らしていた頃と比べれば、大分マシですよ。あの子達も支援を受けれているんですよね?」
「ああ、だがまだ課題が多い」
レンの少年時代は、ゴミ漁りをして生きていくというものだった。彼の頃と比べれば、大きく進歩したと言えるだろう。
「ここの工場は、見応えありますね。他の工場とは、無機質の種類が違う感じです」
「木村…興味があるのはそっちか」
ヨシュアはずっと、工場の見物をしていたらしい。確かに、ここの工場の機械の動きはダイナミックで、迫力があるものだった。
「エドガーもこういうの、好きだもんな」
「うん、古代の遺物をそのまま使った工場は初めて見るよ」
俺は何枚か写真を撮ったが、それよりも自分の目で観察する事を優先した。こうした物に古代のロマンを感じるのは、幼い頃からだった。
「それにしても、すごく独特な形だよね」
「確かに、マジでどういうつもりであの形にしたんだろうな」
古代の遺物を使っている工場は、他とは違い曲線が多い形をしていた。あのような形だと、無駄が多いような気もするのだが…
「少しずつ修繕しながら使っている物だからな…最初からあの形じゃ無かったのかも知れないぞ」
「取り壊して新しい物を作らずに、古い物を使い続けるのも、いい事ですよね」
西暦2000年の頃は、大量消費と大量生産の時代だったという。それよりも古い資源を使えなくなるまで使うというのは、人類の未来にとってもいい事の筈である。勿論、今の技術でもエコロジーの発展を目指している。
「そろそろ戻るぞ。俺の泊まるホテルに一度集まろう」
俺は最後に何枚か工事の写真を撮って、爺ちゃん達と一緒に自分が住んでいる街に帰って来た。爺ちゃんが泊まるホテルは、俺が住む洋食店の近くにあった。

「孤児達も逞しく生きているんですね…」
「明日は孤児院に行った後、003の色んな所を見て回ろうよ」
俺達は爺ちゃんが泊まるホテルに集まって、明日の計画を話し合った。ジェラルドさんは、明日孤児院を見に行った後、エリア004に帰るらしい。

「エドガーが元気そうで良かった…無理をしないで欲しいが、夢を追う事も諦めないでくれ」
爺ちゃんは、俺の小説家になるという夢に消えないで欲しいと思っているようだ。俺だって、この夢を諦めるつもりなんて微塵も無かった。
「叶わないかも知れないけど、それは俺がこの世を去る時だよ。小説家になること、諦めるつもりなんて無いよ」
俺が稼いでいる金は少ないが、それでも夢を追う事は出来ている。夢を叶える為の人生も悪くないはずだと、俺はそう思っていた。
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