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雨の日の街 たまには対戦ゲームを
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8010年8月8日は雨の日だった。少し前から夏休みになっていた俺は、官能小説の執筆を進めようとしていた。しかし筆が進まず、思うような文章を作り出せないでいた。
「よぉ。受験しない奴は暇でいいなぁ」
「兄さん…そうか、普通にやってきてる奴なら必死に勉強してる時期か…」
俺の兄、ライネスは俺が執筆している小説の下書きを読み始めた。ライネスはそれを読んで少々ではあるが、呆れたような態度をとった。
「って官能小説かよ…ちゃんとした小説家になる気あんのか?」
「これだって俺の経験に…」
俺は執筆中であるにも関わらず絡んで来る兄に付き合っていた。そう言えば兄の仕事は、今日は休みなのだろうか。
「兄さん…今日は休みなの?」
「今日は家でもできる仕事なんだよ。だからわざわざ出社する必要はないんだ」
俺は、兄が家にいる中で小説を書くのも悪くはないと思っていた。少しは周囲に変化が無いと、気が滅入って来る事もあるからだ。
「今日はアルバイトの日じゃないんだな」
「うん」
俺は7月に一度、過労と熱中症で倒れてしまっていたので、バイトの数を減らしていた。003に行く前に体を壊したら意味がないからだ。
「本当に無理はするなよ。頑張る頑張らないは関係なく、自分が疲れている時は休んだ方がいいんだ」
「…ありがとう」
今回に関しては、本当に兄の言う通りだと思った。小説を書き続けても辛くなる事はあるから、その時は休んだ方がいいのだ。
「まぁ…残念ながら世の中はそんなに単純じゃないんだがな。クソみたいな上司もいるし」
「…そうだよね」
大人になるというのはどういう事なんだろうと、いつも疑問に思っていた。少なくとも、ただ社会のために動く歯車には、なりたくないと思っていた。
「だが、潰される前に、死ぬ前に逃げる!これが人生で一番大事だって、俺はエリア003で学んだんだ」
「それも…分かってるつもり」
ライネスはエリア003の過酷すぎる、ソーラーパネルのメンテナンス業務から逃げて来た。それに関しては全く恥ずかしい事では無いし正しい判断だと、俺は思っていた。
「じゃあ気分転換にっ…て言っても」
「外は雨だもんな」
今日の雨は特別激しいものでは無かったが、外に出かけるような天気では無かった。少なくとも、気分転換の散歩に行くといった事はできなさそうだった。
「じゃあゲームでもやろうぜ。エドガーも付き合えよ」
「はぁ?兄さん仕事中じゃ…」
「いいんだよ。母さんも気にしないだろうしさ」
「うん…最初から本気はやめてね」
俺とライネスの母親、エルナ・メイソンは俺たちの話を聞いても咎めるような事はしなかった。ライネスがゲーム機やコントローラーの準備をする間、俺は飲み物や菓子を準備する。
「さぁ…バトルだ!」
「はぁ…操作感覚を思い出さないと」
そして俺とライネスは仕事の事も小説の事も忘れて、対戦ゲームを始めた。対戦ゲームは久々だったが、その分俺は楽しかった。
「クソっおりゃっそこだっ」
「はぁ…またそれか」
俺とライネスは既に11回目の勝負を始めていたが、兄であるライネスの方が優勢だった。10回の勝負のうち、俺が勝てたのは2回だけだった。
「お前さぁ…俺に勝つ気あんの」
「まだだ。ここからだ…」
俺は以前から得意だったコンボ攻撃を、ライネスが操作するキャラにしかけた。敵の攻撃を利用して、スローモードにして連続攻撃を叩き込むのだ。
「よしこれでっ…とっ…」
「あ…」
ライネスが素早くコマンド入力する事で、俺が操作するキャラクターに攻撃が叩き込まれる。そのままライフポイントを0まで削られて、俺の残機がまた一つ減った。
「お前さぁ…ワンパターン過ぎ」
「まだだ、こっからだ…」
俺は再びコンボ攻撃を行なって、一気に相手のライフポイントを削ろうとした。結局、俺はライネスの残機を削る事が出来ないまま、敗北は9回目になった。
「畜生…これで5連敗」
「キャラのセオリーに従いすぎなんだよ。もうちょっと工夫した方が…」
俺が使っていたのは銃を武器にしているが、遠距離近距離どちらにも対応できるキャラだ。さらには敵の攻撃をタイミングよく回避する事で、敵の動きをスローに出来るのだ。
「兄さんだってキャラのセオリー通りに…」
「…セオリー通り使っていても強いキャラなんだよ」
ライネスが使っていたのは、一昔前の格闘ゲームからの参戦キャラであるリュウジだ。複雑なコマンド入力を求められる操作難易度の高いキャラなので、俺はあまり使っていない。
「まぁ、キャラ性能にも差はあるし…」
「分かった。じゃあ別のキャラを使う!」
「…そう言えばさっき知り合いを呼んだ。ずっと一対一じゃ飽きるだろ」
「知り合いって…こんな雨の中呼んだのかよ」
俺はライネスの行動に呆れながら、少し休憩していた。10分経たないうちに来客が来て、母が迎え入れた。
「いらっしゃい。あんまり広い家じゃ無いけど、ゆっくりしてね」
「どうも…」
「え…カエデさん」
母親が招き入れてリビングにやって来た客人は、何とカエデだった。俺はライネスが読んだ知り合いが、カエデだとは予想もしていなかったのだ。
食卓の近くの椅子にカエデが座ると、母親が菓子を用意した。俺もライネスも、勿論父親もこの家にあるとは知らない菓子だった。
「そんな菓子あるなんて知らなかった」
「これは私とお客さんに出すための物だから」
そうは言いつつも、母さんは俺とライネスの分の菓子も用意してくれた。母さんは、カエデに頼まれて茶を淹れるための湯を沸かし始めた。
「カエデちゃん…よく来たね。こんな雨の中」
「この街は路面電車が発達してるから。後、気分転換がしたかった」
カエデの衣服はほとんど濡れている様子が無かった。彼女の言う通り路面電車を使って、この家までやって来たのだろう。
「これは…ルイボスティーですね」
「まだ熱そうだな…」
俺とライネスはお茶に関しては、ペットボトルの麦茶や緑茶ぐらいしか飲んだ事が無かった。こうして湯を沸かして淹れた、温かい茶を飲んだ事はあまり無かった。
「うん…美味しいな」
「こっちの菓子もうまいぞ」
初めて飲んだルイボスティーは、中々美味しかった。一緒に出された菓子も茶に合う甘さで美味しく食べる事が出来た。
「でも…何で来ようと思ったの?」
「あなた達とゲームがしたかったから。基本家で一人だから気が滅入りそうになる時もあるの」
「でもまさか、うちでゲームしませんか?ってメール送って、本当に来てくれるとは思いませんでしたよ」
メールを送った本人であるライネスも、割と驚いている様子だった。まぁ、外は雨が降っているし、俺だったら断っていたかもしれない。
「後、ずっと曲の制作してると疲れるの。プロにだって息抜きは必要」
「やっぱりそうですよね…」
「人間たまには休まないとやってらんないよ」
プロの作曲家だと言っても人間である以上、歳に関係なく休む事は必要だ。俺も小説家になる前に体を壊さないように、気をつけないといけないと思った。
「エドガーも無理は禁物ですよ。この間、ライネスから倒れたと聞きましたので…」
「え…兄さんカエデさんに伝えたの?!」
「恥ずかしがるな。お前が無理しないように色んな人に見てもらう必要がある」
まあ、俺が倒れるまで無理をする人物だという事を知っている人は、一人でも多い方がいいかもしれない。この前は過労と熱中症だったので、本当に死んでもおかしくは無かった。
「このゲーム。対戦ゲームでしょ、自信あるから早くやりたいんだけど」
「おっ!それは楽しみですね…こっちも全力でいきますよ」
「まずはお手並み拝見と…」
俺たちがやっていたゲームは、カエデもプレイ済みのようだ。俺達はそれぞれが抱えているものから離れて、ゲームに集中した。
結論から言うとカエデはかなりの手練れで、最初の試合は俺も兄もすぐに負けてしまった。カエデのライフポイント自体はギリギリまで削れていたが、残機は一つも減っていなかった。
「強すぎる…」
カエデが操作していたキャラクターは、パワー特化のモードとスピード特化のモードを切り替えて戦うキャラだった。このゲーム全体でも性能が高い方で、さらにカエデの操作テクニックも合わさって殆ど隙が無かった。
「あの…一人用モードやってるとこ、見せてくれませんか?」
「…分かった」
カエデが選択したのは、横スクロールのステージもあるモードだった。簡単なストーリーもあり、ボス戦があるステージも存在する。
「このモードは好きだよ。ボス相手の力試しもできるし」
「じっくり観察させてもらいますよ」
「…まぁ俺もそれ考えてたけど」
ライネスの目的は、カエデがどのようなコンボを好んでいるのかを観察する事にあった。俺としても上手い人のプレイを見る事自体が面白かった。
「おお…こんなに簡単に…」
「雑魚の処理は、これくらい手早くやらないとね」
カエデは横スクロールのステージを素早く進みつつ、邪魔な敵を倒していった。俺やライネスには、ここまで手際の良いプレイは出来なかった。
「あっという間にボス戦か…」
「こいつと戦うの苦手なんだよな」
カエデが今回戦うボスは、体のサイズが小さくトリッキーな動きを得意とするボスだった。俺は攻撃を当てづらい割にはライフポイントが高く、避けにくい攻撃を数多く使ってくるこのボスが苦手だった。
「この攻撃を避けるのは簡単」
「こいつは最初の方は簡単に避けられる技しか使ってきませんよね」
「でも難しいのは体力を減らしてから…」
このボスが前半に仕掛けてくる突進攻撃や刃を飛ばす攻撃、地雷を仕掛ける攻撃は避けるのはそこまで難しく無かった。しかし、終盤になると広範囲を覆い尽くす矢の雨や、高火力のビームなどの避けにくく大ダメージになる技を行うようになる。
「おおっ…そうやれば簡単に避けられるのか…」
「このゲームに関してはボスの攻撃にはどれも安全地帯ができるようになってる」
「それを見つけることができれば、避けるのは簡単…」
カエデはボスの出す攻撃技の安全地帯を記憶しているようだ。無闇に攻撃を優先せずに、危険な攻撃の時は安全地帯に逃げるようにしている。
「後はパワータイプに切り替えてガンガン攻めていけば…」
「すげえ高火力…」
「俺だったら攻撃を避けるのに精一杯で、ずっとスピードタイプのままだろうな…」
カエデは後半戦になった直後はスピードタイプに切り替えて、攻撃を避けつつ少しずつダメージを与えていた。そしてボスの体力が残りわずかになると、再びパワータイプに切り替えて一気にトドメを刺しに行った。
「よし…1分32秒」
「お見事です」
「速くても2分近くかかるのに…」
カエデはパワータイプで攻めて、ボスを撃破した。ライネスは自分がやる時はもう少し時間がかかるのに、2分以内で撃破したカエデの実力に驚いていた。
「じゃあ一人用モードもやったし、またあなた達と対戦したいんだけど…あ、その前にエアコンの設定温度もう少し下げて」
「もうカエデさんの動きのクセは確認させてもらいました。次は俺が勝ちます!」
「そう簡単にいくのかな…」
ライネスは既にカエデの得意なコンボを見切ったと豪語している。弟である俺はそんな事を言っている兄を、半信半疑で見ていた。
ライネスは確かに、彼女の得意なコンボの隙を突く戦法をとれていた。流石のカエデも対応しきれず、初めて彼女の残機を1つ減らした。
「おっと…やるね」
「よしカエデの残機残り2…このままいける!」
「兄さんだって残機は残り2つだし…俺なんて残機後1つだよ」
俺のライフポイントは余裕だったが、ライネスのライフポイントは残り僅かだった。それに対してカエデはリスポーンしたばかりなので、ライフポイントは満タンだった。
「よし…じゃあこのパターンでいこう」
「え…」
カエデの普段の戦闘スタイルは基本はスピードタイプで攻めて、大技はパワータイプで叩き込むものだった。しかし、ライネスがスピードタイプに翻弄されなかったので、カエデは適宜パワータイプに切り替えるプレイングを仕掛けて来た。
「まだだ…このまま押し切れる!」
ライネスはコマンド入力をしてコンボ技を続けた。スタイルは変化したが隙は増えたので、一気に押し切るつもりなのだろう。
「これでっ…トドメっ!」
「なっ…」
俺がカエデに倒された後、残り残機1つになったライネスも撃破されて、勝者はカエデになった。ライネスは終盤になるにつれて複雑なコマンド技の暴発が増えていき、カエデのキャラとのダメージレースに負ける結果になったのだ。
「また負けた~いいところまで行ったのに」
「今回は中々だったよ」
カエデは普段は自己流のスタイルで戦っていたが、弱点を突かれてそのキャラのセオリー通りの戦い方に切り替えたのだ。ダメージを受ける事を恐れずに積極的に立ち向かって、自らの勝利を手にしたのだ。
「はぁ…俺、疲れた。ちょっと休憩する」
俺はコントローラーの接続を一旦切って、椅子に座って休む事にした。そして、テーブルに置きっぱなしだった小説の下書きを進める事にした。
「エドガー…俺らが横でゲームやってるのに小説の続き書くのか?」
「たまには環境を変えてみたいんだ」
「小説書くのって、休憩になるの?」
俺は今回は異世界を舞台にしたファンタジー作品を書く事に再挑戦していた。今回は現代から主人公が転移するといった要素は廃して、いくつかの異なる世界を舞台にした作品にするつもりだった。
「どう?下書きは進んでる?」
「まぁ…ぼちぼちかな」
俺に下書きの進み具合を聞いてきたのは、母さんだった。母さんはあまり好きでは無かったが、聞かれたので答えた。
(さて、このキャラクターをどう動かすか…)
俺は長編ファンタジー小説「九つの世界 混沌を晴らす英雄たち」の外伝シナリオとなる、短編の小説を書いていた。メインキャラクターの一人であるシアンが、主人公であるヨシュアと合流する前の、前日譚となる話だ。
巨人族の青年 シアンの再起
シアンは小人族の追手から逃れるために、妖精の世界アルフヘイムのスヴァルト地方に潜伏していた。アルフヘイムの妖精達は基本的に他の種族との交流を拒んでいるが、スヴァルト地方に住む黒妖精は例外だった。
「傷はもう痛まない?」
「ああ…僕を助けてくれた恩は、忘れない」
黒妖精は闇の魔法を得意とする種族と言われて、妖精達からは嫌悪されていた。それ故に高慢な妖精達とは違い他の世界、他の種族にも積極的に関わる在り方を目指しているのだ。
「…まだ…ここにいてもいいだろうか」
「大丈夫だよ」
巨人族のシアンにとっては、妖精の住まいは少し狭かった。妖精達は小人族と同様に、人間よりも小柄な種族だった。
「何があったのか聞かせてくれる?」
「俺は巨人の世界ヨトゥンヘイムの…ガストロープニル地方の出身だ」
ヨトゥンヘイムは長い間、小人の世界であるニゼヴェリルと対立していた。近年ではニゼヴェリル側が優勢で、ヨトゥンヘイムの街に攻め込まれる事態にまで発展していた。
「じゃあ…」
「昨日の大規模侵攻でガストロープニル地方は小人族に奪われた…それで俺はこの世界に逃げ込んで来たんだ」
シアンは小人族の軍に立ち向かったが、守ろうとした街の人達は皆殺しにしれてしまった。王都であるウートガルズまで逃げ延びる事は不可能だったので、扉を通じてアルフヘイムのスヴァルト地方に逃げて来たのだ。
「これから、どうするつもり?」
「復讐をすると言いたいところだが…今の僕には何もかも足りない」
シアンには魔法の才能があったが、それだけで小人の軍隊に勝てるわけが無かった。小人族に立ち向かうためには、他にも多くの人間や武器が必要だった。
「私はフィオナ。あなたは?」
「シアンだ…よろしく」
黒妖精の少女と巨人族の青年は、お互いに名前を名乗った。二人の若者がどれ程の間行動を共にするのかは、誰にも分からない。
シアンはしばらくフィオナの家に匿ってもらう事にした。勿論、その間にも少しずつ反撃の準備を進めるつもりだった。
「これ、スヴァルト地方の果物だけど…口に合うかな?」
「ああ…甘くて美味しいよ」
その間にもシアンはフィオナと、お互いについての様々な話をした。生まれ育った場所の好きなところや、美味しい食べ物、好きだった景色について語り合った。
「…もう僕の故郷は無いけどね」
「あなたの心に残っている…というのは綺麗事だよね」
傷が癒えて来たシアンはフィオナに、スヴァルト地方を案内してもらった。様々な食べ物やアクセサリーの店を案内してもらって、好きな物も増えた。
「ここは、僕の事を恐れる人が少ないな…」
「黒妖精は、他の世界への興味も強いの」
アルフヘイムに住まう妖精達の殆どは他の種族を恐れて、関わりを持とうとしない。一方で、スヴァルト地方で暮らしている黒妖精は、他の世界の事を積極的に知ろうとする者が多い。
「あっ…」
「おっと」
前を見ずに走っていたのか、小人族の少年がシアンの体にぶつかった。小人族の体格は小柄だったため、シアンの方に怪我は無かった。
「その…ごめんなさい」
「…よそ見しながら走ると、危ないぞ」
シアンは少年を優しく立たせて、彼が落とした物を拾ってあげた。少年はシアンが助けてくれた事に、少し驚いている様子だった。
「その…ありがとうございました」
「気をつけて帰るんだぞ」
小人族の少年はシアンに礼を言った後、周りに気をつけながら歩いて行った。シアンとフィオナは、しばらく少年の後ろ姿を見守っていた。
「あなたは、小人族を憎んでいる訳じゃないのね…」
「僕の故郷を奪った奴らは憎い。けど、あの子供を憎む理由にはならない」
シアンは確かに故郷の人々の命を奪った小人族を憎んでいた。しかし、その憎しみは故郷を滅ぼした者以外には向けられていなかった。
(よし…少し休憩しよう)
俺は一旦執筆をやめて、リビングで休む事にした。ライネスとカエデも、コントローラーを置いて休憩しているようだ。
「さっきの見てたよな?!俺がカエデさんに買った…」
「見てなかった…」
ライネスはカエデに一度勝っていたようだが、俺はそれを見逃してしまっていた。どんな風に勝ったのかは見ていたかったので、それを見れなかったのは残念だった。
「でも流石に疲れた…」
「お茶…今度は冷たいの」
「…俺が持って行くよ」
ライネスとカエデはずっと対戦をやっていたのか、疲れている様子だった。俺は二人の分の麦茶もコップに注いで、リビングに持って行った。
「ありがとう」
俺達は麦茶を飲みながら、しばらくリビングでくつろいでいた。俺はずっと小説の下書きを書いていたし、2人はずっと対戦をしていたので文句は言われないだろう。
「そうだ…俺、仕事しなきゃ」
「はぁ…しっかりしてよ」
兄は慌てた様子でコンピュータを再起動して、仕事を再開した。カエデはまだ麦茶を飲んでいる途中だったので、俺はまだ読み終わっていないラノベを手に取った。
「あの…このアカウントでオンライン対戦やってもいい?」
「いいよ」
正確には兄のアカウントだが、あのライネスがカエデに文句を言うとは思えない。それに俺も上手い人のプレイを、じっくりと観察したかった。
カエデはオンライン対戦でも、かなり強いプレイヤーだった。彼女は普段のアカウントでは、既にレート2000に到達しているプレイヤーの一人だ。
「すごいな…俺や兄さんとは別次元だ」
「やりこんでいる内に、こんなに上手くなったんだよね」
カエデは相手プレイヤーが操作するキャラクターに合わせて、器用に戦法を変えていた。基本的にはスピードタイプだが、相手の動きが速すぎる場合は敢えてパワータイプにして戦っていた。
「このアカウントのレートも上げていいよね?」
「いいんじゃない?」
ライネスも俺もオンライン対戦をやっていなかったので、アカウントのレートは低かった。その為、カエデも最初の頃は簡単に勝てていた。
「カエデさん、オンライン対戦やってるんですか?俺もやりたいです」
「うん。元々あなたのアカウントだからね」
ライネスは仕事に一区切りついたようで、オンライン対戦を始めた。カエデはまた、冷たいお茶を用意して休憩し始めた。
「カエデさん…アリセを操作するの上手ですよね」
「好きなキャラクターだからね」
カエデが得意とする、パワータイプとスピードタイプを切り替えられるキャラクターは、アリセという名前だった。ライネスが得意とするリュウジとは違い、最近のゲームからの参戦だった。
「えっと…ゲームのタイトルは"クロスロード2"…」
「私の好きなゲームの一つだよ」
クロスロード2は一作目と比較すると、王道のシナリオとなっている作品だった。一作目がダークな作風だったので路線の変更には賛否が分かれたらしいが、カエデは気に入っているようだ。
「好きな声優が出演したから買ったんだけどね。シナリオもキャラクターも好きになったよ」
カエデの好きな声優であるモモコ・ヒサカワは、クロスロード2ではフィーナというキャラクターを演じているようだ。俺は、モモコが演じているキャラクターの中では「獅子の王」のキャラであるニナ・シエラがお気に入りだ。
「俺もやってみようかな…」
俺は少しクロスロード2に興味が湧いて、実際にプレイしてみたいと思っていた。一作目をプレイしていなくても、シナリオは十分に理解できるようだ。
「それって確か一人用のRPGのゲームだよな?」
「兄さんが興味を持つタイプのゲームではないよね…」
兄は基本的にはアクションゲーム、特にオンライン対戦要素があるものを好んでいた。基本的にはRPGにはあまり興味を持つ事は無かった。
「俺も混ぜてくれよ。仕事がちょうど終わったんだ」
仕事を終えたライネスだが、まだゲームをやる元気はあるようだ。ライネスとカエデのバトルを見ると言うのもありだったが、俺も混ざりたい気分だった。
「俺もやろうかな。ひょっとしたら勝てるかもしれないし」
「おお、エドガーにしては積極的だな」
「多い方が楽しいからね」
俺もコントローラーを持ち、3人で対戦する事になった。俺はあまり上手くないが、改めてカエデが操作するアリセに何処まで通用するかを確かめたくなった。
俺も少しずつ、カエデの戦闘スタイルの弱点を突けるようになって来た。しかしカエデもこちらに合わせて調整してくるので、中々上手くいかない。
「エドガーも上手くなってるな」
「まだまだだよ…」
とは言え、CPUではない対戦相手を相手に戦う事によって上手くなって来ているようだ。特にカエデのような高い実力を持つプレイヤーが対戦相手になってくれる事で、こちらの実力も高くなっている。
「よしっカエデさんに勝てたぞ!今の見てたよな!」
「うん…短時間でここまで上手くなるなんて」
ライネスの操作するリュウジが、カエデの操作するアリセの残機をゼロにした。俺は素直にすごいと思ったがそれはそうとして、満身創痍のリュウジにトドメを刺す事にした。
「えっ…ちょっと?!」
「だってこれチーム戦じゃないし…」
ライネスは当然反撃して来たが、俺が操作するキャラの方が体力が多く残っていた。俺はライネスやカエデのように、積極的に動いていなかったのだ。
「よし、俺の勝ち」
「え…」
「最下位は私で…1位はエドガーだね」
俺はライネスの残機をゼロにして、最終的な勝者となった。結果的に漁夫の利という形になってしまったが、それでも勝てた事は嬉しかった。
「何だよエドガー!俺が勝って喜んでるところにそれはないだろ!」
「ええ…だって隙があったし…」
「油断した方が悪いね」
その後も俺達は使用キャラを変えたりしながら、何度も対戦をした。最終的に1位になった回数が一番多かったのは、やはりカエデだった。
「もう夕方だし…そろそろ帰ろうかな」
カエデの言う通り、もうすぐ陽が沈む時間になっていた。彼女は水分補給のために、麦茶を飲み始めていた。
「え…夜ご飯食べて行かないの?」
「流石にそれは…」
ライネスは驚いていたが、カエデは迷惑になるかもしれないと考えているようだった。既に彼女はこの家の前に、タクシーを呼ぶための電話をかけようとしていた。
「じゃあ…また来て欲しいです」
「うん、じゃあね」
カエデは家の前に止まったタクシーに乗って、帰宅して行った。あっという間に、普段と変わらない家に戻ったのだ。
「たまにはこう言うのも、悪くないな」
「さて…夜ご飯の準備をするか」
俺とライネスは、あらかじめ決めてあった夕食の準備を始めた。変化のある日もいいが、普段通りの日常も悪くはないものだと思いたかった。
「よぉ。受験しない奴は暇でいいなぁ」
「兄さん…そうか、普通にやってきてる奴なら必死に勉強してる時期か…」
俺の兄、ライネスは俺が執筆している小説の下書きを読み始めた。ライネスはそれを読んで少々ではあるが、呆れたような態度をとった。
「って官能小説かよ…ちゃんとした小説家になる気あんのか?」
「これだって俺の経験に…」
俺は執筆中であるにも関わらず絡んで来る兄に付き合っていた。そう言えば兄の仕事は、今日は休みなのだろうか。
「兄さん…今日は休みなの?」
「今日は家でもできる仕事なんだよ。だからわざわざ出社する必要はないんだ」
俺は、兄が家にいる中で小説を書くのも悪くはないと思っていた。少しは周囲に変化が無いと、気が滅入って来る事もあるからだ。
「今日はアルバイトの日じゃないんだな」
「うん」
俺は7月に一度、過労と熱中症で倒れてしまっていたので、バイトの数を減らしていた。003に行く前に体を壊したら意味がないからだ。
「本当に無理はするなよ。頑張る頑張らないは関係なく、自分が疲れている時は休んだ方がいいんだ」
「…ありがとう」
今回に関しては、本当に兄の言う通りだと思った。小説を書き続けても辛くなる事はあるから、その時は休んだ方がいいのだ。
「まぁ…残念ながら世の中はそんなに単純じゃないんだがな。クソみたいな上司もいるし」
「…そうだよね」
大人になるというのはどういう事なんだろうと、いつも疑問に思っていた。少なくとも、ただ社会のために動く歯車には、なりたくないと思っていた。
「だが、潰される前に、死ぬ前に逃げる!これが人生で一番大事だって、俺はエリア003で学んだんだ」
「それも…分かってるつもり」
ライネスはエリア003の過酷すぎる、ソーラーパネルのメンテナンス業務から逃げて来た。それに関しては全く恥ずかしい事では無いし正しい判断だと、俺は思っていた。
「じゃあ気分転換にっ…て言っても」
「外は雨だもんな」
今日の雨は特別激しいものでは無かったが、外に出かけるような天気では無かった。少なくとも、気分転換の散歩に行くといった事はできなさそうだった。
「じゃあゲームでもやろうぜ。エドガーも付き合えよ」
「はぁ?兄さん仕事中じゃ…」
「いいんだよ。母さんも気にしないだろうしさ」
「うん…最初から本気はやめてね」
俺とライネスの母親、エルナ・メイソンは俺たちの話を聞いても咎めるような事はしなかった。ライネスがゲーム機やコントローラーの準備をする間、俺は飲み物や菓子を準備する。
「さぁ…バトルだ!」
「はぁ…操作感覚を思い出さないと」
そして俺とライネスは仕事の事も小説の事も忘れて、対戦ゲームを始めた。対戦ゲームは久々だったが、その分俺は楽しかった。
「クソっおりゃっそこだっ」
「はぁ…またそれか」
俺とライネスは既に11回目の勝負を始めていたが、兄であるライネスの方が優勢だった。10回の勝負のうち、俺が勝てたのは2回だけだった。
「お前さぁ…俺に勝つ気あんの」
「まだだ。ここからだ…」
俺は以前から得意だったコンボ攻撃を、ライネスが操作するキャラにしかけた。敵の攻撃を利用して、スローモードにして連続攻撃を叩き込むのだ。
「よしこれでっ…とっ…」
「あ…」
ライネスが素早くコマンド入力する事で、俺が操作するキャラクターに攻撃が叩き込まれる。そのままライフポイントを0まで削られて、俺の残機がまた一つ減った。
「お前さぁ…ワンパターン過ぎ」
「まだだ、こっからだ…」
俺は再びコンボ攻撃を行なって、一気に相手のライフポイントを削ろうとした。結局、俺はライネスの残機を削る事が出来ないまま、敗北は9回目になった。
「畜生…これで5連敗」
「キャラのセオリーに従いすぎなんだよ。もうちょっと工夫した方が…」
俺が使っていたのは銃を武器にしているが、遠距離近距離どちらにも対応できるキャラだ。さらには敵の攻撃をタイミングよく回避する事で、敵の動きをスローに出来るのだ。
「兄さんだってキャラのセオリー通りに…」
「…セオリー通り使っていても強いキャラなんだよ」
ライネスが使っていたのは、一昔前の格闘ゲームからの参戦キャラであるリュウジだ。複雑なコマンド入力を求められる操作難易度の高いキャラなので、俺はあまり使っていない。
「まぁ、キャラ性能にも差はあるし…」
「分かった。じゃあ別のキャラを使う!」
「…そう言えばさっき知り合いを呼んだ。ずっと一対一じゃ飽きるだろ」
「知り合いって…こんな雨の中呼んだのかよ」
俺はライネスの行動に呆れながら、少し休憩していた。10分経たないうちに来客が来て、母が迎え入れた。
「いらっしゃい。あんまり広い家じゃ無いけど、ゆっくりしてね」
「どうも…」
「え…カエデさん」
母親が招き入れてリビングにやって来た客人は、何とカエデだった。俺はライネスが読んだ知り合いが、カエデだとは予想もしていなかったのだ。
食卓の近くの椅子にカエデが座ると、母親が菓子を用意した。俺もライネスも、勿論父親もこの家にあるとは知らない菓子だった。
「そんな菓子あるなんて知らなかった」
「これは私とお客さんに出すための物だから」
そうは言いつつも、母さんは俺とライネスの分の菓子も用意してくれた。母さんは、カエデに頼まれて茶を淹れるための湯を沸かし始めた。
「カエデちゃん…よく来たね。こんな雨の中」
「この街は路面電車が発達してるから。後、気分転換がしたかった」
カエデの衣服はほとんど濡れている様子が無かった。彼女の言う通り路面電車を使って、この家までやって来たのだろう。
「これは…ルイボスティーですね」
「まだ熱そうだな…」
俺とライネスはお茶に関しては、ペットボトルの麦茶や緑茶ぐらいしか飲んだ事が無かった。こうして湯を沸かして淹れた、温かい茶を飲んだ事はあまり無かった。
「うん…美味しいな」
「こっちの菓子もうまいぞ」
初めて飲んだルイボスティーは、中々美味しかった。一緒に出された菓子も茶に合う甘さで美味しく食べる事が出来た。
「でも…何で来ようと思ったの?」
「あなた達とゲームがしたかったから。基本家で一人だから気が滅入りそうになる時もあるの」
「でもまさか、うちでゲームしませんか?ってメール送って、本当に来てくれるとは思いませんでしたよ」
メールを送った本人であるライネスも、割と驚いている様子だった。まぁ、外は雨が降っているし、俺だったら断っていたかもしれない。
「後、ずっと曲の制作してると疲れるの。プロにだって息抜きは必要」
「やっぱりそうですよね…」
「人間たまには休まないとやってらんないよ」
プロの作曲家だと言っても人間である以上、歳に関係なく休む事は必要だ。俺も小説家になる前に体を壊さないように、気をつけないといけないと思った。
「エドガーも無理は禁物ですよ。この間、ライネスから倒れたと聞きましたので…」
「え…兄さんカエデさんに伝えたの?!」
「恥ずかしがるな。お前が無理しないように色んな人に見てもらう必要がある」
まあ、俺が倒れるまで無理をする人物だという事を知っている人は、一人でも多い方がいいかもしれない。この前は過労と熱中症だったので、本当に死んでもおかしくは無かった。
「このゲーム。対戦ゲームでしょ、自信あるから早くやりたいんだけど」
「おっ!それは楽しみですね…こっちも全力でいきますよ」
「まずはお手並み拝見と…」
俺たちがやっていたゲームは、カエデもプレイ済みのようだ。俺達はそれぞれが抱えているものから離れて、ゲームに集中した。
結論から言うとカエデはかなりの手練れで、最初の試合は俺も兄もすぐに負けてしまった。カエデのライフポイント自体はギリギリまで削れていたが、残機は一つも減っていなかった。
「強すぎる…」
カエデが操作していたキャラクターは、パワー特化のモードとスピード特化のモードを切り替えて戦うキャラだった。このゲーム全体でも性能が高い方で、さらにカエデの操作テクニックも合わさって殆ど隙が無かった。
「あの…一人用モードやってるとこ、見せてくれませんか?」
「…分かった」
カエデが選択したのは、横スクロールのステージもあるモードだった。簡単なストーリーもあり、ボス戦があるステージも存在する。
「このモードは好きだよ。ボス相手の力試しもできるし」
「じっくり観察させてもらいますよ」
「…まぁ俺もそれ考えてたけど」
ライネスの目的は、カエデがどのようなコンボを好んでいるのかを観察する事にあった。俺としても上手い人のプレイを見る事自体が面白かった。
「おお…こんなに簡単に…」
「雑魚の処理は、これくらい手早くやらないとね」
カエデは横スクロールのステージを素早く進みつつ、邪魔な敵を倒していった。俺やライネスには、ここまで手際の良いプレイは出来なかった。
「あっという間にボス戦か…」
「こいつと戦うの苦手なんだよな」
カエデが今回戦うボスは、体のサイズが小さくトリッキーな動きを得意とするボスだった。俺は攻撃を当てづらい割にはライフポイントが高く、避けにくい攻撃を数多く使ってくるこのボスが苦手だった。
「この攻撃を避けるのは簡単」
「こいつは最初の方は簡単に避けられる技しか使ってきませんよね」
「でも難しいのは体力を減らしてから…」
このボスが前半に仕掛けてくる突進攻撃や刃を飛ばす攻撃、地雷を仕掛ける攻撃は避けるのはそこまで難しく無かった。しかし、終盤になると広範囲を覆い尽くす矢の雨や、高火力のビームなどの避けにくく大ダメージになる技を行うようになる。
「おおっ…そうやれば簡単に避けられるのか…」
「このゲームに関してはボスの攻撃にはどれも安全地帯ができるようになってる」
「それを見つけることができれば、避けるのは簡単…」
カエデはボスの出す攻撃技の安全地帯を記憶しているようだ。無闇に攻撃を優先せずに、危険な攻撃の時は安全地帯に逃げるようにしている。
「後はパワータイプに切り替えてガンガン攻めていけば…」
「すげえ高火力…」
「俺だったら攻撃を避けるのに精一杯で、ずっとスピードタイプのままだろうな…」
カエデは後半戦になった直後はスピードタイプに切り替えて、攻撃を避けつつ少しずつダメージを与えていた。そしてボスの体力が残りわずかになると、再びパワータイプに切り替えて一気にトドメを刺しに行った。
「よし…1分32秒」
「お見事です」
「速くても2分近くかかるのに…」
カエデはパワータイプで攻めて、ボスを撃破した。ライネスは自分がやる時はもう少し時間がかかるのに、2分以内で撃破したカエデの実力に驚いていた。
「じゃあ一人用モードもやったし、またあなた達と対戦したいんだけど…あ、その前にエアコンの設定温度もう少し下げて」
「もうカエデさんの動きのクセは確認させてもらいました。次は俺が勝ちます!」
「そう簡単にいくのかな…」
ライネスは既にカエデの得意なコンボを見切ったと豪語している。弟である俺はそんな事を言っている兄を、半信半疑で見ていた。
ライネスは確かに、彼女の得意なコンボの隙を突く戦法をとれていた。流石のカエデも対応しきれず、初めて彼女の残機を1つ減らした。
「おっと…やるね」
「よしカエデの残機残り2…このままいける!」
「兄さんだって残機は残り2つだし…俺なんて残機後1つだよ」
俺のライフポイントは余裕だったが、ライネスのライフポイントは残り僅かだった。それに対してカエデはリスポーンしたばかりなので、ライフポイントは満タンだった。
「よし…じゃあこのパターンでいこう」
「え…」
カエデの普段の戦闘スタイルは基本はスピードタイプで攻めて、大技はパワータイプで叩き込むものだった。しかし、ライネスがスピードタイプに翻弄されなかったので、カエデは適宜パワータイプに切り替えるプレイングを仕掛けて来た。
「まだだ…このまま押し切れる!」
ライネスはコマンド入力をしてコンボ技を続けた。スタイルは変化したが隙は増えたので、一気に押し切るつもりなのだろう。
「これでっ…トドメっ!」
「なっ…」
俺がカエデに倒された後、残り残機1つになったライネスも撃破されて、勝者はカエデになった。ライネスは終盤になるにつれて複雑なコマンド技の暴発が増えていき、カエデのキャラとのダメージレースに負ける結果になったのだ。
「また負けた~いいところまで行ったのに」
「今回は中々だったよ」
カエデは普段は自己流のスタイルで戦っていたが、弱点を突かれてそのキャラのセオリー通りの戦い方に切り替えたのだ。ダメージを受ける事を恐れずに積極的に立ち向かって、自らの勝利を手にしたのだ。
「はぁ…俺、疲れた。ちょっと休憩する」
俺はコントローラーの接続を一旦切って、椅子に座って休む事にした。そして、テーブルに置きっぱなしだった小説の下書きを進める事にした。
「エドガー…俺らが横でゲームやってるのに小説の続き書くのか?」
「たまには環境を変えてみたいんだ」
「小説書くのって、休憩になるの?」
俺は今回は異世界を舞台にしたファンタジー作品を書く事に再挑戦していた。今回は現代から主人公が転移するといった要素は廃して、いくつかの異なる世界を舞台にした作品にするつもりだった。
「どう?下書きは進んでる?」
「まぁ…ぼちぼちかな」
俺に下書きの進み具合を聞いてきたのは、母さんだった。母さんはあまり好きでは無かったが、聞かれたので答えた。
(さて、このキャラクターをどう動かすか…)
俺は長編ファンタジー小説「九つの世界 混沌を晴らす英雄たち」の外伝シナリオとなる、短編の小説を書いていた。メインキャラクターの一人であるシアンが、主人公であるヨシュアと合流する前の、前日譚となる話だ。
巨人族の青年 シアンの再起
シアンは小人族の追手から逃れるために、妖精の世界アルフヘイムのスヴァルト地方に潜伏していた。アルフヘイムの妖精達は基本的に他の種族との交流を拒んでいるが、スヴァルト地方に住む黒妖精は例外だった。
「傷はもう痛まない?」
「ああ…僕を助けてくれた恩は、忘れない」
黒妖精は闇の魔法を得意とする種族と言われて、妖精達からは嫌悪されていた。それ故に高慢な妖精達とは違い他の世界、他の種族にも積極的に関わる在り方を目指しているのだ。
「…まだ…ここにいてもいいだろうか」
「大丈夫だよ」
巨人族のシアンにとっては、妖精の住まいは少し狭かった。妖精達は小人族と同様に、人間よりも小柄な種族だった。
「何があったのか聞かせてくれる?」
「俺は巨人の世界ヨトゥンヘイムの…ガストロープニル地方の出身だ」
ヨトゥンヘイムは長い間、小人の世界であるニゼヴェリルと対立していた。近年ではニゼヴェリル側が優勢で、ヨトゥンヘイムの街に攻め込まれる事態にまで発展していた。
「じゃあ…」
「昨日の大規模侵攻でガストロープニル地方は小人族に奪われた…それで俺はこの世界に逃げ込んで来たんだ」
シアンは小人族の軍に立ち向かったが、守ろうとした街の人達は皆殺しにしれてしまった。王都であるウートガルズまで逃げ延びる事は不可能だったので、扉を通じてアルフヘイムのスヴァルト地方に逃げて来たのだ。
「これから、どうするつもり?」
「復讐をすると言いたいところだが…今の僕には何もかも足りない」
シアンには魔法の才能があったが、それだけで小人の軍隊に勝てるわけが無かった。小人族に立ち向かうためには、他にも多くの人間や武器が必要だった。
「私はフィオナ。あなたは?」
「シアンだ…よろしく」
黒妖精の少女と巨人族の青年は、お互いに名前を名乗った。二人の若者がどれ程の間行動を共にするのかは、誰にも分からない。
シアンはしばらくフィオナの家に匿ってもらう事にした。勿論、その間にも少しずつ反撃の準備を進めるつもりだった。
「これ、スヴァルト地方の果物だけど…口に合うかな?」
「ああ…甘くて美味しいよ」
その間にもシアンはフィオナと、お互いについての様々な話をした。生まれ育った場所の好きなところや、美味しい食べ物、好きだった景色について語り合った。
「…もう僕の故郷は無いけどね」
「あなたの心に残っている…というのは綺麗事だよね」
傷が癒えて来たシアンはフィオナに、スヴァルト地方を案内してもらった。様々な食べ物やアクセサリーの店を案内してもらって、好きな物も増えた。
「ここは、僕の事を恐れる人が少ないな…」
「黒妖精は、他の世界への興味も強いの」
アルフヘイムに住まう妖精達の殆どは他の種族を恐れて、関わりを持とうとしない。一方で、スヴァルト地方で暮らしている黒妖精は、他の世界の事を積極的に知ろうとする者が多い。
「あっ…」
「おっと」
前を見ずに走っていたのか、小人族の少年がシアンの体にぶつかった。小人族の体格は小柄だったため、シアンの方に怪我は無かった。
「その…ごめんなさい」
「…よそ見しながら走ると、危ないぞ」
シアンは少年を優しく立たせて、彼が落とした物を拾ってあげた。少年はシアンが助けてくれた事に、少し驚いている様子だった。
「その…ありがとうございました」
「気をつけて帰るんだぞ」
小人族の少年はシアンに礼を言った後、周りに気をつけながら歩いて行った。シアンとフィオナは、しばらく少年の後ろ姿を見守っていた。
「あなたは、小人族を憎んでいる訳じゃないのね…」
「僕の故郷を奪った奴らは憎い。けど、あの子供を憎む理由にはならない」
シアンは確かに故郷の人々の命を奪った小人族を憎んでいた。しかし、その憎しみは故郷を滅ぼした者以外には向けられていなかった。
(よし…少し休憩しよう)
俺は一旦執筆をやめて、リビングで休む事にした。ライネスとカエデも、コントローラーを置いて休憩しているようだ。
「さっきの見てたよな?!俺がカエデさんに買った…」
「見てなかった…」
ライネスはカエデに一度勝っていたようだが、俺はそれを見逃してしまっていた。どんな風に勝ったのかは見ていたかったので、それを見れなかったのは残念だった。
「でも流石に疲れた…」
「お茶…今度は冷たいの」
「…俺が持って行くよ」
ライネスとカエデはずっと対戦をやっていたのか、疲れている様子だった。俺は二人の分の麦茶もコップに注いで、リビングに持って行った。
「ありがとう」
俺達は麦茶を飲みながら、しばらくリビングでくつろいでいた。俺はずっと小説の下書きを書いていたし、2人はずっと対戦をしていたので文句は言われないだろう。
「そうだ…俺、仕事しなきゃ」
「はぁ…しっかりしてよ」
兄は慌てた様子でコンピュータを再起動して、仕事を再開した。カエデはまだ麦茶を飲んでいる途中だったので、俺はまだ読み終わっていないラノベを手に取った。
「あの…このアカウントでオンライン対戦やってもいい?」
「いいよ」
正確には兄のアカウントだが、あのライネスがカエデに文句を言うとは思えない。それに俺も上手い人のプレイを、じっくりと観察したかった。
カエデはオンライン対戦でも、かなり強いプレイヤーだった。彼女は普段のアカウントでは、既にレート2000に到達しているプレイヤーの一人だ。
「すごいな…俺や兄さんとは別次元だ」
「やりこんでいる内に、こんなに上手くなったんだよね」
カエデは相手プレイヤーが操作するキャラクターに合わせて、器用に戦法を変えていた。基本的にはスピードタイプだが、相手の動きが速すぎる場合は敢えてパワータイプにして戦っていた。
「このアカウントのレートも上げていいよね?」
「いいんじゃない?」
ライネスも俺もオンライン対戦をやっていなかったので、アカウントのレートは低かった。その為、カエデも最初の頃は簡単に勝てていた。
「カエデさん、オンライン対戦やってるんですか?俺もやりたいです」
「うん。元々あなたのアカウントだからね」
ライネスは仕事に一区切りついたようで、オンライン対戦を始めた。カエデはまた、冷たいお茶を用意して休憩し始めた。
「カエデさん…アリセを操作するの上手ですよね」
「好きなキャラクターだからね」
カエデが得意とする、パワータイプとスピードタイプを切り替えられるキャラクターは、アリセという名前だった。ライネスが得意とするリュウジとは違い、最近のゲームからの参戦だった。
「えっと…ゲームのタイトルは"クロスロード2"…」
「私の好きなゲームの一つだよ」
クロスロード2は一作目と比較すると、王道のシナリオとなっている作品だった。一作目がダークな作風だったので路線の変更には賛否が分かれたらしいが、カエデは気に入っているようだ。
「好きな声優が出演したから買ったんだけどね。シナリオもキャラクターも好きになったよ」
カエデの好きな声優であるモモコ・ヒサカワは、クロスロード2ではフィーナというキャラクターを演じているようだ。俺は、モモコが演じているキャラクターの中では「獅子の王」のキャラであるニナ・シエラがお気に入りだ。
「俺もやってみようかな…」
俺は少しクロスロード2に興味が湧いて、実際にプレイしてみたいと思っていた。一作目をプレイしていなくても、シナリオは十分に理解できるようだ。
「それって確か一人用のRPGのゲームだよな?」
「兄さんが興味を持つタイプのゲームではないよね…」
兄は基本的にはアクションゲーム、特にオンライン対戦要素があるものを好んでいた。基本的にはRPGにはあまり興味を持つ事は無かった。
「俺も混ぜてくれよ。仕事がちょうど終わったんだ」
仕事を終えたライネスだが、まだゲームをやる元気はあるようだ。ライネスとカエデのバトルを見ると言うのもありだったが、俺も混ざりたい気分だった。
「俺もやろうかな。ひょっとしたら勝てるかもしれないし」
「おお、エドガーにしては積極的だな」
「多い方が楽しいからね」
俺もコントローラーを持ち、3人で対戦する事になった。俺はあまり上手くないが、改めてカエデが操作するアリセに何処まで通用するかを確かめたくなった。
俺も少しずつ、カエデの戦闘スタイルの弱点を突けるようになって来た。しかしカエデもこちらに合わせて調整してくるので、中々上手くいかない。
「エドガーも上手くなってるな」
「まだまだだよ…」
とは言え、CPUではない対戦相手を相手に戦う事によって上手くなって来ているようだ。特にカエデのような高い実力を持つプレイヤーが対戦相手になってくれる事で、こちらの実力も高くなっている。
「よしっカエデさんに勝てたぞ!今の見てたよな!」
「うん…短時間でここまで上手くなるなんて」
ライネスの操作するリュウジが、カエデの操作するアリセの残機をゼロにした。俺は素直にすごいと思ったがそれはそうとして、満身創痍のリュウジにトドメを刺す事にした。
「えっ…ちょっと?!」
「だってこれチーム戦じゃないし…」
ライネスは当然反撃して来たが、俺が操作するキャラの方が体力が多く残っていた。俺はライネスやカエデのように、積極的に動いていなかったのだ。
「よし、俺の勝ち」
「え…」
「最下位は私で…1位はエドガーだね」
俺はライネスの残機をゼロにして、最終的な勝者となった。結果的に漁夫の利という形になってしまったが、それでも勝てた事は嬉しかった。
「何だよエドガー!俺が勝って喜んでるところにそれはないだろ!」
「ええ…だって隙があったし…」
「油断した方が悪いね」
その後も俺達は使用キャラを変えたりしながら、何度も対戦をした。最終的に1位になった回数が一番多かったのは、やはりカエデだった。
「もう夕方だし…そろそろ帰ろうかな」
カエデの言う通り、もうすぐ陽が沈む時間になっていた。彼女は水分補給のために、麦茶を飲み始めていた。
「え…夜ご飯食べて行かないの?」
「流石にそれは…」
ライネスは驚いていたが、カエデは迷惑になるかもしれないと考えているようだった。既に彼女はこの家の前に、タクシーを呼ぶための電話をかけようとしていた。
「じゃあ…また来て欲しいです」
「うん、じゃあね」
カエデは家の前に止まったタクシーに乗って、帰宅して行った。あっという間に、普段と変わらない家に戻ったのだ。
「たまにはこう言うのも、悪くないな」
「さて…夜ご飯の準備をするか」
俺とライネスは、あらかじめ決めてあった夕食の準備を始めた。変化のある日もいいが、普段通りの日常も悪くはないものだと思いたかった。
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