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第八章
襲撃者
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21
とつぜんの銃撃は、夕闇の中で起こった。
多くの人の行きかう、港の広場。
夕飯の買い物を終え、海鮮食材の店を出たそのとき――
「ニニ! ふせて! よけなさい!」
「え? ミスローダ、なに――」
ダアァァァン!!
ミスローダがニニを押しのけたのと、
音がしたのが、まったくの同時。
「おい、なんだ今のは?」「魔法?」
「花火?」「いや。銃だろ、いまのは――」
買い物客たちが口々に騒ぎ出す。
「ミスローダ! ねえミスローダ! 大丈夫?」
ニニがミスローダを揺すぶった。
すでにそこに、血だまりができはじめている。
大勢の人が、そこに集まってきた。
――おい、大丈夫かあんた? えらい血ィ出てるが…
――すぐに救護をよべ! 救護だ!
――港のガードも呼んだ方がいいんじゃねぇか?
――しかしなんだこりゃ? 刺し傷にしちゃあ…
――ばか。こりゃ、銃ってやつだよ。知らねェのかい?
――なんだそりゃ? 新手の魔法かい?
「くっ、」
ミスローダがうめいて、上半身を、ゆっくり起こした。
肩から流れ出る大量の血が、服の胸にも染みはじめている。
「ニニ、あなたはの方は無事?」
「わたしはその、大丈夫、だけど―― だけどミスローダ、」
「わたしは大丈夫。たいした怪我じゃない。いいから、すぐに下がって店の中へ。第ニ弾が、またすぐ来るかもしれない。入ったら―― くッ、すぐに扉を―― 閉めて――」
✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾
「いやはや、災難でしたな」
黒マントの男が言って、壁際のその場所からじっとミスローダを見やった。ミスローダはニ階のキッチンの椅子に深くかけて、不機嫌そうに、ちらりと視線を返しただけ。右の肩には、何重にも包帯が厚くまかれている。ミスローダは無事なほうの左の手でカップを取り上げ、さほど美味そうでもなく、形だけ、ちらっと口をつけた。
「だが、残念ながら取り逃がしました。季節はずれのフードをかぶった小柄な人物だと。追跡したガードは証言していましたが。思いのほか逃げ足は速く、東のイリアステラ広場までは追えたらしいのですが、そこから先の足取りがたどれなかったと。そのような報告でした」
男はコツコツと床を歩き、丁重な物腰で、ミスローダのむかいの椅子にかけなおす。
「ま、別にそういう報告はいいのよ。たいした怪我でもない。どうせ素人の下手くそな射手だろうし。だから特に心配はしていない。だけど聴きたいのは、なんであんたがそれをうちに報告に来るのか、ということよ」
ミスローダがじろりと、その黒ずくめの男を正面からにらんだ。
「おや? こちらも今はわたくしの管轄なのですが。ご存じなかった?」
その男―― ネクロマンサーのダルムロッグは、ミスローダの厳しい視線にはまるで気がつかないように、さきほどいれたミー・タリアの新茶を、さもうまそうにカップから喉に流しこんだ。
「やれやれ。あなたもいろいろと手広くやってるのね」
「いえ、それほどでも。悪化の一途をたどる犯罪対策は、もっかディスス市の最重要課題ですから」
「だからって、いちいち上役のあなたがここまでくる必要もないでしょう?」
「おや。迷惑でしたか?」
「あたりまえよ。あなたとは外の仕事で会うのはともかく、家の中まで気安く入ってなにか詮索されたくはないわね。そういう間柄でもないし――」
「おや、つれないですな。わたくしはむしろ、ミスローダ殿の私邸に入れるまたとない好機、まさに公私混同を無理なく正当化できる良い機会だと。そのように浮かれてここにお見舞いをかねて参ったのですが――」
「あけすけに言うわねそれ。半分ストーカーじゃない」
「これは失礼。では以後は、部下に来させましょう」
「部下にもとくに来てもらいたくはないけどね――、って、いたっ。いたたたたた――」
「おや? いけませんね。鎮痛魔法をかけましょうか?」
「いらない。というか、むしろあなたに触られる方が嫌」
「これはまた嫌われましたな」
「あなたそれ、墓場臭いのよ、そもそもが。見た目も陰気だし。なんでまだクソ暑い夏のおわりにそのマントなのよ?」
「これはわたくしの職業服ですからね」
涼しい顔で、ダルムロッグは言った。基本的には表情の動きの少ない彼だったが、ここでは何か、どちらかというと、機嫌は良さそうだった。彼は基本、この手の辛辣なやりとりを、むしろ逆に楽しんでいるようだ。
「ま、冗談のような話はひとまず置いておきまして、」
ダルムロッグが、こほん、とひとつ乾いた咳をする。それから、もともとまっすぐな背筋を、またことさらにまっすぐのばしてミスローダを正面から見た。小さな丸眼鏡が、鼻の上で光る。
「なにかお心あたりは? なにか恨みを買うような、トラブルか何か――」
「ありすぎてわからないわ」
ミスローダはどうでもよさそうに言った。左手で、右肩の包帯を少し気にするような仕草をした。
「まずもって、ウルゴルンでしょ。あれらが、わたしを殺したい理由はもう百万もある。アサシンのひとりやふたり、直接送ってきても何の不思議もない。今までなかったのがむしろ不思議なくらい。わたしはあっちを千の単位でかるく殺してきたから、今さらなにか、自分を弁護するようなつもりもないしね。殺されるだけの理由はある。まあでも、今回に関しては、たぶんウルゴルンではない」
「なぜ、それをおっしゃる?」
「下手すぎたからよ」
「ほう?」
「あれは素人。射撃の前に、ものすごい殺気を発していた。誰でもあれでは、わかってしまう。ほんとのプロの暗殺者なら、もっと気配を殺してうまくやる」
「ふむ、」
「それに、銃使いのノアルブたちがウルゴルンと組んだなどという話は、あまり信じられない。もともとあれらは気むずかしい奥地の職工民。とても今回の戦争に、すすんで加わるとも思えない。そもそもが銃自体を邪道の玩具と見下している保守的なウルゴルンを、彼らは心底毛嫌いしている」
「それは同意見ですな」
ダルムロッグはうなずく。
「不幸にして―― いえ、腕の組織に残らなかった故に、むしろ幸運にも、と言ったほうが良いかもしれませんが―― ミスローダ殿の腕を貫通した銃弾を、そのあと、あの店の扉から回収しました。その後の調べで、それはどうも、この島のノアルブ村で製造されているモノとは、あきらかに作りが違ったようです。まずもって金属の組成じたいが異なる。きわめて特殊な銃弾を使ったようで」
「ふむ、」
ミスローダは腕を組もうとして、また、顔をちょっとしかめた。右腕があまり動かないので、いつもの癖で腕組みをしようとすると、どうしても引きつれて、うまくいかない。
「本当に具合は大丈夫ですか? 横になっていらした方がよいのでは?」
「大丈夫だと言ったら大丈夫。そういう弱弱しいご婦人みたいに扱われるのが、わたしいちばん嫌い」
「これは失礼しました。ふふ、ミスローダ殿は、やはり今でもミスローダ殿ですね」
「なによそれ?」
「いえ。ひとりごとです。失礼しました」
ダルムロッグは、服の内側から、ガフネ煙草の包みを取り出したが、すぐにまたそれをしまう。いちおう、よその家に来ているのだ。近頃はこれの煙を喜ばない者も多い。
「あと思い当たるのは、あれね。おまえのところ」
「ほう?」
そう言ってダルムロッグが、一本の指で丸眼鏡の位置を正した。
「イシュミラが、直接わたしを消しにきている、という。その可能性。あれはアタマは悪くない。なにか少しでも政治的に不都合があれば、迷わずわたしを殺しにくるでしょう」
「おや。穏やかではありませんな。ではこのわたくしも、その差し金の一部であると?」
「それもありだと言いたいところだけど――」
ミスローダはつまらなそうに、机の上の手紙の束をいじって、またそれを、どさっと机の上に捨てた。
「その線もたぶん、今回はなし。とにかく下手過ぎる。おまえたちも、腕はそれほど悪くない。イシュミラにしたって、あれはたしかにバカではない。だからやるなら、もっと巧妙にうまくやる。あんなヘマはしない。しかも人の多い夕方の広場で? 本気の素人だわよ、あんなのは」
「しかしその素人に、ミスローダ殿ともあろう方が、今回ばかりは手傷を――」
「それを言われるとね。わたしもヤワになったなと。あらためて思ったわ。少しまた、へこんだ。ただでさえなくなりかけていたプライドが、またちょっと、砕かれたわね――」
ミスローダは力なく笑って、それから、もうどうでもよさそうに、固く目をとじ、そのまましばらく椅子にもたれて、目をひらかなかった。
「ま、ともかく。この地区のガードには、この店の周囲を重点的に巡回するよう、さっそく通達を出しました」
「いらないわそんなの」
「これはイシュミラ様じきじきの命令ですからね。わたくしも「はい。手配いたします」としか言えませんよそれは」
「あのバカ。まったくよけいなことを――」
「ま、ともかくです。お店は、しばらく休業される方がよろしいかと。外出も、あまり必要がなければ、できるだけ少なく――」
「そういう可弱い婦女子あつかいは、我慢できない」
「妙齢のご婦人には違いありません。可弱さについては、わたくしも何とも言いかねますが」
「…ほかには? それで終わり?」
「あとは、そう、その、助手の方ですね」
「ニニ? あれが何?」
「あの方も、同様です。あまり不要な外出は、極力ひかえて――」
「わかったわかった。それはわたしが気をつける」
「では、ひとまず以上です。このほかには、とくには」
「そんなつまらない話のために、わざわざ来たってわけ? あなたも存外暇人ね」
「ま、そう仰らずに。わたくしの方では、ミスローダ殿の私邸の中が一瞬でも垣間見られて、これはなかなか、収穫の大きな午後でしたけれどね」
「だからそれストーカーだって」
「その名称は、ま、甘んじて頂くことにしましょう。ディスス城市一級ストーカー・ダルムロッグ。なにかこう言えば、なかなか素敵にきこえませんか」
「――おまえが本気でそれやりだしたら、わたしも勝てる自信ない。冗談でもよしてね、そういうの。わたしもそれ、もう言わないことにする」
「はは。ま、害のない冗談です。じっさいわたくしもそこまで暇でもない――」
✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾
それからしばらく、ミスローダの美容室は休業となった。
傷そのものは、ミスローダ自身の回復魔法で見た目上、きれいに消えたのだけど。なにか、中の方の腱だとか、神経だとか、そういうものが、まだうまくつながらないらしい。美容のハサミをもっても、うまく力が入らない。手の指先に、いつもの感覚が戻らない。
これでは商売にならないわ、と言って、めずらしく少し弱気になったミスローダ。とりあえず店を、しばらく閉めることにした。また腕がもとに戻ったら、またすぐ再開を、と。そういう話で、半月ばかりが経った――
22
夏の終わり。三ノ刻。
短い夜が、もうすぐ明けようとしている。
あの日以来の外出禁止令で、家にこもるだけの毎日にちょっぴり飽きてきたニニは、またあの、竜娘のムームーに会いたくて、会いたくて―― まだミスローダが眠っている暗い時間にひとりで起き出し、こっそり裏から外に出た。
ひさびさの外は、潮風のかおりが心地よかった。あの岩場のところで、 ちょっとだけ会って、そこで遊んで、またすぐ戻れば――
たぶんそれなら大丈夫。
すっかり明るくなってミスローダが起きてくるその前に、また自分の部屋まで、こっそり戻っていたならば。それならきっと怒られないだろう――
もう歩きなれた石畳の坂道は、今はまだ暗かった。骨のような、大きな大きな白の月が、遠い海のほうに沈みかけている。ニニはうっすら朝霧のかかる波止場を通り過ぎ、遠くの岩場に、いつものニ人の姿を見つけた。
「リヒティさーん!」
手をふりながら、ニニは嬉しそうに駆けていく。
「おや、ニニじゃないか」
釣り場の岩の上から、リヒティカットが手をふりかえす。そばにいたムームーも、さっそくニニを見つけた。いまそこで食べかけていた脂ののったグラウディオラをそのままにして、もう待ちきれないで、ニニにむかって自分の方から走り出す――
「ん?」
そのときリヒティカットは、ある違和感を感じた。
ニニの背後に、ひとつの影。
それはいま、あちらの岩の、うしろへ移動――
そこからわずかに、腕だけ出して――
「いかん!」
瞬時に彼が跳躍する。かつての戦場でしか見せたことのない、すさまじい疾走でたちまちムームーを追いこす。
「ニニ! ふせろ!」
叫ぶと同時に、
彼はもう、はやくもその場所に自ら達していた。
ダアアァァン!!
すべてが同時に起こった。
轟音と同時に、はねた銃弾が岩を削る高い音――
リヒティの操る木の棒が、そのモノの腕をしたたかに叩き――
「ぐッ…」
すべてが、ひとつ瞬きするうちに――
すべてが同時に起こって、そしてすぐに終わった。
「あああぁ! ぐ、い、いた、いて、いててぇえ――」
「何者だ貴様?」
リヒティカットが、冷徹な声を投げ落とす。
腕と膝とで、その襲撃者を岩の地面に組み伏せながら。
「答えろ。返答しだいでは、すぐさま腕を折る」
「お、折るなら、折ればいいィ! おれぁ、か、覚悟はできてるだ!」
その小さな人影が、必死で唾をとばしながら涙声で叫んだ。
「む、なんだ。女? なのか、おまえ?」
「女だと、なにか、わりぃのか!!」
「…どうにもわからんな。その言葉―― このあたりのモノではないということか?」
「くそッ! てめ、は、はなせ! とっとと手ぇ、はなせっつってんだこの、バカオトコ!」
「…気が強いのだけは、誰かにそっくりか。いやはや。女性というのは、まったく――」
リヒティはなにかぶつぶつひとりごとを言い、それから顔をあげ、真顔でニニの方を見る。ニニは、なんだかさっぱりわからずに、リヒティと襲撃者を、不思議そうに交互に見つめた。
「ニニ、すぐにミスローダを呼んでくるんだ。それからムームーも。ミスローダの家まで、しっかりニニを護衛して。いいかいニニ、すぐに走って、ミスローダをここまで呼んでくること。いま言ったこと、わかったかい?」
「あ、はい。わかりました」
「じゃ、すぐに行くんだ。ムームー、ニニの護衛をしっかりな」
「ワカッタノ。ワタシ、ニニ、シッカリマモルカラ」
✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾
ミスローダがそこについたときには、その襲撃者の小柄な娘は、リヒティの用意した縄で、腕と足とを手際よくしばられ、そこの岩場にごろりと転がされていた。
「聞いたわ。ニニが襲われたって?」
「間一髪だった。ま、その子がわりと下手だったから、僕も早目に気づけたんだけどね。わりとはっきり見える位置から、けっこう大胆に狙っていた――」
リヒティカットが、水際の岩に腰かけ、わりに呑気な声で言った。さすがに幾多の戦いで武功をあげてきた槍使いだけあって、この程度の戦闘は朝飯前といったところなのかもしれない。
「で? こいつは誰なの?」
ミスローダは足もとに転がったそのみすぼらしい娘を、ひややかに見おろして言った。
「さあ? 直接きみ、きいてみたら?」
「なに? これがその武器ってわけ?」
ミスローダは砂の上から、その奇妙なモノをとりあげる。精緻な彫刻のほどこされた金属の筒に、なにか持ち手のようなものが――
「そ、それにさわるな!」
そこに横たわる襲撃者がいきなり叫んだ。
「勝手にそれ、さわるな! べたべた触るんじゃね! それは形見だ! おれのおとうの、大事な形見なんだ!」
「おまえ、ちょっとうるさい。しずかにしてくれる?」
ミスローダが、いきりたつ娘の背中を、ちょんちょん、と、つまさきで小突いた。
「くそっ! くそ! 返せってんだ、その銃を――」
怒りに燃えたニつの目で、もう今にも噛みつきそうな目をして、その娘が、ミスローダをまっすぐ見上げ――
「うぁ!!」
いきなり娘が声をあげた。ミスローダがいきなり蹴ったからだ。いきなり思いきり蹴り上げて、痛みにもだえるその小娘を、髪をつかんで無理やり地面から引きおこし、まだあまり自由のきかない右腕に、急速に魔力を集め――
「よせミスローダ! 殺すつもりか!」
リヒティがあわてて止めに入る。もうあとわずかで雷撃の魔法が発動する、
その魔力みなぎる右腕を、強引に全力でつかんだ。
「邪魔しないでリヒティ。こいつはニニを殺そうとした」
ミスローダはまだ、魔法の発動をとめる気配をみせず――
「よせと言っている! まずは話をきくんだ! 殺すのはいつでもできる! というか、ここはディススだ! 前線ではない! キミにこの娘の生死を決める権限は――」
「あるわ、そんなもの」
「ないよ、それは。キミはいろいろ、誤解をしている」
「誤解なんかしてない」
「している。ま、いいからまずは冷静になろう」
「冷静よわたしは」
「じゃ、もっとさらに冷静になろう。話はそれからだ」
ミスローダは非常に不満そうに、しかし、それ以上は抗弁せず、もう殺しそうな勢いで握りしめていた娘の髪の毛を、ひどく無造作に放した。
ドサッ。
娘の体が地面におちて、痛みに娘が小さく喘いだ。
娘は今では、おびえて、おいおい泣いていた。
泣いて、涙と、鼻水と、よだれも流し――
「ニニとムームーはどうした? ちゃんと家まで着いた?」
リヒティが、まだ少しミスローダを信用しかねるように、ちょうどミスローダと娘との中央に位置をとり、そこにどかりと座った。
「無事よ、ふたりとも。今は家の中で待たせてる。わたしが言うまで、ぜったい外に出てはダメだと言ってきた」
「的確な判断だなそれは」
「それはあなたに言っておく。あなたの冴えた判断のおかげで、あの子が、ともかく、無事でいられた」
「それはどうも。はじめて褒められたかな? 褒めないことで有名なあの魔法第ニ師団長に?」
「その名前はなしね。実際わたしは評価してたわ。リヒティカット槍兵尉―― いえ、そのあと槍兵将になったんだっけ?」
「その名前はもういい。過去の肩書だ。ま、それはお互いにね」
リヒティは言って、ちらりと、はじめてこの朝、笑みをもらした。
「さて、おまえ」
ミスローダが小さな襲撃者にむけ、敵意むきだしの冷たい声で言った。
「泣いてごまかしてもダメよ。まずは、ちゃんとわかるように説明してもらいましょうか」
「ころさねば、だめだ」
ふりしぼる声で、その娘が言葉を発した。
「あれはころさねば、だめだ。なんでおめら、それ、わからね?」
「誰を殺すの?」
「あの竜だ」
「竜?」
「ああ。そうだ。あの竜だ。あの緑髪の、きれいげな娘―― おれはあれを殺すために、わざわざおめら、つけねらっただ。おれは、おめなど、どうだっていいんだ。おれはただ、あれを―― 竜さえ仕留めれば、それでよかった。なのにおめら、邪魔だてして――」
「ふ、なにそれ、その言葉」
「な、なにわらってる」
「『おれ』ってなによ『おれ』って? あなたいちおうメスガキでしょう? どこの場末の汗臭い男村育ちなのよあなた」
「バ、バカにすんでね! おれのくにじゃ、男も女もみな『おれ』っでゆんだ」
「あらそう。それは失礼。じゃ、いちおうきいておこうかしら。それってどこの国?」
「ジンバザッドだ」
「ジンバザッド? どこそれ? きいたこともない」
「ドマ大陸の、遠く遠くひんがしさ行った海のむこうにある国だ」
「ひんがしの? 何? そんな国、どこでもきいたことないわ。まさかデタラメ言ってるんじゃないでしょうね?」
ミスローダが心底軽蔑したように言った。
「まあいいわ。で? はるばるその、東の国から、なぜまたここに? なぜいきなりニ度も襲ったの? 目的がまず知りたい」
「だからあの竜だ」
「竜? どの竜?」
「おめの家にいる、緑髪のむすめごだ」
「ニニ? あの子?」
「おめ、知らずにかくまってんのか」
「べつにかくまってるわけじゃない。一緒に住んでるだけ。いちおう店の助手だしね。にしても、竜? あなたそれ本気で――」
「おめ、バカだな。本気でバカだ。あれがどれほど忌まわしバケモノか、まんだ知らねんだな」
「こきたないノアルブ娘にバカよばわりされる言われはないわ」
ミスローダがまた、娘になにかしようと体を動かしたが、すぐにリヒティが止めた。じっとミスローダを見て、もうやめておけ、とその目で伝えた。ミスローダは、そうね、まったく大人げないわね、と言って、深く息を吐く。
「でも、なかなか興味深い話ね、その話。詳しくききたいわ、その竜とやらの、その話を―― なに? どうしたの? あなたまだ泣いてる?」
「…泣いてね。ジンバザッドの女は、おめらディススのやつらみてに、ちょっとのことでめそめそするよな、そんなたちじゃねんだ!」
「…バカじゃない? なに強がってるんだか」
「いいから聴け! つまんね茶々いれてねえで!」
「じゃ、聴くけど。でも、涙たらたらの鼻声はやめてね。話が聴きにくくなるから。泣きむしノアルブの娘さん」
「う、うっせえ! バ、バカにしやがって――」
【 タラの物語 】
ダスフォラスはきらいだ。
わかんねこと、多すぎ。
理解できねこと、多すぎ。
はやくこんなとこ、いなくなりてぇ。
はやく故郷さ、もどりてぇ。
夜、ひとりなると、おれ、そればかり考える。
けど、いまは故郷、遠すぎる。
帰りてぇ。でも、もうたぶん、帰れねぇ。
いまいる家、漁師の家だ。
ザフトいう名まえ。嫁は、フィハ、いう。
ええ人たちだ。親切してくれる。
けど、その親切、つらい。
おれぁ、ダスフォラス、好きくない。
けど、ザフトとフィハ、あんまりも親切だから。
おれ、あの人ら、好きになりそでつらい。
好きんなったら、したら、ダスフォラス、もう、嫌いでいれねくなる。
それは嫌だ。それは認めれね。
おれぁ死んでもダスフォラスのこと、好きになどなりたくもね。
おれん国は、ジンバザッドゆって、ドマ大陸のひんがしの、まだそのひんがしにある島国だ。ちっちぇ島国だが、山は豊かで、魚おおくて、歴史もながい。みな裕福に暮らしてた。ひんがしの島国んなかじゃ、いちばん豊かに栄えてうらやましがられた。ちっちぇ島だが、そこにおおぜい住んで、そんでも金も米もあまって、米にこまったよその国さ、ただで配ってやれるほどだった。 森もおおおくて、山は緑で、そりゃ、美し島だった。
美し国だ。とても美し国だったが――
いまは、もう、ね。
もう完全に、ね。みな、ねぐなった。
滅ぼされた。全滅した。もう、何も残ってね。
あれは、いまからむつき前のことだ。海の方から、バケモノ二匹、南の浜さおりてきた。やつらがどこからきたか、なぜきたか、今でもそれはわかんね。とにかくあの日が、長い長い、今の今までつづく悪い夢のはじまりだった。はじめに見たのは南の漁師連中で、たちまち南で騒ぎになった。でっけえ竜のバケモノでよ。ありゃ水竜だと、そいつを見た皆が言った。
そいつらはいきなり浜におりると、口からきいたこともねえような悪い毒吐いて、そこらじゅう暴れまわった。その毒にすこしでも触れると、たちまち体がくさって死んじまう。毒のついた地面は、たちまち草枯れて、なんも生えねえ毒地になっちまった。そのへんの海辺の村が、いくつもその日のうちにやられた。
島の西にある王都でも、大騒ぎになった。こりゃ、えれえたちのわりバケモノきちまったもんだと。で、王が、すぐに王都で会議ひらいた。大勢兵士集めて、なにやら話して。そのあとすぐ、南の海むけ、勇まし姿で、よりすぐりの兵団が、王都の門くぐって進撃していったど。そのかっこええ兵士らの姿見て、みな、確信したど。こりゃあすぐ、そのバケモノども静まって、この騒ぎもすぐに終わるだろと。
ところがこれが、こっぴでぇ負け戦でよ。
国でいちばんのツワモノ集めた最高の兵団が、たちまち竜に喰われちまって。船もみな沈んで、生きて戻ったのは四十か五十か、たったそこらだ。
やべぇ、これは本気でド強えとんでもねえバケモノだ、全力かたむけねば危ねぇってな話になって。王が大号令だして、もう国じゅうの軍から全部の兵士かりだして、全軍でこれと当たったんだ。で、その、でっけえでっけえ、島はじまって以来のでっけぇ戦の最後の最後に、二匹いたバケモノのうちの一匹は、なんとか目ぇつぶし、クビさブッとばして、なんとか殺せたみてえだった。だがもう一匹は、どこか傷うけて、海のほうさ、逃げかえったらしいと。そういう報告だった。報告うけて、王はまた、生き残りの兵団あらいざらいかきあつめ、南の海さおくる話、すすめておった。
この話、ディススのヤツさここまで話したら、そいつ、いきなりそこで笑いよる。「ちょっと待てちょっと待て」言いよる。
なにを待てだ? きいたら、ヤツ、こう言いやがった。全軍かけて、そんな竜二匹に苦戦したとか? おめらの国の戦力はちょっとそれ、まずいんでねのか? あまりにもそりゃぁ、レベル低すぎでねぇか? って。んなこと、言いやがる。
おれぁ怒り狂って言った。おめ、おれん国の戦力さバカにしたな? それはな、おれの国さ、おめ、知らねえからだ。おれは逆に、おめらディススどもの兵を、心底バカにしてるぞ。なんしろ、おめらまだ、弓だの剣だの、つまんね古いおもちゃふりまわして、戦いごっこみたいの、今でも平気でやってるら? 槍だの、今でも真顔でつかってるら?
たわごとだわ、んなもん。おもちゃのおもちゃもええとこだ。
おめら、銃ってもの、ほんとにまだ、知らねんだ。んなのは花火に毛がはえたみてな、おもちゃに過ぎねって。おめは言いやがるのか? バカだ、おめ。銃はおもちゃなんかじゃね。あれぁ、ええ武器だ。つえぇ武器だ。それ知らねえで、なにをおめ、おれら国こと、勝手に笑ってやがんだって。おれぁ、本気でアタマきた。アッタマきたよ。
ジンバザッドの軍にゃ、攻城砲ゆって、城のごっつい壁さカンタンにぶちぬく兵器もあったし、船にも海砲ゆて、敵国のでっけ軍船さ、いちころで沈める強ぇ砲つんでた。そこの船んのってるいちばん弱ぇ海兵ですら、手持ちん銃で、ここらディススの剣もちの騎兵なんぞ、何十人でも片手で全滅だわ。ここら時代おくれの僻地の軍らに、おれらの国のすすんだ軍備笑われる言われはねぇ。
ま、だが、別にこの話はあんま大事じゃね。ダスフォラスのやつら、じっさい見ねと、ひんがしの島の技術のすごさ、身に染みてわかんねだろ。おれがいくら言ったって仕方ねえ話だからな。
とにかく、王と町の長らば、あつまって、残る一匹の手負いの竜さ、いかにして倒さんか、みなで相談しておった。だが、その夜に、竜は王都にあらわれたど。準備もなしにいきなりおそわれて、城もなんも、みんな全部いちどにやられた。竜はどでけぇ砲を腹にうけても倒れねかったし、それくらってまたさらに怒り狂いやがって、毒吐きまわって、王都のヒトら、八つ裂きにして食い散らしおったど。王もその兵らも、そのときみんな喰われたど。
そのあとは、もう、地獄だ。その竜、島のあちこちまわって、残る町や村、みな踏みつけてまわって、食い散らかして、毒吐いて、島の大地汚したど。生き残った兵やら若いモノやら、勇気あるモノは、みな、銃とって戦い、でも、みな、さいごは負けて喰われた。
おれの町もやられたど。大勢死んで山に逃げた。逃げて逃げて逃げて、島のいちばん北、ザイモスゆう港にみな逃げたど。生き残りのヒトら、みな、そこさ集まったど。全島会議ひらかれて、さいごは、もう、みなで島すてて、船のって、海に逃げようっつうことに決めた。なんとか生きて海わたり、よその陸さ逃げて、そこで力たくわえて、また国たてなおし、いつかあの竜たおして、またもとの島さ、とりもどそう。みなでそう誓って、夜中にザイモスの港を出たど。何十もの船にわかれて、みなで島すてた。
その夜は、みな、船の中で夜通し泣いた。国ほろびるの、これほどみじめだとは、誰ひとりも知らねかったからな。しかもそれが、隣国との戦に負けたでもなく、おりからふってわいたよな、あんなむごいバケモノの、はんぶん遊びみてな気まぐれで、国ぜんぶが、ダメになっちまったなど。悔しくて悔しくて、おれなんかは、その夜は涙も出んかったわ。
だが、話にはまだ、あとがある。そのまま流れて、ぜんぶの船が無事によその陸さ着けてれば、この話はこれで終わりだ。その地でみなで心あわせて、また国たちあげて、そっからまた、バリバリみなで働いてどうにかなって終わりだ。それだけの話になったはずだ。もしもそうなってれば、おれぁはここに来ることもなかったんだ。
だから今でも考える。なんぜ、そうはならねかったのか。なんぜ神様どもは、そういうように、助けてくれねかったのかと。このときおれら助けてくれねぇで、いったいそれぁ、どこのどこが神様だ。本気でそれ、今でもききたくてしょうがね。
ま、ええわ、神様のことは。どうだってええ話だ。
そのあと、逃げていく旅の途中で、ジンバザッドの船団は、何日もやまぬひどい嵐にまかれて、いつしか方向見失って、知らぬ海域まで遠く流されてしまったど。荒れた風がいっこうにやまんくて、海はたけって、正しく方向決めて一同に進むこともままならずに、ただただ、はぐれぬよう、かたまって、嵐をやりすごすよりほかに手はなかったど。
その嵐のおりに、そいつがまた現れやがった。
あの、忌んまわしいバゲモノ竜めがよ。
ほかにも竜の仲間がいたのか? いうて、船の見張りは大騒ぎしたど。
けど、いや、そうでねがった。あいつは同じ竜だって、兵士連中が口々に叫んでたど。どこにも逃げ場のねぇ嵐の海で、また、あの忌んまわしいヤツが、海の下からぬわっとあらわれやがって。やつめ、執念ぶがく、ジンバザッドの船さ、憎んで追いかけてきたんだ。そりゃ、おれもおどろいたぞ。船の中さ、皆、パニックなって、みな、叫んで叫んで――
だけど、もうそこじゃ、逃げるにも逃げれねえ。もうこりゃ、戦うしかねぇ。どの船も、そこにあるだけの砲さ全部ぶっぱなして、兵士連中は、撃てるだけの銃さ、もう、八方からみぞれみてぇに撃ちまくって。
だが、まるで効かんかったな。竜は、つぎからつぎと、船さ食いちぎって、遊びみたいに、沈めはじめたど。たくさんの船が燃えて、みな、袋からこぼれる米みたいに、つぎからつぎ、海に落ちていったど。そのときになって、おれのおやじが――
「タラ、よくきぐんだ」
「おとう? な、なにするだ?」
「おれがあれさ静める。おれがあれさ封じに行く。おれは長く長くかけて竜封じの弾さ考えて考えて考えて考え抜いて、こないだの夜、ようやくそれの試作さ作った。これ使えば、竜の力さ、うばえる。うまくすれば、これであれを、やれる。だがらおれが、いまからこいつでやりに行く」
「え、だけどおとう。ムリだど。そんなちっこい銃さで、あいつ撃っても無駄だ! おとうも見たろ! あんだけ兵らが海砲ぶっぱなして、あれは傷ひとつ受けてねえ」
「ふ、タラはそこで見てれ。見ろ。おれにはな、これがある。滅竜弾(めつりゅうだん)、ゆうだ。まだほんとには試してねぇが、いまが、たぶん、その試しどきだ。さいしょの試し撃ちがいきなり実戦になっちまったがよぉ」
「やめれやめれ、おとう! ムリだってば! あれには勝てねえ! おれらん船だけでも、なんとか方向かえて逃げねば――」
「これはな、いまここにいる誰かがやらんと、いけぬ仕事だ。あの竜のやつさに、ジンバザッドの製銃技術の高さ、技術のすぐれたとこ、ひとつ、ガツンと教えてやるべ。シンバザッドさ手ぇ出したこと、あの世でヤツに後悔させてやるべ。さ、タラよ。そこ、どけや。おれは行くから」
「やめれ! そんな小舟さ、あぶねって!」
「タラ、聴け」
「おとう?」
「おれはな、たぶん、たぶんこれで終わるが―― だが、おめは生きろよ」
「おとう? なに言って――」
「おれはこれで、この滅竜弾で、この船さ、しっかとまもる。おめの命、まもる。だからおめは生きて、生きて、かならず、生きのびて、そしてそこで、ぜってぇ、しあわせ、なれ。あたらしい土地で、ええ男みつけろ。そいつと子ば、たくさん産め。いっぺぇいっぺぇ産め。んでからその子らに、また、いっぺぇいっぺぇ子ば、産ませろ。それでまたおれら国、おこせ。タラよ、おれは今、おめにそれ、みな、ぜんぶ託すぞ」
「おとう! もどれ! もどってくれ!」
「生きろよタラ。ぜってぇ、しあわせ、なれ!」
そのあと、おれは、見た。おとうの乗った小舟が、バケモノさ、くっつくみたいに――
そして竜が、舟を、かるくひとのみにしようと大口あけて―― ほんとにあっけなかったど。最後までなにも起こらなねかったど。おとうは、さいごは撃ったか撃たなかったか、それもわからん間に、舟ごと、ヤツにのまれて――
そのあと竜がまだ、あばれ出したど。ひどくあばれたど。おれの船も、尾っぽの一撃さくらって、紙の船みたくまっぷたつに割れた。
だが、だがな、その、沈む船の上から、おれはたしかに見たど。竜がいきなり、海の中さ、もぐって、いきなりまた浮いて、なんだか急に、のたうちまわって、ひとりで苦しみだして―― そのあとでっかくでっかく、真っ白の光さ、いきなりビガッと海の中で光って――
それはまぶしい光だったど。強い強い光だったど。だが、おれは目をしっかとあけて、全部それ、見届けた。光ん中、あのでけぇ竜さ、島みてぇにでっけぇ体、みるみる、ちぢんで、ちぢこまって―― さいごは、ちっちぇ、嘘みてにきれいなおなごになったど。緑髪のやつだ。なげえなげえうつくし緑髪した、異国のニンゲンのおなごになった。
おれは、意味がわからねかった。見てること、なにのことだかわかんねぇ。
だが、さいごのさいご、ようやく理解したんだ。おやじの撃った滅竜弾は、あれは、たしかにヤツに、しっかと、当たったんだってな。あれはたぶん、効くまでに、少し時間ば、かかる仕掛けだったんだと。
で、その強ぇ白の光さ、じょじょにおさまって、その、竜のなれのはての異国のおなご、そのまま海面に、音もなく、おちていった。もうすっかり死んでるように、おれには見えたな。竜は、あのおとうの最後の弾に封じられて、死んで、海に落ちた―― それがおれの見だ、さいごの場面だ。そのあとおれの船は燃えて、燃えて、傾いて――
気がついだら、ここさ島、きてたど。
おれはどうやら、漁師さ舟、ひろわれて、手当てまでされて。そこの家で、世話になってたど。どうやらおれは、死ななかったようだ。ここさ島さ流れ着き、なんとか命、つながった。これぁぜったい、あのとき死んだおとうが、あのあとも、あの夜の海のどこかでおれのこと、ずっとずっとまもってくれたんだなって。おれぁ、そう思ったど。
だが、そのあとが、わからねぐなった。
おれはここで、どうやって生きていけばよいんだか。
国のモノぜんぶをなくして、ひとりでどうして生きて行けばいいんだか。
ぜんぜん何も思いつかねぇ。どうして生きて行きゃいいんか――
そうしてここでまた三月が、まるまるすぎたど。
ところが、だ。
話しはまだ終わらねェ。
終わらねェどころか、まだ、ここから、始まっちまった。
おれの悪い悪い夢は、今もまだ、少しも覚めてはくれそうにねぇ。
おれはあの夜、見てしまったど。
見てしまったど。
あんの、ウルゴルンの竜兵どもが、
あんの騒がしいでっけぇ竜兵どもが、
あの夜、嵐の夜に、街をおそっだあのときのことだ。
おれは、その港の丘の壊れだ家のそばで、
そこでそれを、見てしまったど。
空から竜が落ちて、すっかり崩れちまった家の、あの場所でな――
あれがいたんだ、また、そこに。
緑髪の、あのむすめごが。
あの、死んだはずの竜のむすめが。
海にふかく沈んだはずの、あのやつがよう。
あれが、なぜだかあそこに立っていたど。なにだかきれぇげな銀の髪の女とふたり。あんの緑髪の、とんでもねぇ竜の変わり身がよぉ。
あれらはなにか、まもるだかまもらねだか、よぐわかんね立ち話してて、
大雨ん中、なにかふたりでもめていた。
背ぇ高ぇきれな女と、あの、バケモノのむすめごが、
家さ瓦礫の上で、なにかいい争ってたど。
おれは本気でもう、自分の目ぇうたがった。
もう倒れたはずの竜が、まだ、倒されてねかった。
それどころか、そいつがまた、またいきなり白く光り出しやがって、
その連れの女、いきなり殴ったり、蹴ったり、首しめあげたり、
ひどく暴れはじめやがって。
おれはいつ飛び出してその銀の髪の女、たすけよか、思て、
だが足がふるえて、一歩もそこから動けんかった。
その銀の髪の女、腹、竜娘にぶち抜かれて、もう、ほんとに死にかけて――
だが、
あとひと息で殺されるいうときに、
またあの竜娘が、なにか体、白く光って、
ふらふら、いきなり歩いて、
なにかひとりごと、たくさん言って、
ばたりとそこ、倒れたど。
死んだみたいに、倒れたど。
おれはとっさに、どうしたらええか、わかんねくなった。
必死でとにかくかけよって、
あの死にかけ女の、きれな髪の女の、手当てせせねば、思った。
だが、またあの竜娘が起きあがったら、したら、もう一巻の終わりだ、思て。
おそろしくて動けねえ。んでから、そのときひどく後悔した。
おとうの形見のひとつ銃さ、
漁師の家に、その夜、おいてきちまったことを――
そうやってまごついてるうちに、
なにやら坂の下から、ディススの兵どもが、よせてきて。
そいつらが、そこの瓦礫の家を、囲むみたいになって。
おれは、これはまずい、思て、そっからそろそろと、
路地のうらの暗がりさ出て、いちもくさんに雨ん中、
走って走って、そっから逃げた。逃げ出しただ。
あとの日、また、そこ、も一度こっそり行ってみた。
あの竜のバケモノ娘は、どうなったのか。
死んだか生きたか。それ、確かめねば思て。
したら、また、行ったら行ったで、ど肝ぬかれた。
そこさ前、なんかの店があってよ、
髪きりの店みたいのだが――
そこさ扉、開いたと思ったら――
したら、あの緑髪の竜娘が、なんの気なしに、ひょいと出てきやがる。
しかも、あの、殺されかかった銀の髪のきれな女も、うしろから、のこのこ、いっしょに出てくるじゃねぇか。そんでふたりして笑ってやがる。
なにがなんだか、おれには、もう、わかんねくなった。
おめ、殺されかけたくせに、なぜにまた、このとんでもねぇバケモノと、そんな楽しげに手ぇつないで、話さしてるんだ?? おめもじつは、このバケモノの、仲間なのかって。わかんねぐなった。ぜんぜん、理屈がわかんねぇ――
だがひとつ、
ひとつだけ、わかったこと、ある。
それはあれだ。
あいつはまだ、生きてる。
そのことだ。
ヤツは、のうのうとこの島で、楽しげにまだここで生きてやがる。
かわいげな緑髪の娘さかっこして、ヒトの目ぇごまかして、
まだここで、何食わぬ顔して、笑って生きてやがる。
――ゆるせねぇ。
だからつまりは、こういうことだ。
おれのおとうは、だから、半分しか、うまくやれねかったんだ。
竜はたしかに封じた。封じた。
が、殺すまでは、ムリだったんだ。
まだあれは、たしかに、生きてる――
このディススで、まだ、かわいげなむすめごの皮かぶって、
のうのうとここで、生きてやがる――
――ゆるせねぇ。
もうこんなヤツは、殺すしかねぇ。
ほかの誰もやらねぇなら、
ほかの誰も、そのことに気付いてすらもいねぇなら――
したら、ほかに、誰がやるんだ。
誰もやらねぇ。
したら、もう、やるしかねぇ。
やるしかねぇ。
おれがそれを、やるしかねぇんだ。
おらぁそれは、銃つくりの名人の娘だけども、
おれ自身、銃の扱いは、素人みてなもんだ。
おとうの形見の銃さ、ひとつだけ、大事に大事に持ってはいるが、
おれはまだ、それで人さ、撃ったこともねぇ。
撃ちてぇと思ったことも、今の今まで、一回たりともねかったわ。
だが、今、
おれは、なんとしても、あれを、撃たねばなんね。
でねえと、おれは、
おれは、
死んだおとうに、顔向けできねぇ。
死んだ島のみなに、ぜってぇぜってえ、あわす顏、ねえ。
だからやるんだ。
おれが、やるんだ。
おれがあの、バケモノ娘を、
いまこの手にあるこいつで、
おれがこれで、あれを、しとめる。
あれの息の根さ、これで、今度こそ、しっかとぜんぶ止めてやる。
もう二度と生き返れねぇよう、もう二度と海から浮かべねよう、
おれがあれを、やる。やるんだ。
だからおれは――
そのあと毎日、死んだおとうに祈ってる。
毎日毎晩、祈りどおしだ。
そこまで本気で祈ったことなど、おれぁほかには、一度もねかったわ。
おれぁ生まれて初めて、
本気で何かを祈るってこと、
本気で何かを願うってこと、心の底で覚えたわ。
その祈りとは、こういうやつだ――
おとう、
おとうよ、
おれに力、かしてくれ。
おれに、いまあるこいつで、ヒトを――
いや。もとよりあれは、ヒトなんかでねぇ、
ただのバケモノだ。
あんなもんはバケモノだ。
かわいいむすめの皮は、あんなもんマボロシにすぎねぇ。
そうゆうつええ気持ちを、おれにさずけてくれ。
おれがしっかとあれを、撃てるように。
かまえる腕が、震えねように。
おとう。
おれに力を、さずけてくれ。
さずけてくれ――
✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾
「わかった。もうわかった。長い話だったわね。わたしもいいかげん気が滅入ったわ。ひさしぶりに、なかなか気分のよくない語を耳にした」
ミスローダが何度も首をふり、その場でさっと立ちあがった。
「おめのとこさいるあれは、だから、竜だ。水竜だ。おめはそれ、知らねばならねぇ」
ノアルブのタラが、噛んでふくめるようにミスローダに言う。すこし声が疲れて、最初の頃あったあり余るような敵対心は、今はもう影をひそめている。
「けど―― あなたがそれ、真実を言ってるって証拠はあるの? 今の話が、すべてほんとに事実だと? いっさいが、あなたの妄想ではないという保証は?」
「保証だと? バカはよせ。真実は、おれの心ん中にある。ここに全部ある。おれはすべて見た。おれは知ってる。そんだけのことだ」
地面に目をふせて、タラは言った。さいごは半分ひとりごとのようだった。
「で? まだあれを、つけ狙いたい?」
「殺すまでだ」
「殺させない、って言ったら?」
「そんならおめも殺すまでだ。あれは国の仇だ。おれらヒトビト、全部の仇だ」
「そしてお父さんの、って言いたいわけね」
「そうだ。わかったら、邪魔するでねぇ。おれはあれさ殺す。おめは、邪魔するな。脇でだまって、おれのやること見てろ」
「ふん。そのしばられたカッコでよく言うわ。威勢だけはいいわねあなた」
「………」
「でも、いい。よくわかった」
ミスローダは小声で言い、タラの顔のよく見える位置に、しずかに座りなおした。
「じゃ、ひとつ、協定をむすびましょう」
「協定、だど?」
タラがちらりとミスローダを見る。
「ええ。よく聴いて。わたしはあの娘を、ちゃんと自分の保護下におき、あれがもう、竜としての力を取り戻さないよう、全力をかたむけて阻止する。たしかにあの子が、なにか測り知れない強い力をもっていること―― それはあの夜、わたしにもよくわかった。そこは認めるわ。だけど、だからと言って殺す? 冗談はやめて。なぜそんないきなり野蛮な話になるのかが理解できない」
「…なにが言いたいんだ、おめは?」
「制御すればいいのよ。その、忌まわしい竜の力がふたたび出ることがないよう、わたしがわたしの魔力のすべてをかたむけ、あの子を今の状態にとどめておく。それはできることだし、わたしが責任をもってやることを、今ここで、あなたに誓うわ。だからあなたは、わたしがその誓いをまもる限りにおいて、今後はいっさい、あの娘には手を出さない――」
ミスローダは膝を両手でかかえて、どこか海の方を見た。夜はすっかり明けて、もうそこには暗さはなかった。まだ消えのこる薄い朝霧が、しずかに水の上を流れている。
「で、もしもわたしが失敗して、あの子がわたしの手に負えなくなるような―― 制御がきかなくなることがあれば―― 万が一そのようなことがあるなら、そのときはわたしが、自分の命にかえても、責任をもってあの子をこの手で殺す。そしてそのときには、あの子の命についていっさいの躊躇(ちゅうちょ)はしない。これも約束する」
「ムリなことだ。できぬ約束だな、それは」
タラが吐きすてるように言い、ごろりと右にころがって、ミスローダから目をそらした。
「なぜムリなの?」
「なんしか、あれが出てからでは遅いんだ」
タラが、ミスローダを見ないままで言う。
「あれは、おっそろしいバケモノだぞ。そこらのハンパな竜とはわけが違う。ウルゴルンの竜兵? は。そんなのはおさなごの遊びみてぇなもんだ。おなじ竜でも、天と地ほどのひらきがあるわ。あれはディススの兵らが、束になっても勝てねぇ。おめら女王の魔法でも勝てねぇ。無論、ウルゴルンも勝てね。ましておめのよな、素性のわかんね女の魔法では、とうてい勝てやしねぇ。
おめ、あれをおそろしく甘く見てるだ。おれらのジンバザッドは、おめらディススの何倍もの兵士と進んだ技術さもった強ぇ国だったが、それがものの双月もたず、みな、喰われ、国ごと滅ぼされたど。その意味、おめ、まじめに考えろや。ぜってぇ勝てねぇ。あれが出れば、それ、そのときが、ここの島の終わりだ。ぜんぶ終わりだ。だがら終わる前に、できるうちに、こちらがあれをやる。今ここでやるだ。この道理、なんぜおめ、わからね? おめ、それ、考えてみろ。ちゃんとアタマつかって考えてみろ」
「ふ、だったら逆にわたしはあなたに言いたいわ」
「なにをだ?」
「あなたはディススを見くびっている。イシュミラのことも知らないようだし、わたしの魔力も、まったくもって見くびっている。ちょっと強力な竜くらい、わたしもイシュミラもいくつも相手にしてきたわ。それら全部を、しっかり最後には殺してきた。ここであの子が手に負えないなどと――」
「本気のバカモノだな、おめは」
「なによ。こなまいきなノアルブっ子が」
そのあとリヒティカットが港のガードを呼びに行き、まもなく四人の警備兵たちがやってきて、ミスローダとリヒティのふたりから話をきいた。タラは、警備兵に両脇をかかえられ、兵たちが用意した小舟に載せられ、そのままどこかに連れて行かれた。
「さて。これでひとまず安心、かな?」
リヒティカットが、遠ざかる舟を見ながら言った。
「そうね、」
「それにしては浮かない顔をしてる。ニニのことかい?」
「ええ」
「ずいぶんややこしいモノをかかえこんだね」
「そのようね」
「殺す気はないの?」
「なに?」
「キミがそれを、自分で殺すことは考えない?」
「わかりきったことをきくわね」
「キミは強そうに見えて、あんがい甘くて弱いところがある」
「じゃ、逆にきくけど―― もしそれがムームーだったら、あなたは殺すの? 未来に、もしかしたら危険かもしれないという理由で? あるいはあなたの奥さんだったら?」
「――どうだろう。たぶん、殺さない、かな」
「なら、あなたにわたしを甘いとか言う権利はない」
「そうだね。その点は同意する」
「…おたがいいろいろ、ヤワになったわね」
「…かもしれないな」
リヒティは両目を閉じて、ほんのわずかに笑った。
海鳥たちが、みゃあ、みゃあと騒がしく鳴きながら群れをなして港のほうにおりてゆく。漁船がニ艘、少し先の海の上をゆっくり滑り、そろって沖から港に戻ってくる。朝霧はもう、ほとんど消えかけていた。
とつぜんの銃撃は、夕闇の中で起こった。
多くの人の行きかう、港の広場。
夕飯の買い物を終え、海鮮食材の店を出たそのとき――
「ニニ! ふせて! よけなさい!」
「え? ミスローダ、なに――」
ダアァァァン!!
ミスローダがニニを押しのけたのと、
音がしたのが、まったくの同時。
「おい、なんだ今のは?」「魔法?」
「花火?」「いや。銃だろ、いまのは――」
買い物客たちが口々に騒ぎ出す。
「ミスローダ! ねえミスローダ! 大丈夫?」
ニニがミスローダを揺すぶった。
すでにそこに、血だまりができはじめている。
大勢の人が、そこに集まってきた。
――おい、大丈夫かあんた? えらい血ィ出てるが…
――すぐに救護をよべ! 救護だ!
――港のガードも呼んだ方がいいんじゃねぇか?
――しかしなんだこりゃ? 刺し傷にしちゃあ…
――ばか。こりゃ、銃ってやつだよ。知らねェのかい?
――なんだそりゃ? 新手の魔法かい?
「くっ、」
ミスローダがうめいて、上半身を、ゆっくり起こした。
肩から流れ出る大量の血が、服の胸にも染みはじめている。
「ニニ、あなたはの方は無事?」
「わたしはその、大丈夫、だけど―― だけどミスローダ、」
「わたしは大丈夫。たいした怪我じゃない。いいから、すぐに下がって店の中へ。第ニ弾が、またすぐ来るかもしれない。入ったら―― くッ、すぐに扉を―― 閉めて――」
✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾
「いやはや、災難でしたな」
黒マントの男が言って、壁際のその場所からじっとミスローダを見やった。ミスローダはニ階のキッチンの椅子に深くかけて、不機嫌そうに、ちらりと視線を返しただけ。右の肩には、何重にも包帯が厚くまかれている。ミスローダは無事なほうの左の手でカップを取り上げ、さほど美味そうでもなく、形だけ、ちらっと口をつけた。
「だが、残念ながら取り逃がしました。季節はずれのフードをかぶった小柄な人物だと。追跡したガードは証言していましたが。思いのほか逃げ足は速く、東のイリアステラ広場までは追えたらしいのですが、そこから先の足取りがたどれなかったと。そのような報告でした」
男はコツコツと床を歩き、丁重な物腰で、ミスローダのむかいの椅子にかけなおす。
「ま、別にそういう報告はいいのよ。たいした怪我でもない。どうせ素人の下手くそな射手だろうし。だから特に心配はしていない。だけど聴きたいのは、なんであんたがそれをうちに報告に来るのか、ということよ」
ミスローダがじろりと、その黒ずくめの男を正面からにらんだ。
「おや? こちらも今はわたくしの管轄なのですが。ご存じなかった?」
その男―― ネクロマンサーのダルムロッグは、ミスローダの厳しい視線にはまるで気がつかないように、さきほどいれたミー・タリアの新茶を、さもうまそうにカップから喉に流しこんだ。
「やれやれ。あなたもいろいろと手広くやってるのね」
「いえ、それほどでも。悪化の一途をたどる犯罪対策は、もっかディスス市の最重要課題ですから」
「だからって、いちいち上役のあなたがここまでくる必要もないでしょう?」
「おや。迷惑でしたか?」
「あたりまえよ。あなたとは外の仕事で会うのはともかく、家の中まで気安く入ってなにか詮索されたくはないわね。そういう間柄でもないし――」
「おや、つれないですな。わたくしはむしろ、ミスローダ殿の私邸に入れるまたとない好機、まさに公私混同を無理なく正当化できる良い機会だと。そのように浮かれてここにお見舞いをかねて参ったのですが――」
「あけすけに言うわねそれ。半分ストーカーじゃない」
「これは失礼。では以後は、部下に来させましょう」
「部下にもとくに来てもらいたくはないけどね――、って、いたっ。いたたたたた――」
「おや? いけませんね。鎮痛魔法をかけましょうか?」
「いらない。というか、むしろあなたに触られる方が嫌」
「これはまた嫌われましたな」
「あなたそれ、墓場臭いのよ、そもそもが。見た目も陰気だし。なんでまだクソ暑い夏のおわりにそのマントなのよ?」
「これはわたくしの職業服ですからね」
涼しい顔で、ダルムロッグは言った。基本的には表情の動きの少ない彼だったが、ここでは何か、どちらかというと、機嫌は良さそうだった。彼は基本、この手の辛辣なやりとりを、むしろ逆に楽しんでいるようだ。
「ま、冗談のような話はひとまず置いておきまして、」
ダルムロッグが、こほん、とひとつ乾いた咳をする。それから、もともとまっすぐな背筋を、またことさらにまっすぐのばしてミスローダを正面から見た。小さな丸眼鏡が、鼻の上で光る。
「なにかお心あたりは? なにか恨みを買うような、トラブルか何か――」
「ありすぎてわからないわ」
ミスローダはどうでもよさそうに言った。左手で、右肩の包帯を少し気にするような仕草をした。
「まずもって、ウルゴルンでしょ。あれらが、わたしを殺したい理由はもう百万もある。アサシンのひとりやふたり、直接送ってきても何の不思議もない。今までなかったのがむしろ不思議なくらい。わたしはあっちを千の単位でかるく殺してきたから、今さらなにか、自分を弁護するようなつもりもないしね。殺されるだけの理由はある。まあでも、今回に関しては、たぶんウルゴルンではない」
「なぜ、それをおっしゃる?」
「下手すぎたからよ」
「ほう?」
「あれは素人。射撃の前に、ものすごい殺気を発していた。誰でもあれでは、わかってしまう。ほんとのプロの暗殺者なら、もっと気配を殺してうまくやる」
「ふむ、」
「それに、銃使いのノアルブたちがウルゴルンと組んだなどという話は、あまり信じられない。もともとあれらは気むずかしい奥地の職工民。とても今回の戦争に、すすんで加わるとも思えない。そもそもが銃自体を邪道の玩具と見下している保守的なウルゴルンを、彼らは心底毛嫌いしている」
「それは同意見ですな」
ダルムロッグはうなずく。
「不幸にして―― いえ、腕の組織に残らなかった故に、むしろ幸運にも、と言ったほうが良いかもしれませんが―― ミスローダ殿の腕を貫通した銃弾を、そのあと、あの店の扉から回収しました。その後の調べで、それはどうも、この島のノアルブ村で製造されているモノとは、あきらかに作りが違ったようです。まずもって金属の組成じたいが異なる。きわめて特殊な銃弾を使ったようで」
「ふむ、」
ミスローダは腕を組もうとして、また、顔をちょっとしかめた。右腕があまり動かないので、いつもの癖で腕組みをしようとすると、どうしても引きつれて、うまくいかない。
「本当に具合は大丈夫ですか? 横になっていらした方がよいのでは?」
「大丈夫だと言ったら大丈夫。そういう弱弱しいご婦人みたいに扱われるのが、わたしいちばん嫌い」
「これは失礼しました。ふふ、ミスローダ殿は、やはり今でもミスローダ殿ですね」
「なによそれ?」
「いえ。ひとりごとです。失礼しました」
ダルムロッグは、服の内側から、ガフネ煙草の包みを取り出したが、すぐにまたそれをしまう。いちおう、よその家に来ているのだ。近頃はこれの煙を喜ばない者も多い。
「あと思い当たるのは、あれね。おまえのところ」
「ほう?」
そう言ってダルムロッグが、一本の指で丸眼鏡の位置を正した。
「イシュミラが、直接わたしを消しにきている、という。その可能性。あれはアタマは悪くない。なにか少しでも政治的に不都合があれば、迷わずわたしを殺しにくるでしょう」
「おや。穏やかではありませんな。ではこのわたくしも、その差し金の一部であると?」
「それもありだと言いたいところだけど――」
ミスローダはつまらなそうに、机の上の手紙の束をいじって、またそれを、どさっと机の上に捨てた。
「その線もたぶん、今回はなし。とにかく下手過ぎる。おまえたちも、腕はそれほど悪くない。イシュミラにしたって、あれはたしかにバカではない。だからやるなら、もっと巧妙にうまくやる。あんなヘマはしない。しかも人の多い夕方の広場で? 本気の素人だわよ、あんなのは」
「しかしその素人に、ミスローダ殿ともあろう方が、今回ばかりは手傷を――」
「それを言われるとね。わたしもヤワになったなと。あらためて思ったわ。少しまた、へこんだ。ただでさえなくなりかけていたプライドが、またちょっと、砕かれたわね――」
ミスローダは力なく笑って、それから、もうどうでもよさそうに、固く目をとじ、そのまましばらく椅子にもたれて、目をひらかなかった。
「ま、ともかく。この地区のガードには、この店の周囲を重点的に巡回するよう、さっそく通達を出しました」
「いらないわそんなの」
「これはイシュミラ様じきじきの命令ですからね。わたくしも「はい。手配いたします」としか言えませんよそれは」
「あのバカ。まったくよけいなことを――」
「ま、ともかくです。お店は、しばらく休業される方がよろしいかと。外出も、あまり必要がなければ、できるだけ少なく――」
「そういう可弱い婦女子あつかいは、我慢できない」
「妙齢のご婦人には違いありません。可弱さについては、わたくしも何とも言いかねますが」
「…ほかには? それで終わり?」
「あとは、そう、その、助手の方ですね」
「ニニ? あれが何?」
「あの方も、同様です。あまり不要な外出は、極力ひかえて――」
「わかったわかった。それはわたしが気をつける」
「では、ひとまず以上です。このほかには、とくには」
「そんなつまらない話のために、わざわざ来たってわけ? あなたも存外暇人ね」
「ま、そう仰らずに。わたくしの方では、ミスローダ殿の私邸の中が一瞬でも垣間見られて、これはなかなか、収穫の大きな午後でしたけれどね」
「だからそれストーカーだって」
「その名称は、ま、甘んじて頂くことにしましょう。ディスス城市一級ストーカー・ダルムロッグ。なにかこう言えば、なかなか素敵にきこえませんか」
「――おまえが本気でそれやりだしたら、わたしも勝てる自信ない。冗談でもよしてね、そういうの。わたしもそれ、もう言わないことにする」
「はは。ま、害のない冗談です。じっさいわたくしもそこまで暇でもない――」
✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾
それからしばらく、ミスローダの美容室は休業となった。
傷そのものは、ミスローダ自身の回復魔法で見た目上、きれいに消えたのだけど。なにか、中の方の腱だとか、神経だとか、そういうものが、まだうまくつながらないらしい。美容のハサミをもっても、うまく力が入らない。手の指先に、いつもの感覚が戻らない。
これでは商売にならないわ、と言って、めずらしく少し弱気になったミスローダ。とりあえず店を、しばらく閉めることにした。また腕がもとに戻ったら、またすぐ再開を、と。そういう話で、半月ばかりが経った――
22
夏の終わり。三ノ刻。
短い夜が、もうすぐ明けようとしている。
あの日以来の外出禁止令で、家にこもるだけの毎日にちょっぴり飽きてきたニニは、またあの、竜娘のムームーに会いたくて、会いたくて―― まだミスローダが眠っている暗い時間にひとりで起き出し、こっそり裏から外に出た。
ひさびさの外は、潮風のかおりが心地よかった。あの岩場のところで、 ちょっとだけ会って、そこで遊んで、またすぐ戻れば――
たぶんそれなら大丈夫。
すっかり明るくなってミスローダが起きてくるその前に、また自分の部屋まで、こっそり戻っていたならば。それならきっと怒られないだろう――
もう歩きなれた石畳の坂道は、今はまだ暗かった。骨のような、大きな大きな白の月が、遠い海のほうに沈みかけている。ニニはうっすら朝霧のかかる波止場を通り過ぎ、遠くの岩場に、いつものニ人の姿を見つけた。
「リヒティさーん!」
手をふりながら、ニニは嬉しそうに駆けていく。
「おや、ニニじゃないか」
釣り場の岩の上から、リヒティカットが手をふりかえす。そばにいたムームーも、さっそくニニを見つけた。いまそこで食べかけていた脂ののったグラウディオラをそのままにして、もう待ちきれないで、ニニにむかって自分の方から走り出す――
「ん?」
そのときリヒティカットは、ある違和感を感じた。
ニニの背後に、ひとつの影。
それはいま、あちらの岩の、うしろへ移動――
そこからわずかに、腕だけ出して――
「いかん!」
瞬時に彼が跳躍する。かつての戦場でしか見せたことのない、すさまじい疾走でたちまちムームーを追いこす。
「ニニ! ふせろ!」
叫ぶと同時に、
彼はもう、はやくもその場所に自ら達していた。
ダアアァァン!!
すべてが同時に起こった。
轟音と同時に、はねた銃弾が岩を削る高い音――
リヒティの操る木の棒が、そのモノの腕をしたたかに叩き――
「ぐッ…」
すべてが、ひとつ瞬きするうちに――
すべてが同時に起こって、そしてすぐに終わった。
「あああぁ! ぐ、い、いた、いて、いててぇえ――」
「何者だ貴様?」
リヒティカットが、冷徹な声を投げ落とす。
腕と膝とで、その襲撃者を岩の地面に組み伏せながら。
「答えろ。返答しだいでは、すぐさま腕を折る」
「お、折るなら、折ればいいィ! おれぁ、か、覚悟はできてるだ!」
その小さな人影が、必死で唾をとばしながら涙声で叫んだ。
「む、なんだ。女? なのか、おまえ?」
「女だと、なにか、わりぃのか!!」
「…どうにもわからんな。その言葉―― このあたりのモノではないということか?」
「くそッ! てめ、は、はなせ! とっとと手ぇ、はなせっつってんだこの、バカオトコ!」
「…気が強いのだけは、誰かにそっくりか。いやはや。女性というのは、まったく――」
リヒティはなにかぶつぶつひとりごとを言い、それから顔をあげ、真顔でニニの方を見る。ニニは、なんだかさっぱりわからずに、リヒティと襲撃者を、不思議そうに交互に見つめた。
「ニニ、すぐにミスローダを呼んでくるんだ。それからムームーも。ミスローダの家まで、しっかりニニを護衛して。いいかいニニ、すぐに走って、ミスローダをここまで呼んでくること。いま言ったこと、わかったかい?」
「あ、はい。わかりました」
「じゃ、すぐに行くんだ。ムームー、ニニの護衛をしっかりな」
「ワカッタノ。ワタシ、ニニ、シッカリマモルカラ」
✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾
ミスローダがそこについたときには、その襲撃者の小柄な娘は、リヒティの用意した縄で、腕と足とを手際よくしばられ、そこの岩場にごろりと転がされていた。
「聞いたわ。ニニが襲われたって?」
「間一髪だった。ま、その子がわりと下手だったから、僕も早目に気づけたんだけどね。わりとはっきり見える位置から、けっこう大胆に狙っていた――」
リヒティカットが、水際の岩に腰かけ、わりに呑気な声で言った。さすがに幾多の戦いで武功をあげてきた槍使いだけあって、この程度の戦闘は朝飯前といったところなのかもしれない。
「で? こいつは誰なの?」
ミスローダは足もとに転がったそのみすぼらしい娘を、ひややかに見おろして言った。
「さあ? 直接きみ、きいてみたら?」
「なに? これがその武器ってわけ?」
ミスローダは砂の上から、その奇妙なモノをとりあげる。精緻な彫刻のほどこされた金属の筒に、なにか持ち手のようなものが――
「そ、それにさわるな!」
そこに横たわる襲撃者がいきなり叫んだ。
「勝手にそれ、さわるな! べたべた触るんじゃね! それは形見だ! おれのおとうの、大事な形見なんだ!」
「おまえ、ちょっとうるさい。しずかにしてくれる?」
ミスローダが、いきりたつ娘の背中を、ちょんちょん、と、つまさきで小突いた。
「くそっ! くそ! 返せってんだ、その銃を――」
怒りに燃えたニつの目で、もう今にも噛みつきそうな目をして、その娘が、ミスローダをまっすぐ見上げ――
「うぁ!!」
いきなり娘が声をあげた。ミスローダがいきなり蹴ったからだ。いきなり思いきり蹴り上げて、痛みにもだえるその小娘を、髪をつかんで無理やり地面から引きおこし、まだあまり自由のきかない右腕に、急速に魔力を集め――
「よせミスローダ! 殺すつもりか!」
リヒティがあわてて止めに入る。もうあとわずかで雷撃の魔法が発動する、
その魔力みなぎる右腕を、強引に全力でつかんだ。
「邪魔しないでリヒティ。こいつはニニを殺そうとした」
ミスローダはまだ、魔法の発動をとめる気配をみせず――
「よせと言っている! まずは話をきくんだ! 殺すのはいつでもできる! というか、ここはディススだ! 前線ではない! キミにこの娘の生死を決める権限は――」
「あるわ、そんなもの」
「ないよ、それは。キミはいろいろ、誤解をしている」
「誤解なんかしてない」
「している。ま、いいからまずは冷静になろう」
「冷静よわたしは」
「じゃ、もっとさらに冷静になろう。話はそれからだ」
ミスローダは非常に不満そうに、しかし、それ以上は抗弁せず、もう殺しそうな勢いで握りしめていた娘の髪の毛を、ひどく無造作に放した。
ドサッ。
娘の体が地面におちて、痛みに娘が小さく喘いだ。
娘は今では、おびえて、おいおい泣いていた。
泣いて、涙と、鼻水と、よだれも流し――
「ニニとムームーはどうした? ちゃんと家まで着いた?」
リヒティが、まだ少しミスローダを信用しかねるように、ちょうどミスローダと娘との中央に位置をとり、そこにどかりと座った。
「無事よ、ふたりとも。今は家の中で待たせてる。わたしが言うまで、ぜったい外に出てはダメだと言ってきた」
「的確な判断だなそれは」
「それはあなたに言っておく。あなたの冴えた判断のおかげで、あの子が、ともかく、無事でいられた」
「それはどうも。はじめて褒められたかな? 褒めないことで有名なあの魔法第ニ師団長に?」
「その名前はなしね。実際わたしは評価してたわ。リヒティカット槍兵尉―― いえ、そのあと槍兵将になったんだっけ?」
「その名前はもういい。過去の肩書だ。ま、それはお互いにね」
リヒティは言って、ちらりと、はじめてこの朝、笑みをもらした。
「さて、おまえ」
ミスローダが小さな襲撃者にむけ、敵意むきだしの冷たい声で言った。
「泣いてごまかしてもダメよ。まずは、ちゃんとわかるように説明してもらいましょうか」
「ころさねば、だめだ」
ふりしぼる声で、その娘が言葉を発した。
「あれはころさねば、だめだ。なんでおめら、それ、わからね?」
「誰を殺すの?」
「あの竜だ」
「竜?」
「ああ。そうだ。あの竜だ。あの緑髪の、きれいげな娘―― おれはあれを殺すために、わざわざおめら、つけねらっただ。おれは、おめなど、どうだっていいんだ。おれはただ、あれを―― 竜さえ仕留めれば、それでよかった。なのにおめら、邪魔だてして――」
「ふ、なにそれ、その言葉」
「な、なにわらってる」
「『おれ』ってなによ『おれ』って? あなたいちおうメスガキでしょう? どこの場末の汗臭い男村育ちなのよあなた」
「バ、バカにすんでね! おれのくにじゃ、男も女もみな『おれ』っでゆんだ」
「あらそう。それは失礼。じゃ、いちおうきいておこうかしら。それってどこの国?」
「ジンバザッドだ」
「ジンバザッド? どこそれ? きいたこともない」
「ドマ大陸の、遠く遠くひんがしさ行った海のむこうにある国だ」
「ひんがしの? 何? そんな国、どこでもきいたことないわ。まさかデタラメ言ってるんじゃないでしょうね?」
ミスローダが心底軽蔑したように言った。
「まあいいわ。で? はるばるその、東の国から、なぜまたここに? なぜいきなりニ度も襲ったの? 目的がまず知りたい」
「だからあの竜だ」
「竜? どの竜?」
「おめの家にいる、緑髪のむすめごだ」
「ニニ? あの子?」
「おめ、知らずにかくまってんのか」
「べつにかくまってるわけじゃない。一緒に住んでるだけ。いちおう店の助手だしね。にしても、竜? あなたそれ本気で――」
「おめ、バカだな。本気でバカだ。あれがどれほど忌まわしバケモノか、まんだ知らねんだな」
「こきたないノアルブ娘にバカよばわりされる言われはないわ」
ミスローダがまた、娘になにかしようと体を動かしたが、すぐにリヒティが止めた。じっとミスローダを見て、もうやめておけ、とその目で伝えた。ミスローダは、そうね、まったく大人げないわね、と言って、深く息を吐く。
「でも、なかなか興味深い話ね、その話。詳しくききたいわ、その竜とやらの、その話を―― なに? どうしたの? あなたまだ泣いてる?」
「…泣いてね。ジンバザッドの女は、おめらディススのやつらみてに、ちょっとのことでめそめそするよな、そんなたちじゃねんだ!」
「…バカじゃない? なに強がってるんだか」
「いいから聴け! つまんね茶々いれてねえで!」
「じゃ、聴くけど。でも、涙たらたらの鼻声はやめてね。話が聴きにくくなるから。泣きむしノアルブの娘さん」
「う、うっせえ! バ、バカにしやがって――」
【 タラの物語 】
ダスフォラスはきらいだ。
わかんねこと、多すぎ。
理解できねこと、多すぎ。
はやくこんなとこ、いなくなりてぇ。
はやく故郷さ、もどりてぇ。
夜、ひとりなると、おれ、そればかり考える。
けど、いまは故郷、遠すぎる。
帰りてぇ。でも、もうたぶん、帰れねぇ。
いまいる家、漁師の家だ。
ザフトいう名まえ。嫁は、フィハ、いう。
ええ人たちだ。親切してくれる。
けど、その親切、つらい。
おれぁ、ダスフォラス、好きくない。
けど、ザフトとフィハ、あんまりも親切だから。
おれ、あの人ら、好きになりそでつらい。
好きんなったら、したら、ダスフォラス、もう、嫌いでいれねくなる。
それは嫌だ。それは認めれね。
おれぁ死んでもダスフォラスのこと、好きになどなりたくもね。
おれん国は、ジンバザッドゆって、ドマ大陸のひんがしの、まだそのひんがしにある島国だ。ちっちぇ島国だが、山は豊かで、魚おおくて、歴史もながい。みな裕福に暮らしてた。ひんがしの島国んなかじゃ、いちばん豊かに栄えてうらやましがられた。ちっちぇ島だが、そこにおおぜい住んで、そんでも金も米もあまって、米にこまったよその国さ、ただで配ってやれるほどだった。 森もおおおくて、山は緑で、そりゃ、美し島だった。
美し国だ。とても美し国だったが――
いまは、もう、ね。
もう完全に、ね。みな、ねぐなった。
滅ぼされた。全滅した。もう、何も残ってね。
あれは、いまからむつき前のことだ。海の方から、バケモノ二匹、南の浜さおりてきた。やつらがどこからきたか、なぜきたか、今でもそれはわかんね。とにかくあの日が、長い長い、今の今までつづく悪い夢のはじまりだった。はじめに見たのは南の漁師連中で、たちまち南で騒ぎになった。でっけえ竜のバケモノでよ。ありゃ水竜だと、そいつを見た皆が言った。
そいつらはいきなり浜におりると、口からきいたこともねえような悪い毒吐いて、そこらじゅう暴れまわった。その毒にすこしでも触れると、たちまち体がくさって死んじまう。毒のついた地面は、たちまち草枯れて、なんも生えねえ毒地になっちまった。そのへんの海辺の村が、いくつもその日のうちにやられた。
島の西にある王都でも、大騒ぎになった。こりゃ、えれえたちのわりバケモノきちまったもんだと。で、王が、すぐに王都で会議ひらいた。大勢兵士集めて、なにやら話して。そのあとすぐ、南の海むけ、勇まし姿で、よりすぐりの兵団が、王都の門くぐって進撃していったど。そのかっこええ兵士らの姿見て、みな、確信したど。こりゃあすぐ、そのバケモノども静まって、この騒ぎもすぐに終わるだろと。
ところがこれが、こっぴでぇ負け戦でよ。
国でいちばんのツワモノ集めた最高の兵団が、たちまち竜に喰われちまって。船もみな沈んで、生きて戻ったのは四十か五十か、たったそこらだ。
やべぇ、これは本気でド強えとんでもねえバケモノだ、全力かたむけねば危ねぇってな話になって。王が大号令だして、もう国じゅうの軍から全部の兵士かりだして、全軍でこれと当たったんだ。で、その、でっけえでっけえ、島はじまって以来のでっけぇ戦の最後の最後に、二匹いたバケモノのうちの一匹は、なんとか目ぇつぶし、クビさブッとばして、なんとか殺せたみてえだった。だがもう一匹は、どこか傷うけて、海のほうさ、逃げかえったらしいと。そういう報告だった。報告うけて、王はまた、生き残りの兵団あらいざらいかきあつめ、南の海さおくる話、すすめておった。
この話、ディススのヤツさここまで話したら、そいつ、いきなりそこで笑いよる。「ちょっと待てちょっと待て」言いよる。
なにを待てだ? きいたら、ヤツ、こう言いやがった。全軍かけて、そんな竜二匹に苦戦したとか? おめらの国の戦力はちょっとそれ、まずいんでねのか? あまりにもそりゃぁ、レベル低すぎでねぇか? って。んなこと、言いやがる。
おれぁ怒り狂って言った。おめ、おれん国の戦力さバカにしたな? それはな、おれの国さ、おめ、知らねえからだ。おれは逆に、おめらディススどもの兵を、心底バカにしてるぞ。なんしろ、おめらまだ、弓だの剣だの、つまんね古いおもちゃふりまわして、戦いごっこみたいの、今でも平気でやってるら? 槍だの、今でも真顔でつかってるら?
たわごとだわ、んなもん。おもちゃのおもちゃもええとこだ。
おめら、銃ってもの、ほんとにまだ、知らねんだ。んなのは花火に毛がはえたみてな、おもちゃに過ぎねって。おめは言いやがるのか? バカだ、おめ。銃はおもちゃなんかじゃね。あれぁ、ええ武器だ。つえぇ武器だ。それ知らねえで、なにをおめ、おれら国こと、勝手に笑ってやがんだって。おれぁ、本気でアタマきた。アッタマきたよ。
ジンバザッドの軍にゃ、攻城砲ゆって、城のごっつい壁さカンタンにぶちぬく兵器もあったし、船にも海砲ゆて、敵国のでっけ軍船さ、いちころで沈める強ぇ砲つんでた。そこの船んのってるいちばん弱ぇ海兵ですら、手持ちん銃で、ここらディススの剣もちの騎兵なんぞ、何十人でも片手で全滅だわ。ここら時代おくれの僻地の軍らに、おれらの国のすすんだ軍備笑われる言われはねぇ。
ま、だが、別にこの話はあんま大事じゃね。ダスフォラスのやつら、じっさい見ねと、ひんがしの島の技術のすごさ、身に染みてわかんねだろ。おれがいくら言ったって仕方ねえ話だからな。
とにかく、王と町の長らば、あつまって、残る一匹の手負いの竜さ、いかにして倒さんか、みなで相談しておった。だが、その夜に、竜は王都にあらわれたど。準備もなしにいきなりおそわれて、城もなんも、みんな全部いちどにやられた。竜はどでけぇ砲を腹にうけても倒れねかったし、それくらってまたさらに怒り狂いやがって、毒吐きまわって、王都のヒトら、八つ裂きにして食い散らしおったど。王もその兵らも、そのときみんな喰われたど。
そのあとは、もう、地獄だ。その竜、島のあちこちまわって、残る町や村、みな踏みつけてまわって、食い散らかして、毒吐いて、島の大地汚したど。生き残った兵やら若いモノやら、勇気あるモノは、みな、銃とって戦い、でも、みな、さいごは負けて喰われた。
おれの町もやられたど。大勢死んで山に逃げた。逃げて逃げて逃げて、島のいちばん北、ザイモスゆう港にみな逃げたど。生き残りのヒトら、みな、そこさ集まったど。全島会議ひらかれて、さいごは、もう、みなで島すてて、船のって、海に逃げようっつうことに決めた。なんとか生きて海わたり、よその陸さ逃げて、そこで力たくわえて、また国たてなおし、いつかあの竜たおして、またもとの島さ、とりもどそう。みなでそう誓って、夜中にザイモスの港を出たど。何十もの船にわかれて、みなで島すてた。
その夜は、みな、船の中で夜通し泣いた。国ほろびるの、これほどみじめだとは、誰ひとりも知らねかったからな。しかもそれが、隣国との戦に負けたでもなく、おりからふってわいたよな、あんなむごいバケモノの、はんぶん遊びみてな気まぐれで、国ぜんぶが、ダメになっちまったなど。悔しくて悔しくて、おれなんかは、その夜は涙も出んかったわ。
だが、話にはまだ、あとがある。そのまま流れて、ぜんぶの船が無事によその陸さ着けてれば、この話はこれで終わりだ。その地でみなで心あわせて、また国たちあげて、そっからまた、バリバリみなで働いてどうにかなって終わりだ。それだけの話になったはずだ。もしもそうなってれば、おれぁはここに来ることもなかったんだ。
だから今でも考える。なんぜ、そうはならねかったのか。なんぜ神様どもは、そういうように、助けてくれねかったのかと。このときおれら助けてくれねぇで、いったいそれぁ、どこのどこが神様だ。本気でそれ、今でもききたくてしょうがね。
ま、ええわ、神様のことは。どうだってええ話だ。
そのあと、逃げていく旅の途中で、ジンバザッドの船団は、何日もやまぬひどい嵐にまかれて、いつしか方向見失って、知らぬ海域まで遠く流されてしまったど。荒れた風がいっこうにやまんくて、海はたけって、正しく方向決めて一同に進むこともままならずに、ただただ、はぐれぬよう、かたまって、嵐をやりすごすよりほかに手はなかったど。
その嵐のおりに、そいつがまた現れやがった。
あの、忌んまわしいバゲモノ竜めがよ。
ほかにも竜の仲間がいたのか? いうて、船の見張りは大騒ぎしたど。
けど、いや、そうでねがった。あいつは同じ竜だって、兵士連中が口々に叫んでたど。どこにも逃げ場のねぇ嵐の海で、また、あの忌んまわしいヤツが、海の下からぬわっとあらわれやがって。やつめ、執念ぶがく、ジンバザッドの船さ、憎んで追いかけてきたんだ。そりゃ、おれもおどろいたぞ。船の中さ、皆、パニックなって、みな、叫んで叫んで――
だけど、もうそこじゃ、逃げるにも逃げれねえ。もうこりゃ、戦うしかねぇ。どの船も、そこにあるだけの砲さ全部ぶっぱなして、兵士連中は、撃てるだけの銃さ、もう、八方からみぞれみてぇに撃ちまくって。
だが、まるで効かんかったな。竜は、つぎからつぎと、船さ食いちぎって、遊びみたいに、沈めはじめたど。たくさんの船が燃えて、みな、袋からこぼれる米みたいに、つぎからつぎ、海に落ちていったど。そのときになって、おれのおやじが――
「タラ、よくきぐんだ」
「おとう? な、なにするだ?」
「おれがあれさ静める。おれがあれさ封じに行く。おれは長く長くかけて竜封じの弾さ考えて考えて考えて考え抜いて、こないだの夜、ようやくそれの試作さ作った。これ使えば、竜の力さ、うばえる。うまくすれば、これであれを、やれる。だがらおれが、いまからこいつでやりに行く」
「え、だけどおとう。ムリだど。そんなちっこい銃さで、あいつ撃っても無駄だ! おとうも見たろ! あんだけ兵らが海砲ぶっぱなして、あれは傷ひとつ受けてねえ」
「ふ、タラはそこで見てれ。見ろ。おれにはな、これがある。滅竜弾(めつりゅうだん)、ゆうだ。まだほんとには試してねぇが、いまが、たぶん、その試しどきだ。さいしょの試し撃ちがいきなり実戦になっちまったがよぉ」
「やめれやめれ、おとう! ムリだってば! あれには勝てねえ! おれらん船だけでも、なんとか方向かえて逃げねば――」
「これはな、いまここにいる誰かがやらんと、いけぬ仕事だ。あの竜のやつさに、ジンバザッドの製銃技術の高さ、技術のすぐれたとこ、ひとつ、ガツンと教えてやるべ。シンバザッドさ手ぇ出したこと、あの世でヤツに後悔させてやるべ。さ、タラよ。そこ、どけや。おれは行くから」
「やめれ! そんな小舟さ、あぶねって!」
「タラ、聴け」
「おとう?」
「おれはな、たぶん、たぶんこれで終わるが―― だが、おめは生きろよ」
「おとう? なに言って――」
「おれはこれで、この滅竜弾で、この船さ、しっかとまもる。おめの命、まもる。だからおめは生きて、生きて、かならず、生きのびて、そしてそこで、ぜってぇ、しあわせ、なれ。あたらしい土地で、ええ男みつけろ。そいつと子ば、たくさん産め。いっぺぇいっぺぇ産め。んでからその子らに、また、いっぺぇいっぺぇ子ば、産ませろ。それでまたおれら国、おこせ。タラよ、おれは今、おめにそれ、みな、ぜんぶ託すぞ」
「おとう! もどれ! もどってくれ!」
「生きろよタラ。ぜってぇ、しあわせ、なれ!」
そのあと、おれは、見た。おとうの乗った小舟が、バケモノさ、くっつくみたいに――
そして竜が、舟を、かるくひとのみにしようと大口あけて―― ほんとにあっけなかったど。最後までなにも起こらなねかったど。おとうは、さいごは撃ったか撃たなかったか、それもわからん間に、舟ごと、ヤツにのまれて――
そのあと竜がまだ、あばれ出したど。ひどくあばれたど。おれの船も、尾っぽの一撃さくらって、紙の船みたくまっぷたつに割れた。
だが、だがな、その、沈む船の上から、おれはたしかに見たど。竜がいきなり、海の中さ、もぐって、いきなりまた浮いて、なんだか急に、のたうちまわって、ひとりで苦しみだして―― そのあとでっかくでっかく、真っ白の光さ、いきなりビガッと海の中で光って――
それはまぶしい光だったど。強い強い光だったど。だが、おれは目をしっかとあけて、全部それ、見届けた。光ん中、あのでけぇ竜さ、島みてぇにでっけぇ体、みるみる、ちぢんで、ちぢこまって―― さいごは、ちっちぇ、嘘みてにきれいなおなごになったど。緑髪のやつだ。なげえなげえうつくし緑髪した、異国のニンゲンのおなごになった。
おれは、意味がわからねかった。見てること、なにのことだかわかんねぇ。
だが、さいごのさいご、ようやく理解したんだ。おやじの撃った滅竜弾は、あれは、たしかにヤツに、しっかと、当たったんだってな。あれはたぶん、効くまでに、少し時間ば、かかる仕掛けだったんだと。
で、その強ぇ白の光さ、じょじょにおさまって、その、竜のなれのはての異国のおなご、そのまま海面に、音もなく、おちていった。もうすっかり死んでるように、おれには見えたな。竜は、あのおとうの最後の弾に封じられて、死んで、海に落ちた―― それがおれの見だ、さいごの場面だ。そのあとおれの船は燃えて、燃えて、傾いて――
気がついだら、ここさ島、きてたど。
おれはどうやら、漁師さ舟、ひろわれて、手当てまでされて。そこの家で、世話になってたど。どうやらおれは、死ななかったようだ。ここさ島さ流れ着き、なんとか命、つながった。これぁぜったい、あのとき死んだおとうが、あのあとも、あの夜の海のどこかでおれのこと、ずっとずっとまもってくれたんだなって。おれぁ、そう思ったど。
だが、そのあとが、わからねぐなった。
おれはここで、どうやって生きていけばよいんだか。
国のモノぜんぶをなくして、ひとりでどうして生きて行けばいいんだか。
ぜんぜん何も思いつかねぇ。どうして生きて行きゃいいんか――
そうしてここでまた三月が、まるまるすぎたど。
ところが、だ。
話しはまだ終わらねェ。
終わらねェどころか、まだ、ここから、始まっちまった。
おれの悪い悪い夢は、今もまだ、少しも覚めてはくれそうにねぇ。
おれはあの夜、見てしまったど。
見てしまったど。
あんの、ウルゴルンの竜兵どもが、
あんの騒がしいでっけぇ竜兵どもが、
あの夜、嵐の夜に、街をおそっだあのときのことだ。
おれは、その港の丘の壊れだ家のそばで、
そこでそれを、見てしまったど。
空から竜が落ちて、すっかり崩れちまった家の、あの場所でな――
あれがいたんだ、また、そこに。
緑髪の、あのむすめごが。
あの、死んだはずの竜のむすめが。
海にふかく沈んだはずの、あのやつがよう。
あれが、なぜだかあそこに立っていたど。なにだかきれぇげな銀の髪の女とふたり。あんの緑髪の、とんでもねぇ竜の変わり身がよぉ。
あれらはなにか、まもるだかまもらねだか、よぐわかんね立ち話してて、
大雨ん中、なにかふたりでもめていた。
背ぇ高ぇきれな女と、あの、バケモノのむすめごが、
家さ瓦礫の上で、なにかいい争ってたど。
おれは本気でもう、自分の目ぇうたがった。
もう倒れたはずの竜が、まだ、倒されてねかった。
それどころか、そいつがまた、またいきなり白く光り出しやがって、
その連れの女、いきなり殴ったり、蹴ったり、首しめあげたり、
ひどく暴れはじめやがって。
おれはいつ飛び出してその銀の髪の女、たすけよか、思て、
だが足がふるえて、一歩もそこから動けんかった。
その銀の髪の女、腹、竜娘にぶち抜かれて、もう、ほんとに死にかけて――
だが、
あとひと息で殺されるいうときに、
またあの竜娘が、なにか体、白く光って、
ふらふら、いきなり歩いて、
なにかひとりごと、たくさん言って、
ばたりとそこ、倒れたど。
死んだみたいに、倒れたど。
おれはとっさに、どうしたらええか、わかんねくなった。
必死でとにかくかけよって、
あの死にかけ女の、きれな髪の女の、手当てせせねば、思った。
だが、またあの竜娘が起きあがったら、したら、もう一巻の終わりだ、思て。
おそろしくて動けねえ。んでから、そのときひどく後悔した。
おとうの形見のひとつ銃さ、
漁師の家に、その夜、おいてきちまったことを――
そうやってまごついてるうちに、
なにやら坂の下から、ディススの兵どもが、よせてきて。
そいつらが、そこの瓦礫の家を、囲むみたいになって。
おれは、これはまずい、思て、そっからそろそろと、
路地のうらの暗がりさ出て、いちもくさんに雨ん中、
走って走って、そっから逃げた。逃げ出しただ。
あとの日、また、そこ、も一度こっそり行ってみた。
あの竜のバケモノ娘は、どうなったのか。
死んだか生きたか。それ、確かめねば思て。
したら、また、行ったら行ったで、ど肝ぬかれた。
そこさ前、なんかの店があってよ、
髪きりの店みたいのだが――
そこさ扉、開いたと思ったら――
したら、あの緑髪の竜娘が、なんの気なしに、ひょいと出てきやがる。
しかも、あの、殺されかかった銀の髪のきれな女も、うしろから、のこのこ、いっしょに出てくるじゃねぇか。そんでふたりして笑ってやがる。
なにがなんだか、おれには、もう、わかんねくなった。
おめ、殺されかけたくせに、なぜにまた、このとんでもねぇバケモノと、そんな楽しげに手ぇつないで、話さしてるんだ?? おめもじつは、このバケモノの、仲間なのかって。わかんねぐなった。ぜんぜん、理屈がわかんねぇ――
だがひとつ、
ひとつだけ、わかったこと、ある。
それはあれだ。
あいつはまだ、生きてる。
そのことだ。
ヤツは、のうのうとこの島で、楽しげにまだここで生きてやがる。
かわいげな緑髪の娘さかっこして、ヒトの目ぇごまかして、
まだここで、何食わぬ顔して、笑って生きてやがる。
――ゆるせねぇ。
だからつまりは、こういうことだ。
おれのおとうは、だから、半分しか、うまくやれねかったんだ。
竜はたしかに封じた。封じた。
が、殺すまでは、ムリだったんだ。
まだあれは、たしかに、生きてる――
このディススで、まだ、かわいげなむすめごの皮かぶって、
のうのうとここで、生きてやがる――
――ゆるせねぇ。
もうこんなヤツは、殺すしかねぇ。
ほかの誰もやらねぇなら、
ほかの誰も、そのことに気付いてすらもいねぇなら――
したら、ほかに、誰がやるんだ。
誰もやらねぇ。
したら、もう、やるしかねぇ。
やるしかねぇ。
おれがそれを、やるしかねぇんだ。
おらぁそれは、銃つくりの名人の娘だけども、
おれ自身、銃の扱いは、素人みてなもんだ。
おとうの形見の銃さ、ひとつだけ、大事に大事に持ってはいるが、
おれはまだ、それで人さ、撃ったこともねぇ。
撃ちてぇと思ったことも、今の今まで、一回たりともねかったわ。
だが、今、
おれは、なんとしても、あれを、撃たねばなんね。
でねえと、おれは、
おれは、
死んだおとうに、顔向けできねぇ。
死んだ島のみなに、ぜってぇぜってえ、あわす顏、ねえ。
だからやるんだ。
おれが、やるんだ。
おれがあの、バケモノ娘を、
いまこの手にあるこいつで、
おれがこれで、あれを、しとめる。
あれの息の根さ、これで、今度こそ、しっかとぜんぶ止めてやる。
もう二度と生き返れねぇよう、もう二度と海から浮かべねよう、
おれがあれを、やる。やるんだ。
だからおれは――
そのあと毎日、死んだおとうに祈ってる。
毎日毎晩、祈りどおしだ。
そこまで本気で祈ったことなど、おれぁほかには、一度もねかったわ。
おれぁ生まれて初めて、
本気で何かを祈るってこと、
本気で何かを願うってこと、心の底で覚えたわ。
その祈りとは、こういうやつだ――
おとう、
おとうよ、
おれに力、かしてくれ。
おれに、いまあるこいつで、ヒトを――
いや。もとよりあれは、ヒトなんかでねぇ、
ただのバケモノだ。
あんなもんはバケモノだ。
かわいいむすめの皮は、あんなもんマボロシにすぎねぇ。
そうゆうつええ気持ちを、おれにさずけてくれ。
おれがしっかとあれを、撃てるように。
かまえる腕が、震えねように。
おとう。
おれに力を、さずけてくれ。
さずけてくれ――
✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾ ✵ ☆ ☾
「わかった。もうわかった。長い話だったわね。わたしもいいかげん気が滅入ったわ。ひさしぶりに、なかなか気分のよくない語を耳にした」
ミスローダが何度も首をふり、その場でさっと立ちあがった。
「おめのとこさいるあれは、だから、竜だ。水竜だ。おめはそれ、知らねばならねぇ」
ノアルブのタラが、噛んでふくめるようにミスローダに言う。すこし声が疲れて、最初の頃あったあり余るような敵対心は、今はもう影をひそめている。
「けど―― あなたがそれ、真実を言ってるって証拠はあるの? 今の話が、すべてほんとに事実だと? いっさいが、あなたの妄想ではないという保証は?」
「保証だと? バカはよせ。真実は、おれの心ん中にある。ここに全部ある。おれはすべて見た。おれは知ってる。そんだけのことだ」
地面に目をふせて、タラは言った。さいごは半分ひとりごとのようだった。
「で? まだあれを、つけ狙いたい?」
「殺すまでだ」
「殺させない、って言ったら?」
「そんならおめも殺すまでだ。あれは国の仇だ。おれらヒトビト、全部の仇だ」
「そしてお父さんの、って言いたいわけね」
「そうだ。わかったら、邪魔するでねぇ。おれはあれさ殺す。おめは、邪魔するな。脇でだまって、おれのやること見てろ」
「ふん。そのしばられたカッコでよく言うわ。威勢だけはいいわねあなた」
「………」
「でも、いい。よくわかった」
ミスローダは小声で言い、タラの顔のよく見える位置に、しずかに座りなおした。
「じゃ、ひとつ、協定をむすびましょう」
「協定、だど?」
タラがちらりとミスローダを見る。
「ええ。よく聴いて。わたしはあの娘を、ちゃんと自分の保護下におき、あれがもう、竜としての力を取り戻さないよう、全力をかたむけて阻止する。たしかにあの子が、なにか測り知れない強い力をもっていること―― それはあの夜、わたしにもよくわかった。そこは認めるわ。だけど、だからと言って殺す? 冗談はやめて。なぜそんないきなり野蛮な話になるのかが理解できない」
「…なにが言いたいんだ、おめは?」
「制御すればいいのよ。その、忌まわしい竜の力がふたたび出ることがないよう、わたしがわたしの魔力のすべてをかたむけ、あの子を今の状態にとどめておく。それはできることだし、わたしが責任をもってやることを、今ここで、あなたに誓うわ。だからあなたは、わたしがその誓いをまもる限りにおいて、今後はいっさい、あの娘には手を出さない――」
ミスローダは膝を両手でかかえて、どこか海の方を見た。夜はすっかり明けて、もうそこには暗さはなかった。まだ消えのこる薄い朝霧が、しずかに水の上を流れている。
「で、もしもわたしが失敗して、あの子がわたしの手に負えなくなるような―― 制御がきかなくなることがあれば―― 万が一そのようなことがあるなら、そのときはわたしが、自分の命にかえても、責任をもってあの子をこの手で殺す。そしてそのときには、あの子の命についていっさいの躊躇(ちゅうちょ)はしない。これも約束する」
「ムリなことだ。できぬ約束だな、それは」
タラが吐きすてるように言い、ごろりと右にころがって、ミスローダから目をそらした。
「なぜムリなの?」
「なんしか、あれが出てからでは遅いんだ」
タラが、ミスローダを見ないままで言う。
「あれは、おっそろしいバケモノだぞ。そこらのハンパな竜とはわけが違う。ウルゴルンの竜兵? は。そんなのはおさなごの遊びみてぇなもんだ。おなじ竜でも、天と地ほどのひらきがあるわ。あれはディススの兵らが、束になっても勝てねぇ。おめら女王の魔法でも勝てねぇ。無論、ウルゴルンも勝てね。ましておめのよな、素性のわかんね女の魔法では、とうてい勝てやしねぇ。
おめ、あれをおそろしく甘く見てるだ。おれらのジンバザッドは、おめらディススの何倍もの兵士と進んだ技術さもった強ぇ国だったが、それがものの双月もたず、みな、喰われ、国ごと滅ぼされたど。その意味、おめ、まじめに考えろや。ぜってぇ勝てねぇ。あれが出れば、それ、そのときが、ここの島の終わりだ。ぜんぶ終わりだ。だがら終わる前に、できるうちに、こちらがあれをやる。今ここでやるだ。この道理、なんぜおめ、わからね? おめ、それ、考えてみろ。ちゃんとアタマつかって考えてみろ」
「ふ、だったら逆にわたしはあなたに言いたいわ」
「なにをだ?」
「あなたはディススを見くびっている。イシュミラのことも知らないようだし、わたしの魔力も、まったくもって見くびっている。ちょっと強力な竜くらい、わたしもイシュミラもいくつも相手にしてきたわ。それら全部を、しっかり最後には殺してきた。ここであの子が手に負えないなどと――」
「本気のバカモノだな、おめは」
「なによ。こなまいきなノアルブっ子が」
そのあとリヒティカットが港のガードを呼びに行き、まもなく四人の警備兵たちがやってきて、ミスローダとリヒティのふたりから話をきいた。タラは、警備兵に両脇をかかえられ、兵たちが用意した小舟に載せられ、そのままどこかに連れて行かれた。
「さて。これでひとまず安心、かな?」
リヒティカットが、遠ざかる舟を見ながら言った。
「そうね、」
「それにしては浮かない顔をしてる。ニニのことかい?」
「ええ」
「ずいぶんややこしいモノをかかえこんだね」
「そのようね」
「殺す気はないの?」
「なに?」
「キミがそれを、自分で殺すことは考えない?」
「わかりきったことをきくわね」
「キミは強そうに見えて、あんがい甘くて弱いところがある」
「じゃ、逆にきくけど―― もしそれがムームーだったら、あなたは殺すの? 未来に、もしかしたら危険かもしれないという理由で? あるいはあなたの奥さんだったら?」
「――どうだろう。たぶん、殺さない、かな」
「なら、あなたにわたしを甘いとか言う権利はない」
「そうだね。その点は同意する」
「…おたがいいろいろ、ヤワになったわね」
「…かもしれないな」
リヒティは両目を閉じて、ほんのわずかに笑った。
海鳥たちが、みゃあ、みゃあと騒がしく鳴きながら群れをなして港のほうにおりてゆく。漁船がニ艘、少し先の海の上をゆっくり滑り、そろって沖から港に戻ってくる。朝霧はもう、ほとんど消えかけていた。
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