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第四章

ドラゴンハーフ

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12

 ぐったり疲れ果てて、ふたりがアルルーズから戻ったその夜。
 窓をたたく雨の音が気になって、ニニはなかなか寝つけずにベッドの上で起きていた。もうとっくに日付が変わる時刻は過ぎている。風と雨は、ますます強さを増していた。

 ドォォォォン!

 いきなり地響きがして、床ごとベッドがぐらぐら揺れた。
「ニニ! 起きなさい!」
 ミスローダが部屋にとびこんできた。
「ミスローダ? いまのは何??」
「外の様子がおかしい。すぐ服を着て、いつでも出られるようにして。何か、ぜったい普通ではない――」
 ニニは大急ぎで服を着て、それからすぐ、外に出た。
 外の路地で、土砂降りの雨の中にミスローダが立っていた。
 ずっとずっと坂の下、暗闇に沈む運河や港のさらに先、
 小湾をはさんだ対岸の丘―― ミストはまっすぐそこを見ていた。
 いつもそこには、街を見下ろす優雅な城が建っていて――
 でも、今夜はそこが――
「燃えて、いる??」
 赤い炎がそこに見えた。巨大な火柱が、城の屋根から吹き上がり、
 パッ! パッ!
 空を走る雷光のあいまに――
 城の上空、なにか雷ではない、赤と、それから青―― 
 まぶしい強い光が、いくつも激しくまたたいている。

「城が襲われている」
「え?」
「奇襲か。あれはウルゴルン? しかしなぜだ? どうやってここまで?」
「あ! ミスローダ見て! あれ! なにかでっかいのが!」
 ニニが指さした。
 港の上の、雲の中から――
 そこから何か、現れた。ぐんぐんこっちに近づいてくる。

――なに、あれ?

 竜だ。翼をもった巨大なイキモノ。赤の竜――
 そしてそれをあとから追いかけて、いくつもの、竜よりはるかに小さな何かが―― 竜は大きな翼をバタつかせ、いきなりふりむいて火炎を吐くと、また急に空中静止して、こんどは急降下、そのあとふたたび急上昇――
「ウルゴルンの竜騎士か。それにあれはディススの飛翔兵団――」
「戦ってるの? 戦争、なの?」
「そうね。あきらかに訓練などではない」
 ミスローダは降りしきる雨を気にもせずに、路地の真ん中で、険しい顔で空を睨んでいる。
「おい、なんだあれ?」
「空中戦?」「ウルゴルンの竜騎士だってよ」
 ニ人の他にも、近所の人たちがおおぜい路地に出てきた。口々に何か言いながら、その、空で戦う竜たちを指さしている。
「おいおい、いきなり首都決戦かよ?」「嘘でしょ?」「いや、あれ見ろよ。本物だろ」「お城がやられて?」「いや。反撃してる。大丈夫だ」「すげえなしかし」「見ろ、あれがほんとの竜ってやつだ」「すげ! カッコいい!」「バカ。感心してる場合か」「ねえあんた、ここって安全なの?」「どうかな」「避難した方がいいじゃね?」「そのときゃ城から指示があるだろ」「あれ、魔法? いま光ったの?」「何だろう? わしもあんなの初めて見るが――」「きれい。花火みたい」「ね」「おい、おめえら気楽なこと言ってんなよ――」

「あ! 見て!」

 誰かが大声で叫んだ。いきなり通りの真上、
 その戦う竜が、空からいきなり降りてきて、降りてきて――

「わぁぁぁぁ!」「やばいやばい!」

 今まで遠くの火事を眺めるように観戦していた人たちが、みんな散り散りになって走りだした。

 派手な地響き。砂ぼこりが巻き上がる。
 まともにそれが―― 竜が――
 むかいの商店の屋根に落ちた。
 たちまち崩れ落ちる建物。地面がグラグラゆれた。
 瓦礫が舞って、石畳の石が舞い、雨みたいにパラパラ落ちてきて――

 がれきの山が、いきなり動いた。
 石と木材の山が盛り上がり、盛り上がり――
 その中から―― 巨大な赤色の――

「ドラゴン、なの…?」

 小山ほどもありそうなそれは、ニつの、巨大なコウモリのような尖った翼をいきなり大きく広げ――
 いや。広げようとして、失敗した。
 片方の羽根が、どうやら、途中で折れている。
 グフゥゥゥウッ
 傷みにもだえるように、翼竜が声をふりしぼった。
 腹の底まで響くような、恐ろしい――
 いや、
 それが案外、ニニには、恐ろしいということもなく、
 むしろそれよりも、その声に含まれる、痛々しい、哀しげな――
 と、見る間に、その竜が――
「え?」
 ニニは、意外な光景に驚くしかなかった。
 竜の体が、縮んでいく。まるで空気がぬけた風船のように、
 竜の姿が、ぐんぐん、ぐんぐん、縮んで、縮んで、
 どんどん、まだまだ、小さくなって――
 最後に何かが―― 
 消え残った芯(しん)のようなものが、
 そこの瓦礫の上に、ひとつぽつんと取り残された。
「え? 嘘??」
 ニニはその場に立ちつくす。
 いまそこにあるのは―― 
 とても不思議なことに、なぜかそれは、ニンゲンの形だった。小柄な、ひとりの、ニンゲンの―― 女の子、だろうか? 長く乱れた赤色の髪。その子は服は着ていなくて、まるっきりの裸で―― でも、あきらかに大怪我をしていて―― 赤い大量の鮮血が、肩や首から流れ出し――

「ドラゴンハーフ」
 ニニのとなりでミスローダがつぶやいた。
「めずらしい。竜騎兵の中に、ドラゴンハーフがまじってるとは――」
「ね、ミスローダ、あの子は何??」
「ニニ。危険だから、ぜったい近づいてはいけない」
 ミスローダが片手でニニを制した。
「で、でも。あの子なにか、ケガ、してるよ」
「知ってる。全部見えてる。…って、こら、近づかないで! ああ見えても、あれはドラゴン。確実に死んだって確認がとれるまでは、絶対に近づいてはならない」
「え、で、でも――」

 ドォンッ! ドンッ!

 そのとき不意にまた地面が揺れた。
 上からバシッと、いきなり何かが落ちてきた。
 ひとつ、ふたつ、三つ。

「うしっ。仕留めたッスね」
「ようやく一体か」
「しかしまだだぞ。完全に息の根をとめねば――」

 いきなりそこに降りてきたのは、黒い甲冑で身を包んだ、いかにも強そうな戦士たち。人数は三人。背中には、不思議な灰色に光る、まるで蜂の羽根みたいな四枚の羽根。
「いったい何ごとなの、これは?」
 ミスローダが戦士のひとりにむかってきいた。
「そういうあんたは何者だ? ここの住人か?」「一般市民はさがっていなさい。まだここは危険だ」「いいか、あんたら。すぐここを離れるんだ。誘いあわせてただちに東の丘まで退避――って、ん? え? も、もしかして、あなたは――」

「ミスローダ殿!」

 黒の戦士のひとりが叫び、つづいてニ人が、いきなり背筋を正してミスローダにむかって敬礼した。
「ミスローダ殿! ここでいったい何を?」「まさか援軍っスか?! よっしゃ! だったらば心強い!」「これはまさに鬼に金棒。飛翔戦団にミスローダ殿とくれば、これはもう勝ったも同然――」
「盛り上がってるところで申し訳ないんだけど、とくにわたしが援軍ってわけでもないの。とりあえず、まずは状況が知りたいわ」
 ミスローダが言うと、三人の兵士は背中をビシッとのばして直立不動の体勢をとり、口々に報告を始める。
「はっ。手短に申しますと、夜襲です。ウルゴルンの竜騎兵少なくとも八騎が、王城の上に飛来。われわれがヤツらに気づいたのは、すでに城の大屋根が手ひどく被弾したあとでした」
「ただちにおれたちが応戦し―― いまもって、空では戦闘は続いてるんスが――」
「目下のところこちらが優勢です。が、いつなんどき新たなる敵の部隊が来襲するかもわかりません。まったく油断できぬ状況に変わりはない」
「つい先刻、イシュミラさまはディスス全土に非常事態を宣言されました。これによりディスス市の全区が戒厳下におかれ――」
「もうよい。わかった。いまそこに落ちたのは、ドラゴンハーフ?」
「そのようですね。乗り手の姿が見えぬので少々疑問には思っておりましたが――」
「これはすぐ、始末するほうがいいわ。回復してまた動き出したら、いろいろ厄介なことになる」
「無論のことです」

「おい、見ろ、あれを――」
「む? バ、バカッ! アホか! なにやってんだあいつ!」
 その、横たわる女の子―― 鮮血をどくどく流しながら、瓦礫の中であおむけに倒れているその幼い少女―― その子のそばで、ニニが、自分の服を一枚ぬいで、それをその子の傷口に押し当てて――
「すぐに離れなさい! そいつは危険よ!」
「こっちへ来るんだ、お嬢ちゃん!」
「それは竜だぞ! あんたなんて一撃でおわりだ!」

「で、でも。これ、どう見ても、ニンゲンの、ヒトだし――」

「見た目がそう見えるだけだ! ドラゴンハーフだそれは! 騙されてはいかん!」
「おい、こっち来いって! ヤバいってそれ!」
「とにかく離れなさいニニ! すぐに!」
「で、でも、でも…」

「なにしてるのいったい!」

 ミスローダが瓦礫の山にかけのぼり、ニニの腕をつかんだ。
「あ、待って待って。血を、なんとか止めないと――」
「血とか、そんなのどうだっていいのよ! むしろ殺さないと、こんなのは――」

「ころす、の?」

 ふりやまぬ雨の中、ニニが、
 感情にとぼしい目で、ミスローダをしずかに見上げた。

「当然のことだ。そいつは敵ですよ娘さん」
 黒の騎士たちも、ジャリジャリと瓦礫をふんでその場所にのぼってくる。
「しょせんは竜だ。情けをかけるようなモノではない」
「まずもって敵ッスよ、それ。本気でヤバいバケモノだ」
「はなれなさいニニ。これは命令よ。さ、おまえ、はやく行ってとどめを」
「わかったッス」
 雷鳴がとどろく中、若いひとりの戦士が、その、血と泥と雨にまみれて横たわる少女の前に立ち―― すらり、と、黒の大剣を抜き放つ。
「だ、だめ、だよ!」
 ニニが、戦士と幼女のあいだに、割って入った。
「そこどけ、嬢ちゃん。邪魔だ。あんたもケガするぜ」
 ニニはしかし、その子の上におおいかぶさって、女の子の肩を抱き――
「だめ! だめ! 殺しちゃ、ダメ! ケガをしてるの! この子ケガをしてるの! もう何も、できないから! だからもう、傷つけないで!」
「くだらねぇ。さっきから何、意味不明なこと――」
「いや! いや!」
 ニニはもう全力で、その戦士の足に、分厚い金属のブーツをはいた長い足に両腕でしがみついた。
「よせ! あんたわかってねぇな! これ、戦争なんだぜ! こっちも何人も死んでる! あまりしつこく邪魔すると、あんたも――」

「よしなさいニニ。兵士の邪魔をしてはいけない」

 ミスローダがニニの肩をつかみ、強引に戦士からひきはがす。ニニは瓦礫の上にできた水たまりの上に、バシャッと音をたてて倒れた。
「…いいわ。わたしがやる。あなたは下がって」
 ミスローダが若い戦士を片手で制した。
「まったく、まいるな。やりにくいったら―― これだから市街戦は嫌だ」
 兵士は腕で、兜の顔のあたりを何度かこすった。
「いいからもうさがって。わたしがやる」
 前方にかざされたミスローダの腕が、たちまち魔法の電気をおびて、
 パリパリパリ…
 無数の白蛇のような小さなカミナリがミスローダの腕にからみつき、
 ミスローダの腕全体が、白い炎を発して白熱し、白熱――

 ドォンッ!

 ふたたび炎が空を赤く染めあげた。
 戦士たちが、いっせいにそちらをふりかえる。
「おい、いまのは王宮か?」「いかんな。新手の竜乗りか。やつら性懲りもなく――」「えらく数が増えてる。どっから湧いてきやがったんだ――」

「行く方がいいわね、あなたたち」

 冷静な声でミスローダが言った。視線は遠く、王宮の空を捉えている。
「何してるの? こんなところで浪費しているほどの余力は飛翔中隊にはないでしょう? さ、行きなさい。この竜の後始末、わたしがここで確かにつけておく」
「や、しかし――」
「それとも何? あなた方、一線を退いたわたしの魔力が信じられない?」
「いえ、まさかそのようなことは」「めっそうもありません」
「では、ここの始末はわたしが。おまえたちはあちらに戻って、新たな敵にあたれ」
「ん、ま、この状況じゃ、ま、それしかなさそうッスね――」「ではミスローダさま、そいつの処理はおまかせします」
 戦士たちはふたたび敬礼し、それから、いままた戦場となっている向こうの空をそろって見上げた、
「善戦を祈ります。くれぐれも死なないように。これはささやかだけど――」
 ミスローダが戦士にむかって、両腕をそろえて伸ばす。
 みるみるその腕が、緑の輝きを帯び――
 そして光がほとばしる。
 緑の輝きが、シャワーのように戦士たちの体にふりそそいだ。
「お、すげえすげえ! 体が軽い!」「おお、これはありがたい。これならやれるな!」「強化魔法ですか。まったく、これはありがたい援軍だ――」
 口々におどろき、感謝の言葉を発する兵士たち。
「じゃ、もう行きなさい。ひきとめて悪かったわ」
「うしッ、んじゃ、いっぱつヤツラに味あわせてやりますか。本当の恐怖ってやつをね」「おいこら、カッコつけてないで行くぞ」「ではミスローダ殿、ひとまず失礼をば!」
 言い残すと、
 たちまち三人は流れる青い光の軌跡となり、
 ビュウウウウウンッ、
 うなる羽音を残して、みるみる空へとのぼっていく。
 もう次の瞬間には、その青い光は、激しく光が飛び交う空戦の夜空に混じって、もう見えなくなった。


13

 あとにはミスローダと、ニニと、
 そしてその傷ついたドラゴンの娘だけが取り残された。
 そこに降りしきる雨――
「さ、ニニ。いいかげん、そこどきなさい」
 ミスローダがニニに、一歩近づく。
「わたし本気よ。そこにいたら、あなたも巻き添えでケガをする」
 ニ歩、三歩、近づいた。さらに近づいて――

「やる、なら、ば――」

 ニニが――
 いや、
 ニニの唇が、言葉をつむいで、

「この、こ、ころ… …す、の―― それ―― …らば―― わた、しも――」

――あれ? あれ?
 
 ニニは混乱した。
 自分はなにも、しゃべっているつもりはない。
 ところがいま、自分の口、自分の舌が、
 勝手に動いて、勝手にひとりで、言葉をつむいで――
「ニニ?」
 ミスローダが足を止める。ニニの様子が普通でないことに、ミスローダの方でも気づいたらしい。
 そしてニニは、ニニは――
 急速に薄れゆく意識の中で、
 暗い水のにおい―― 
 暗闇の底から沸き立つ色のない泡――
 そしてあれは、たぶん、遠い遠い海の音――
 意識がひどく熱くなり、熱くなり、熱くなり、
 心の中に、大きな空白が、ぶわっと一気にひろがっていく。
 その熱く激しい空白は、もう完全にニニの心を溶かし、
 溶かし―― 溶けて――
 ニニにはもう、何も、見えない――


 そしてニニが、
 いや―― 
 ニニだったモノが、
 土砂降りの雨の中、今ゆっくりと立ちあがる。

「おまえ、ばかだね―― ほんきのばかだ――」
 
 前髪にかくれて表情は見えない。
 雷光が、そのモノの姿を一瞬、闇の中に白くうかびあがらせ――

「ニニ? あなたそれ、何を――」

「はやくにげれば―― よかったのに―― ばかすぎて――」

「…それは誰がしゃべってるの? おまえ、ニニではないわね?」

「ニニだよ。わたしが、ほんとのニニ―― さっきまでのニニは、あれはにせもの。わたしがほんと―― じゃ、どうする? あそびたい?」

「ニニ… あなた気でも狂ったの?」

「おまえ、わたしとあそびたい?」

「バカなこと言わないで。あなた本気で死にたいの?」

「いいえ。死にたくない。だって死ぬのは、おまえ――」

「な??」

 もう次の瞬間には、その拳は、ミスローダの腹を撃ち抜いている。

「ぐっ、はっ、」

 血を吐いたのは、ミスローダ。一気に口から、大量の血を――

「心臓、はずれたね。おまえちょっと、よけるの上手ね。ちょっとだけ速かった。そこのところは、ほめたげる」
「あ、あ、やめ、やめな――」
「なに? よく、きこえないよ? ん?」

「うう、あ、ああああああああ――!!!!」

 そのモノが、腕を、ミスローダの体から引き抜いた。
 その腕は返り血を帯びて、ぬらぬらと赤く光っている。
「あは。お腹、穴、きれいにあいちゃったね。弱いね。もろいね、おまえってば」
 ニニだったものが、とても無邪気にくすくす笑った。
「でも、だめだよ、おまえ、まだ死んだら。まだこれ、あそび、はじめたばかりでしょ?」
 そのモノが、左手一本、ミスローダの首に手をかけて、
 そのまま真上に吊り上げる。
「あ、あ、や、―― ……! ぐ、ふ、………」
 ミスローダの腕から、
 雷撃、
 いくつもの小さな雷がそこに生まれ、
 そのモノにむけ―― バシバシと――
「なに? 魔法? これが? あはっ、あはは。なにそれ。ほんとに、そんなので、わたしと遊べると思った? でもちょっとは、くすぐったいかも。あははは。ちょっとだけ、おもしろいねそれ。あは、あははははは」
「………! ………!」
「ほら。もっとちゃんと撃たないと。息、止まっちゃうよ? 首、折れちゃうよ? ほら。もっとがんばって、撃ってこないと。それじゃ遊びに、ならないよね?」
「……… ………」
 ミスローダの体が、
 びくびくと、小刻みにふるえて、ふるえて――
 悲鳴にならない、かすかな喘ぎのような音が、
 かすかにその、血に濡れたくちびるから、もれて――

「どう? 死ぬまえのきもち? うれしい? たのしい? それどんな気持ち? ん? なに? きこえないよ?」

 やめ――な――さい―― 
 やめ、やめ、やめてやめて!
 やめてやめてやめ―――

 やめて!!

「なに?」

 降りやまぬ雨の中、
 そのモノがぴたりと動きを止め、
 わずかに右に、ゆっくり首をかたむけた。

 やめて! そのヒトを、傷つけるのは、いや!

「なに? また出てきたの? もう、消えたんじゃなかった?」

 やめて! それはわたしの、だいじなヒト、なの!
 これいじょう、傷つけるのは、ダメ!

「なにそれ。つまんない」

 そのヒトは、ミスローダ!
 わたしの、だいじな、ヒトなの!

「なんだ。がっかり。せっかくひさびさに、表に出たと思ったのに。またすぐ、それか。つまんない。おまえみたいな弱いのが、なんで、わたしの表なのかな。なんでわたしが、裏、なのかな。本気で、そんなの、つまらない」

 そのモノが、ぶつぶつと、唇を動かして、なにかひとりで、しゃべっている。

 いいからもう、やめて! そのヒトを、はなして!

「いい。わかった」

 ドサッ、
 ミスローダの体が、地面に落ちた。

「これでいいの、ね?」

 そうよ! それでいい! 

「でも、わかんないよ、ニニ、」

 え? なにが?

「だって、こいつら、ニンゲン、でしょ?」

 そうよ。それが何?

「おまえ、まさか、忘れたの。こいつらのせいで―― こいつらのせいで、わたしたちの―― 大事な、大事な――」

 大事な?

「そうか… もう、そんな大事なことも―― 忘れちゃったんだ…」

 え? なに? 急に声が、きこえにくくなって――

「いいよ。わたしは、もう、行くから。でもおまえ、ニニ、」

 なに?

「おまえ、いつか、思い出さなきゃ、ダメ、だよ」

 え? よく、きこえない。もう一度言って――

「こいつらは、ニンゲン、だ。わたしたちの、敵、だよ――」

 え? 何? 何って言ったの?

「…いい。もう、行く。またしばらく、ねむ――る――」

 ドサッ。

 ニニの体が――
 その体が、瓦礫の上に、力なく崩れた。降りやまぬ雨が、その上から、まだ今も叩き続けている。雷鳴が、もう誰も動かなくなった瓦礫の上を、くりかえし、白く映して―― 映して――

――なぜ。なぜなんだ??

 そのときそれを、
 別の場所からじっと見ていたモノがある。
 少し離れたものかげから、
 まるいニつの瞳が、その一部始終を、
 凍りついたように、じっとそこから見ていた。

――なぜだ? 
  なぜだ?
 『あれ』はもう、死んだはず。
  なぜまた、ここに?
  なんで『あれ』が、まだここに――   


14

「…んん、ここは?」

「気がついたの?」
 
 目をひらくと、そこにある椅子にミスローダが座っている。ミスローダは読んでいた本を閉じ、しずかに膝の上においた。部屋の中はすっかり明るくて、窓からは、夏の朝の陽ざしが、さんさんと入っている。
――あれ? わたし、どうしたんだっけ?
 記憶に霞がかかったように、何だかすべてがあいまいで――

「そうだ、ドラゴン!」

 とつぜん鮮明によみがえった。
 夜のできごと。
 空から落ちてきた竜。
 傷つき、横たわる赤の髪の少女。

「あの子は? あの子はどうなったの?」

 ニニはとびおきて、ベッドからおりた。
 でもすぐに眩暈がして、ぐらぐら、足がもつれた。
「まだあまり動かない方がいいわ」
 ミスローダがニニを抱きとめ、ゆっくりとまた、ベッドの上に寝かしつけた。
「あなたもだいぶ消耗したみたいだから。ここでおとなしく寝て―― う、く、いたたたたたたた……」
 ミスローダが右の脇腹を押さえて、床にうずくまる。

「え、どうしたのミスローダ? なにか具合、悪い?」
「具合悪いなんてもんじゃないでしょ。あんたのおかげで、きれいにおなか、風通しが良すぎて涙も出なかったわよ」
「なになに? なんの話?」
「ほんとに何も覚えてないの?」
 お腹をおさえて立ちあがると、ミスローダは、少し真面目な顔でニニの目をのぞきこんだ。 
「ねえ、あの子はどうなったの? 無事なの?」
「あなたが言ってるのって、あのドラゴンハーフのこと?」
「ええ、もちろん」
「こっちの心配はなし?」
「こっちのって?」
「あれね、回復魔法で組織はかなり蘇生したけど、まだぜんぜん完全じゃないの。あと一歩間違ってたら、わたし死んでたのよ。あなたそれ――」
 ニニはとても不思議そうに、ミスローダの方を無邪気に見上げた。いまひとつ、言われていることが理解できないらしい。
「ま、いいわ。覚えてないんだったらしょうがない。ま、でも、ニ度とあれは勘弁して欲しいわね。とりあえず心の準備だけはできたから、もうニ度と、あんなふうに簡単にはやられないけれどね――」
 ミスローダは、またひとしきり何かぶつぶつひとりごとを言い、それから少しつらそうに、そこにある椅子に深く腰かけた。

「あの子は、始末したわ」

 何でもないことのように言って、ミスローダがまた本を手に取った。無表情に、ぱら、ぱら、とページをとばし読みしている。

「しま、つ?」
 ニニはその言葉に、一瞬で固まってしまう。
「ええ。またドラゴン化して暴れるとややこしいから。あそこであのあと始末して、それで終わり。おしまい」
「しまつって、そんなまさか、まさか、そんな、ひどい――」
 アタマの中が真っ白になった。
 まさか、まさか、そんなひどいこと、
 いったいどうしてどうしてどうして――

「嘘よ」

 ミスローダが本を見たまま、急に少し笑った。
「う、そ?」
「ええ。始末なんてしてない。できればそうしたかったけど―― でも、またそれであなたが逆上して暴れたら、こんどはもっとややこしくなる。最悪、あなたと戦ってあなたも本気で始末しないといけなくなる。それはあまりに面倒だから。だからほら、とりあえずそこに――」 
 ミスローダが、顔だけちらっと向けてそちらを示した。
 寝室の隅の、そっちの床の上―― そこには何枚か毛布が敷かれ――
その上で、すやすやと、気持ちよさそうに丸まって寝ている――
「ほんとにほんと? 嘘じゃないよね? 嘘じゃないよね?」
 ニニはとびおきると、そっちにかけよって、しゃがんで手をのばし、その子の前髪に、ほんの少しだけ触れた。燃えるような赤髪の、その小さな女の子――

「んんん、」
 その子が小さくうなって、少し体をもぞもぞさせた。
 体には、包帯があちこち、丁寧にまかれており――
「で? どう? そいつの新しい髪形は?」
 ミスローダが本に目を落としたまま、何でもないことみたいにニニにきいた。
「あんまりにも長く伸びてひどいことになってたから、とりあえず寝てるあいだに、髪だけさっぱり切ってしまった。意外にアタマのカタチもいいし、耳もきれいだったし。ショートがいいんじゃないかって思って。かなり切り詰めちゃったけど。どう? あなた似合ってると思う?」
「うん。うん! とってもかわいく切ってある! すごくいい! この髪形!」
 ニニは、叫んで、ポロポロ、大粒の涙を床におとした。
「大げさね、それ。泣くほどのことじゃないでしょ」
「泣くほどの、こと、だよ、これは――」
 ニニは涙をぬぐい、でもまたポロポロ泣いて、なんだか鼻水まで出て――
「でも、できれば起こすのは、もうちょっとあとにしてほしいわね」
 ミスローダがめんどくさそうに言って、よいしょ、と椅子から立ち上がる。
「包帯巻くときも大変だったわ。暴れて暴れて。どうしようもないから軽めの雷撃魔法でショックで動けなくして。それでどうにか応急措置。また目を覚ましたら、ひと暴れするかもしれない。だからここで監視してるってわけ。ほら、そっちの窓と、そっちの扉。それ全部、こいつのしわざ」
 ミスローダが指さした。窓は、完全に砕けてひどいことになっていた。木製の扉もザックリ割れて―― ん~、これは修理たいへんそうだなぁ、とニニは苦笑いする。
「――でも、危なくはないの? またドラゴンになったりは、しない?」
「そうならないように、いちおう、これだけはつけさせてもらった」
 ミスローダが、寝ている女の子の手首を、ぐいっと引っ張って、
 指でちらりと、その、金属のモノをなぞった。
 そこには銀色に光る、ちいさな腕輪――

「ドルゴルムの護り。本来は、普通のニンゲンがこれをつけてドラゴン化して暴れられるっていう、戦争用の実戦アイテムなんだけど―― でもこれは逆に、ドラゴン封じ用にわたしが自分で特別加工したやつ。無理やり竜につけると、一時的にではあるけど無力化できる。前の戦争でいっぱい使ってたやつを、いくつかまだ、捨てずに倉庫にもってたの。まさかこんなところでまた役に立つとは思わなかったわ」
 ミスローダが爪の先で、金属のリングをトントンと小さくはじいた。
「外せないように、かなりキツくして肌に固着させた。これつけてるかぎり、この子は竜には戻れない。見たまんまの、ただのチビの娘ね。いささか凶暴だけど」

✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾

「…ンンン?」

 その子が身をよじり、
 それから、ゆっくりと、まぶたをひらき、
 右手の指で、目を、ごしごしとこすり――

「ンガァッ!!」

 いきなりジャンプし、
 ひとっとびで部屋の別の隅に移動、
 床の上に四つ這いになり、
 頭を低くして、険しい目でミスローダをにらみつけ、
「ガルルルル…」
 と、歯をむいてケモノみたいに喉をならした。
「やれやれ。またそれ? 手当てまでしてあげたのに。命の恩人に対してその態度は何? こっちだってケガしてるし、むしろこっちのが、もっと手当てを欲しいくらいなのにね」
 ミスローダが腰に手をあて、なにか少しつらそうに、めんどくさそうに少女を睨みかえした。
「やめてやめてやめて!」
 ニニが、ふたりの真ん中に割って入る。
「ほらあなたも、そんなに警戒しなくていいのよ。ここは安全よ。誰もあなたに何もしないから」

「アン、ゼン?」

 その娘が、不思議なものでも見るように、ニニの顔を見あげた。

「そう。安全。戦いはもう終わったの。ここはディススよ。ディススだけど、あなたの敵はもういないの。わたしもミスローダも、敵ではない。あなたの味方よ」

「ミカタ…」

 その子が、ちょっぴり難しい顔をして、それから「本当?」とでも言いたげな、ちょっと可愛らしい顔で、ニニを見ながら首をひねった。

「ええ、本当。だからね、そんなにもう怒らないで。こっちきて、いっしょに。ね?」

「無駄よ、そんなの言っても。そいつにニンゲンの言葉なんてわかりっこないから」
 ミスローダがほうきの柄で、うしろからニニの背中をつついた。
「え? でも、たぶん通じたと思うよ?」
「バカね、そんなわけが――」
 その娘は、トコトコと四つ足のままでニニの方によってきて、
 ペロッ、と、ニニのはだしの足を小さな舌でなめた。
 ニニはくすぐったそうに笑い、その子のアタマを―― ショートカットにしたばかりの、カタチのいい小さなアタマを、優しく撫でて――
「え? 嘘でしょ?? なんで、いきなりあなたになつくわけ??」
 ミスローダが心底驚いたように後ずさった。

「ミカタ。」  

 娘がニニを見上げて、はじめてちょっと、笑った。
 可愛らしい、少し照れたような人なつっこい笑顔で。


15

 ディスス市民を震撼させたあの夜の奇襲攻撃は、ただちに応戦したディスス軍の精鋭によって夜明けまでに鎮圧された。王宮の一角をはじめ、市内の橋や、一部の市街地が攻撃によって無残に破壊された。
 が、さいわいにして市民の死傷者はそれほどでもなく、炎上する王宮にふみとどまって迎撃部隊の指揮を続けた女王イシュミラは、手傷を負うこともなく無事にその夜をのりきった。
 いっぽう攻め手のウルゴルン側は、ニ十数騎の竜騎兵がその場で戦死、敗色を察した残りの者たちは、ドラゴンの翼をひるがえし、はるか南の山向こうの空へそろって退いていった。
 
 一夜明け、その情報が町の市民に伝わると、通りや広場には大勢の人々が集まって、女王イシュミラの勇気と、これが初陣となった飛翔中隊の大活躍を手放しでほめちぎり、「ディスス万歳!」の大声援で戦勝をたたえた。
 しかしあの夜に発令された戒厳令は、その後も長く解かれることはなく、  ディススの広場や通りには、白の鎧の警備兵の姿ばかりがあちこち目につくようになり――

✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾

 そのころ、ディススの別の場所。
 夜明けの浜に、ひとり立つ者がいる。
 長い灰色のちぢれ髪を未明の朝風に流し、
 大人にしては少し小柄な立ち姿、
 あちこち破れた灰色のマント―― 
 風が、長いちぢれ髪を左右に揺らせたが、
 その者はそれを気にとめる様子もない。
 ただまっすぐに立たずみ、ほの暗い海を見ていた。

 と、そのとき、
 はじめてその者、動いた。
 右の手のひらをぴたりと胸にあて、
 そのままの姿勢で、わずかに唇を動かす。

――やらねば、ならねぇ。 

 そのような言葉が、どうやらつぶやかれたようだ。
 しかしその声はあまりにも小さく、誰の耳にも届かなかったが――
 その者は、海の上の空にかかるいびつな月をしずかに見上げ、
 胸の前の何かを、両手でギュッと握りしめる。

 きらり。

 月明かりの下、それは冷たい光を放つ。
 精巧な細工の施された、銀色の金属の筒。
 銃(じゅう)の名で呼ばれる、希少な遠距離武具だ。
 ここダスフォラス島では、一部の職工ギルドのあいだでのみ知られた、
 きわめて特殊な火力武器――

 やがて空が白みはじめ、一番鳥が浜の上を舞い始めた頃、
 そのときすでに、その者の姿は浜から消えていた。
 あの銀の筒のきらめきも、もうそこにはない。
 ざざん、ざん。ざざん、ざん。
 ただ波音だけが、ひたすらに響いている。
 わずかに砂の上に残されていた足跡も、やがてそこまで満ちてきた波が、
 残らずきれいに、消してしまった――


✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾

「う、なななな、なんてこと! 殺す! ぜったい今日こそブッころす!」

 朝っぱらから、ミスローダが下で叫んでいる。
「なに? どうしたのミスローダ~?」
 眠い目をこすりながら、ニニは下までおりていく。
 倉庫部屋の入り口のところで、ミスローダがもう本気で誰かを殺しそうな殺気だったギラギラの目をして、銀の髪をふり乱して叫んでいる。
「見なさいこれ! これ見てこれを!」
 倉庫の棚は、引き出しが全部あいて、中身がそこらへんの床に、全部ぶちまけてある。ありとあらゆる袋が破れて、野菜があちこちに散らばり、肉は、こまぎれの端っこと骨だけが、床に乱雑にに散らばって―― イファ麦の麻袋もしっかり破られて、床じゅうに中身がこぼれている。
「おととい買ってきたばかりだったのに! ニ週間分の食材がぜんぶ台無しじゃない! よ、よりによってわたしが大事にとっておいたソフィアの蜜の蒸しタルトまでしっかり食べるなんて―― 許せない。やはりあいつはあそこで死ぬべきだったわ。いいえ、いまここであらためて確かに明確に殺します」
「え、ちょっと落ち着いてミスローダ! まだムームーがやったってきまったわけじゃないし! ちょっぴりお腹へった泥棒さんかもしれないじゃない!」
 ニニがミスローダをなだめる。
「泥棒がこんなに生肉ばかり選んで食べる?? 泥棒がわざわざタルト食べるか?? だいいち野菜全部残してるし! こんな食べ方するヤツっていったら、どう考えてもあいつしか――」

「ドウカシタノ?」

 いつのまにかムームーも眠そうな顔でおきてきて(【作者注】ムームー:ドラゴンハーフの娘の名前です)、ニニの背中を、ちょんちょんと指でたたいた。
「あ、ムームー! これ見てこれ! 食品庫が、これ――」
 ニニは見るも無残な部屋の中をムームーに見せた。
「コレガナニ?」
「誰がやったのかなって。いま話してて。まさかほんとにムームーじゃない、よね?」
「アア、ソレネ。ヨルニ、オナカスイタノ。ダカラチョット、モラッタノ」
「え?? ほ、ほんとにそうなの??」
「ソウ。ソレ、ホントノコト」
 けろりとした顔でムーム―は言い、大きなあくびをした。
「デモ、アッタノ、ヒドイニクバカリ。フルイシ、アジモヨクナイ。ホカノタベモノモ、ゼンブ、トテモフルクテ、アジ、ヒドカッタ。アノオンナ、バカダカラ、タベモノノコト、ナニモシラナイノ。ロクナモノ、ナカッタノ。シカタナク、タベタケド、マダ、ゼンゼンタリナイ…」
「って、え、ちょっとそれ、ムームーってば! おこられるよそれ! ミスローダめちゃくちゃ怒ってたし!」

「やっぱりそいつなのね」

 ミスローダが、露骨に殺意をこめたまなざしでムームーをにらみつけ、それから片手をあげて、バシュッッ! と、いきなり火炎魔法バルルズドのスペルを――
「あ~! やめてやめてやめて! 家の中で火炎系とかぜったいダメだから~! 大事なお店が火事になっちゃうよう!! もうやめてよ~ ミスローダってば!」
 ニニがあわててミスローダを押さえた。
「フン、バカオンナメ。ソンナ、ツマラナイマホウ、コワクナイノ。リュウハ、ヒナンテ、ゼンゼンコワクナイ。ニニ、ソコヲ、ドイテ。ワタシコイツノクビ、カンデ、イキノネ、スグ、トメテヤルカラ」
「って、ムームーもあぶないこと言わない! も~、やめてよふたりとも~」
「そこどきなさいニニ。こういうのは、しっかり痛い目を見せなきゃわからないの」
「ん、でもほら、すごく反省してるとか、なにかそんなこと言ってあやまってるし~、」
「反省? ほんとに? これで?」
「ほんとだってほんとだって! すっごい反省してるって言ってるし! す、素直に、あ、謝ってるし。。だから、ね? ミスローダもそんな怖い顔、しないで。魔法とか、もう、使わないで――」
「ダイタイガ、キノウノヨル、コイツガツクッタショクジ、アレガ、マッタク、タリナカッタ。アジモ、ヒドカッタ(いちおうニニが通訳)」
「…んだと、このチビ竜!」
「アレデハ、ミズベノドロ、ソノママタベルホウガ、ズットマシネ。ウルカコウゲンノ、スナムシノホウガ、ヨホドアジ、ヨカッタノ。ヤハリ、バカノツクルリョウリハ、バカノアジ(これも、控えめな表現で通訳される)」
「くぁ、もう許せん! だったらきさま、とっととウルカ高原もどって永遠に砂虫だけ食ってりゃいい――」
「ってほら、ミスローダも! あ、それ、魔法はダメだってば! しかもこんどは毒霧?? そんなの使ったら、ご近所さんもみんな死んじゃうよ~ おねがいだからもうやめてよふたりとも~!!」

✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾

「ま、わたしもちょっとうかつだったわ。最終的に処遇をきめるまでの数日家に置くだけだからと、油断していたけれど。竜の食欲のことを、少々あまく見ていたわね。これはちょっとまじめに対策とらないと」

 ムチャクチャな倉庫を、そのあと、ニニとふたりで片付けながら―― ミスローダと喧嘩にならないよう、ひとまずムームーはムリヤリニ階に戻した―― そのあいだミスローダは、なにかずっとぶつぶつひとりごとを言っている。
「――またつぎにタルトを勝手につまみ食いされた日には、わたしも本気であいつを殺して―― 今度は氷系でバシッと―― そのあと切り刻んで―― 港の魚の餌にして散らして――」
「えー! まってまってまって! タルトくらいで殺すとか、そんな―― しかも言ってることが具体的でなんかこわいよ~」
「そもそもがね、ミスローダの食材に手をつけるような狼藉は、死罪でもまだつぐないきれない。まだしも殺しや強盗のほうが罪が軽いわ」
「だーかーら! 軽くないってばそれは! やめてってば~! ミスローダ、もうそれ、大人げないよ~!!」


 翌朝。
 まだ外が暗いうちにミスローダがきて、ニニを揺り起こした。
「起きなさい。ほら、そっちのチビ竜も。とっとと起きなさい!」
 ミスローダがバシッ! と、寝ているムームーのアタマを叩いた。
「ンガ??」
 とびおきたムームーは、きょとんとした顔であたりを見て、
 ミスローダを見るなり、いきなり歯をむいてとびかかり――
「な、なにするのよこのガキッ! チビのくせに生意気な――」
「グガァ! フゥゥゥウ!!」
「いた! 噛んだわね! いい度胸だ。じゃ、ガツンと雷撃系いこうか! 即座に消し炭になって大地の肥やしにでも――」
「も~! やめてやめて朝から! しずかにしよ~よ~! お向かいもお隣もまだみんな寝てるのよう!」
 ニニが必死でふたりのあいだに割って入る。
「もう、ほんとにほんとに。ふたりとも、仲が悪いにもほどがあるよう。顔をあわせば、ケンカケンカケンカ――」
 ニニはハアハア言いながら、なんとかニ人をひきはなした。

「でも、どうしてこんな早くに? なにかあるの今日は?」
「朝食よ朝食。こいつ用の、朝ごはん。そのためにこんな早起きしたんだから」
 ミスローダが乱れた髪を両手でなおしながら、うんざりした声で言う。
「いいからきなさい、ふたりとも。港まで行くわ」
「港? なんで?」
「行けばわかる。さ、来るのよ。なによチビ竜、その反抗的な眼は? いいのよ別に。こないなら、単純にあんたは朝ごはん抜きだから。以上、なにか文句ある?」
「ないない、ないよねムームー、文句とか。ね? 行きましょ。ね?」
「ガルルルルルル…」
 ミスローダにむかって、歯をむいてうなりつつも―― とりあええずムームーは、ニニに言われた通り、一緒にあとについてきた。外はまだ夜明け前で、暗かった。星がたくさん出ていた。月は見えない。
 三人、港までの坂をまっすぐ下って、大きな船のとまっている波止場を横目に見ながら歩いて、大桟橋の横を通り過ぎ、ちっちゃな灯台の脇をぬけ、港の端の、岩場のような場所まできた。
 そこの岩の上に、誰か、ニニの知らない男のヒトがいた。
 背はとても髙く、すらりとやせて、白っぽい服を着ている。
 なんだかきれいな絹のような飾り布を、上品に肩から垂らしている。
 年はわりに若そうだが、とても若いという感じでもなさそうだ。
 その男のヒトが、そこで何してるかと言うと――
 釣り、だった。
 釣りをしてる。長い木の竿を海上にのばして。
 まっすぐに垂れる長い釣り糸―― 
 その彼の横顔をみて、ニニは思わずハッとした。とても綺麗な顔だった。
 まっすぐ立ったするどい耳。端正な目鼻に、彫刻みたいに整った口もと。
 まちがいなくフォルディード。
 とてもめずらしい。めったにこの町でも見かけない、美形少数種族だ。ミスローダが近づくと、彼はかるく三人の方を見て、
「やあ、きたね」
 と言って唇の端で笑った。

「おはようリヒティカット。どう? 今朝は釣れてる?」
「まずまず、ってところかな。でも、ちょっと待って。いま、引きがきたところ。こいつを上げたら―― それまで静かにそこで待ってて」
 とても繊細なすばやい手つきで、彼が竿をわずかに動かす。
 竿の先がしなり、びびびび、と震えた。
「よし。悪くはない」
 ひとりごとを言って、彼はとても集中した表情になり、
 しばらくそのままで静止、

「ふんッ!」

 と、いきなり気合の入った声。
 同時に、いきなりすべてのことが、一瞬の間におこった。
 彼の腕が動くのと、竿がしなるのと、水がガバッと割れて下から巨大な―― とてつもなく大きい―― というか、かるくニニの背丈の三倍ほどある―― ギザギサした背びれの、ひどく凶暴そうなぬらぬらした魚が空中にはねあがり、そいつが妙にきれいな大きな弧を空中に描いて、いきなり上から、ニニとムームーの上に降ってきて――

 ザシュッ!

 いきなり木の棒がのびてきて、その巨大な怪物魚をバシッと地面に叩き落した―― あまりにも速くて、ニニには何がどうなってそうなったのか、まったく目で追うことができなかった。ペタッと地面におしりをついて、ニニがおそるおそる目をあげたとき―― 魚は地面の上でグッタリ動かず横たわり、その、釣り師の男が、魚の尻尾をぐいっと片手で持ち上げ、顔を近づけて品定めをしていた。
「ふぅ、またヴディーダか。ちかごろ増えたね、この手の魚が」
 彼はため息をついて、魚の尻尾から手をはなした。
「いや、すまない。少し驚かせてしまったね。見ての通り、こいつはけっこう凶暴でね。油断すると、釣り初級者はちょっとばかり危ないことになる」

「で、それは売れる魚? そうじゃない魚?」

 そっけない声でミスローダがきいた。まるで何事もここでは起こらなかったかのように平然と腕を組み――
「売れなくはない。けど、下魚の、さらに下だからな。市場に運ぶ手間の方が惜しい、ってところかな」
 彼は言って水際にしゃがみ、海の水でバシャバシャと両手を洗う。
「じゃ、ちょうどいいわ。それ、買わせて頂く」
「ほんとにこんなのでいいの?」
「というか、そういうのがいいの。だからここにきたってわけで」
「はは。なるほど」
 フォルディードの釣り師は小さく笑い、指で自分のあごの先をさわった。

「彼、リヒティカット。わたしの古い友人で、むかしは名高い槍戦士だったけど、いまは見ての通り、プロの釣り師よ。釣りの腕もけっこう悪くないって、わりとこのあたりじゃ評判なんだけど」
 ミスローダが、ニニにそのヒトを紹介した。
「おいおい。悪くない、はないだろう。ディススでも最高の部類に入る、とそこは言ってほしい」
 針を魚の口からはずしながら、彼が苦笑いした。
「どうかしらね。わたしあなたの槍の腕は知ってるけど、正直、あなたの釣りがどれくらいのものなのかは、いま見てもあまりピンとこない」
「ふ、言ってくれるね。ま、いい。そのうち君にもわかるときがくる」
「で? おいくらかしら?」
「これだったら、そうだな―― 20ってところかな」
「そんなに安くていいの?」
 ミスローダが服の内側から財布をとりだした。
「君が買わなければ、おそらく捨てるだけだろうからね」
「じゃ、はい。これ。」
 そう言って、ジャラリ、と銅貨を手渡す。
「ふむ。たしかに20だね。まいどあり、とでも言っておくかな?」
「ふ、おかしい。あなたがそんなセリフ言う日がくるとはね」
「そういうキミも、そんなしけた銅貨で下魚を買いにくるなんてね。あの『呪われし三魔』がだよ? まったくあのときは想像もしなかったね」
「じゃ、そこはおたがいさまってことかしら」
「ま、だろうね。お互い色々あるね、ほんと。」
 などと、なにかニ人で、ニニにはよくわからないことをあれこれ話していた。そのあと話が終わると、ミスローダはまた少し不機嫌な顔になり、足の先で、ちょいちょい、と、そこの魚の腹のところを蹴った。
「じゃ、そこのチビ竜。あんたには、はい。これね」
「グガッ?」
「グガッ、じゃないわよ。これがあんたの朝ごはん。これだったら、あんたでもそれなりに足りるでしょ?」
「グゥ……」
 ムームーが、たらり、たらり、と口からよだれをこぼした。そのあとものすごい勢いで魚の方にダッシュして――

「グガァ! グボッ! ガフッ、ガフッ、ゴッ、グフォッ、」

「…いや、すごいね、この子。。食べっぷりが、というか、喰らいっぷり、と言ったほうがいいのか。これ、何? ニンゲンではない、よね?」
 唖然とした顔で、釣り師の彼がムームーを指さした。あれだけ大きかった魚が、見る間にもう、最初の半分より小さくなっている――
「ドラゴンハーフ、らしいけど」
「ドラゴン? そりゃまた、すごいのをひっぱってきたな。知り合いの子供、ってキミが言うから、てっきり僕はかわいいニンゲンの子を想像してたんだけど」
「ま、これはこれで、かわいいんじゃない? 凶暴だけど」
「……かわいさの定義については、ま、緒論があるようだね」
「でも、じっさいあなた好みじゃない? あなた昔から、わりと幼女趣味があったと記憶してるけど」
「それは記憶違いだな。少なくとも、食欲のありあまるドラゴン少女を愛でる趣味は僕にはあまりないね」
「あまり、ね」
「まったくと言い直そうか」
 いささか心外そうに彼が言った

「グゲフッ、グマグマ~(ンン、ナカナカ、ワルクハ、ナカッタノ)」

 ムームーが満足げに、舌でぺろぺろ唇をなめながら、両手でおなかをおさえて地面に座った。
「デモ、マダスコシ、タリナイノ。モウイッピキ、アレ、デテコナイ?」
「え! あれだけ食べてまだ食べたりない??」
 ニニがあきれてききかえす。
「アトスコシ、タベラレル。コレデオワリ、ナラ、スグマタ、ハラペコニナルノ」
「…ん~。ちょっとわたし的には、それ、信じられないんだけど――」
「ニニ、あいついまなんて言ったの?」
「えっと、まだ、あと一匹くらい欲しい、みたいな――」
「やれやれ。これだから竜は――」
 ミスローダが深くため息をつく。
「ね、あなた、リヒティカット。もう一匹こういうの、釣れるかしら?」
「――どうかな。ま、狙ってウディーダが来るかは知らないけど」
 ちょっぴり憂鬱そうな顔で、フォルディードの釣り師がこたえる。
「まあでも、いいさ。まだしばらくここで釣るし… それなりのがかかったら、また君たちに売ろう。じゃないと、なにか、僕の足まで食べてもっていきそうな感じだからね、そっちの子は――」
「できたら明日からも、あなたが来るときは、こいつ、ここまで食べに来させたいのだけど。もちろん、御礼はそれなりの額を用意する」
 ミスローダが言うと、彼は一瞬沈黙し、そのあと言葉を選びながら、ちょっぴり引きつった顔で、慎重に答えた。
「……どうかな。ん、ま、その件については、このあとじっくり検討する、とだけ言っておく。ひとまず今は、釣りの方に集中させてくれ」


16

 次の日から、だいたい毎朝、ミスローダはムームーを連れてそこの岩場まで出かけて行った。
「ま、朝の犬の散歩みたいなものよね。まさかこの年になって竜をつれて散歩に行くとは夢にも思わなかったけれど。ふわぁ、ねむ。」
 などと言いながら―― それでも意外とマメに毎朝早起きして、そこの海辺でそこそこじゅうぶんな朝の食事をムームーに与えた。夜は夜で、毎日港の魚市場から巨大な魚を何匹か家まで配達させて、それを裏口の横の納屋まで運び入れ―― それがそのまま、ムームーの夕飯になった。
 十日ほどそういう新たな日課が続いて――

 それからあとは、特にミスローダが行かなくても、ムームーは道をおぼえて毎朝ひとりで食べに出るようになった。ニニとミスローダが驚いたことに、ムームーは意外にも、釣り師のリヒティカットによくなついた。そして朝の食事のあと、そのまま彼の釣りの手伝いをするまでになった。まあ正確には、釣り自体を手伝うのではなく―― 釣った魚を、そのあと舟に積み込むのを手伝うのだったが。
 ムームーは見た目はチビなのにあんがい力があり―― それまでリヒティカット氏がそれなりの苦労をして自分でやってた、釣り上げた魚を小舟に移す積みこみ作業を、かわりにムームーがやるようになったのだ。ムームーは、意外に楽しそうに、ウガウガ、フガフガ、なにかドラゴン流の鼻歌的なものを歌いつつ、釣り上がったばかりのまだビクビクと動いている巨大な魚を、バシッ! っと勢いよく舟の上にはねあげ、豪快にそこに積み込んだ。そして全部がおわると、山積みの魚で重くなった舟のへさきに座り、うしろで舟をこぐ釣り師とともに、港の魚市場へ―― そしてそっちでの荷おろしまで手伝うのだった。

 まあしかし、市場デビューの初日に関しては、それはそれなりに市場で騒ぎになったらしい。というのも、ムームーは市場につくなり、そこに集められた売り物の魚を、もう片っ端から目の色変えてかじりはじめた。あわててリヒティカットがもう全力で止めに入ったときには、すでにその朝の市場の商品の何割かがすっかり傷物になっていた… その午後ミスローダが、もうほんとにアタマから湯気が出るのでは? というくらい本気で怒り狂いながら、わざわざ市場に出向いて、その朝の損害の弁償する羽目になった――

✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾

 夜。
 ミスローダは波止場で、夜の風に吹かれている。
 大きな木造の帆船が一隻、ミスローダの目の前に停泊している。
 その船の影に、ミスローダはひとり、膝をかかえるように座り、
 長いあいだそこで、静かに寄せる波音をぼんやりと聞いていた。

 バシャッ!

 水のはねる音がして、ミスローダは顔をあげる。
 暗い水面から、何かが急に現れて――

「よっ。なにしてんのそこ? なんか悩み事でもあるん?」

 水面からアタマだけだして、長い髪の女が言った。
 フェルルブローラ。
 以前にミスローダの店を訪れた、あのディルディーネだ。
 彼女は水音をたてずにミスローダの近くまでさっと泳いできて、するりと水から上がった。からみついた長い髪が体の多くを隠してはいるが、とくに服のようなものは着ていないようだった。
「なんだ。あなたか」
 ミスローダが気のない声で言う。
「なんやそれ? うちに会うのがうれしゅうないの?」
「別に。なに? あなたいつもこんな場所まで泳ぎにきてるの?」
「ま、今夜はたまたまやな。ごっついバルグルス追いかけて追いかけて、ようやく追い詰めたのがあそこの灯台の下や。そいつでがっつり夜食をすませて、そのあとこのへんを流してだらだらしてたんよ。まさかここであんたに会うとは思てもみいひんかったわ―― …って、それよりあんた、聞いたでミスローダ」
「聞いた? 何を?」
「あんたごっつぅケガしたんやってな。腹に穴あいた、聞いたで?」
「誰に聞いたのそれ?」
「そら、いろいろや。うちの情報網を甘くみたらあかん」
 ディルディーネは笑った。それからミスローダの前まで這ってきていきなり顔を近づけ、ミスローダのおなかのあたりに鼻先をつけた。
「なによいきなり?」
「ちょっとあんた、じっとしとき」
 ディルディーネは鼻先をミスローダのおなかにぴたりとつけて、そのまま目を閉じてじっとしていた。そのあと、そのままの場所からミスローダの顔を見上げた。
「まだ、完全には直っとらへんみたいやな。だいぶ中のほうが弱っとる」
「まあね。けっこうな傷だったから」
「そのままじっとしとき」
「なにするの?」
「ええから」
 ディルディーネは両手をミスローダの背中にまわし、
 小さなひれのある手の指をひろげて背中を強くつかむと、

「ᒓᑱᒀᒒᑒᑒᑰᒤᒠᒡᒃᑱᑱᓁᒠᒴᔒᓱᓒᕔ――」

 なにか不思議なコトバをささやいた。
 淡い水色の光が指先にあらわれ、それが静かにひろがって、
 そのまま、ミスローダの背中に吸いこまれて消えた。
「あなた今それ、なにしたの?」
 ミスローダがわずかに体をよじる。
「別に。たいしたことちゃう。どや? ちょっとは違い、感じるか?」
 ディルディーネはミスローダから手をはなし、なにか少し甘えるように、ミスローダの顔を下から見上げた。
「…なにかしら。ちょっと、ん、たしかに息が楽になったみたいな――」
「明日もここ、来ぃや。一回ではあれやけど、何日か続けたら、だいぶ回復が早ぅなると思うで」
「知らなかったわ。あなたが回復系を使うなんて――」
「ディルディーネなめたらあかん」
 彼女はするり、と体をよじり、
 ぴたっ、とミスローダの横にくっついて座った。
「なあ、あんた、前も言うたけど、うちと所帯もつ気ぃ、どっかにないか?」
 なまめかしく微笑して、ディルディーネがミスローダの首に手をまわした。
「うち、あんたのこと、幸せにしたげられると思うねよ。海が嫌やったら、うちが陸の方にのぼってもええわ。どっかの海辺の、だれも来えへんちっさい家で、ふたりで一緒に暮らさへんか?」
「…あなたまだあきらめてなかったの」
 ミスローダは、まとわりつくディルディーネの腕をつかまえて、それをゆっくり、自分の体からひきはなす。
「悪いけど、女を愛でる趣味はないの。何度もそれ、言ったでしょう」
「せやったかな? あんまり覚えてへんわ。うち、自慢やないけど物覚えわるいからな」
 ディルディーネがけらけら笑う。
「まあでも、またその気ぃなったら、いつでもゆうてんか。うち、あんたのこと、どんだけでも喜ばしたげれる思うわ。あんたきっとびっくりするわ」
「…ま、ちょっとだけ考えておくわ」
 ミスローダが、いささかうんざりしたように息を吐いた。 
「せやせや。考え考え。しょうもない陸のオトコなんかより、ぜったいうちのこと、とったほうがええで。ええ嫁になりよんで、このディルディーネは」
「もういいわその話。ま、でも、さっきの魔法はよかったわ。ほんとになにか、だいぶお腹の感じがいつもと違うみたい」

「けど、あんたミスローダ、」
「ん?」
「やったん、あのムスメなんやろ?」
 とつぜん冷ややかな声音になり、ディルディーネが言った。
「え? やった?」
「せやから。あんたの腹に穴あけよったん、あれ、あの、助手とかゆうヤツやろ? なっがい緑髪の――」
「だったら何?」
 ミスローダが厳しい目でディルディーネを見かえす。夜はだいぶ更け、雲が少しずつ、広がりはじめている。さっきまで輝いていた多くの夏の星が、淡い雲のかげにかくれて、だいぶ見えにくくなって――
「こんどそのうち、喰い殺してやろかな、おもてな」
 ディルディーネが冷酷な声で言う。瞳のカタチが、きれいな丸から、蛇のような縦長に変化する。
「あんたに手ぇかけるとか、ほんまに許されへんことやで。目ん玉えぐりだして、舌、ひきずりだして、ぜんぶケツの穴ぶっこんで水に沈めたろかと――」

「やめなさい。あの子に手を出したら、わたしがあなたを殺す」
 温度の低い声でミスローダが言う。右手をのばしてディルディーネのあごをつかみ、ぐい、と顔をひきあげ、上から睨みつけた。ふたりはそのまま、無言でにらみあっていた。
「なんでや?」
 ディルディーネがささやいた。
「なんであんなんが、いいねや? うちのがずっとええやんか。なんであんなん――」
「いいからあの子に手を出すな。何かするなら、すぐにも殺す。これ以上は言わない」
 ミスローダはまっすぐディルディーネの目の奥を言て、すごみのある声でささやいた。
「ふん、」
 ディルディーネが目をそらす。
 するり、とミスローダの腕をすりぬけて、
 バシャッ! 
 そのまま海に落ちて、水面からアタマだけ出して――
「ええわ。わかったわ。あんたの許可なしには、手ぇ出さへん。けどな、もし、あんたがほんまに危ない思たら、すぐにもあんなん、潰したほうがええで。そのときはうちも手伝ったるわ」
「やめろ。もうききたくない」
「うちはただただ、あんたのことが心配やねん。こないだかて、あれ、一歩まちがったらあんた、そのままそこで死んどったかも――」
「消えて、フェルルブローラ。もう、ひとりにしてほしい」
 ミスローダはディルディーネから顔をそむけ、どこか沖の灯台の方を見やった。ディルディーネはまだ何か言いたそうにしばらくそこに浮かんでいたが、 やがて体をひるがえし、するり、と、暗い水の中に消えた。あとにはひとり、ミスローダだけが残され――

 いや。

 ミスローダのほかに、まだひとりいた。
 その者は、波止場の端に捨ておかれた廃船のかげに立ち、じっとミスローダを、うしろから見ていた。夜の闇が、その者をまもるように深く深くその場所におりている。

 バチャッ!
 魚のはねる音がして、ミスローダが、ふと、そちらに顔をむけた。
 が、夜の闇はあまりにも深く、いまそこに身を隠す小さな者の姿には、さすがのミスローダも気がつきはしない。その者は、なにかを決めかねるように、そのあとも長くその同じ場所から、じっとミスローダを見つめていたが――
 やがてなにを思ったか、その影はひとつの音もたてずに後退し、またしずかに、夜の港の闇に溶けて消えていった――

















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