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第三章

アルルーズの森

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 ダスフォラス島に夏がきた。
 ふりそそぐ光は急速に強さを増し―― 海辺の道をゆくディススの人々の服も、生地のうすい風とおしのよいリンメル織りが日に日に増えてゆく。ミスローダの店でも、午後には窓をあけ、海からの風を中に通して暑さをしのぐようになった。東から西へと、夕方の夏空を野生のオリフォンの群れが渡り、白い大きなタルタロス鳥たちが、群れになって浜の上を舞って舞って舞って、港に入る船を追いかけて――

 そしてニニはあいかわらず、ミスローダの店にいる。
 あれから特に記憶が戻ることもなく、何か新たに、身元につながる情報が届くこともなく――
 変わったことと言えば、いささか長くなりすぎた髪を、背中の真ん中あたりで思い切ってカットしてもらったくらいか。ミスローダも相変わらず、美容の店で毎日お客の相手をし、夕方店が終わると、ニニを連れて海沿いの道を行き、港のそばの食材市場でその日の夕食の材料を買い――
 それはじつに平和な、からりとした気持ちの良い夏のはじまりで――
 ニニにはまるで、それがいつもの、昔ながらの自分の夏の毎日で――
 そんな毎日が、これからもずっと、ここで永遠に続く―― 
 そんな気持ちにさえ、少し、なり始めていた。

✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾

「アルルーズの森?」

 今日はお店の定休日。
 朝食の席で、ミスローダが急に言いだした。
 今日これからアルルーズの森に行くわよ、と。

「ええ。材料調達。あそこでしか手に入らないものがあってね」
「そこって遠いの?」
「遠いわ。でも、今回はウルダーを使うから、それほどでもない」
「ウルダー?」
「それを説明するのは簡単ではないわね。でも、見たらわかる。昼前には出るから、それまでに準備をしなさい」


 森へ行くと聞いたので、ニニはてっきり、城門から町の外に出るものと思っていた。ところがミスローダは、城門とは真逆の方角にどんどん歩いていく。職工広場から、運河沿いの道をまっすぐ歩き、魔法雑貨の店が集まるマイラ坂をのぼり、そのあと右に大きくまがって、おおぜいの人々でにぎわう銀行前広場を通りすぎ――

「王立、技術院?」
 
 その建物は、英雄広場っていう名前の、ディススでもひときわ古い広場の前にそびえていた。大理石っぽい石の壁の、大きな大きな建造物。まるでお城みたい、というのが、ニニの感想だ。しかし、ギザギザとがった妙な形の大屋根は、その部分はあまり、お城という感じでないかもしれない。正面の門柱には、なにか複雑な幾何学模様の彫刻が施されている。どことなく神秘的な―― 『神殿の門』とでも言うような、ひどく厳粛な雰囲気が――

「止まれ!」

 槍をもった門衛がするどく叫んだ。
「ここは王族の地所である! 女王陛下の許可を得たもの以外、入ることはまかりならん!」
「それは知ってる。ま、今回とくに許可はとってないけど。でもたぶん、イシュミラも文句は言わないと思うわ」
 ミスローダが退屈そうに言った。
 彼女は門衛の警告を、まったく気にもしていない。

「何だと? 適当なことを言うな!」
 もうひとりの若い門衛がどなった。
「じゃ、これを見せればいいかしら?」
 じゃらり。
 ミスローダが服の内側に手を入れて、そこから何かひっぱりだした。
 ペンダント? 大きな宝石をあしらった、青と緑の――
「はい。いちおうこれ、王家の紋章」
「なんだと? こんなもの――」
「どうせニセモノだろう。どこで買ったんだ、こんなオモチャ?」
「ね、いいから通してくれない? 時間がそれほどあるわけでもないし――」
「こ、こら! それ以上勝手に進むと――」

「どうした? 何をさわいでいる?」

 奥から、別の兵士が出てきた。ふたりの門衛よりもだいぶ年は上。背はあまり高くなく、白毛まじりのもじゃもじゃヒゲが、なかなかよく似合っている。
「あ、隊長」「いやね、この女が、通せと申しおるんです」
「偽の紋章など見せて、勝手に行こうとするものですから――」

「あら、ひさしぶりね、イクスガルディオ」

 ミスローダが涼しい声で手をふった。
「おお、そ、その声は、まさか――」

「ミスローダ殿!」 

「え? なんですか隊長どの? お知り合いで?」
 若い兵士が、よくわからなそうに、年上の兵士をふりかえる。
「バカモノ! 知り合いなどと、おそれ多いわ! こら、さっさとアタマを下げんかおまえたち! ミスローダ殿だぞ!」
「えっと、それって――」「誰――」
「ええい、知らぬなどと、恥を知れ恥を! この方はまごうことなき王族も王族であり、そもそもが、この技術院の設立者のひとりでもあらせられる!」
「え!」「そ、そんなすごいヒトなんですか!!」
「あたりまえだ! 何の寝言を言っておる! ミスローダ殿だぞ?? 『ディスス建国の十ニ日』における名高き『三魔』のおひとりだと言ってもまだわからぬか! あのミスローダ殿だ! われら下層の兵とは、ゴミだめの石くれと高貴な宝石ほどの違いがあるのだ!」
 そのヒトはバシッ! バシッ! と何度も部下たちのアタマを叩いた――
「いいわよイクスガルディオ、そんなに怒らなくても。知らないのはしょうがない。わたしもずいぶん、世間からはご無沙汰だから」
「いえいえ。大変申し訳ない。近頃の新兵どもはまるで教育というものがなっておりませぬ。あとあと、じゅうじゅう、わしが性根から叩き直しておきますゆえ――」
「あまりいじめないであげてね」
「む、ま、それは、あくまで適正な範囲で」
 そのあともまだ大声でどやされ続けている気の毒な新兵たちをうしろに残して、ミスローダはニニをつれてさっさと建物の中に入っていった。


 石造りの建物の中は、ひんやりと涼しかった。ほの暗く長い通路が、ずっと奥まで続いている。たくさんの扉があり、たくさんの曲がり角があり――
「ねえミスローダ」
「なに?」
「ミスローダって、ほんとに王族なの?」
 ニニがおそるおそるきいた。
「そうよ。知らなかった?」
 ミスローダは興味なさそうに言って、そのままつかつかと先をいそぐ。
「ん、今日、いま、はじめて知った。なんとなく、ひょっとして偉いヒトなのかな~って、前からちょっとは思ってたけど――」
「別に偉くはない。たまたま生まれがそうだった、ってだけでね」
「女王のイシュミラさまとは、どういう関係? いとことか?」
「イシュミラ? ああ、あの子?」
ミスローダがちらりとニニを見た。またすぐ、視線を前にもどす。
「あれはいちおう、わたしの妹」
「え!! ってことは、ミスローダは、女王陛下の、おねえ、さん?」
 ニニは足をとめて、目をまるくして叫んだ。
「ま、そういうことになるわね」

「えええええ!! って、そんなの、もっとはやく言ってよ~! わたし女王様のお姉さんに、すっごい失礼なこと、いっぱいいっぱい言っちゃたよ~!!」

「そう? あまりそれは覚えがないけど―― でも、そんなに驚かないでほしいわね。姉っていっても、今はもう王宮を出ちゃったわけだし、とくに何か偉い立場にいるとか、そんなのはもう、なにもないんだから」
「でもでも、だってだってだって――」
「あなたさっきから声が大きい。ここは研究所よ。それぞれの部屋で、とてもデリケートな精度を求められる実験をやっている。もっとボリュームをおとしなさい。でないと、ほんとに追い出されるわよ」
「ご、ごめんなさい…」
「いいから。こっち。ついてきて」


 いちばん奥の大扉をくぐると、なんだか不思議な、円形の広間に出た。
 そこの床はすべて、つるつるした白い石でできている。中央には、先端の鋭くとがった白くて高い塔のようなものがあった。建物の中なのに、またそういう別の建物があるという―― じつに奇妙なつくりだ。広間の天井はおそろしく高く、すっぽりと、その白い塔が中におさまる高さで―― ずっとずっと上には天窓があり、そこから、くっきりとした夏の光が斜めに降りこんでいる。

「や、これはこれは。ミスローダさんじゃないですか」

 子どもっぽい高い声がして、ニニはふりむいた。
 白いガウンを着た、小柄なヒトが歩みよってくる。
 おそらくセルモのヒトだろう。かわいく先だけとがった丸耳に、とても知的なくりくりした目。いかにも頭がよさそうだ。年齢は、そこはセルモだけに、あまりよくわからない。とても若い少年にも見えるし、でもひょっとしたら、もう立派な大人かも――

「こんにちはフォルセアス。研究の進み具合はどう?」
 ミスローダは言って、その白衣のヒトと握手した。
「おかげさまで研究は順調です。と、言いたいところですが。正直、停滞してますね~ あまりこれといった新発見もなく」
「で、例の、未知の元素は分離できたの?」
「いいえ。七十名の研究員が総出であたって、まだ、一滴たりとも」
「なかなか思うようにはいかないわね」
「はい。むしろ、さらに道のりを遠くしちゃう小発見すらあったのです」
「小発見?」
「はい。われわれの当初の仮定では、未知の元素は2種ということで、まず、見当としては外れていないであろうと。楽観してたのですが。どうやらじっさいには四種、下手をすれば五種以上が、まだ、未分離ではないかと。そのような結果がぽつぽつ出始めちゃってます」
「やっかいね。じゃ、まだまだ時間がかかるってことね」
「年内に、ひとつでも分離に成功すれば御の字ってとこですかね~ ん、でも、珍しいな。ミスローダさんが誰かと一緒にくるなんて。こっちの方は、お友達ですか? 施設見学? でもびっくりだな。またずいぶん、綺麗な方で――」
 その白衣のヒトが、ちらっとニニに目をやった。
「なに? ああいうの、あなたの好みなの? めずらしいわね、あなたが研究以外のことに興味もつとか?」
「からかわないで下さいよ~ ちょっと聞いてみただけですから」
 そう言ってセルモのヒトは、ほんの少し、頬を赤くした。
「ま、冗談はさておき。今回はとくに施設を見にきたわけでもない。ふたりでイウエルルまで行きたいと思って。例の、ちょっとした私用ね」 
「あ、なるほど。フィトンの買いつけですね?」
「そう。あれがないと商売にならないから」
「美容のほうは、どんなですか? それはそれで奥が深い領域?」
「まあ、そうね。まだまだわからないことも多いわ。いろいろ試行錯誤中」


「ごめんね。つい、ひさしぶりだったから。つまらない世間話を」
 だいぶあとになって、ミスローダがニニのところに戻ってきた。
「ミスローダは、なにか、アタマいいのね~」
 ニニが、感心したみたいにミスローダを見上げた。
「アタマは別に普通よ。ただっちょっと魔法の知識があるのと、ここの技術院には、むかし自分もしばらく関わってたから。ま、それなりの興味が今でもなくはない。それだけのことよ」
 ミスローダはそう言って、長いサラサラの銀の髪を、両手でうしろへ、丁寧に、何度かさわって整えた。ふだんあまり店では着ない、袖のない夏物の白チュニックをミスローダは着ている。天窓から入る真夏の光が髪を透かせて白く光らせ、なにか普段よりさらに美人になったようにニニの眼には映った。
「さ、行きましょう。イウエルルに行くわよ」
 ミスローダがニニの手をとった。 
「イウエルルってどこ?」
「ずっと東のほうにある村の名前。さ、こっち。入るわよ」
「入るって―― え? ここに?」

 その、円形の部屋の中央にそびえる白の塔の前に立つ。
 正面には、青白い石でできた両開きの扉――
 ニニとミスローダが前に立つと、
 扉がひとりでに、ゆっくりと左右にひらいた。
「すごい。勝手にひらいた!」
「わたしの持ってるタタ・クリスタルに反応してるの」
「タタ・クリスタル?」
「これよ」
 ミスローダの手のひらの上には、さらりとした無色の氷のような結晶が―― 形は、いわゆる八面体―― 
「これはちょっと、特別な石なの。ディススでは、王族にかぎって持つことが許されている」
「へえ。じゃ、宝石?」
「ただの宝石ではない。いろんな機能があるけど―― さ、いいからはやく、中に入りましょう」
 うながされてニニは、その、なんだかよくわからない、真っ白い塔の中に入った。入ると同時に、音もなく、また扉が外から閉じる。なんだかふたりで、閉じ込められた形になった。円形の、それほど広くもない、白一色の部屋――
「さ、手をここに置いて。この石にぜったいふれてなきゃだめよ。さ、握って」
 うながされて、ニニは右手で、ミスローダの手のひらをギュッと握った。ふたつの手のひらのあいだには、その、冷たい感触をもつ、つるりとした石の結晶――
「いい? 今からやることは、とくに難しいことでも何もないから。とにかくぜったいに石にふれていること。それだけ注意して」
「う、うん」

「イウエルル」

 ミスローダの言葉と同時に、
 白い光が、いきなりはじけた。
 まぶしくて目がくらんだ。
 地面がグラッと揺れる感じがして、
 なにか体重が、いきなりなくなったみたいで――
 まるで空に投げ出されたかのような――
 
 でも、すぐまたその感覚は遠のき、
 足の先に、堅い地面の感触が――


 ニニは思いきって目をひらいた。

「あれ? ん? さっきといっしょ?」

 そこはあいかわらず、さっきの白い部屋だった。
 とくに何も、さっきと今とで、変わった様子はない。
「いっしょかどうか、出ればわかる」
 ミスローダに手をひかれ――
 白い両開きの扉をぬけ、ニニは外に出た。

「え??」

 ニニはおどろいた。目をうたがった。
 いきなりそこが、白い花の咲きみだれる外の野原だったから。
 空は青く、陽ざしはまぶしく―― 
 なぜだか蝶々まで、ひらひら優雅に舞っている。
 ふりむくと、いま出てきた、その白く尖った塔がそこにあり――
  けれどそれは、見た目はさっきと同じなのだが、その周囲にあったはずの、王立技術院の建物全部が、今ではなぜか、完全になくなっており――
「はい。到着。ここがイウエルルの村のはずれ。ざっと、ディススから北東に四十ローグほど一気に移動したことになる」
「うそ。こんなことってあるの??」
「これがウルダー。ね? なかなか便利でしょ?」
「魔法――なの?」
「そうだといえばそうだし、そうでないといえばそうでない。原理はまだ不明」
「不明?」
「そう。これはわたしたちがつくったモノではなく、古代のドゥラ族が築いた転移装置。今ではもう失われた古代の技術。ただその使用方法だけが、今に伝わっているってわけね。このダスフォラス島のあちこちに、じつはこれと同じウルダーがほかにも複数あるの。で、この、タタ・クリスタルっていう希少結晶を持つ者は、ウルダー経由で長距離を一気にとぶことができる。ただしこのタタ・クリスタル、今までに発見された数はひどく少ない。だから今のことろ、これはディススの王族と、一部研究者だけが使用を許されている秘法中の秘法ってわけ」
「す、すごいね。こんなの、ほんとにあるんだ。じっさい自分でとんでみて、でも、まだあんまり、ん、信じられないけど―― ふえぇぇ、やっぱミスローダって、すごいよ。ほんとにすごいよ!」
「べつにわたしがすごいのじゃなく、これ作った昔のドゥラ族がすごかったのよ。それだけの話ね」
 ミスローダは興味なさそうに、もうその話をそこで打ち切った。
「さ、じゃ、行きましょう。まずはこの先のイウエルルでニ、三、ちょっとした所要をすませる。そのあとアルルーズへ」


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 その深い森は、アルルーズと呼ばれている。
 古代ドゥラの言葉で、「終わりなき薄明」の意味がある。
 それを聞いたとき、ニニは「なんだそれ?」と思った。けれどじっさい森に入ると、わりと素直になっとくした。
 おそろしく太い木ばかりが柱のように立てこんで、視界がひどく悪いのと、うっそうと茂る木の梢が陽を遮っているのと―― あとは、もや、というか、うっすらとした霞みたいなものが、森全体にたちこめて―― なんだか気味が悪いくらいに、薄暗い。
 時間はいま、昼のはず。しかも天気は晴れのはずなのだけど。本当にここは、まるで夕暮れ前のようにぼんやりと暗い。
 そしてなんだか変わった匂いがする。なにかちょっと刺激のある、でも、悪臭というわけでもなく―― どちらかというと「いい香り」と言ってもいいような――
「フィトンの幹や葉から出る成分が、この霧をつくってるの」
 道らしい道もない、厚くつもった葉っぱの地面の上を、サクサクとかるい靴音をたてながら、ミスローダは迷う様子もなく一定のペースで進んでいく。
「この木がフィトンなの?」
「ええ。そうよ。この森ではフィトン以外の植物はあまりうまく育たない。この木は、なんだろう、ものすごく独占欲があるっていうと、ちょっと変だけど。いちど森になったあとは、幹や根から、ほかの植物の嫌う成分を出して、ほかの種の苗木が育つのを阻むの」
「ふえ~。けっこう気の強い木なんですね~」
「まあでも、その成分のおかげで、フィトン材は腐敗しにくい。堅くて劣化もせず、いろんな用途に重宝されてる。たとえば弓とか家具とか。今ではフィトンの森じたいが少なくなってるから、ここみたいに広いフィトンの森は、ダスフォラスにも、もう数えるほどしかない」
 ミスローダは足をとめ、右の手で、ぱしぱし、と木の幹をかるく叩いた。それから何を思ったのか、上の方をちらっと見た。ニニもそっちを見てみた――
無数の葉が、そこには見えるだけだった。
「でも、ニニ、あなたここでは気をつけて。ぜったいわたしから離れないようにしなさい。この森ではぐれたら、いろいろやっかいなことになる」
「そ、そうね~。これじゃ迷子になっちゃう」
「迷うだけだったらいいんだけど。ここはウーリガンっていう小人族の支配地なの。あれらは大のニンゲン嫌いで、たぶん、出会ったら、まったく無事ではすまないでしょう」
「え。それつまり危険ってこと、よね?」
「さらに奥の方にいくと、ヴルグルっていう、好戦的な竜族の棲み家もあるし。どうせ奥だろうと油断してると、たまに気まぐれなはぐれヴルグルが、森の入り口まで出てきてることもある。旅人がひとりふたりで気楽に散策していい場所ではないのよ」
「わ、わかった。ぜったいミスローダからはなれない――」

 ヒュッ、
 
 いきなり風をきる音がして、
 
 タンッ!
 
 目の前の木の幹に、飛んできたなにかが刺さった。
 
 ビィィーン…
 
 それはまだちょっと、ふるえて… そのままそこに刺さって――

「おまえたち、止まれ。それ以上ちかづくな!」

 森のどこかで声がした。
 とってもハスキーな、でもたぶん、女性の声――

「ここはウーリガンとウッドギルダーの領域だ。よそ者は歓迎しない。すみやかに去れ。でないと、次は本当に当てる」

「やってみるといいわ。でも、それをやったら、次にはあなたの体が燃えているわよ」
 ミスローダがすずしい声で言った。
「なに? ああ、なるほど。その自信満々の声は――」
 その声の主が――
 シュタッ!
 いきなり枝から、地面にまっすぐ落ちてきた。いきなりの登場に、ニニはびっくりしてしまった。でもミスローダは、まったく驚くそぶりもみせずに――
「こんにちはムーア。あいかわらず手が早いわね」
「あんたこそ、あいかわらず大胆だな。こんな中まで、ずかずかと平気でふみこんできて」
 相手のヒトが鼻を鳴らして笑う。
「あたしはウッドギルダーの中じゃだいぶ気が長い方だから、今はこれですんだけど。別の者だったら、最初っからあんたの胸の真ん中ねらって撃ってたかも、だぞ?」
「ふ、そんなの当たると思ってるの? 弓を過信してるわ。そんなのすぐさま反撃して五倍にしてかえす。フィトンの弓くらいでミスローダを倒すのは無理ね」
「ったく、自信家だな。まあでも、よくきたな。とくに歓迎はしないが、あんたなら別に、ま、いいや」
 そのヒトは――
 大柄な、バルデマスの女性。
 バルデマス特有の、小さな角が四本、ひたいのところから生えてる。髪は大胆にぼさぼさっとワイルドにうしろに流して、それをバンダナみたいな布でおおざっぱにとめている。ぎょろっとした大きな目。とくべつ目つきが悪いというわけでもないのだけど―― とにかく眼光がするどい。ニニにはそれが、狩人の目、という感じ見えた。動物の皮でつくったカッコいい胸当て鎧を身につけ―― そして肩には、長く大きな木製の弓。おそらくあれで、さっきこちらを狙ったのだろう。

「紹介するわ。ウッドギルダーのムーア。彼女、ここでフィトンの番人をやってるの」
「番人ってほどでもない。入ってくるよそ者を勝手に奥に行かせないってだけで」
「それを番人って言うのよ」
「ふん。ま、好きに言えばいい。で? こっちの女の子は何?」
「これはニニ。わたしの助手よ。美容室を手伝ってもらっている」
「ふうん。ま、いいや。とりあえずあんたにも、アルルーズへようこそって言っとく。でも正直わるいときにきたね」
「なに、それはどういう意味?」
 ミスローダがききかえす。
「このところ、ヴルグルが妙な動きしててね」
 言いながらムーアは、弓を肩からはずし、矢をつがえないまま弦をひいて、ヒュン、ヒュンと、つづけて空撃ちした。目つきは厳しく、まるでほんとに何かを狙って撃つみたいな感じだった。
「ここしばらく、森のあっちこっちで、小競り合いが絶えない。おとといも、この近くでけっこう派手な戦闘があった。だからみんなピリピリしてる。どのギルドも、みんな人数を拠点拠点に貼り付けて警戒してるよ」
「なるほど。それはタイミング悪かったわ」
「で? 何、どこに行くつもりだったの?」
「洞窟。いつもと同じ」
「ってことは何、買いつけかい?」
「ええ。またちょっと、多めにあれを買っておこうかと」
「じゃ、それだったら許可を出そうか。ほんとにそれだけならね」
「出してくれないと困る。けっこう遠くからわざわざ来たし」
「じゃ、今すぐ洞窟まで行って、さっさと帰る。その条件で、いちおう許可を出すことにする。そっちの女の子も。ぜったい変な場所にひとりで行かないこと。用事がすんだら、すぐにも森を出ること」
「あ、は、はい。わかりました」
 ニニは恐縮して、ぺこりとそのヒトにアタマをさげた。


11

 洞窟、という言葉から、
 ニニはなんとなく、暗い穴のような場所を想像していた。
 でも、じっさいは違った。
 着いたのは、周囲を高い岩壁にぐるりとかこまれた森の広場。
 中央には、ひときわ高く大きなフィトンの樹がそびている。中くらいの髙さのフィトンが、まんなかの大木を囲むようにたくさん生えていて、その木の全部が、鮮やかな桃色の花を咲かせている。ひらひら、花びらが舞い落ちる。なんだかまるでお花見の場所に来たみたいだ。
 そしてここはあまり靄が濃くなくて、さっき通ってきた森の中よりだいぶ明るい。けっこうな数のヒトビトが、花咲く木の下のあちこちにたむろしている。そこには露店がたくさん出ていて、大勢のヒトビトが、いろんなモノの売り買いをしている。

 何を売ってるのかと思ってニニが近づいてみると―― 名前も知らない木の実とか、なにかの葉っぱとか、鉱石みたいなもの―― あとほかに興味ぶかいところでは、カッコいい木製の弓や、その弓につける弦や、そのほか木の槍などの武具を売ってる店も少なくなかった。
 そういう露店をやってるのは、たいていがバルデマスの人たち。彼らはウッドギルダーといって、この森を住処にする、根っからの森の住人……なのだと、さっきニニはミスローダからきいた。今でこそディススのような海辺の町にもバルデマス市民は多い。けれど、もともとは、ここみたいな森で暮らしていたヒトが大半だったらしい。だからここアルルーズの森は、今でもいくつか島内にのこった「バルデマスのふるさと」的な場所なのだと。ミスローダは言っていた。
 そのほか数は多くないけれど、バルデマス以外の種族も、ちらほらいることはいた。そのほとんどは、見た感じ、行商人とかその手の人たち。ここで森の品物を買い集め、またよその土地に行って売り歩くのだろう。
 髙い岩壁の足元―― ほかより広いスペースをとってひらいている店の前で、さっきからミスローダはずっと交渉している。そこの売り物は、小さな透明の瓶に入った、なにか、蜂蜜のようなもの。少量を手の甲にたらして、ミスローダは匂いをかいだり、指でさわって、ねばりを確かめたり――

「品質はまずまずのようね。香りも、ま、それなりに悪くはない」
「これで悪いって言われた日には、こっちも商売できませんね。いちおうミスローダさんのために、最高級でそろえたつもりですがね」
 がっちりしたバルデマスの商人が、太い声でこたえている。
「そっちの瓶だけ、ちょっと色が薄いけれど?」
「ああ、これは別に、どうということはないんで。採取時期が、ちょっとばかり遅くてね。北側の沢筋に生えてるやつらは、夏前になると、樹液の色がわずかにうすまるんで。だけど香りやねばりは、他とも何もかわらないんで」
 商人はそれを手にとり、瓶のふたをとって、ミスローダの顔の前に近づけた。
「ほんとうかしらね。ただ単に水で薄くしたとかではなく?」
「ひとぎきわるいね。じゃ、じっさいこれも、手にぬって試してみられます?」
「できればそうしたいわ」
「やれやれ。信用ないんですなぁ、うちも」
 言いながら瓶をかたむけて、一滴ニ滴、ミスローダの左の手の甲にたらした。
「うかつにも信用して、何度もひっかけられた過去があるしね」
 ミスローダは手の甲を鼻にちかづけて匂いをかぎ、そのあと右手の指先で、ぺたぺた、ぺたぺた、なにか念入りに確かめて――
「だけどあなた、ずいぶんとまた、値を上げたわね?」
「そりゃあ、しかたないですよ奥さん」
「わたしまだ未婚」
「ああこりゃ失礼、お嬢さん」
「それもちょっとね。ま、でもいいわ。で、何? 値上げの理由は?」
「理由っていったって、そりゃ、ひとつしかありませんよ」
 商人は岩壁のそばにおいた小卓から、なにか赤色の飲み物の器をとりあげて、ぐび、と音をたてて豪快に飲んだ。それを前に差し出して、どうです、お嬢さんも飲みますか? しぼりたてですよ。と言ったが、ミスローダは黙って首を横にふっただけ。
「ウーリガン連中ときたら、ただでさえ少ない伐採割り当てを、またさらに減らせって言ってくる始末で。樹液用の採集区画の木も、これ以上傷つけるな、これ以上は取るな、さわるなって。うるさくてしょうがないんですよ。だから樹液もちかごろは品薄でね~」
「ふん、なるほど。前もたしかその手の説明を五分くらいきかされた記憶がある」
「またまた~。そんな意地悪をおっしゃる」
「いいのよ別に。じゃ、残念。そういうことなら、べつの店をあたるわ」
 ミスローダは言って、いきなり立つと、ツカツカとそこを離れて――

「ち、ちょっと待ってくださいよ~。そりゃないよ、いくらなんでも。まえだってミスローダさんが言うから、特別にサービスしたでしょうに。忘れてもらっちゃあこまりますよ」
「前回値引いたから、今回高くてもいいってこと? あきれた商売ね」
 ちょっと離れた場所でふりかえり、腕を組むミスローダ。顔がけっこう怖い。
「まあでも、イシュミラさまのご身内っていえば、お金はお持ちでしょう。ちょっとぐらいの値上げで、痛む財布でもありますまいに」
「だからといってムダ金をここで払うほどの気前もないわ。イシュミラにしても、じっさいわたしよりもっともっとケチよ。いいからさっさと値引き後の数字を出しなさい」
「う~、こわいこわい。わかりましたよ~。ったくミスローダさんはこれだからなぁ。ちょっとでも気にいらないと、すぐに怖い顔でおどしにくるくる。。なにか言い返そうものなら、本気で破壊魔法で洞窟ごと焼き払いそうな勢いですしね~」
「いいアイデアねそれ。こんどちょっとやってみようか?」
 にやりと、とがった歯を見せてミスローダが笑った。
「冗談でもよしておくれよ~。。シャレにもなんないよ。ったく、やれやれ。うちも近頃は『王室御用達』ってカッコいい看板かかげて偉そうにやってるけど、実状はこれだもんな~」

 とろりとした、黄金色の液。その小瓶を、ぜんぶで五十本ほど、ひとつひとつ、割れないようにあいだに布をかませ、しずかにしずかに、順番に、木箱にいれて――
「そのまま薄めず家具にぬれば、防腐剤としても使える。水でうすめて、そのほかの香料をとかしこむと、保湿にすぐれた各種の美容液がつくれる。ここダスフォラスで美容をやるには、ぜったいに欠かせないひと品ね」
 作業の手をやすめずに、ミスローダがニニに説明してくれた。
「ただ残念なことに、産地がここに限られるのと、産出がとても少ないのとで、じっさいかなりの貴重品。この樹液の原液瓶ひとつが、高価な香水の瓶より、はるかに値が高い――」

「みんな聞け! ヴルグルだ!」

 そのとき、大きな声が洞窟にこだました。
 いままでざわめいていた洞内が、きゅうに静かになる。
 そのあと弓をもったバルデマスたちが口々に叫びはじめた。

「すぐに弓をとれ! すぐそこにきている! 大きな群れだ! 森番がふたりやられた!」「みんな準備しろ!」「戦えるものは武器をとれ!」
「大きな群れだってよ!」「洞内に入れるな! 入ってくる前に――」

 ギオオオオオオオ!!

 すべての声を打ち消して、轟くような咆哮が、
 洞窟じゅうに、ひときわ大きく響きわたり――
 
 ドドドド… ドドドドド…
 いきなり地響きがした。それが地震などではなく、じつはの足音だとニニにもわかったとき―― それらはもう、洞窟の中まできていた。
「ミ、ミスローダ?? なにあれ?」
「タイミングが悪いわね。まさかこんな折に――」

 人々の集う洞窟にいきなりなだれこんできたのは、見上げるほどの――
 竜! ドラゴンだ。
 しかしニニのイメージする竜とはちがって、その背中には翼はなく、それは四ッ足で歩いてもいない。そのかわりに、ニ本の巨大な後ろ足でニンゲンのように直立し、その頑丈な足で、派手な土煙をあげながら突進―― いくつもの露店が、たちまちふみつけられて土煙をあげて崩れた。最初の一体につづき、そのあとニ体、三体、四体――

「今だ! よくねらって撃て! 頭や胴体はだめだ! 装甲が厚すぎる。足をねらうんだ! 足を撃って倒せ!」

 バルデマスの射手が、いっせいに矢を放つ。 
 強力な矢の雨が、たちまち竜にむかって殺到、
 竜の一匹が、足を撃たれ、バランスを崩し――
 大きな地鳴りと、土けむりをあげて転倒した。けれど他の竜たちは、それにひるむ様子もなく逃げ回るヒトビトのあとを追い――
「ニニ、そばをはなれてはダメよ」
「う、うん!」
「くそ、やりづらいわね、ここは」
「え?」
「ヴルグルだけなら、魔法でなんとかできるのだけど。ここにはヒトが多すぎる。あまり派手にやると、巻き添えで大勢死ぬ。くそっ、よりによってこんなところで――」

「あ??」

 ニニが、逃げてくる人の波に飲まれた。
 ミスローダの服のうしろをつかんでいた指が、はなれる。
「あ! ミスローダ! ミスローダ!」
「ニニ! はなれてはダメと言ったのに! ニニッ!」

 ひびきわたる咆哮。竜たちが土を蹴る重い音。
 誰かの悲鳴。なにかか崩れる音。
 土煙がすごくて、視界がきかない。
 ニニは誰かに足をふまれて、背中を押され、
 こんどはおしりをけられ、やわらかな土の上につんのめった。
 
「いたたたた~」

 土の上で、上半身をおこす。
 土煙が一瞬そこだけ薄くなる。
 ひらけた視界の中に、いきなりそれがいた。
 顏を上げたら、いきなり正面にそれが――

「ヴル…グル?」

 近くで見ると大きい! カッとひらいた大口には、ギザギザした牙。
 竜の目は、まるで怒りで燃えているように赤かった。
 その目がまっすぐニニを見下ろす。
 ニ本の前足には、するどく尖った大爪。
 まるで爪自体が獲物を求めるかのように、ぬらぬらと光って――

――やばい、かな?

 と、ニニは思った。
 けど、ん? なんだろう。
 べつにとくに、こわく―― ない。
 怖くない。 
 あれ? なぜ? 
 こんなすごい竜が、もうそこで、わたしを殺そうと――


――アナタハ、ダレ?

 竜がいきなりしゃべった。
 金属質の、なにかをこすりあわせるみたいな声で。

――ナゼ、ココニイル? ナニモノデス?

 たしかにそれは、言葉をつむいでいる。
 ニニは驚いた。竜が話せる? 
 ニニにはまったく予想外すぎて――

――ナゼ、ダマッテイルノ? アナタハ、ミカタ? ソレトモテキ?

「えっと、ん、敵では、たぶん、ないと思うけれど――」

――ナラバ、ココニイテハダメ。ココハイマ、センジョウデス。スグニ、ハナレテ。

「えっと、だけど、あなたたちは――」

――アトイチドシカ、イワナイ。スミヤカニ、ハナレナサイ。ココハモハヤ、センジョウダ。スグ、ソトニ、ニゲテ。サア、ハヤク…

「えっと、ん、でも、あなたはなぜそんな――」

 ヒュヒュッ!!
 ヒュヒュ! ヒュヒュヒュ!
 いくつもの矢がとんできて、竜のアタマや背に当たった。
 でもそれは刺さらずに、金属質の堅い音をたててバラバラと地面に落ちる。

 ギォオォォォ!

 竜が怒りの声を上げる。ドシドシと尻尾を地面に叩きつけ、
 ふたたび自ら混乱の土煙の中に、一気に走りこんでいく――

「ニニ!」

 誰かの手が、おもいきりニニの腕をつかんだ。
「ミスローダ? ミスローダなの?」
「どこ行ってたの! 出るわよ! とにかくここを出て、外で応戦する!」
「ね、ミスローダ、今ね、竜がね、なにかしゃべって――」
「なにわけのわかんないこと言ってるの! いいから立って! はやく来なさい! ここは危険よ! 味方の矢もとんでくる! はやくこっちへ!」

✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾   ✵   ☆   ☾

 全部で八人が死んだ。
 それ以外に五人が足を折り、そのほか大勢が、打撲や擦り傷を負った。死者のうちのふたりは、最初に奇襲をうけた見張り役のウッドギルダー。あと六人は洞窟の広場にいて、竜に踏まれるか咬まれるかして命を落とした。
 最初の混乱で劣勢に立たされたウッドギルダー側は、しかしすぐに体勢を立て直し、洞窟の外に竜たちを誘導。そこで応戦して、十数体いたうちの三体を弓で倒し、ほかのニ体を、ミスローダが雷撃の魔法で黒焦げにした。
 その直後に、竜たちは急に動きを止め―― あるいはニンゲンたちの予想外の反撃にひるんだのか―― とにかくいっせいに背を向けて、森の奥めがけて、ものすごい速度に加速、バンバンびびく大きな足音を残し、そろって退いていった。

「これでもうわかったでしょ? あれがヴルグル。まったく忌まわしい生き物」
 土の地面にドサッとすわりこみ、ミスローダが舌を打った。
「もう少し時間があれば皆殺しにできた。出会った場所があまりよくなかったわ。まったく、今度会ったらただじゃすまさないから」
 ニニとミスローダの周りでは、ウッドギルダーたちが、地面にうずくまる怪我人の手当をしたり、あるいはそこらじゅうにとびちった商品の残骸を片づけたり―― もうまるで、災害をうけた村の復興作業というような気配だ。辺りに漂うのは、混乱と怒りと、ほこりと、血の匂いと、疲労と――
「でも、でもねミスローダ、」
「ん?」
「あの竜、なにかしゃべったの」
「え?」
「それがね、じっさいそんなに怖い感じでもなくて。アナタハニゲテ、とか。なにかそんなこと言ってた。わたしを逃がそうとしてくれてたみたい」
「はぁ? 竜が? あなたを逃がす?」
 ミスローダが、不思議なモノを見るような目つきでニニを見る。
「あなたまた、どっかでアタマでも打ったんじゃない? そもそもヴルグルは、人語を理解するような種族ではないわ。あいつらはおそろしく危険。野生の闘争本能と、ニンゲンへの敵対心と。そういうものしか持ち合わせていない。見たでしょう、今日の襲撃を? あれがヴルグルのやることよ。あなたの言うような、そんなヤワな生物ではないわ」
「え、でもでも、たしかに――」
「あなたきっと、幻聴でもきいたんしょ。それとも白昼夢。恐怖が極限までいくと、いろいろ、聞えないモノをきいたり、ありもしないものを見たり。戦場ではけっこうよくあることよ」
「え~、そうかなぁ。こわいとか、あんまりわたし、思わなかったけれど――」

「お、無事だったかミスローダ。あと、そっちの連れのヒトも」

 森の番人のムーアが、向こうからかけよってきた。
 左の頬がスパッと切れて、そこから少し、血が出ている。

「無事もなにも。五体のうちニ体をやったのはこのわたしよ」
 ミスローダがたいして面白くもなさそうに答えた。
「ああ、あの焦げてたやつか。すごいな。あれは誰がやったのかって、みんなが噂してた。やっぱりあれだな、腐ってもミスローダはミスローダ、『呪われし三魔』の力は今でも健在ってこと?」
「よしてよ。第一わたしは、別にまだ腐った覚えもないし」
「や、でもほんと、タイミング悪かった。まさか、ふたりがきた時間にこんなことになるなんて」
「まったくね。おかげでずいぶんと楽しい休日になった」
「もう帰る?」
「ええ。暗くなる前にイウエルルに着きたい。買うべきものは、もうあらかた買ったし―― 今からじゃ、ちょっと、気楽に買い物できるような空気じゃ、もうなくなっちゃったからね――」
 ミスローダはぐるりと、まだ少しほこりの立ちこめる、混沌とした洞窟内をみまわした。
「森の出口まで送るよ。まだ、そこらへんにヴルグルが残ってないとも限らない」
「ここは手伝わなくていいの?」
「大丈夫。もうちょっとしたら別のギルドから、あと数十人がヘルプできてくれる。だから問題ない。ぶっちゃけうちのギルドは、けっこうヴルグルと戦いなれてるから。今回みたいな奇襲が、毎年何度か、ないわけでもない」
「なるほど。じゃ、護衛、おねがいしようかしら」
「承った。じゃ、すぐ出よう。うかうかしてたら、あっという間に暗くなる。アルルーズの日暮は早い。おいミスローダ、それそれ、その重そうな箱。それ、こっちにかしな。森の外に出るまで、あたしが持っててやるよ」


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