それでも女神は続けたい

ikaru_sakae

文字の大きさ
上 下
5 / 7
チャプター 19 - 25

あんたたち! 本とかもっと大事にしなよッ!

しおりを挟む
【外なる視点】

 緑濃い峰々の連なるアトス山塊のふもと、ザウリの砂地と呼ばれる不毛な乾いた大地を南に踏み越えて、イヴィルベイン世界有数の大平野であるリモ平原をさらに南に超えてゆく。深く澄んだ水を豊かにたたえたウーリ湖のほとりに、エンディルキールの森はある。ここはタフーウェル族のふるさとであり―― 十二の小部族からなる狩りの民たちが、数千年の昔から暮らしを営んできた。
 その午後、湖の最も近くに位置するビウの村から、異変の報告があった。
 ウーリ湖の湖面に、氷が張ったのだ。
 一年を通して温暖な気候で知られるこの南の地では、氷が張ることはおろか、雪すらも、この数百年、降った記録がない。ところがその午後、湖に漁に繰りだそうと浜におりたタフーウェルの漁師たちは、そこで信じられぬものを見た。

「おい。こりゃ、どういうことだ?」

 とがったケモノ耳をもつ赤毛の若い漁師が浜に立ち尽くし、相棒の顔を見た。
 湖上に広がる、氷の層。はるかな対岸の森に至るまで、広大な湖面すべてを、白く凍てつく氷の板が覆いつくしている。
「…わからん。いったい何がおこってんだ??」
「おい、これ、氷」
「あん?」
「なんか、厚くなってねぇか? んでからちょっぴり、動いてねぇか?」
「…そういえば。だが、なんだこりゃ? いったいぜんたい、どうなってんだ?」

 ウーリ湖を見下ろす丘の上から、アススヤ婆も、それを見ている。
 小柄な体躯に、白黄まだらのギュネ狐の毛皮を簡単に巻きつけて。少し垂れ気味の三角形のケモノ耳に、飴色の長い髪。その髪の下に左目はかくされ、外から見えるのは大きく見開かれた右の瞳だけだ。右手には、身の丈より長いワーズの木の杖を持つ。それに体を預けて、アススヤはそこに立っていた。
「…む。ウーリ湖が、これほど騒がしいとは。こりゃあ、ここ何百年もなかったことだ」
「アススヤ婆ちゃん。湖、白くなったよ?」「どうなるの? 何がくるの?」
 アススヤの足元に、二人の幼児がしがみつく。二人そろいのふさふさ耳に、アススヤ婆と同じ飴色の髪を、丘に吹く風になびかせて。これより五年前、シーウェフツ年の赤夜の月に生まれた、双子の幼い娘たちだ。
「…わたしもわからん。あるいは、あれかい。ササカが呼ばれた北の地で。何かあったかもしれないね。その余波が、ここまで来てる。なんかそんな感じだね。お聞き、おまえたち、」
「なぁに?」「なになに?」
「リリスは、すぐに村をまわって、大人たちを呼んできな。会う者ごとに、こう言うんだよ。アススヤ婆からの伝言だ。武器を取れ。何があっても村をまもれる準備をしろと。それから、ぜったい浜に近づくなと。それを言ってまわることだ。できるかい?」
「うん。できるよ!」
「それからミミリは、隣村へ走っておくれ。そっちの者にも、このことを知らせるんだよ。隣村のまとめ役の、ズズラっていう者に、いま見たことを伝えておくれ。湖が、おかしい。武器を取り、護りの準備を。何が起こっても大丈夫なように、用心をしろと。どうだい? 伝えられるかい?」
「うん。わかった! 行ってくる!」
 二人の子たちが、はじかれたように丘をかけくだる。まもなく木立のむこうに、見えなくなった。丘の上にひとり残されたアススヤは、見ている。うねり、たけり、山のように盛り上がりはじめた凍てつく湖を。そして凍てつく湖面から、それが次第に、姿を現しはじめる。巨大な氷の、人型のモノ。
 巨大な樹木のように盛り上がる、ごつごつした二本脚、そしてその脚が支える、途方もない幅をもった氷の腰回りと、白い岩塊のような胸板と―― それは今では、この丘の高さをも、凌駕しはじめた。今では巨大な氷河と化したウーリ湖のすべてが。その、猛り盛り上がりゆく人型の方へと流れ、合流し。その人型は、さらに空へと盛り上がる。
「む… 氷の巨人、か。」
 アススヤ婆が、喉の奥で、小さくうなった。
「伝承の中では聞いていたが、まさか実際、この目で見る日が来るとはねぇ。いったい、何が始まるって言うんだぃ。ササカ―― あんたは北の地で、無事でいるのかい?」
 いま見開かれたアススヤの右眼の中に映るのは、ひとつの未来図だ。それは他でもない、これからまもなく始まるに違いない、壮絶なる戦い。タフーウェルの十二部族すべての命運をかけた森での防戦の絵だ。激しく泡立つその絵をまっすぐ見据えたアススヤの眼差しが、いま―― 来たる戦のその先を見定めるかのように、わずかに細められた。

【読者の二つの選択肢 
  
 🈩 ササカの視点に復帰する → チャプター19へ
 🈔 女神の視点も確認したい → 次のシーンを読む 】


 ❅ ❅ ❅    ❅ ❅ ❅   ❅ ❅ ❅   ❅ ❅ ❅

 干渉、と。短い言葉で、ひとこと書くのはたやすいことだわ。でもしかし。
 最初の時期は。それはただただ、殺すだけだった。屠殺と言ってもよい。わたしは喰らった。わたしはひたすら、むさぼった。魔力の糸を通して、そこからたえまなく送られてくる、異界からの魔力を。わたしを支える命の源を。喰らった。喰らった。呑み込んだのよ。だけど、もっとよ。まだ足りない。ぜんぜん、まだまだ足りないの。もっとよ。もっと送れ。もっともっと、送るのよ―― 
 わたしはひたすら、捕食を続けた。わたしを消さない、そのためだけに。
 なにしろ―― 司法機構がわたしに刻んだ、若化の呪いは。それは決して止まらない。わたしが抵抗を少しでもやめれば。それは時間を、巻き戻す。わたしの体は―― ひたすら時間をさかのぼり。わたしが少女であった頃へと。わたしが幼児で会った頃へと。そしてさらに―― 
 わたしの存在が、そもそも宇宙に存在しなかった―― その原点まで。わたしの体を、縮ませる。わたしは消えて、しまうのだ。わたしが魔力を摂れなくなったら。わたしが魔力を、呑めなくなったら。そのときには。そのときにはそのときにはそのときには。わたしはわたしはわたしは―― 
 だから。だからよ。そのために。わたしは絶対、食べることを―― そこから魔力を摂ることを。絶対やめては、いけないの。だからよ。わたしは続けるべきなのだから。

 けれど。
 わたしはあるとき、気付いたわ。
 これでは、尽きる。終わってしまう。
 このままでは、早晩、わたしはその地のすべてを飲み込んでしまう。食い尽くしてしまう。なぜならば―― 最初のわたしの想定よりも。その異世界の広がりは―― それほど大きなものでは、なかったの。命の数には、限りがあった。このままでは―― その地のすべての存在を。殺しつくして。飲み込んでしまう。とても短期のうちに。ひとつの命も残さずに。
 しかしそれでは―― 
 その地の魔力が。わたしの命の源が。絶えてしまう。採りつくしてしてしまう。食い尽くしてしまう。それではいけない。これではだめよ。なにか、なにか、方法はないの――

 そしてまた。数百の年を、わたしは重ねて。数えて。
 わたしはようやく練り上げたわ。ひとつの機構を。ひとつの装置を。生贄の魔力を飛躍的に増幅してくれる、その革新的な大魔法陣を。
 わたしは築いた。はるかな異界の―― わたし自身は行くことすらできぬ、この目で確かに見ることさえできぬ―― 遠き異界の、最果ての地に。
 その地は原始住民の言葉で、聖地、あるいは「星の門」と呼ばれた。その門をくぐった先にそびえる、わたしの魔力の結晶でもって築き上げた北星宮―― その中央広間の床面すべてに、わたしは。わたしの装置を。大魔法陣を。くまなくそこに描き上げた。
 そして。それが刻々、送り届ける。はるかに隔てられた、幾億エクミルもの距離を超え。
 増幅した魔力を。そこからわたしに、送り届けるのよ。そう、それこそがその、魔法装置の役割であり―― わたし自身の、すべての結晶。それはわたしが、ここまで死なずに生きながられた―― ひとつの証と言ってよい。

 最初は、一年に千。そう。千を喰らったわ。
 千だけでよかった。たったの千だけでよかったの。
 なぜって。それまでは―― 一年に数万、あるいはそれ以上の捕食を。生贄の提供を。短期のうちに、原始生命らに強いたこともあったから。それくらい、当時のわたしは飢えていた。だからその―― 過去のそれに比べれば。なんと素晴らしい効率でしょう。なんと短期に、魔力を得られることでしょう。すべてはわたしの、知恵と努力と。継続した意志力の。優れた証明なのだから。それ以来―― 来る日も来る日も、その異界の聖地の広間では。朝も夜も朝も夜も。ひたすらに生贄が。その魔法陣に捧げられ――
 
 けれど。
 やはりそこには、問題があった。その魔法装置の運用は。わたしにとっても。その魔法陣の運用は―― 術者のわたしに、とめどない疲労をもたらした。
 つらい。苦しい。息ができない。できればこれを、使いたくない。やりたくない。やりたくなかった。なぜなら発動のたびに、わたしの心臓にかかる負荷は―― それは死なないための対価とは言え―― わたしはそのたびに、その苦しみのためだけに、死んでしまうのではないだろうかと。冷たい汗を流しながら。亜空の床に這いつくばって、時には血をも、吐き散らしたのよ。それほどの作業なのよ、あの装置を制御するということは。どれだけの苦痛を、わたしは耐えて。みじめに這いつくばりながら――
 それでも。その対価として得られる増幅魔力は、まぎれもなく膨大。わたしにそれは、必要なもの。わたしはそれを、得なければならない。消えぬために。消えないために。
 そしてまた。わたしの知力は、やはりそれほど捨てたものでもない。わたしはさらに、改良を加えたわ。異界の果てに設置した、魔法の機構に、ひたすら不断の改良を付け加え。魔力増幅を。さらにさらに。その魔法陣の、効率を上げた。そしてさらなる増幅を。さらなる効率を。さらにさらにさらに。もっともっと。もっとだ。さらなる改良を。改善を。さらなる増幅。さらにもっと。さらにもっと。
 
 そして。ようやくわたしはたどりついたの。
 1年に、1度。異界の1年に、1度だけ。ただひとりだけ。とりわけ潜在魔力にすぐれた、選び抜かれた、星選者をひとり。そのひとりのみを。
 それさえ、その地に送れるのなら。北星宮の大魔法陣が、その者の魔力を増幅してくれる。無限に近い増幅を。そして届けてくれるのよ。わたしのために。わたしのために。命の力を、届けてくれる。幾億エクミルをつなぐ、かぼそいわたしの生命線、魔法糸を伝って。ほかには誰もたどりつけない、誰もここまで届かない、この小次元の片隅まで。ここでひとり、震えて、震えて、ただひとりで命をつなぎとめている―― わたしのもとへ。わたしのもとへ。
 わたしはようやく、安堵したわ。ああ、これで。これでこれでこれで。
 わたしは、命を長らえる。わたしはここで、消えずにすむわ。わたしはここで。わたしはここで。消えない。消えない。これで消えない。もうわたしは。ここで。ここでわたしは消えずにすむわ。わたしはわたしはわたしはわたしはわたしは――

 それなのに――



 ≪ あんたがたぶん無知なだけ。
  血の滴るその味を―― あんたは何も知らないからよ。≫
 ≪ おいササカ! 防げ! 心臓狙いだ!≫
 ≪ 明日の朝。誰かがわたしに意見するなら―― そいつはそこで、潰してやるよ。≫
      ≪どーでもいいから! 服着ろッ、服ッ!!≫
 ≪ その十二億の人類史的価値をォ! おまえは理解しているのかァ!≫

19

 視界が開けて、地に足がつく。
 ついた瞬間、すべってコケた。地面がすべる。なにこれ、氷?

「これは――」

 ガチガチに凍てついた地面の上で。ユメが言葉を失った。
 あたしとユメとレグナも、見た。
 いま、そこに見えるもの。
 崩れ落ちた、いくつもの塔。でっかい、白い石でできた(できてたはずの)城塞都市が、まるごと崩れて―― 巨大な氷のカタマリが、廃墟の上に積み重なって。その上を覆うのは、雲のおおう、暗い空。たぶんもう、一日が終わろうとしていて。でも、その一日の終わりに―― ここにあった街は、まるごともう、それより先に、終わっていた。

「まさか―― こんな――」

 ユメが、ようやくそれだけ言った。その目は大きく見開かれて。見ているものを、信じたくない。信じられない。そういう感じで。肩がちょっぴり、震えてる。
「…女神のやつか。おれたちのウルザンドと同じく―― そしてどうやら、すでに防戦に失敗したパターンか。あるいは――」
 レグナが言って、親指の爪を噛んだ。
「けど。ここ、静かだね」
「ん? 何?」
 レグナがこっちをふりむいた。
「動きがないな~、って。なんか攻撃受けてから、だいぶ時間たった感じ? ここにいた人たちは、どこに行ったのかな。避難したのかな? それとも――」
「全滅、か。しかしこれだけの規模の都市だ。生存者がいないってことは、ないだろう?」
「おそらく、地下だと思います」
 ユメが言った。最初のショックから、ようやくちょっと、立ち直った感じで。
「緊急の折には、地下に、地上の市民を誘導すると。そのような決まりになっています。おそらく退避令が、出されたのでしょう。ここから見て、地上に動きがないのは、おそらくそのせいかと思います」
「ふむ。じゃ、どうする? どこか、転移のあては?」
「…そうですね。地下の待避所のひとつに。転移してみましょう。相当な深度にありますので、地上が被害を受けていても、そこならば安全だろうとは、思うのですが。そこでしたら、街の者も、まだおそらくは――」
「よし。じゃ、そこに行くか。だが、警戒は必要だな。行った瞬間、そこが戦場ってことも、なくはない。危険な場合は、すぐ再転位してこの位置まで戻る。そのつもりで行くべきだな」
 レグナが言い、なんだか偉そうに腕を組む。その視線は、まっすぐ鋭く、氷に埋もれた都市の廃墟を――
「ん? でも。見てみて! なにあれ?? あそこに遠くに見えてるの?」
 あたしはそっちを指さした。遠くのでっかい山むこう。そこに、なんかある。緑の、でっかい塔みたいなの。空にむかって、突き出して。なにあれ? 高さが、雲より高いよ??
「ああ、あれですか?」
 ユメがそっちに目をやった。なんかぜんぜん、驚かない感じで。「ああ、あそこにハトがいますね」って言うくらいの。その程度の声のトーンで。
「見えているのは、世界樹ユグドラシルです」
「セカイ…? 何?」
「ササカはご存じありませんか? 世界樹ユグドラシル。あそこに見えるエグゾードの峰々のむこう、アシュガル盆地をさらにこえて、ナギドの丘の中央にたっています。ここから見ると、その巨大さがわからないと思いますが―― じっさい、巨大です。幹の幅だけでも4エク近く。図書都市のすべてが、すっぽりおさまるサイズです。そして高さは―― いまだに、その頂上部分は、観測されていません。伝説によれば、あれは天界までをまっすぐ貫く、天への通い路だと。そのように書かれていますが――」
「む。話には聞いてたが。おれも実際見るのは初めてだ」
 レグナもちょっぴり、興味を示した。目を細め、キツめの目線で、山向こうのそれを見る。
「魔法暴風圏、だったか? あれの周囲には、相当な魔法風が吹いているらしいな?」
「はい。丘付近では、その風速はすさまじいと聞いています。でも、ここまでは距離がありますので。その風もここまでは届かないですね。季節によっては、その余波が、わずかに届くこともありますが――」
 言いながら、ユメも。銀の瞳で。その遠くに立つ、でっかいものを。まっすぐ見すえた。まあでも―― そのセカイジュだかは、ここでは見慣れたものなのか―― その視線には、特別な感情、なにも入ってないみたい。ユメにとっては、ふだんの普通の景色、なのかも。
「では、行きましょう。二人とも、わたしの腕を握ってください」
 ユメが言って、目を閉じた。なにか魔法を、組みはじめる。銀色の魔力がユメの全身から、しみ出してくる。ユメの白い髪が、魔力を受けてさわさわと揺れた。
「あれ? レグナ? なぜ、触れないのですか? なにか問題、ありましたか?」
 ユメが横目でレグナを見た。レグナはなぜか―― ユメからこっそり目をそらしてる。ちょっぴりなんだか、顔、赤い?
「ちょっとあんた。今から転移なんでしょ? はやくそれ、握りなさいよ。なにしてんの?」
 あたしはレグナの肩、ゆすった。
「お、おまえら! それより先に、なんとかしろ。転移とか、それよりも!」
 レグナが耳まで赤くして、叫んだ。あたしの方も、見てない。ムリヤリ視線そらしてる。
「だーかーら!! 服だ!! 下に着ろ!! あるいは巻けッ! 何でもいいから!!」
「えっと?」「服…?」
「お、おまえらッ。その下ッ! なんも着てねぇだろーが!! 薄着とか、そういうレベルじゃねーし!! どうにかしろ!! それ!! 転移がどーこー言う前に!!」


20

「そこっ! 包帯! 追加もってきて!」
「こっちは重傷者よ! 軽傷者はあっちあっち!」

 着いた場所は、ある意味、戦場だった。
 けど。戦ってるのは、看護のヒトたち。
 白っぽい長いローブを着た、看護役の女性たちが。てきぱき、指示出して走りまわってる。地下のその、聖堂っぽい、でっかい石造りのホールには。怪我した市民が、あふれかえってた。床に毛布しいて、寝かされて、うめいてるヒト。でっかい柱のかげに座りこんで、放心したみたいに、動かないヒト。端っこの壁がどこだか、見えないくらい広い、地下の広場に。そこらじゅうヒトが、ひしめいている。治療道具持ってかけまわる足音、運搬中の道具がガチャガチャいう音、何かが足りないって叫んでるヒト―― いろんな音が、同時にとびかってる。

「そこ! 通路をふさがない! 邪魔よ!」
 声がして。あたしは誰かに突き飛ばされた。カゴに山盛りの包帯かついだそのヒトは―― たぶん看護のヒトなのだろう。
「あの! 何が起こったのでしょうか? 状況を教えてください!」
 ユメが、そのヒトを呼び止めた。
「なに? 状況って言った、いま?」
「はい。さきほど遠方から、帰還しました。破壊された地上市街を見て、驚きました。どういった状況で、あの破壊が起きたのでしょう…?」
「なに、あなた? 旅行者?」
 そのヒトが足とめて、ユメの方をふりかえる。顔には明らかに、「ったく、めんどくさいわね。この忙しいのに。」って。その表情が浮かんでる。
「いえ。地下北の古書館の、司書補をやっている者です」
「古書館? そこの司書補が、なんでまた――」
 そのヒトが、じっとユメの顔を見て――
「あ~!!! あんたね! あんたがその、星選候補者! 星の門から、逃げたっていう――」
「…はい。ユメと申します。このたびは、いろいろご迷惑を――」
「迷惑どころじゃないわよ! あんた、自分が何やったか、わかってんの??」
 そのヒトが、いきなり、ユメをつかんだ。襟をつかんで、ぐいぐいユメをしめあげる。
「あんたが無茶やったおかげで! こっちはもう、ほんとに午後から散々よ! でっかい氷のカタマリが、降るわ降るわ降るわ!」
「…えっと、それは―― 雹(ひょう)のような、ものでしょうか…?」
「雹だとか、そんな生易しいものじゃなかったわよ! あれやもう、氷の山がドカドカ上から降ってきたみたいなもので。西の塔も中央本館も、地上部はのきなみ、ぺしゃんこよ。あれだと城壁とかも、意味ない。ぜんぶ一瞬で崩れたわ。何人死んだかは、わかりっこない。市街まるごと、氷の下敷きでね。なんとか転移で退避できたヒトだけ、ここと、あと四か所に集まって。いま治療を受けてるけど――」
 そのヒトが、いきなりユメをはなす。ユメはその場で、よろめいた。
「それよりあんた。イシュターク様には、もう報告したの?」
「…いえ。今ここに、着いたばかりですので」
「さっさと行って、報告してきなさい。あんたのやったこと、重大よ! 自分でちゃんと、報告の義務くらいは果たしてきなさい!」
「…えっと。でも、どちらに報告に行けば――」
「イシュターク様は、古書エリア南館の大司書室で、さっきから、幹部連中とうちあわせやってるわ。たぶんそこにまだ、いらっしゃるでしょう」
「…わたしは、その――」
「なによ? ぐずぐずしてないで、さっさと行ってきなさいよ?」
「…その―― 南館の。入館認証を、持っていないものですから――」
「ったく。この非常事態に。認証だとか、どうだっていいのよ」
 そのヒトは、顔に落ちかかった前髪、めんどくさそうにかきあげる。それを無理やりな感じで、白っぽい看護帽の下にねじこんだ。
「はい。これ。」
 そのヒトが、首にかけた銀の鎖のペンダントを外し。それをユメの胸に押し付けた。
「…これは?」
「全館共通認証。看護系の司書は、みんなこれ持ってるから。はいこれ。ほらほら、何してんの? さっさと受け取りなさいってば」
「しかし… これをわたしが受け取った場合。あなたの認証は、どうなりますか?」
「まどろっこしぃわね~ もう。さっさと報告して、さっさと返しに来てくれりゃいいじゃない。いいからグダグダ言わずに、行く行く。あたしもいい加減、忙しいのよ? どんだけ足止めさせれば気が済むつもり??」
 そう言ってそのヒトは、バシッと豪快に、ユメの背中をたたいた。そのあと大股に、ずかずかと、もうこっちは振り返らずに。地下の雑踏の中に、消えてしまった。



21

 看護のヒトと避難民とが入り乱れた、その大広間を出て。天井の高い、石の床の通路を、ずっとずっと歩いて。階段を、そこからひとつ、また降りて。階段おりると、ザワついてたさっきの広間と、ぜんぜん違う。音がぜんぜん、聞こえない。静かだ、ここ。足元の地面には、古いじゅうたんが、ずっとずっと敷いてある。足音しないわけだ。三人ならんで、歩いても。
 けど、それにしても。
 すごいよ、ここ。何かほんとに、本だらけ。でっかい天井にむけて、ぶっとい柱が、にょきにょきのびてて―― その柱が並んだ、なっがいメインの廊下の両側に。いくつの伸びてる枝道の通路の壁は、ひたすら本棚だ。本だらけ。本の迷宮?
「すっごいねぇ。これでも、何が書いてるの? こんだけいっぱい、本ばっかり集めて――」
 左右を見ながら、とりあえず、感心するしかない。
 あたしは本とか、読まないし。とくに読みたいとも、思わないけど。
 けど世の中には、本好きのヒトもいて。こういうとこが、好きなヒトもいるんだろうな。
「ここは古書南館につづく別館エリアです。ここの蔵書は―― そうですね、主に汎用の魔法書ですが。比較的重要度の低い、一般的な古書が中心です。この先の南館の本館には、もう少し、さらに重要度の高い、専門的な貴重書が集められています」
「ふーん。まあ、重要とか貴重とかで言えば、全部これ、重要そうに見えるけどな~?」
「ばかめ。ここの通路くらいで驚いてるのか。この程度の本の数であれば、うちの街の図書館にも集めてあるぞ?」
 レグナが、バカにした感じで舌を打つ。
「なによ。そもそもが、初めてなのよ、あたしは。こういう図書だとか、そういうの集めてる建物は。素直にちょっぴり、感心してるだけでしょ―― って、あれ? けど。なんでなの?」
「なんでって、なんだそりゃ?」
「だって。けっこうここまで、歩いてる。ほらこれ、いいかげん、長く歩いてない?」
「だーかーら。それが何だ。それの何がおかしい?」
 レグナがこっちを、じろっとにらんだ。
「え、だからだから。なんでぱっぱとテンイしないのかなって。それがちょっと、不思議だったから」
「ここより先、地下南館は転移無効化空間です」
 ユメが言った。ちょっぴり足とめて、あたしをふりむいて。
「なに? ムコーカクーカ?」
「つまり、転移ができないのです。ここでは」
「え? なんで? テンイできない場所とかあるの?」
「はい。安全上、防犯上の理由からですね。ここだけでなく、この都市の地下の古書館の多くは、転移で外から入れない作りになっています。防御結界といいましょうか。目に見えない魔法の防壁をつくって、転移を防ぐ仕組みです」
「ほぇ~。そんなのできるんだ」
「ったく、素人め」
 レグナが舌をうった。
「あ、でも。待って。匂いする」
 あたしは瞬時に、足とめた。
 ふんふん、鼻の奥に空気入れる。
 する。匂い。間違いない。これは――
「…古書の匂いってやつだな。まあ、どこの図書館も、古書コーナーってのは……」

「違う。黙って。声出しちゃだめ」

 あたしは言って、レグナを黙らす。
 ユメが無言であたしを見つめた。動かないで、と。視線でユメを制する。
 あたしは姿勢を低くしで、視線を左右に走らせる。
 二つの耳を上げて、空気の流れをとらえる。
 …とらえた。動き。いた。あっちだ。あの本棚の、左隅。

 あたしは一気にとんだ。じゅうたんを蹴って。
 ふた呼吸で、その場所にとどく。
 けど、そいつもこっちに気づいてた。機敏に瞬時に、移動して――
 でも。その動きは、先読みしてた。
 すぐに追う。六歩で追いつく。
 そして――
 とらえた! 牙が、そいつの首にくいこんで。
 一気に仕留めるよ! あたしは牙に力をこめて――

「ん~ んんまい。やっぱ、リジールネズミの、このやわっこい生の皮の味っていったら、もうこれ、本気のレアなワフワフウサギの皮よりも―― ん? 何? どしたの…?」

 あたしは皮の肉を噛みこなしながら。ユメと、レグナにきいてみる。
 二人はなにか、遠巻きにこっち見て――

「ん… なに? レグナも欲しくなった?」
「い、いや。欲しくはないんだが―― おまえ腹、大丈夫か…? さすがにネズミの生は……」
「え? 腹? ああ、あれね。レグナたぶん、ブカルーネズミと、勘違いしてるよね? ブカル―は、たしかにレグナの言うとおり、火、通さないと消化に悪いけど。今のこれは、リジールネズミ。これ、生の方が、ぜんぜんいけるのよ? あたしの森だと常識よ? ってか、リジールは生の、この、皮つきの、ねばっこい血のやわっこさが、何よりいちばん―― って、あれ? ユメは、それ、どうかした? んん? 何々?」
 あたしは、一息で飲めなかったネズミのしっぽ、口から垂らして。ユメのほう、ふりむいた。ユメはなんか、レグナのうしろ、かくれてる。なんか、間違ったもの、見るみたいな目つきで。えっと? なになに? どうしたの…?

「あの。着きます。あの扉がそうです」
 ユメが言って、指さした。でもユメ、なんかまだちょっと、あたしから、距離とってる…? なにげにあたしを、避けてる感じ? 
 ん~ まいったなぁ。ネズミ食べない人たちは、ネズミ肉に、偏見持ってるって。話には聞いてたけど。まさかそこまで、偏見あるとは。ちょっぴりこれは、誤算だったかも。やっぱ異郷文化は、あれね。まだあたしにも、わかんないこと、いっぱいあるのね。
 そのユメが、指さした先。天井の高い、柱の通路のつきあたり。
 そこにでっかい金属の扉があった。扉の高さは、相当だ。氷の巨人ひとりでも、楽々通れるくらいの高さで。青みがかった、その扉の表面には、なにか不思議な文様が。ぐるぐるとうずまいて、下から上まで彫ってある。
 ユメが、首からかけた認証のそれを。ペンダントを。扉にぴったり、押しつけた。
 金の光が、ペンダントから扉の側に伝わって。光が一瞬、扉のぜんぶをかけぬけた。
 そして。動く。動くよ、扉!
 ずっしり重い音たてて、左右にそれが、開いてく。
「おおッ すごい! ほんとに開いたよ、これ!」
 あたしは素直に、ちょっぴり感動してしまう。
 そして開いた先には―― また別の、柱の通路があらわれた。
 柱の通路の左右には、赤みをおびた紫の、魔法の炎の明かりの列。その光の中、うっすら浮かびあがるのは―― おっそろしく高さのある、本棚、また本棚。んでから、その奥。その向こうは―― 通路の終わりが、ぜんぜん見えない。まったく。どんだけ広いの、この場所は…?


22

「ですから何度も申し上げますように。ここは帰順の姿勢を強く見せる方が賢明でしょう」
「バカな。今この時点で帰順だのと。ここまでやられて、今さら腹を見せて、許しを請うなどと? バカも休み休みに言って欲しい」
「ですが。地上部の破壊を、目の当たりにして。まだしも生存者がいる今の状況が、僥倖、幸運、まだしも最悪の事態をまぬかれていると。そういう認識で事態を見ることも可能ではないでしょうか。今はこの、最低限の、まだあるものをいかに護りぬくのかという――」
「ありえないな。徹底抗戦でしょう。逆にここまでやられたのですから、開き直って、徹底的にやるべきかと。なに、女神とて、その魔力は無限ではない――」
 いくつもの声が、同時にきこえた。
 本棚のあいだ、柱の通路をずっと歩いて。その通路が、他の何本もの、似たような通路とぶつかって。そのぶつかる場所が、天井の高い、円い広間になってて。その中央は、床が一段、高くなってて。段の上。なんかいま、ムズカシげな話あい、やってるやってる。
 そこに集まってる、いま六人のたち。服の色は、赤っぽかったり、黄色だったり白っぽかったりいろいろだけど。なんかでも―― その長いガウンのデザインは、全員同じだ。んでから、みんな頭にへんてこな、四角い帽子かぶってる。他ではぜんぜん見たことない、ヘンテコ帽子。 
 あたしたちがそこに近づくと、ぴたっと声が止まる。そこにいる人たちが、いっせいにこっちを見た。
「あのッ。司書補のユメです。このたびは、入館認証を特別にお借りして、こちらに参りました。正式の許可を頂いていないのに、あれなのですが―― 今回は緊急ということで、その、なんでしょう、これまでの経過の報告に――」
 ユメが言葉につまった。なんかユメなりに、その場の視線というか。冷たい無言のプレッシャーに。ちょっぴり押されて。うまくしゃべれない感じ?
「おまえか。星選候補者の」
 赤いガウンの爺さんが、いきなり椅子から立ち上がる。
「なんということをしてくれたのだ。見よ、この都市の惨状を。歴史あるわが都市の、地上の蔵書はすべて失われた。あそこに集めらた十二億の書物にどれほどの人類史的価値があったのか―― それを、おまえの、愚かな判断によって――」
 なんか爺さん、怒ってる。怒りすぎて、おでこのとこ、筋が浮いてるし。
「ガビアナ卿。おやめなさい。もうそれは起こったことでしょう。怒りは何も生みませんよ」
 白っぽいガウンきた、上品な感じの白髪のおばさんが。その爺さんをたしなめた。
「もとより、五千余の諸族の中から、わが市の者が今回選ばれたこと自体、誰のせいにもできぬ不運だったのです。わが都市の司書補が、命を失わずにここまで戻れただけでも。喜んでやるべきではないでしょうか?」
 そのおばさんが、他の五人をぐるっと見まわす。うなずくヒト、ぶつぶつ文句言うヒト、黙って腕くんでるヒト。反応はそれぞれ、いろいろだ。
「いかがでしょう、イシュタークさま。まずは本人の口から、これまでの経緯を直接、語らせては? もちろん女神の直接布告を通じて、おおかたの経緯は把握できておりますが。詳細において、まだ我々の、知りえぬ部分もあるかもしれません」
 おばさんが、そっちの、真ん中にすわったそのヒトにきいた。えっと。あれ誰? ひょっとしてあれが―― 大司書イシュターク? 
 え、けど。なんかちょっと、想像と違う。グレーっぽいガウンを着て。なんかヘンテコな、四角帽をかぶってるのは、他のヒトとも変わらないけど。けど――
 体のサイズ、小さくない? って、あれ、子供じゃないの?
 見た感じ、8歳くらい? ちびっこだよ??
「じゃ、ま、とりあえず。話きこうか」
 その子が、ぼそっとつぶやいた。なんか、ひとりごと言うみたいに。
 くるくるっと、くせ毛の灰色髪、帽子の下から飛び出して。前髪長くて、目元がぜんぶ、かくれてて。視線ぜんぜん読めないし。んでからその、着てる灰色ガウンには―― なにか魔法の文字っぽい、ぐるぐる模様がいっぱい。

「ふむ。では、あと二日の間―― 今夜をふくめると、二日と一夜というわけだが―― それだけ防げば、女神の存在そのものが、無効化されるというのだね?」
 黄色っぽいガウンきた、やせた男の人がこっちにきいた。
「ああ、そうだ。情報源の素性に照らせば―― おそらく確実な情報だと。そこは賭けてもいいだろう」
 レグナが言った。ぶすっとした、愛想ない声で。偉そうに、腕を組みながら。
「まあ問題は、果たしてその期間、護りきれるかってところだ。まだ一昼夜も経過してない今の時点で、こっちはかなり、ボロボロだしな。この大図書都市の惨状。おれの地元のウルザンドも、いま全力で防戦中だ。これでまだ、全体の3分の1の時間すら経過してないとなるとな。さすがに先が思いやられるが――」
「だが、いかがでしょう、イシュターク様」
 赤いガウンの爺さんが、レグナの言葉をさえぎった。
「当市の司書補の報告もあるとはいえ、半分以上の情報は、こちらの素性の怪しい異人王国の王子とやらの主観によるものです。そのようなあやふやな情報に、数千年の歴史を誇る当市の命運をゆだねるなどとは――」
「おい、あんた」
 レグナがキツい視線、そっちに飛ばした。
「おれの素性をどーのこーの、言うのはかまわん。だが。ウルザンドは、敵にまわさん方がいいぜ。たぶんあんたが考えてるより、はるかに戦力高いぞ? あまり無駄に、敵を増やさない方が賢明だろうな」
 レグナが言うと、ぐっ、とか言って、その爺さんが黙った。目は、でも、めちゃくちゃ怒ってる? けど、レグナもレグナだよ。敵つくるなとか言っといて。自分で爺さん、ばっちり敵にまわしてる。

「ん。今ここで、雑音、論争、いらないから。時間の無駄だね」
 ちびっこいイシュタークが、言って、椅子から立ち上がる。椅子から立つと―― そのちびっこさが、さらに目立っちゃう感じ。
「結論。星選者のユメは、図書都市として公式に保護する。女神を名乗る魔女が滅びるまで、二日と一夜、ここで護る。これを機会に、魔女は倒す。以上が、図書都市としての統一意思」
 
 おお…! とか、本当に…? とか。

 そこに集まった人たち、なんかそれぞれ、反応した。驚きだったり不満だったり。反応の仕方は、ヒトそれぞれだけど……
「あとは、直接個別に、ユメとわたしが話すから。この結論に異論ある者は、明日早朝に個別に話を聞く。終わり。解散。各司書長は、次の指示まで各所で待機。じゃ、散会」
「しかしイシュタークさま、」「大司書長。まだ話は、終わっておりませんぞ?」
 爺さんとおっさんが、同時に立ち上がって文句を言った。
 イシュタークは、ちらっとそっちを―― 見たのか見ないのか。
 いきなり右腕、床にむかってまっすぐのばし――
 
 ズンッ…
 
 そこの床が。へこんだ。砕けた。きれいに円形に、とっても深く。石がえぐれて、石の粉が散り―― んでから風圧。あるいは衝撃? その余波みたいのが、あたしも含めて、そこに立ってる全員に―― みんな思わず、飛んでくる石の粉から目を守ろうと。腕で顔かくして。なんとかその風圧を、やりすごす。
「終了。今ここで異論はなし。散会」
 イシュタークが、小声でそれを言う。みんな一瞬、顔、見合わせて。「やばいやばい!」って感じで。みんなそそくさ、通路のむこうに去っていく。歩きながら、赤いガウンの爺さんは―― 明らかになにか、ぶつぶつ文句を言っていたけど――



23

「で? どうすんだ? 強引に人払いして。なにか個別に、話あるのか?」
 レグナが言って、投げやりな感じでそこの地面に座った。
「んっと。まずはその子に、謝罪だね」
 イシュタークが左手で。自分の髪を、不器用にかいた。
「確率的にまず大丈夫だろうと。安易にキミを派遣した、わたしの大きな判断違いだ。ユメって言った? すまない。謝る。悪かった」
 ぼそぼそと、イシュタークが言って。なんか帽子とって、ゆっくりアタマを下げた。
「あの… イシュタークさま?」
 ユメがあわてて、イシュタークにかけよった。
「あの。謝罪などと。それはむしろ、わたしの側の言葉です。あの、アタマを。上げてください。イシュタークさま」
「ん~ でもあれだ。ある意味、ありがとうとも言えるかも」
 そう言ってちびっこは、帽子をかぶりなおし。そこの床の上、檀の角にちょこんと座った。
「…はい? いま、なんと?」
「ん。戦争。やるならやると。決断するにはいい機会。ほんとはもっと前に。めんどくさがらずに、やるべきだったね。魔女討伐戦。でも。今回ちょうど、いいチャンス。宣戦布告を向こうから受けた。今こそ、断固としてやりかえす。いい機会だよ、うん」
「おいおい。あんた。大司書っていったか?」
 レグナが向こうから、声をとばした。
「ん。とくに肩書はいらない。イシュタークで」
「イシュターク。あんたあれだな。あんたそれ、言ってること、おれの親父とかわらんぜ?」
「親父? ああ。ギル王ね。ウルザンドの。噂は少しはきいている」
「まあぶっちゃけ、戦争にはもう、なっちまってるわけだが。だが、あんたの側に勝ち目はあるのか? 勝算は? 一日足らずで、あんたら自慢の大図書都市の地上部分は壊滅だ。攻撃の第二波が来た時、続けて地下を守る戦略はあるのか? 女神もあれで、バカじゃない。確実にここを潰せる、何かの策を打って来るんじゃないのか?」
「……。ま、あれだ。負けたら、負けたとき。滅びるなら、滅びるまで―― だね」
「……。それなぁ。言ってること、おれの妹と一緒じゃねーか。あんたそれ、ほんとに西の大賢者とかいう、知恵のある魔法使いなのかよ…?」
「ん。知らない。肩書は、誰かがつけた。わたしがそれを、決めたわけじゃない」
 ふわぁ、とか言って。その子が―― ちびっこ大司書が、盛大にあくびした。
「ま、でも。図書都市としては、徹底抗戦の方針。女神が最終的につぶれるまで、星選者を譲らない。もし明日、また司書会で異論が出たら―― そこでの異論は、わたしが潰す。あと二日。ないしは二日と一晩。ここにユメをかくまう。護る。それが最終方針」
「けどあんた。護るって、どこでだ? どっかあるのか、護りの堅い場所が?」
「護りの堅さは、問題ない。ここの書庫は、かなり安全。結界の弱い地上部分は、いきなり奇襲でやられたけれど。地下の防御は、非常に堅い。女神も地下には、それほど気軽に手出しはできない。だから。そこは安心して欲しい」

「あの。けど、質問、いいかな?」

 あたしはちょっぴり、話に入った。レグナがじろっとこっちを見た。なにげにキツイ視線で。まあでも。黙れ、とか。おまえは話すな、とか。そういうことは、特には言ってはこなかった。
「なんでそんな、ちっちゃいの? あなたまだ子供――だよね?」
「ん。見た目は子供。けど、実際はちがう」
「ちがうの? あなたいま、いくつ?」
「ん。年は、言わない。けど。キミなんかより、だいぶ上。もうだいぶ、おばさん、かもしれないね」
「えっと。じゃあ、なんでそんなに、ちびっこなの? もしかしてあれ? 年とっても見た目に出ない種族とか…?」
「…ん。はずれ」
「じゃあ何? 答え先に言ってよ?」
「えっと。ん~。まあ、言ってもいいかな。その原因は、失敗。魔法実験の失敗。ほんとはもうちょい、十八ぐらいで。永遠の若さ、たもつ予定で。その予定で術式くんだ。けど。失敗した。術式破綻した。誰もやってない、禁呪だったし。難易度わりと、高かった。で、これがその結果。7歳ぐらいで外見固定。ま、だから。言っちゃうと、そういう話」
「…おい。さらっと禁呪とか言うな。それ、魔法法典の根本に違反してねぇか?」
 レグナがうんざりした目で、イシュタークを見た。
「違反とかは、別に。禁呪の範囲は、昔の誰かが決めたこと。魔法力のたりない、無知な昔のじいさんらが、けっこう適当に決めたもの。魔法知識あれば、別に危なくないし。言うほど難易度も、高くない―― やつもある。だから。その、魔法法典自体が。禁呪の指定が、けっこう眉唾。あまりたいして、あてにはできない」
「…問題発言だな。で、実際ためして、盛大に自爆しちまったわけだろ? あんただいぶ、おれとかよりも―― アタマのねじが、ちょっとあれだぞ。ゆるすぎないか…?」
「ウルザンド王子。キミの個人的評価は、特に求めていないから。知識量だと、こっちが格上。キミなんかより。圧倒的に。だから。知識ない情報弱者の、意見はきかない」
「ん。言うな。けっこう毒舌だな、あんた。さっきの散会の仕方といい―― けっこうなにげに独裁者タイプか? まあおれも、別に独裁者は嫌いってわけでもないが――」

「ちょっと。ふたり。そこで無駄な話し、しないでよ。あたしもいい加減、眠いし。とりあえず、今夜眠る場所とか。確保したいけど。そっちの実のある話、したりできないかな?」
 あたしはちょっぴりイラついて。二人の話に割ってはいった。
「…まあ、そうだね。休息も大事だ。魔力回復の基本、だね。でも―― 今夜休める場所は、残念ながら―― 今はたぶん、ここくらい? ここは他より結界固いし。被害もとくに、受けてない。今夜はここで、休むといいかな。ユメもここなら安全だ」
「えっと。ここって、まさかこの、書庫の中…?」
 あたしは言って、みまわした。おっそろしく高さのある、やたら古い本棚が。どこまでもどこまでも、ひたすら列になってる―― まあでも。ここをどう見ても―― 寝たり休んだり、するための場所には。ぜんぜん見えないのだけど…?
「ん。ごめんね。ベッドはないけど、あとで毛布を運ばせる。三人はここで、ゆっくり休んで。ああ、そう。食事もいるなら、用意はさせる。トイレは、あっち。ちょっと遠いけど。まあでも、歩いて行ける距離」
 あくびしながら立ち上がり。イシュタークは、ちょっぴり長すぎるガウンのすそ、ひきずりながら。ゆっくり通路の向こうに――
「おいこら。どこいく?」
 レグナが呼び止めた。
「ん。どこに行くかは、秘密。まあでも。寝る場所が、奥にある―― って感じ?」
「もう寝るのか? 時間的にはまだ早いぜ?」
「睡眠は大事。魔力回復の基本。そういうウルザンド王子も、はやめに魔力回復を」
「…む? 何だと?」
「魔力失ったキミは、ほんと役にたたないゴミに近いよ。今なら、たぶん、そっちの魔力ゼロ以下の、タフーウェルの女の子の方が、戦力は上。だから。キミも黙って、さっさと寝るといい。以上。散会。ふわあ、ねむ」
 ちらっとこっちをふりむいて。イシュタークが、さりげない毒舌でつぶやいた。


24

 図書都市のヒトが届けてくれた、2枚の毛布にくるまって。
 あたしとユメは、そこの、広間の丸い檀の上。ちょっと前まで、偉い司書のひとたちが会議をやってた、そこの場所。ならんで二人で、横になる。広間のまわりは、ぼんやり照らす魔法の明かりが浮かんでて。ほんのり明るく、ほんのり暗い。わりと寝るには、いい感じ。故郷の森で、焚火で寝るのに近いかも?
 レグナは、女子二人に気をつかっているのか、いないのか。ちょっぴり離れた段の下に毛布を広げて。そこで寝たのかと思って、ちらっと見たら。ぜんぜん寝てない。どっかの棚から集めてきた、古いでっかい本をいくつも―― 毛布の横に積み上げて。ねそべって本、読んでる。なんだかなにげに、くつろいだ感じで。
「ちょっとあんた。レグナ」
「…なんだ? いま、いいとこだ。佳境だ。無駄に話しかけるな」
「あんたそれ。休んで魔力回復はどうなったのよ?」
「ん。もうちょっとしたら寝る」
 そいつは本のページに顔つっこんだまま、気のない返事を返した。
「あんたそれ、何読んでるの?」
「言ってもおまえに、理解できない」
「あっそ。聞いたあたしがバカだったわ」
「ああ。後半のとこは、当たってるな」
「あんたそれ。ケンカ売るんだったら、買ってもいいよ?」
「おい。いいから黙れ。けっこうマジで、貴重な本だ。よそではなかなか、読むことはできない。今、読める範囲でかため読みしときたい」
「…はぁ、まあいいけど。あんた、ほどほどにして寝ないと。明日になっても、魔力切れで、足手まといなるよ?」
「心配すんな。魔力切れても、おまえよりは戦える」
「はいはい。じゃ、ま、勝手にどうぞ。ったく――」
 あたしはそこで、ふと思い出す。はじめてレグナと会ったとき。
 そのときもこいつ、本、読んでたよね。なにか、ムヅカシそうな魔法の本。勉強熱心っていうか。読書オタクっていうのか。まあ―― なんかでもちょっと、あきれるかな。

「ねえ、ユメ? もう寝ちゃった?」

 呼んだけど。そっちはやっぱり返事がない。
 やっぱ寝たかな? と思ってそっちを見ると。
 毛布の下で―― ユメはぶるぶる、震えてた。
「…どしたの? 寒いの? 熱、出てきたとか?」
「…いいえ。大丈夫です。なんでも、ありませんから――」
 けど、そう言ったその声も、ちょっぴりかすかに震えてる。
「ねえ。ほんと、どうかした? 具合悪い?」
 あたしは毛布の上に、身をおこす。
「…いいえ。そうではなく――」
 震える声で、ユメが答えた。顔はこっちを、見ていない。
「怖いのです。とても。」
「怖い? 女神が?」
「ええ。それもあります。でも。それだけではなく」
「何? ほかになにが怖かったり、するのかな?」
「自分のやったことが、です。自分のやった行いが。わたしがあそこで逃げたことで、多くの人が―― 命を落としてしまいました。この街で―― そしてレグナの街も―― 今、大変なことになっています。すべては、わたしが逃げたばかりに――」
「ん。そういうことか。まあけど、それはたぶん、ユメのせいじゃないし。どっちかって言うと、無駄にあそこで暴れまわった、あたしのせいってことでもあるわけで」
「いいえ。ササカは、悪くありません。すべては、わたしが。わたしが、命を惜しんだばかりに。わたしが引き起こした、この災厄です。でもまさか、たった一日で、これほどの――」
 そこでユメの、言葉はとぎれた。ユメはどうやら、泣いてるらしかった。ここから顔は見えないけれど。声が、涙にふるえて。とぎれて。涙にむせて。声がもう、続かなくなった感じで。
 あたしはひとまず―― ユメと話すのはあきらめて。あたし自身が、寝ることにした。あたしもけっこう、本気で疲れた。今日はほんとに、たくさん走った。たくさんの、見たことのない魔法を見たり。なんだかわかんない、無茶な戦いに巻き込まれたり。んでから、テンイだとかで、いろんな距離を―― たくさん飛んだ。体も心も、本気でくたくただ。


 眠りはすぐにやってきた。意識はすぐに、闇へと飛んだ。

 …そう、思ったのだけど。

 けど。わたしは意識を、手放さなかった。
 手放せなかった。だって、何しろ――
 次にハッと目をひらいたら。あたしはぜんぜん、知らない場所にいたからだ。
 いや、違う。知ってる場所だ、ここは。とてもよく知ってる。
 知ってる―― けど。こういうのは、見るのは初めてだ。こんな景色は、見たくない。

 故郷の森だ、ここは。たぶん、そうだ。それは、うん、間違いないのだけど。
 森が。氷に閉ざされて。森の木が全部、まるごと氷に包まれて。
 そして湖が。ぜんぶ、氷だ。一面の氷原。
 いったい何をどうやったら、そんなことになってるの?と。
 びっくりして見まわす。いつもは森の向こうに、こんもり見えてるアルヴィンガの丘も―― うしろの木立を通して、そこに見えるはずの、あたしの村の、家々の屋根も―― ぜんぶまるごと、雪に埋もれて。いま見えているのは、ひたすら雪と、白い氷の山だけ。深い灰色の空のもと―― 粉雪が、ぱらぱら。その一面の氷の世界に。風だけが吹き――

「ずいぶん遅かったのね。待ちくたびれたわ」

 声がした。
 見上げる。雪をかぶった大枝の上。小さな誰かが座ってた。
 あたしより年が下そうな、女の子。12歳とか、それくらい? 風にたなびく、うす水色の髪。ほっそりした肩の線。白っぽい、うっすいドレスを着てる。ドレスの袖は短くて、白い肩がむきだし。ドレスのスカートの下から出てる脚は、なぜか裸足で。白くて形のいいその足先を、ぷらぷら前後に振っている。
「えっと。誰…?」
「おまえはいちいち鈍いわね。何度、同じ説明をすればわかるのかしら?」
 その子が、こっちに視線を下げて。白く長く、息を吐いた。
 その声は―― その話し方は、覚えてる!
「あ~!! あんたまた、あれね!! 女神でしょ?? でしょ?? なんであんたがまた、ここにいるのよ??」
 あたしは警戒最大マックスで、雪の上であとずさる。
 え、けど、何? なんで女の子? なんだかめちゃくちゃ、若返ってる? 前会ったときは、もっと年が上だった。あたしとより年上だった、はずなのに…?
「おまえの鈍い反応にはうんざりよ。いいからここに来て、座ったら? もう少し近くで話しがしたいわ。そこまで声を飛ばすにも、余分な力を使うのだから」
 その子はそこの、自分が座ってる木の枝を指さした。
「あんたの隣とか、座りたくもない。これ何よ? ここどこ? またあれ? あたしの夢の中?」
「…こっちに来ないの? なら、いい。そこで話をききなさい」
「あんたの話とか。聞きたくもないわ」
「いいから聞くのよ。わたしもいいかげん、けっこう力を消耗しているの。この場所を長く維持するのにも、それなりに大きく疲労する。できたら短く、終わらせたい。いい、まず最初に言っておくと。ここはお前の夢でもあり、そうでない部分もある。ここでお前に見せているのは―― 少し先の未来の絵なの」
「未来…?」
「そう。この絵は明日か、あるいは明後日か。お前は、自分自身がしたことの、それがもたらす結果を見ているの。どう? おまえにも、よく見えるでしょう。もう誰もここでは、生きてもいない。すべては、お前がわたしにしたことの代償よ」
「うそ。これ、ただの夢でしょ? はったりみたいの、通じないからね!」
「嘘ではない。お前の故郷の森は、まもなく雪と氷に飲まれるの。お前の種族は、ひとり残らず死に絶える。たったひとりも、赤子ひとりも。わたしは生きることを許さないから」
「…脅しには、のらない。嘘の絵見せても、ぜんぜん効かないんだから! あたしの一族みんなの、根性をなめちゃダメよ! あんたになんか、負けないんだから!」
 あたしは叫んだ。雪の地面を、足で蹴る。雪が舞う。リアルだ。まるでほんとの出来事みたいに。雪も風も、ここの温度も。全部がリアル。まるで夢とは思えない。
「だいたいなんで、あたしなの? 何であたしの夢なの? いいかげんあたしも、あんたが来るのは、うんざりなんだけど?」
「そんなこともわからない? 理由は簡単。おまえがいちばん、単純だからよ」
「タンジュン?」
「そう。レグナとかいうあの亜種族の者、それに星選の娘には―― どちらもそれなりの魔力が備わっている。寝ている間も、精神結界の護りが固い。それを破るのは、女神のわたしでも苦労する。手間がかかるし、消耗もするわ。けっこう疲れるのよ、この、夢の場を使った通話というものは」
「…よくわかんないけど。あんた、あたしの夢なら、入れるってこと?」
「そうよ。お前は魔力がゼロだから。ここに入るのは、難しくない。あちこち隙間だらけだからね。わたしがいちいち、ここに来るのは―― お前がいちばん、使いやすいと。単純に、それだけの理由。少しは理解したかしら?」
「なにそれ。人を道具みたいに、言うのは感じ良くないよ?」
「まあでも。よけいな雑談はここまで。これより本題に入りましょう」
 そう言ってその子が、手のひらを。右の手のひらを、前にさしだした。
 その手のひらに、うまれる光。まぶしい青の光が集まり、その手の上に、吸い込まれてく。
「ほら。これを、おまえにあげる。取りなさい」
 そう言って、投げ出した。枝の上から、手のひらのものを。
 それはあたしの足元の、雪の上に落ちた。

「なによ、これ?」

 あたしは警戒して、二歩、下がった。
 その雪の上のものは――
 小さな青い、ギラギラした宝石だ。どぎつい青の光を放って。

「さあ。それを手に取ったらいいわ。あげる。遠慮はいらない」
 女の子が言った。枝の上から。ぜんぜん感情、こもってない声で。
「…取らないよ。取るわけないじゃん。ぜったいなんか、罠だから」
「罠ではない。それはね、『星の恩寵』と呼ばれるもの。とても貴重な宝石よ?」
「…ぜったい取らない。あんたのモノとか、欲しくない」
「おまえもいいかげん、頑固な娘ね。良いわ。では教えてあげる。その石あれば、おまえはいつでも護られる。わたしの魔力が、お前を護るの。これはわたしの、膨大な魔力の結晶。これを持つお前は―― お前の世界の並みの魔導士どもよりも。よほど自由に、魔法が使えるようになる。使うにあたって、何の訓練もいらないわ。すぐに使える。すべての魔力は、わたしが補う。そして―― まだあるのよ。この石が放つ、畏怖の効果は。たちまち誰をも、ひざまずかせる力があるの。これがあれば、おまえはたやすく女王になれる。誰もお前に、勝つことなどは無理。逆らうこともできないでしょう。世界のどんな王国も。お前の足元に、すぐさま頭を垂れるでしょう。だから。さあ。取りなさい。おまえはこれがある限り―― 絶対的な魔力を誇る聖女王として。世界の歴史に、名を刻めるわ」
「…なんで? なんでいきなりこんなの、くれようとするの…?」
「取引がしたいの。わたしが楽に、星選の娘をこの手にできるように。お前に少し、助けて欲しい。これはその、事前の報酬のようなもの」
「あんたまだそれ言ってるの? あんたになんか、協力しないよ?」
「聞きなさい。まず、条件1。おまえがわたしに協力するなら。今ここにお前が見ている絶望的な森の未来を。わたしが変えてあげましょう。おまえの森は護られる。誰もそこで死ぬこともない。それどころか。わたしの加護が、ずっと森を護るでしょう。それがまず、ひとつ。わたしがお前に与えることができる、大きな報酬の、そのひとつね」
「…嘘だ。自分でこんだけ街とかいっぱい壊しといて。恩着せがましく、護ってやるとか。報酬とか。言ってること、おかしいよ?」
「そして条件2。お前がかくまっている、ユメとかいう、あの娘。あれが史上最後の、星選の娘となる」
「最後? なにそれ?」
「つまり。あの娘さえ、わたしの手元に来るならば。来年以降、星選の儀式は行わない。なぜなら術式が、もう間もなく完成するから。その最終魔法させ発動させれば。わたしの命は永遠。魔力も尽きず、命は永遠にわたしのものになる。それ以上の星選の必要は、もうないのよ」
「…? いまいち意味、わかんないんだけど…?」
「では、わかるように言いましょう。わたしも無策に、これまで数百年、むやみに星選者らの魔力を奪ってきたわけではないの。毎年魔力を集めながら。ひとつのさらなる大魔法を、組み続けてきた。そしてその魔法は、あとひとりの魔力によって、完成する。つまり、あの娘の魔力さえ、わたしが手に入れることができるなら―― そうすれば――」
 その子は足をぶらぶら、させるのをやめて。冷たい目線を、上から投げた。顔に浮かぶのは、微笑。唇のはしで、ちょっぴり笑って。あたしをバカにするように。勝ち誇ったように。
「なのにおまえは、わかってさえもいなかった。あとひとり。あとひとりの魔力さえ、わたしのもとに届くなら。それですべてが、無理なく成就していた。ただひとりの命と魔力で。世界がうまく回っていたのに。おまえがその、予定調和を崩してしまった。おまえは余分な多くの命を。流されなくてもよかった、多くの血を。お前が流した。お前の愚かな、決断によって」
「…言ってること、まだよく、わかんないけど――」
 あたしはなんか、アタマが、くらくらしてきた。
 言ってること、むずかしい。言葉むずくて、あんまり、わかんないけど――
「何? つまり、ユメさえ殺せば、それで終わりってこと? もうあんたは、毎年の儀式を、続けないっていう。そういう話?」
「そうよ。その通り」
 その子が大きく、口元で笑った。憎々しいくらい、可愛いきれいな少女の笑顔で。
「だからこそ。協力してほしいの。わたしにあの娘を、今ここで差し出しなさい。それですべてが終わるのよ。わたしは永遠の尽きない魔力を手に入れ、もう煩雑な儀式を続けることもない。星選の儀式は、今年をもって終了させる。これはきちんと、約束するわ。どう? 悪い話ではないでしょう。お前の世界の誰にとっても。福音のような提案だろうと。わたしは思うのだけど? どう? 少しはわたしに協力したいと。思ってくれたり、したかしら?」

「…嘘だよ」

「何?」
 そこ子の笑顔がたちまち消えた。少女の顔が、醜くゆがんで。水色の目が、ギラリと強い光を放って。
「嘘だと思う。あんたは続ける。その星選の何とかを」
「…なぜ、わたしを信じないの。おまえが嘘だという、その根拠は何?」
「だって。もしそれがほんとに、ほんとなら。最初っから、あんたはそれを言うはずだ。あたしとレグナの、目の前に。あんたが現れた、最初のときに」
「…何?」
「けど。あんたはひっとことも、そんなの言ったりしなかった。あんたは脅して。あんたは勝手に攻撃してきて。そんな説明、あそこで、ひとことも言わなかったよ?」
「ばかね。それは―― あのときは――」
「狡猾なあんたのことだ。そんなお得な、うまみのある言葉がほんとなら。あんたは最初から言ってるよ。出し惜しみせずに。言ったらレグナも、考えた。少しはあんたの話を、あそこでまじめに聞いたりしたかもしれない。けど。あんたはあのとき、それを言ってない。なぜならそれは、嘘だから。あんたはその嘘を、さっき、ここに来る前に。アタマの中で、ひねりだしてきただけでしょ。あたしわかるよ、そういう嘘は。あんたのそういう、狡猾なとこ」
 あたしは言った。その子を見上げて。ひとことひとこと。ゆっくり耳に、届けるように。
「わるいんだけど。あんたのことは、これっぽっちも信じない。今までさんざん、毎年、いろんな人を怖がらせ。毎年命を奪ってきたのに。それをなんとも、少しも悪いと思っていないあんたのことを。地上民の代表として、あたしは少しも、信じない」

「信じない、のね?」

 アタマの上の、大枝が揺れて。雪がさらさら落ちてきて。
 その子が、雪の地面に飛び降りた。無駄のない動作。羽毛みたいに軽々と。
 その子が、あたしの前に立つ。手をのばしたら、もう届きそうなその距離に。

「…信じないよ。わるいんだけど」
「…そう。では、この話し合いは、もう終わりにするわ」

 その子は、雪の上に手をのばし。それを拾った。
 さっき枝から投げ落とした、あの小さな青の宝石を。
 少女はそれを、二つの指でつまんで。
 砕いた。二つの指にこめた力で。
 きらめく青の粉が、雪風にのって広がって。
 小さな無数の輝きが、雪風の中、散ってすぐさま消えていく。

「タフーウェルの娘。最後にあとひとつ、言っておきたいことがある…」

 その子の視線が、鋭くこっちに突き刺した。
 その、見とれるほどきれいだけど。底なしに冷たい、薄青色のその瞳の中。
 いまそこで煮え立つのは、はげしい怒りと、あと、なんだろう――
 なんだろう? でも、まさかとは思うけど――
 その感情はひょっとして、悲しみ、なの? まさか。でも。ほんとにそうなの…?
 そこにはぐつぐつと、複雑な、あたしに読めない感情が。
 いくつもうずまいている。激しく強く、交じりあい。ぎらぎら光を放って――
 あたしはちょっぴり、たじろいだ。その視線がもつ、とてつもない圧力に。

「…いいえ。以上よ。とくに話は、何もない。終わり。もうこれ以上―― ゴミ以下のバカに、話をするのも無駄なこと。ふ、まったくわたしとしたことが。時間を無駄に、したようね――」

 その子が、自分で自分を抱きしめるみたいに。両腕を組んで、自分の体の両脇を、しずかにおさえた。何だかひどく、寒がるみたいに。森の冷気に、体がもたなくなってきているとか―― なにかそういう―― 演技だろうと思うのだけど。なにかとっても、はかない感じで――


25

 目をひらくと、暗かった。
 雪はもう、どこにもない。氷もない。風もない。
 天井みえないくらい、おっきい古い、石造りの建物の中。ぶっとい石柱のまわりに、魔法の明かりが、いくつも燃えてる。そこらじゅう置かれた、本棚、また本棚。
 あたしの横では、ユメが寝ている。顔はむこうを向いてるから、表情は見えない。規則正しい寝息だけが、こっちに聞こえているけれど――
 体を起こす。まわりを見まわす。ちょっぴり離れたところ、そこででレグナも静かに寝てた。アタマのまわりに、いっぱい本を積み上げて。ページ開いたままの本もある。あいつ、本読んでるうちに、うっかり寝落ちした感じ?
 まあでも、静かだ。本とかいっぱいあるせいか、音がぜんぜん、聞こえない。本棚がつくる本の壁に、ぜんぶ音が、吸い込まれるのかも。いまいったい、何時頃? すごく長く寝ていた気もするし。ぜんぜん寝てない感じも、するかも。アタマがなんか、ぼんやりしてる。

 ん? 

 つめたい。なんか落ちてきた。一滴。水? なにこれ、雨漏り…?
 いままた、天井から。まっすぐ二滴目、落ちてきたのは。なんかやっぱ、水滴? おでこにぴちゃんと、当たったけれど。
 ぽたっ。ぽたっ。
 小さな音たてて、さらに水が、上から落ちる。毛布の上に、小さなしみを作ってく。
 なにこれ? なにこれ? さらに一滴。二滴。三滴、四滴、五滴―― なんかでも、落ちてくる間隔が、さっきより――

「ちょっと。起きて!」
 あたしはユメとレグナの肩。乱暴にゆすった。何度も続けて。
「なんだ…? まだ朝じゃないだろ?」「どうかしましたか…?」
 二人、目をこすりながら起きてくる。まだ眠そう。
「ねえ。変だよ。水が、すっごい落ちてきてるの。なんかちょっと、普通じゃない」
「水…? なんだそれ? おまえどーせ、ねぼけて夢とか――」
 レグナは言いかけて、口を閉じた。あたしの言ってた意味、すぐ見て、わかったから。
 最初はぽたぽた言ってた水滴は、なんかもう今は―― どばどば音たてて落ちてくる、細い滝、みたいになってる。床一面に、その水は広がってく。
「おい。離れろササカ。ユメもだ。これは普通の水じゃない」
 レグナが言って、剣をさやから抜く。それを構えて、警戒モード。あたしも服の下から、こっそりナイフを抜いた。ふだん狩りに使う、投げるやつ。短いナイフだけど、手になじむ。ユメも、服の下からひとふりの短剣。すばやく出して、構えた。
 どぼどぼ落ちてくる、その水流が。なんかいきなり、動きを止めた。色がみるみる、白くなる。まわりの温度が、一気に下がる。なにこれ、氷…? 水の柱が、いきなり凍った。床に広がってた水たまりも、ぜんぶまるごと、一瞬で氷になって。
 ああこれ、あいつだ! って。思って何歩か下がったときは、もうそれが起こってた。氷がぜんぶ一か所に、生きてるみたいに集まって。集まって集まって。それがカタチを、作りだす。人のカタチ。その、氷でできた人型が―― ぐわっ!といきなり光って。次に見たら、もうそこに――

 もうそこに、そいつが!

 バサバサ長い、水色の髪。露出の高い黒のドレスの上に、ふさふさ毛皮の白コート着て。手には、でっかい黒の槍。
 星の女神。本人だ。でも今、その姿は―― 夢の中の、ちっちゃい少女の姿じゃなくて。もとに戻ってる。最初にこいつと戦った時と、同じ見た目の―― すらっと背の高い、大人の女の外見に。うす水色の、瞳がちょっぴり笑ってる。余裕の微笑。はるかな高みから、こっちを憐れむみたいに。

 おい、気をつけろ! くるぞ! って、レグナが叫んだ時には、もう始まってた。
 そいつがくるくる槍をまわし、まっすぐこっちに突っ込んできた。
 はやい! 動きはやくて、風みたい!
 けど、それをまっすぐレグナは受けた。レグナの剣と、槍がぶつかる。火花が飛び散る。レグナが飛んで、本棚を足場に、さらに別の角度にとんで。そいつのアタマの後ろから、ザックリ剣を――
 けど。相手は簡単に、それを受けた。レグナを見もしないで、槍だけちょっぴり動かして。そして驚く速さで、槍を一閃。間一髪、レグナがかわす。後ろにとんで、距離をとる。

「また会ったわね。おまえたち」

 女神が。氷の視線で、こっちをぐるりと見まわした。最初にあたし。それからユメ。さいごにレグナに、視線を流して。
「さあ、もういいでしょう? その星選の娘を、こちらに。それですべては終わるわ。その娘さえおとなしく渡せば。これまでの反抗も、忘れてやっても良いわ。ほかにはもう、誰の命も取るつもりはない。どう? 破格の条件よ?」
「ばかめ。せっかくいい気分で寝てたとこ、邪魔しやがって。おれの眠りを妨げた、その罪。ちょっぴりここで、つぐなってもらおうか?」
 レグナは剣をかまえたままで。じりじり、位置を移動して。ユメとあたしをまもる感じで、その前に立った。おお。なにげにわりと、頼りになる感じ…?
「…なるほど。従うつもりは、もとよりないと。そういう話ね? バカだわ。命を救うと言ってあげたのに。…まあいい。では。お望みどおり、まとめて殺してあげましょうか?」
 そいつが言って。余裕たっぷりな感じで、右手で槍を、もてあそぶ。くるくる、くるくる。
「ぐだぐだ言ってないで、来い。そこそこ寝たから、魔力回復も十分だ。一瞬でケリをつけてやる。おまえの余裕かましたニヤけ顔にも、そろそろ飽きてきたからな」
 レグナが、余裕たっぷりに返した。けど。声の余裕とは、うらはらに。剣をかまえたその立ち姿は―― 触ったら切れそうなぐらい、びりびり、力がみなぎる感じで。

 女神の姿が、いきなり消えた??
 って思ったら、もうそいつ、目の前にいた!
 レグナが受ける。槍と剣が、激しくまじわる。レグナが跳ぶと、そいつも跳んだ。
 いくつもの本棚を、足場がわりに。なんかまるきり、空中戦。そいつとレグナが、空中で激しくせめぎあう。ひたすら攻めこむ、そいつの槍と。それをひたすら防いで、防いで。ときたま鋭く切り込んでいくレグナの剣と。
 けど―― 動きはどんどん早くなって。飛び散る本、落ちてくる本。倒れる本棚。立ちのぼるほこり。なんかもう、書庫の中、大混乱。んでから、もうこれ、ほこりがすごいし! 落ちてくる大量の本とほこり、あともう、二人の動きも速すぎて。何がどこでどうなってるのか。目で追うことも、できないよ!
「おい! ササカ! 行ったぞ! 防げ!」
 声が上からふってきた。え??って思って視線を向けたとき、
 まっすぐ槍が、降ってきた。猛烈に回転しながら、まっすぐあたしの胸をめがけて。
 やばい! って思ったときは、もう手遅れだ。
 あたしが反応すら、できないうちに。槍はまっすぐ、あたしの胸に――
 ああ。もう死んだな! って思ってかたく目を閉じる。
 けど。なぜだかあたしは、死んでない…? 
 なにかが光って。槍はあたしに刺さらなかった。
「貴重な書物だ。大事にして欲しい。ここをここまで台無しにした、責任、きっちり取ってもらうよ?」
 あたしの前に、ちびっ子が立ってた。大司書イシュターク。小柄な体に、ちょっぴり長すぎる灰色ガウン。いま彼女、武器っぽいものは、何も持ってない。視線は、前髪にかくれて見えないけど―― でもいま、隠れたその目で。ずっと上、本棚の上で勝ち誇る女を、するどくにらみ上げる。
「…なるほど。おまえがここの番人? 大司書イシュターク。それはお前のことなのかしら?」
 ひゅるひゅると風音たてて。さっきイシュタークがはじいた、でっかい黒の槍が。女の手元に、ひとりでに戻った。それを握って。自信ありありに、女神が上から微笑した。
「だけど、最初に聞いときたい。いったいどうやって侵入できた?」
 イシュタークが、ふだんの小声より、ちょっぴり声を張って言った。
「いかに女神と言えども。地下書庫の結界は、世界のどこよりも固くできている。外部からは、いかなる魔力を持ってもこじあけることは不可能に近いはず。わたし自身もその作業に加わったから。ここの堅さは、よくよく知っているつもり―― だったけど?」
「…そうね。なかなかよくできた結界だった。外部からは、たしかに少し難しいでしょう」
「…なに? つまり、あれか。そういうことか――」

「然り。つまりは、そういうことですぞ、イシュターク」

 声がした。爺さんの声。
 倒れた書棚の、奥の方から。赤いガウンをひるがえし。たちのぼるほこりの向こうから。そいつが姿をあらわした。ガウンと同じ赤色の、へんな四角帽をかぶったそいつ。
「…ガビアナ卿。おまえか。おまえが内から、結界を?」
「然り。このわたくしが。昨夜のうちに、書き換えておきましたよ。なに。わたしの魔法知識をもってすれば、それほど長時間は必要ありませんでしたがね。ここの天井に、わずかに、小さなほころびを。しっかりと、作っておきましたぞ?」
 ちょっぴりしゃがれた、爺さんの声。白のあごひげを、左手でなでつけながら。むだに得意げに、うす笑いしてる。その爺さん―― たしかなんか、昨夜の夜の会議みたいのに、参加してたやつだと思う。ここの偉い司書のひとり―― ってところなの…?
「昨夜のうちに、女神様より、じかに、詳細を聞きましたぞ。なんでも、この星選者さえ差し出せば、それですべてが終わるというではないですか?」
 ジジイが言って、じろっとこっちを―― あたしとユメの方を見た。
「聞けば、女神さまの大魔法は今年をもって成就し。来年以降、星選式も中止になるという。まことに喜ばしいことではないですか? 女神様は、われら図書都市の反乱についても、これ以降は不問に帰するとおっしゃって下さる。なんたる寛大さであろうかと、この身が震える思いで、わたくしは言葉を聞きましたぞ。これを拒否する、いかなる理由がありましょうか?」
「理由。山ほどあるね。第一に、それを信じる、おまえの愚かさだ」
 イシュタークが。まっすぐそいつに対面し。言葉を吐いた。ひどく冷たい、ささやく声で。
「ふん。なんとでもおっしゃるがよい。だが、わたくしの信仰心は、ここの誰よりもまさっていると。これはここで、高く宣言してもよろしいでしょう。外ならぬ、大女神さまの、直接のお言葉をいただいたわけです。それだけでも、度し難い光栄だ。その頂いた言葉を、どうして疑うことなどできましょう? 女神様が、そうおっしゃるならば。それはそのまま、真実でしょう。そうでしょう、女神さま?」
 言われた女神は、高い書棚の上から、こっちを冷たく見下ろして。
「まあ、そうね。ご苦労だった。お前の働きには、感謝します」
「おお。もったいないお言葉」
「あとは、わたしがやりましょう。お前はただそこで、見ていればよい。あとは、そうね―― 先刻お前に約束した報酬については。このあと事無く、星選の娘を星の門へと移送できた、そののちに。あらためて話をすることにしましょうか」
「かたじけないお言葉。胸中に深く、響いてやみません」
 ジジイが、胸に手をあてて。おおげさに、でっかくお辞儀した。くそっ、けど、そういうことか。ジジイ。こいつにも、女神が直接、夢か何かで話しかけてたんだ。で。こいつ。まっすぐそのまま、女神の言葉を信じて。あっさりここの人たちを、裏切って。護りの結界を、壊したりとか―― まったく、たいした裏切りものだよ?

「おいこら。ぐだぐだ、くだらねー話で足を止めてんじゃねーよ」
 レグナが、あたしの前に立つ。ちょっぴり息が、あがっているけど。まあでも、そんなに怪我とかは、してないみたいで。両手で剣を、まっすぐかまえて。その目は、本棚の上の女神に。ぴたりと鋭く向けられて。
「おい。イシュターク。援護しろ。二人で同時に行く。ついてこれるか?」
「レグナって言ったかな? あまりわたしの魔力をあなどらない方がいい」
 イシュタークが言って、ぴたりとレグナの横につく。両手を左右に大きく広げて―― それから胸の前であわせ―― 光の魔法を練りはじめた。輝く光が、その子の胸の前、まぶしい光の球をつくる。
「キミもそろそろ、魔法つかえば? 剣撃だけで、倒せる相手じゃないし。それはキミにも、わかるでしょ?」
「バカめ。言うな。こっそり温存してんだ。ここってときに、集中して撃つ。ったく、言わせんなよ。手の内ばらしやがって」
「キミが自分で、言っている」
「けど、さっきのあれは、どうやった?」
「何? さっきの?」
「槍をはじいた魔法だ。光球弾。無詠唱だったろ? どうやる? あの術式は、初めて見たぜ?」
「…秘密。手の内は、言わないものだ。それよりキミも、しゃべりすぎ。行くよ?」
「バカめ。言われなくても」
 レグナが地を蹴る。まっすぐ飛び込む。切り込んでいく。本棚の上から、余裕の目線で見下ろすそいつに。イシュタークも跳んだ。別方向から、女神に向けて光球弾を放つ。
 轟音。光の爆発。飛び散る本と、本棚の残骸。貴重な本がどーの言ってたくせに、大胆すぎるよイシュターク!
 けど―― 女神は別の本棚の上に、軽くきれいに着地して。そこを足場に、逆襲で猛烈な突進を―― そいつが一瞬で距離をつめ。ただ一突きで、レグナを―― 
 
 けど、かわした! レグナ! 

「バグズ・ガォズォン!」

 いきなり体を反転させて、炎をぶつけるレグナ。女神の体が燃え上がる! と思った瞬間、神がかりの速度で―― って、まあ、もとからそいつは神なんだけど―― 竜巻みたいに槍を旋回。その旋風で、炎がぜんぶかき消えた。間髪いれず、猛烈な速さで蹴りをはなつ。もろにくらったレグナは―― うしろに大きく吹き飛んだ。いくつもの本棚を巻き添えに。けどすぐ女神は追撃し―― 姿勢立て直せないレグナの真正面に、まっすぐ槍をぶん投げた!
 ん、でも、弾いた! 
 槍の軌道が、ぎりぎり変わった。でっかい本棚が、バラバラ崩けて四散する。
 槍を弾いたのは、イシュターク。手のひらサイズの光球弾を、体のまわりにいくつも浮かべて。ひとつひとつの球が、意思をもつみたいに浮遊して。彼女が手をまっすぐ、前にかざすと。それを合図に、ぜんぶの光球が。別々の軌道から、いっせいに女神の体に吸い込まれ――
 でも。女神はかわした。当たらなかった。

「甘い。こっちだ!」

「…!?」

 女神がふりむく。もうそこにレグナの剣。
 本棚三つ、まとめて砕けて。派手な埃がたちのぼる。

「む…?」

 レグナが、視線を走らせる。とらえたはずの、女神の体が。もうそこに、ない。

「上だ、レグナ!」

 イシュタークが叫ぶ。
 女神がまっすぐ、落ちてくる。垂直に降ってくる槍に、全体重をあずけて。

「ちっ!」

 レグナが体をひるがえす。
 地響き。ほこり。地面がえぐれて、石のかけらが舞い散った。
 ちょっと何…? 威力ありすぎだよ?? あんなのくらったら、ひとたまりもない!

「塵たちに、告げる」

 たなびく埃と煤の煙の、むこうから。女神が、こっちに歩いてくる。でっかい槍を、軽々片手でもてあそび。余裕の表情。ぜんぜんダメージ、受けてない。疲れてもいない。そいつが着てる、白の毛皮の上着も。ぜんぜんどこも、痛んでもいないし。塵ひとつ、ついてないっぽい。まるで今の全部の攻防が、何もなかったみたいに。ひとつの息も乱さずに。

「抵抗は無駄。おとなしく死になさい。抵抗しなければ、楽に一瞬で殺してあげる。無駄な時間をかけさせないで。わたしは無駄が、いちばん嫌いなの」

 女神の左手が―― 槍を持ってない方の、そっちの手。そこに魔力が満ちはじめ。青い光が、手の中で大きくふくれあがり――

「ササカ! ユメ! 下がれ! 魔力波が来るぞ!!」

 レグナの鋭い声がとぶ。
 けど。そのときはもう、あたしもとっくに反応してた。

「ユメ! こっちよ!」

 ユメの手を引き、走る! 本棚の間をぬって、通路をひた走る。とりあえず、離れるよ! 見たらわかるよ、あんなもの! 巻き込まれたら、もう一瞬で死ねるレベルだ。

「あの、ササカ! どこへ?? どっちへ?」
「どっちでも! とりあえず、距離を! 柱のかげに! あれはマジで、やばいよ!」

 青い光が、すべてを満たす。
 ぶっとい柱のかげに、飛び込んだ。瞬間。通路のすべてを巻き込んで、あらゆるものが吹き飛んでいく。本とか。石とか。木片とか――
 あたしとユメは、床にぺったり貼りついて。その爆風を、やりすごす。レグナとイシタークは―― 無事なの? さすがに今のは、防ぎようがないような――

 ん?

 裸足のあしが、目の前に。絨毯をふんでる、白い裸足の二つの足が、視界に入って――
 そっちを見上げた―― つもりが、体がとっくに飛んでいた。
 そいつの蹴り―― 深く、入った。あたしの体は、いくつもの本棚をなぎ倒し――
 いったたたた。。なんか、あばら、折れたりしてない?? く、息、うまく吸えないけど―― あたしはもがいて、もがいて。体の上に積み重なった本、ぶわっと周囲にまきあげて。なんとかそこに立ち上がる。起き上がる。
「サ、ササカ。大丈夫ですか…? あの、口から、血が――」
 ユメがかけよった。
「大丈夫。大丈夫じゃないけど、死んでないから、大丈夫」
 あたしは言って、腕で血をぬぐう。でもこれ、口の中、切っただけだ。大丈夫。あばらはちょっぴりヤバいけど。けど、まだ、死ぬほどの怪我じゃない。呼吸もなんとか、できてるし。
「ふうん? あれを受けて、まだ死なないとは。ゴミなりに、意外に丈夫にできているのね?」
 床をうずめる、破片と本をふみこえて。
 そいつがこっちに、近づいてくる。はだしの足が。古い本の残骸をふんで。
 一歩、一歩。また一歩。

「おい。おまえ。ササカよ。よく死ななかったな」
 レグナが。女神とあたしの間に。一瞬で割って入った。
 両手で剣を低くかまえて。視線は女神にぴたりと合わせて。
 じりじり、わずかに後退し―― あたしのそばまで――
「もうね、ばっちり死にかけたわ。けど。蹴りの方向に、体重移動。自分もそっちに飛んだから。ぎりぎり、死にはしなかったけど。あれ、まともに喰ったらアウトね。一瞬で死ねるわ、あの威力」
「おい。いいから聞けよ、ササカ」
「なによ? 聞いてるし」
「さすがにあいつ、魔力量が桁違いだ。普通じゃ無理だな、あれは」
「そんなの、見たらわかるわよ! で、どうすんのよ? なんか策、あったりするの?」
「…ある。おまえの、あれだ。『緑の護り』。まだ持ってる…よな?」 
「ああ。あの短剣。お守りね。あるよ。持ってる。ここにある」
 あたしは服の内側。柄をこっそり、手で握った。冷たく固い、その感触。緑の石のはまった、あの短剣。緑の女神が、タフーウェルのみんなにくれたっていう――
「それがたぶん、効く。そいつで、あいつの魔力を無効化する」
「何? ムコーカ? どうするの? どうすればいいの?」
「単純に、当てりゃいい。ここ来る前、ギルデラ高原の戦闘で―― おまえ、いちどやったろ?」
「ああ。そうか。うん。なるほどね。あれ、またここで、やればいいんだね?」
「ああ。前やったのと、同じ要領だ。まっすぐ狙え。当てろ。おれがあいつの気をそらす。いいか。一瞬で決めろ。勝負はそこの一瞬だ。だが待て。まだある。それと合わせて、あとひとつ――」

 まぶしいッ!
 白の光球が、女神の背中で炸裂した。イシュタークが放った光の魔法だ。
 女神にしっかり当たったっぽいけど―― 女神が一瞬だけ、目をそらす。こっちを見てた女の視線が、背後から一気に距離つめてくるイシュタークに向いた。

「よし、ここだ! いくぞササカ!」

 地面を蹴って、レグナが跳躍。一瞬で女神と距離をつめ、横一閃で剣をふりぬく。かわした女神は、真横に槍を一回転。ジャンプで交わしたレグナが、空中ですばやく背転し、今度は真上から女神に切り込む。
 それと同時にイシュターク。光でつくったまぶしい剣で―― その一閃が、女の脚にたしかに当たった―― けど。砕けたのは女の脚じゃなく、剣のほう。光は四方に飛び散った。ほぼ同時に上から切んだ、レグナの剣の一撃も―― なにあれ! 右手で楽に、受け止めた??

「ふ、かかったな? フェイクだぜ?」

 レグナが笑って、右足。もう全力で、女神にむかって振りぬいた。
 魔法のこもった、全力の蹴り。つまさき全部に、魔力集中。それを直接、ぶちあてた感じ?
 女神の体が吹き飛んで。はるか上まで―― 
 
 いや。行かない。その手前で止まる。空中静止。
 本棚の残骸の海をみおろす、その位置で。女神がそこで、いきなり静止し。
 右手の中に、魔力を集める。青の光が集まる。女神が広げた手のひらに――

――待ってた! それ! その動作!

 あたしは右肩、ふりかぶり。
 全体重のせて。短いひとふりの短剣を。
 空中に向け、投げ上げる! いつもの森の、狩りと同じだ。距離は少し、あるけれど。
 けど、外さないよ! タフーウェルの投げ刃の技術。あんたにここで、見せてやるから!! 
 ナイフは銀の軌跡になって。一瞬で、そいつのアタマに吸い込まれてく。
 当たった! と。瞬時にあたしは、確信する。いつもの狩りの、手ごたえが――

「ばかめ」

 え??
 なに? なんなの??
 そいつが一瞬、二重にぶれた――
 ありえないし! まるで瞬間移動、したみたい。
 絶対あたった、はずなのに! あそこでかわせる、はずがないのに!
 なのに! あたしのナイフは、そいつのアタマの、わずかに横を通過して――
 嘘。はずしたッ??

「本当にばかね。同じ手が、わたしに二回通じるなどと。本気でお前は思っていたの?」
 そいつが笑って、あざけって。視線をこっちに、投げ落とし――

「バカはお前だ」

「なッ!?」

 レグナが。その一瞬で突き刺した。後ろから。まっすぐそいつの、首の真ん中。緑の刃。緑の護り。魔力のこもった、その特別な刃を。首の前まで突き通す。それは緑の光を放ち――
 次の一瞬。女神の体が四散した。青白い霧が―― ほとばしる緑の光と、しばらくそこでからみあい―― それから散った。消えた。揮発。蒸発。消えてしまった。すべての光が。

「ばかめ。こっちが、おまえ相手に同じ手を二度使うなどと。思う方が、バカだぜ、それは」
 余裕をもって着地して。レグナが小さくつぶやいた。
 
 とても小さな、トリックだったけど。あたしが投げた刃の方が。じつはただの、狩り用ナイフで。レグナがじつは、持っていた。「緑の護り」を。だからあたしが、そいつの注意を引きつけて。一瞬の隙をつくって。その隙をついて、後ろから―― レグナがきめた。作戦どおりに。

「…ふむ、なるほど―― これがその、宝剣か」
 床の上に落ちた、その小さな細身の宝剣を。イシュタークが、ゆっくり拾いあげた。
「うーん、なるほど。尋常ならざる潜在魔力… すごいね。こんなものが、今でもじっさい地上にあるんだ。書物の中の伝説でなら、読んだことはあるけれど――」
それは今まだ、強い緑の輝きを―― 刃からは発していたけれど―― イシュタークの手の中で、まもなく光は弱まって。光は消えた。それは戻った。いつものただの短剣に。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪

naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。 「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」 まっ、いいかっ! 持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

ウルティメイド〜クビになった『元』究極メイドは、素材があれば何でも作れるクラフト系スキルで商売をして生計を立てていく〜

西館亮太
ファンタジー
「お前は今日でクビだ。」 主に突然そう宣告された究極と称されるメイドの『アミナ』。 生まれてこの方、主人の世話しかした事の無かった彼女はクビを言い渡された後、自分を陥れたメイドに魔物の巣食う島に転送されてしまう。 その大陸は、街の外に出れば魔物に襲われる危険性を伴う非常に危険な土地だった。 だがそのまま死ぬ訳にもいかず、彼女は己の必要のないスキルだと思い込んでいた、素材と知識とイメージがあればどんな物でも作れる『究極創造』を使い、『物作り屋』として冒険者や街の住人相手に商売することにした。 しかし街に到着するなり、外の世界を知らない彼女のコミュ障が露呈したり、意外と知らない事もあったりと、悩みながら自身は究極なんかでは無かったと自覚する。 そこから始まる、依頼者達とのいざこざや、素材収集の中で起こる騒動に彼女は次々と巻き込まれていく事になる。 これは、彼女が本当の究極になるまでのお話である。 ※かなり冗長です。 説明口調も多いのでそれを加味した上でお楽しみ頂けたら幸いです

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

システムバグで輪廻の輪から外れましたが、便利グッズ詰め合わせ付きで他の星に転生しました。

大国 鹿児
ファンタジー
輪廻転生のシステムのバグで輪廻の輪から外れちゃった! でも神様から便利なチートグッズ(笑)の詰め合わせをもらって、 他の星に転生しました!特に使命も無いなら自由気ままに生きてみよう! 主人公はチート無双するのか!? それともハーレムか!? はたまた、壮大なファンタジーが始まるのか!? いえ、実は単なる趣味全開の主人公です。 色々な秘密がだんだん明らかになりますので、ゆっくりとお楽しみください。 *** 作品について *** この作品は、真面目なチート物ではありません。 コメディーやギャグ要素やネタの多い作品となっております 重厚な世界観や派手な戦闘描写、ざまあ展開などをお求めの方は、 この作品をスルーして下さい。 *カクヨム様,小説家になろう様でも、別PNで先行して投稿しております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

プラス的 異世界の過ごし方

seo
ファンタジー
 日本で普通に働いていたわたしは、気がつくと異世界のもうすぐ5歳の幼女だった。田舎の山小屋みたいなところに引っ越してきた。そこがおさめる領地らしい。伯爵令嬢らしいのだが、わたしの多少の知識で知る貴族とはかなり違う。あれ、ひょっとして、うちって貧乏なの? まあ、家族が仲良しみたいだし、楽しければいっか。  呑気で細かいことは気にしない、めんどくさがりズボラ女子が、神様から授けられるギフト「+」に助けられながら、楽しんで生活していきます。  乙女ゲーの脇役家族ということには気づかずに……。 #不定期更新 #物語の進み具合のんびり #カクヨムさんでも掲載しています

処理中です...