カナナの黙示録

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チャプター3

チャプター3

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「光と闇―― 天使と悪魔、二つの勢力は古来からずっと戦い続けてきました。その戦いはこの大宇宙に初めて時空が生まれた時までさかのぼり、そして今もそれは続いています。そしていま、この小世界―― カナナの属する世界は、いままさに終わろうとしています」

 ヨルドを名のるその女の子は語った。ひとつの照れも、ためらいもなく。普通に考えたら絶対正気とは思えない無茶なストーリー。作り話にしても出来が悪すぎて全然笑えない―― 

「サクルタス―― カナナの世界の言葉で言うところの天使たち―― 彼らはカナナの世界の堕落ぶりはもはや救いがたい水準に達したと判断。よって、世界まるごと消してしまうことを全会一致で決定しました。彼らは大宇宙の創造主の―― 『神』の名のもとに世界を裁く審判者です。彼らはこれまで、ここ以外にも数多くの小世界を彼らの基準によって裁き、咎め、罪を定め、いくつもの世界を終わらせてきました。しかしながら、」

 ヨルドが言葉を止め、ちらっと視線を下にうつした。いまここ、百階超の高層ビルの上。見えるのは同じようなたくさんのビル。その足もとにひろがるムダに派手派手した歓楽街の明かり。通りを走るタクシーや深夜バスのライト。さっき破壊された市街地は、別のビルの死角になってここから見えない。でもまだ煙が大きく上がってる。きっとまだ延焼中なんだろうと思う。うるさいくらいのサイレンの音。いろんな緊急車両が走りまわってる。ヘリコプターの数も増え続けてる。

「しかしながら多くの場合、彼ら天使たちの基準はいささか厳しすぎると言いますか―― とにかく非常に採点が辛いのです。わたくしども悪魔とは、堕落や悪行に関する定義が根本的に違うと申しましょうか。たとえばわたくしどもデオルザルドの基準に照らせばまったく何ひとつ問題ない善良な――これはあくまで悪魔の基準に照らして善良ということですが―― そのような善良な世界さえも、天使たちは厳しく断罪しようとしています。わたくしども暗黒界は、なによりも各世界の自主自立と多様な世界文化を尊重するものです。それを破壊しようとする勢力に対しては、これは厳しく立ち向かわざるを得ません」

「誤解して頂きたくないのは、何もわれわれ悪魔が戦いを好むとか、堕落を推奨しているとか―― そのような話ではなく、我々が関与する戦域はすべからく、その性質において防衛戦争だということ。雑多な小世界の自主自立をまもるため、我々は戦います。これまでわたくしヨルドは千百十四の小世界においてサクルタスと対峙し、それら世界の消失を防ぐために日夜戦ってまいりました。しかしこれまでのところ、戦力的にはつねにどの時空においても天使側が圧倒。わたくしたち悪魔側は常に苦しい戦いを強いられてきました」

「今のこの小世界の消失が始まったのは、デオザルド標準時の八六六七三九エルグ七七ウォズ。カナナの世界で言うところの昨日の明け方です。きっかけは時空核の損壊。時空核というのは、神が小世界をつくるときいちばん基礎に位置付ける物象であり、時空基盤と言いかえてもかまいません。それを何者かが、おとといの未明、不注意にも破壊してしまったのです」

「もともとそれはサクルタスによって意図され、巧妙に誘導された計画ではありましたが―― 軽率にもサクルタスの計略に完全に沿う形で、わざわざここの時空核それ自体をみずから破壊するという愚行を働く者が、残念ながら出てしまいました。そしてそれにともなって、この小世界全体が不安定化、黒化し―― 自己破壊をはじめました。これがいま、カナナの世界で現実に加速度的に進行している事態です」

「待って待って待って待って待って!」

「ぜんぜん意味、わからないってば! その、何? 何が破壊されてどうなったって? もっと普通の十代少女にもわかるように説明してよ! 全然まったく意味不明!」

「困りますね。これでもかなり省略して説明したつもりだったのですが」
「ヨルドさま、」
 横にひかえていた背の高い方が口をひらく。
「よければわたくしが続けましょうか? この小世界のきわめて低い知性レベルでも十分に理解できるよう、さらに言葉を簡単にして説明できるかと思いますが?」
「そうですね。では、頼みます。あくまでここの小世界の低レベル知性が理解可能な範囲でね」
「はい。心得ました」
「ふん、わるかったわね、小世界の低レベル知性で」

「では、非常に簡単に要約してみます。カナナ様。あなた昨夜、オンラインゲーム『アッフルガルド』をプレーしたとき、あなた、『白の石の舘』という場所に行きませんでいたか? そしてそこにいた『緑の姫君』という友好的NPCを一方的に攻撃し、」
「げ?? なんでそれバレてるの?? どこからその情報を??」

「つまり、あれがすべての原因です」
 赤髪の女の子が冷たく言い放った。
「あの仮想存在は、カナナ様の世界の時空核と不可分に結びついた象徴的な存在。つまり言ってしまえば、何十億年来この小世界を支え続けてきた時空核そのものだった。それを壊したのです。昨日、カナナ様と、そのご友人方が――」
「え? ちょっと待ってよ! あれってほんとに、そんなに大事なキャラだったの?? まさかそんな話、ぜんぜんあたし――」

「知らなかったと仰るんですね?」
 少女が心底軽蔑したみたいにジロッとこっちをにらむ。温度の低いダークレッドの瞳で。
「しかし、知る・知らないに関係なく、今ここにその結果が出ています。世界は終わりを迎えています。世界はあちこちから同時に消え始めています。原因をつくったのはあなた。最後にそれに攻撃を加えて致命的ダメージを与えたゲームキャラクター名は『「カナカナーナ」―― つまりあなたです。もちろんそれ自体は長い時間をかけてサクルタスが巧妙に仕組んだ世界破壊工作の一環であるにしても―― それでもカナナ様、あなたはあまりに軽率・不注意。この国の国語で言うところの、『本気のバカ者』だったということです。あなたと、そのご友人すべからく」
「ダグ。バカ者はさすがにちょっと言いすぎでしょう?」
 背の低い方がそこでなにげにフォローした。
「すいません。言いすぎましたか。では、ここのローカル言語で、何か他にふさわしい言葉は?」
「たとえばそうですね、」
 ムラサキ髪の方が、まじめに少し考えながら言った。
「『底なしのドアホウ』。『真性の知恵足らず』。ここの国の国語には、ほかにもいくつも、より良い表現がありますよ」
「おい! より悪いだろそれ! なんかすごい腹立つんだけど!」

「けど、けど、なんでそんな大事なものが、こんな普通のゲームの中に普通に出てるのよ?? だったらもっと奥に隠しとくとか――」
 あたしは必至に抗弁する。
「だいたいあれってあのゲーム、リリースから三年とか四年とか、それくらいしかたってないのよ! なんでそんな新しいヤツに、そんな古くからの世界の芯みたいなヤツがいきなり入ってるのよ! 意味わかんないし説明つかないじゃない!」
「時空核を視覚化し、この世界のニンゲンが直接触れられるよう具現化させたのも、おそらくはサクルタスの計画の一部だったのでしょう。つまりあのゲーム―― 『アッフルガルド』そのものが、サクルタスによる監修物。世界を裁くための装置だったということです。もちろんあれを企画した会社のニンゲンたちは、まさかそのような破壊装置だとは気づかないまま、今も運営を続けているのだろうとは思いますが」
「じゃ、ほんとに何? あれがそんなすごいゲームだったってこと?? ほんとにマジメに冗談じゃなく? 本気でリアルとリンクしてて?」
「ほんとにマジメに冗談じゃなく――? 本気でリアルと――?」
 赤髪の方がちょっぴり目を細め、なにか不愉快な虫でも見るみたいにこっちを眺めた。そこには好意のかけらはひとつもなかった。

「どうもカナナ様の日本語は、ときどき表現が稚拙すぎてついていくのが難しいですね。なによりそこまで同義語を連続させる必要性が」
「うっさいわよ! 稚拙で悪かったわね!」
「では、そのいまの表現をお借りするとして」
 赤い目の悪魔少女が、表情ひとつ変えずに言った。すごく冷たく、突き放す感ように。
「はい。いまカナナ様が仰ったとおりです。あれはほんとに―― 『アッフルガルド』は―― ほんとにマジメに冗談じゃなく、そんなすごいゲームだったのです。そして、はい。あのゲームは本気でリアルとリンクしていました。というより、リアル世界のもっとも大事な部分だったと言ってもよいほどのものでした。ですからそれを知らずに壊してしまったカナナ様は、この小世界の人類の黒歴史に残る最大級の大バカ者であると同時に、世界の歴史のいちばん最後に名を刻んだ黙示録的テロリスト、ということになるわけですが」


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  で、何? 
  そのスペシャルスイベントって何なんだよ?
  
よくわかんない。
なんかでも、モアブ砂漠の、ロスゴなんとか神殿? 

  聞いたことねぇなあ。
  それってかなり古いイベント? 

さあ? あとあと、そのダンジョンステージの最後に、何とかの泉。
なんだっけ―― パレムの泉? 

  なにそれ? 意味わからん

とにかく最後、そういう場所があるんだって。 
そこ行けば何とかなるかもしれないって言ってる
なんかそこ、ドロップアイテムあるらしいの。命の水とかいう

  あ、それ聞いたことあるな。
  復活アイテムだろ? 

それそれ! それをとにかくゲットしろって言ってる

  ゲットしてどうするんだ? 

だからそれを、使うんだってば

  何に? 

その、『何とかの君』に

  え、それってつまりNPCに使うってこと? 
  その、「緑の姫君」? 
  俺らが消しちゃったヤツ?

らしいよ。それで何とか復旧できるっぽいって。
ほかにもいろいろムズカシイこと言ってるけど

  けどそれ、すげえあやしいなあ。
  復活アイテムだろ? 命の水? 

だからそう言ってるでしょ

  そのアイテムで、いっかい消えたNPCを復活?  
  いやいや、たぶんそんなご都合機能はなかったぞ。
  あくまであれって、
  プレイヤーキャラ用の復活アイテムだ

知らないわよ。あたしにそれ言わないで

  ほんとに大丈夫か、その話? 
  俺的にはぜんぜんこれっぽっちも信じられねー。
  まあ百万歩譲って
  NPCが復活したとして、

それあんた譲りすぎ 

  おい、しょうもないツッコミ入れるな。
  時間もったいない

あんたもいちいち反応しなくていいから

  で、
  けっきょくそのNPCが復活したら、
  それで世界も大丈夫? 
  めでたくリアル世界も復旧? 
  そういう話?

そうそう。
そういう話、そういう話

  けどそれ、さすがに世界、ナメすぎじゃねーのかそれ。
  そんなしょぼいゲームのなにかで救われる世界ってなんだよ? 
  そんな適当な作りなのかよここって?

知らないわ。 
たぶんけっこう適当なんでしょ


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「いちおう、伝えるだけは伝えた」

 あたしは疲れてバタッと倒れた。冷たいビルの屋上。ひやっこいタイルの上。
「カトルレナの方は、ライブチャットつながらなかった。たぶん今もう寝てると思う」
「ライブチャット? それはどのようなものですか?」
「その説明はめんどくさいから省略。」
 倒れたままで、あたしは適当に息を吐く。
「とりあえずカトルレナのメッセージログに、書くことだけは書いといた。世界が消える話とか。復活アイテムのこととか。あとなに、パレムの泉? すごくざっくりだけど。あとでたぶん、むこうがダイブするタイミングで読んでくれるだろうとは思う」
「つまり、情報は伝達されたということですね?」
「そゆこと。信じてくれるかどうかは、あくまであっち次第だけど」
 あたしは大きくあくびする。眠い。寒い。冷たい。
「ね、あたしそろそろ戻りたいんだけど?」
「戻る?」
 ちびっこい方の子が、可愛らしげに首をかしげた。 
「それはつまり、今からまたどこかに移動するということですか?」
「そうよ。家よ家。おうち。さっさと家に帰りたい。そこでぐっすり眠りたい。寝たら、ちょっとは頭すっきりすると思う。今のこんな状態だと、とてもじゃないけどムリ。またダイブしてゲームイベント行くとか―― そんな余力ない。本気で倒れる」
「カナナが今そこに倒れているのは、それは本気ではないのですか?」
「違う。こんなの倒れてるうちに入らない。倒れるっていうのは、もっと本気でバタッと倒れるやつ。むちゃくちゃもっと本気で倒れる」
 自分でも言ってること、わけわかんない。まあでもいいよ、今はなんでも――

「ヨルド様。ここはひとつ、休養させるしかないようですね」
 赤髪少女がさらっと言い放つ。斜め上からこっちを見ながら。む。休養させるとか、すごい偉そうなんだけど――
「そのようですね―― 時間が惜しいところだけど――」
「ねえ、もういいから、とにかく家に帰して」

「残念ながらムリですねそれは」

「ムリ? なんで?」
 あたしはとびおきた。
 そこに立ってるダグっていう子は、なんだかとっても無表情。グネグネしたヘビのデザインの杖を左手に持って、なんだか壁紙でも眺めるみたいにこっちを見てる。
「なぜなら、あそこはもう安全ではありませんから」
 平板な声でダグが言う。売上伝票でも読み上げるみたいに。
「おそらくサクルタスは、カナナ様の住居の位置をすでに把握しています。その可能性は99.996%。今からそこに移動することは、わざわざ攻撃を受けに行くようなもの。賢明な行動とは思えません。もちろんわたくしも、もともとカナナ様ががそれほど賢明な方でないことはすでに理解していますが――」
「あ。またそれ、あたしをバカにして」

「ダグの言う通りですよカナナ」
 ヨルドがむこうから言った。そっちはダグよりほんのちょっとはフレンドリーな声で―― 屋上の端っこ、落ちるか落ちないかのギリギリの位置。まったく高さを気にしない様子でまっすぐそこに立ってる。夜明けの風がふわっと吹いて、まっくろ黒のコートの裾が揺れ、長い長いムラサキの髪も同時にぶわっと横に揺れた。
「いまそこに戻るのは危険です。賛成できません。眠るなら、どこか別の場所を選びましょう」
「選ぶ? 選ぶってどこを?」
「いくつか選択肢がありますが、」


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「え? え? え? う、う、う、うあああああああ!!!!!」

 いきなり誰かが叫んでる。完全パニックになって取り乱してる。 
 
 目を開けたらいきなり知らない場所だったからあたしもびっくりした。
 カップ麺の空。カップ麺の空。カップ麺の空。
 あとペットボトル。これも大量。あとは白のビニール袋。コンビニとかで普通にもらえるいちばんショボいやつ。あとほかにレトルトカレーのパック。そのほか白いトレーとか。あとほか大量の衣類。ティッシュの箱と多数のガラクタ。
「ちょっとあんた! 何なのよここ! 全然まちがった家じゃない!」
 あとから転移してきたダグの腕をひっつかんで、あたしは全力で怒鳴った。
「どっかのゴミ屋敷じゃないここ! 住人のヒト、すごく怖がってるし!」 
「いえ、とくに間違ってはいないと思います」
 最低限の動作であたしの腕をふるほどき、ダグがドライに言った。
「座標はたしかにここです。ここが目的の場所で間違いありません」
「でもこれ何? ぜんぜんカトルレナの家じゃなくない?」
「もう少し正統的な日本語で言って頂かないと聞き取りにくいです」
「ぜんぜんここ、カトルレナの家じゃないだろって言ってるの!」
「カナナ様が事前にどのような想定をなさっていたのかは知りませんが、」
「とにかくここじゃないわ! ぜったいここじゃないって!」
「少し落ちついてカナナ。あまり大声を出さないで」
 最後に転移してきたヨルドが、うしろからあたしの肩をゆすった。
「まだ未明ですよ。大きい声は近所に聞えます。そうでなくてもあちらの方が、すごく怖がっていらっしゃるし――」


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「えーっと、あの、ここってその、ほんとにあの、カトルレナのおうちってことで、その、ほんとによかったの、かな?」

「う、うう―― し、しら…ない。しらない。そんな名前、ぜんぜん、わた、わた、わたしは、知らな――」
 毛布の下でブルブル震えてるそのヒトは、 
 だけどたしかに、いつものききなれたゲームの中のカトルレナの声に、やっぱりだいぶ似てる感じはして。
「ひょっとしてひょっとして。ほんとにほんとにカトルレナ、なの?」
「ちが、ちがう! ちがいます…」毛布が即座に反応した。「しらない! し、しらないです! わた、わたし、やってませんから! そ、そん、そんな、フルダイブ・ゲームとか、そういうの、ぜったいに。」
「…でもでも、声のトーン、いっしょじゃない? その声に、エフェクトちょっとかけたらまるっきり――」
「ちちち、ちが、ちが――」
「…あ、でも最初にごめん。まずはお詫びね。いきなり来ちゃった。あたしカナカナーナ。って、もうとっくに声でたぶんバレてる? よね?」
「し、しらない! そんなヒト、ぜんぜん、知らないですから! わ、わた、わた、わたし、あなたのことも、そんなゲームとか、ぜんぜん、何も、しら、しらない――」


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「いやー。びっくりしたよ~。だって、コンピューター関係の会社員って言ってたからさー、」

「………。。」
「あの、ごめんね。あたしもほんと、こんな急に連絡なしで来ちゃう予定じゃなかったってわけで―― ほんとに事故みたいなもので――」
「………。。」
「あの~、もしもし、カトルレナ?」
「………。。」
「ね、よかったら、ちょっと掃除とかそういうの、手伝おうか?」
「………。。」
「けどこれ、買い物とかって、どうやってるの? 誰かほか、家族いたりする?」
「……いない。……でも大丈夫。通販。宅配。」
「あー。そうかそうか~ その手があったんだね~ 便利な世の中だね~ここってば」
「………。。」
「あの~、カトルレナ?」
「………。。」
「もしもーし?」
「………。。」


「ん~、だけどすごいね! 機材はすんごいの揃えてるんだここ」

 あたしは素直に感心して言った。ゴミの山の奥の奥、ゴミに埋もれたもうひとつの部屋。そのゴミ部屋のさらに奥。そこだけまるで別世界。

 DGA。
 通称ディーガって呼ばれてる没入型ゲーム機材。場所もとるし機材もむちゃくちゃ高価だから普通の家には普通は置いてない。というか、買えない。それが何と、この家には―― 
「おー。こんな高いヤツつかってたんだ~。ゆとりの自宅ダイブってやつか~。やっぱ違うね~社会人ってやつは~」
 この頃にはあたしもだいぶ開き直った。ぜんぜん空気読めないヤツのふりして(事実そうなのかも)、ダイブスペースのまわりを勝手に物色。

「あれ? これって、リアルなカトルレナの写真?」
 空のダンボールの山に埋もれるようにして、そのフォトフレームは落ちていた。
 写真の女性は、かるくウェーブのかかった長い髪を自然に流し、水色の上品なワンピースを着てる。うん。美人さんだ。あたしが声から何となく想像してたカトルレナのリアルイメージにすごく近い。写真の場所は、どこか見晴らしの良い高台。季節はたぶん夏。背景には青い海。そして空には白い雲。
「ほうほう? なにげに綺麗なとこだね~。これっていつの写真?」
 女性とならんで、そこはかとなく知的な眼鏡をかけたシックなジャケットの男性。さらにその足もと、すごくかわいげなちびっこ女子がひとり――
「ぽお~ すごいイケメンだね~。誰々? ひょっとして旦那さん? え、けどさっきたしか家族いないって言ってたよね? 何々? あ、ってことは――」

「さ、さわるな!」

 いきなり体当たりがきた。。あたしはふっとんでゴミの山のまんなかにダイブ。もくもくほこりが立つ。あたしはなんとか立ちあがり―― ゲホゲホッ!  
「げほっ。って、ご、ごめんね~カトルレナ。なんか勝手にさわっちゃって―― でもなにも写真ひとつでそこまで怒らなくても」
 言いかけて、口をつぐんだ。
 そこにいま、カトルレナ本人がいたから。
 長くのびたぼさぼさの髪。(たぶん)何週間も洗わずに着続けてる色あせたパジャマ。
 リアル・カトルレナは、こっちに背中をむけてうずくまり、
 その、さっきのフォトフレームを固く両手で抱きしめるみたいに持って。

 泣いてる。

 ぶるぶる、ぶるぶる、小さな子どもみたいに震えて。
 そんな寂しいうしろ姿を見てると、さすがのあたしも―― 

「これは何? 人間用の食品?」

「はい、おそらく」ダグがクールに対応する。「外部包装の材質から、加熱調理を要する半流動食の一種だろうと推察されます。そしてこれはすでに開封して中身を摂取したあとの残骸かと」
「とても興味深いわね。なかなか良い香りがする」
「こらそこっ! 残飯をあさるなっ!」
 あたしは全力でつっこんだ。けど、ヨルドっていう悪魔少女は全然こっちの話はきいてない。またすぐ別のゴミを嬉しそうに手にとってる。
「ふむ、いろいろ面白いものを作るのですね、この世界の人間は。事前情報としては知っていましたが、実地で本物の品物を見るのは貴重な体験です。この世界の平均的家屋の内部をじっさい見るのは初めてです。これも貴重な――」
「…って、ここ、ゴミ屋敷だから! ぜんぜん平均的家屋じゃないから!」
「ではこれは? これも食品?」
「いえ。そちらは食品用とではないと思われます。わたくしの物品アーカイブに参照すれば、それは一般に生理用品と呼ばれるもので、」
「…ってこら! あんたら勝手に女性の部屋をあさるな! めちゃくちゃ侵害してるだろプライバシー! ほらほら、さっさとそこ、そのソフィーサラから手を放せ!」


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「だいたいの内容はわかった、と思います」
 話の最後に彼女は言った。毛布の下から、ぜんぜん顔をこっちに見せないで。
「けど、でもなぜ、わたしたちなんですか? ほかの誰かじゃ、ダメなんですか? もっとほかに適任者がいるはずです。世界を護るとか―― そんな大それた仕事を、わたし、やれる立場にあるとは、ぜんぜん思えない」
「それそれ! それ、あたしもすごい思ってたの!」あたしは思わず大賛成。「そもそも、なんであたしたちなの? そりゃ、あたしがお金に目がくらんでその大事な何とかを壊してしまったのは悪かったと思う。たしかに怒られてもしょうがない。けど、それ、その何とかっていう復活アイテムは、べつに他の誰が取りに行ってもいいわけじゃない? 罰ゲームみたいにムリしてあたしらが行くとかじゃなく、もっとちゃんとした、日本最強パーティーみたいな人らに行ってもらえば――」
「それができるなら、わたくしどもも楽に仕事を終えられるでしょう。とてもありがたい話だとは思うのですが、」
 むこうからヨルドが―― 部屋のどこかから発掘してきたクマちゃん人形を大事そうに抱きながらヨルドが―― って、けど、おい、いまこれ、世界が終わるとかそういう話してるんだろ? ぬいぐるみとか、とりあえず下に置いとけ。。
「事実上それは不可能です、技術的にも、時間的にも」
「なんでムリ? ちゃんと説明してくれなきゃわかんないよ!」

「理由は簡単。ゲームレコードです」
 ダグが話にわりこんだ。
「わたくしが昨日採取したゲームレコードによれば―― 『緑の姫君』を最終的に消滅させたプレイヤーは、『ゲーム名:カナカナーナ』。火炎魔法ファイアブレスの連発によって、いちばん最後にダメージを負わせてNPCを消し去った――」
「げっ。でも待って待って待って! え、だって、あのときはアルウルもカトルレナも一緒に同時に攻撃してたわけで」
「わずかな時間差ですが、記録上はあなた様が実行者です」
 ダグが言葉を読み上げた。まるで死刑宣告する裁判官みたいに。
「最終的に時空核を損壊させたのは、カナカナーナこと、カナクラカナナ様。あなたに他なりません。ゲームレコードにしっかりとそう刻まれている以上、その事実はもう今からは改変できない厳正な歴史的事実です」
「な、なによそれ、歴史とか…」
「もし仮にカナナ様のおっしゃる日本最強パーティーがイベントに参加するとして、」ダグが、何か変な形の電子ブックみたいのをどこからか出してきて、それにちらっと目を落とした。「人材募集・リクルートに要する時間浪費はひとまずすべて無視するという条件のもと―― すべてが迅速に滞りなく運んで彼らがスペシャルステージの最終地点・パレムの泉において復活アイテム『命の水』を入手したとします。これはあくまで非常に安直で極端な仮定ですが」
「に、日本最強なんでしょ? それくらい普通に――」
「さて、話を続けます。では、その『命の水』を誰に使うのか? もちろん明白です。『緑の姫君』です。それはそうなのですが――」ダグがいちど言葉を切った。「その選択肢が、きちんとそのときそこに表示されるのか? というひとつの問題が残っています。結論から申し上げますと、表示されません。日本最強パーティがどこをどう操作しても―― その選択肢は絶対にその時点で現れません」
「え? なんで? 普通に出るでしょ?」
「出ません」
「出るってば」

「いいえ、出ません。なぜならアイテム使用時に『緑の姫君』の選択肢がじっさい表示される可能性があるのは―― これ自体も、あまり大きな可能性ではなく、ひとつの賭けのようなものなのですが―― 事実上、カナナ様。あなたのゲームキャラクターのみ。それ以外の可能性はありません」
「え、なんでなんで? そこのとこの意味、ぜんぜんわかんないんだってば!」
「これだけ言っても、まだわからないのですか?」
 ものすごいバカを見る目でダグがこっち見た。さっきからもうとっくに冷たかった視線の温度が、さらに何度か下にさがる。

「――つまりあれか。カナナの個人レコードにしか記録がないってことか―― なるほどね。話の筋としてはだいたいわかった」

 毛布の下から、カトルレナ―― リアルの本名は何さんだか、ぜんぜんまだ知らないけれど―― とにかく彼女が、気弱に会話に加わった。
「たしかにそっちのヒトの言う通り、普通のモンスター戦でも、ターゲットして攻撃しただけでは記録にはならないよね。最後に倒して、初めてレコードに記録が残る」
「え? 何? それがさっきの話とどうつながるの?」
「だからつまり――」毛布の下で、女性が気弱に言葉を選ぶ。「あの『緑の姫君』っていうNPCにつながる記録がちょっとでも残ってるのは、たぶんカナナのキャラデータだけだろうってこと。ほかにはたぶん、どこにも残ってないんでしょう。とっかかりになる記録情報がなければ、そのNPCを選ぶもなにも―― そもそも選択すること自体が不可能だろうし」
「そういうことです。こちらの方は理解が早くて助かりますね」
 ダグが嫌味っぽく、ちらっとあたしを見た。ふん、悪かったわね、理解が早くなくて。
「ご存じのように、『命の水』を含めて、ゲーム『アッフルガルド』のスペシャルイベントで得られるプレミアアイテムは―― 基本的にすべて、譲渡も売買も不可。実際にそれを入手したイベント参加者のみが使える仕様となっています。ですから、直接イベントに参加してそれを直接入手する以外、カナナ様が『命の水』を手に入れる方法がありません。それこそが、カナナ様がいまからスペシャルイベントに絶対に参加しなければならない、その明確な理由です。おわかりいただけましたか?」
「じゃ、厳密に言えば、別にわたしは行かなくてもいいってことだよね…?」
「あ! こらそこ! なにそこパーティリーダーがいきなり逃げてんの!」
「…冗談です。ちょっと言ってみただけ」
「嘘、嘘! ぜんぜん冗談っぽくなかったよ!」


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「いまからお二人にはダイブに備えて休んでいただくとして、」
消える間際にヨルドが言った。なにげにしっかり、クマちゃん人形を両手で抱いて。
「お二人が目覚めて準備ができたころあいに、またここに参ります。おそらくこちらの時間で六~七時間後になるかと思います」
「もし仮に我々の到着が想定よりもおそくなる場合――」ダグがそのあとを続ける。「そのときは先にお二人で行動をすすめてください。ダイブし、すみやかにスペシャルイベントステージの入り口までの移動を。そしてその場合には、わたくしども悪魔は『アッフルガルド』のどこかの地点より途中参加させて頂きます。そこでのお二人のガイドおよび警護役ということで」
 そこまで言って、いきなりシュッと消えてしまった。
 何の視覚エフェクトも効果音もなく。

「あの、ごめんねカトルレナ… なんかいきなり押しかけちゃって」
 毛布を鼻の上まで引き上げて、あたしはボソッとつぶやいた。
 しばらく返事はなかった。ぜんぜん声が届いてないのかな? と思ってもういっかい言おうとしたとき、むこうから声がかえってきた。ちょっぴり弱弱しい声で。
「…いい。なんだかほんとに非常事態なんだっていうことはわかった」
「ごめん。なんか、変なのにつきあわせちゃって。すごい迷惑かけちゃってる」
「…いい。だってあれは、カナナひとりがやったことじゃなく、みんなその場で一緒にやったことだから――」
 はだいぶ、弱ってはいるけど―― でもそれはなんかいつもの、ゲームで話すときの彼女の声みたいに聞こえた。なんとなくあたしはちょっと安心した。

「今ここで何もせずにほっといたら、けっきょく世界はダメなんでしょ? だったら行くしかないよね。カナカナとわたしと―― あと、できたら、アルウルも一緒に」
「来るかな、あいつ? なんかひとりで逃げそうだけど?」
「ま、とにかく眠って、すべてはそのあとだね。わたしも眠い。まずは眠って―― 起きたら、ひとまず二人でダイブして――」
 しばらくして、すーすーいう寝息があっちから聞こえてきた。起こすのも悪いから、あたしもそのあとは何も言わなかった。
 すごくすごく疲れてたわりに意外になぜだか寝つけなかった。なにげにゴミの中にまじってるクリームシチューみたいな匂いが気になって―― けど―― そのうち意識がどこかに飛んで、あたしは深い眠りの中に知らずに入ってた。すごく苦しい長い夢をたくさん見た気がする。だけど記憶にぜんぜん残らなかった。とにかくたくさんの変てこな夢の中を、あたしは飛んで――

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