先行投資

槇村香月

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先行投資・俺だけの人。

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―サイド・蒼真。


 人っていうのは、たった一人きりで、誰かに変われるものでもないし、代わりなんていやしない。
人間はたった一人。
他の誰にも、その誰かの人生の代わりになんてなれない。

だからこそ、人間は人間を慈しむし、時に、恨んだり憎んだりする。


たった、一人だからこそ、尊く、そして、儚い。

強いけれど、その命は実に消える事もある。

その、尊い人間の命を守りたいから、医者になった。

全てはそこから、だ。
医者になろうとしたのは、誰かを掬いたかったからだった。


〝もしも、この命でお前が助かるのなら、喜んでお前に俺の命をあげよう〟
〝もしも、お前が笑ってくれるなら、俺は一生幸せでいると、そう思える〟
〝お前の命が終わっても、お前は俺の世界で一生生き続ける〟

だから…、生きてほしい。お前が、好きだった。
誰よりも。誰よりも、好きだった。
幹久。誰よりも俺の傍にいた人。
俺の幼馴染であり、今は亡き人。

『死ぬなよ、幹久、絶対に、死ぬな。お前が死んだら…』
『馬鹿だね、蒼真。お前って、ほんと、馬鹿だ』

あいつを、忘れない。
あいつを、一生忘れない。
誰と恋をしても、一生。

『お前は幸せにおなり。これから、もっと、もっと。僕を好きだったことなんか、忘れて。たくさん、たくさん恋をしてよ。それでさ、沢山沢山、幸せになりな。
誰かが傷ついていたら、その分、お前は、助けてやりな。出来るだろう?』

あいつの言葉を、一生…。

『蒼真は、僕の星なんだから…僕のぶんまで、輝いて、自分に自信をもって、生きなきゃ、駄目だよ』

『愛しているよ、蒼真。だから、他の誰かと恋に落ちて。幸せに、なりなさい。
誰よりも、幸せにいきなさい。僕のぶんも、僕が生きるぶん、君が生きるんだよ』

―幹久。
俺の、初めて愛した、人。
初めて、心奪われた人。


「くそ…、」

ハンドルをさばく手が、どうしても乱暴になる。
久しぶりにみた夢のせいだった。

もう何年もあの夢は見ていなかったのに。
あいつの事も、こんな鮮明に思い出すことなかったのに。
なのに…。

『いつきが、好きなんだ…私は…私は、樹が…』
『そう…ま…ああっ、』

これも、それも公久のせいだ。幹久に似た、公久。

公久が、俺の中に住み着いてしまったから。こんなにも、心乱れてしまう。
こんなにも、心が乱されて、平常ではいられない。
崩されてしまう、余裕がある、〝俺〟が。


《後藤蒼真》という人間が…
公久は、俺よりも年下の、幹久に似た、気の強い美人のせいだった。
気の強いわりに、変なところで、小心者で傷つきやすくて。

最初は、似た容姿と名前だと思っただけだった。
あいつと…幹久と同じ綺麗な容姿だけだと。
あまりに男にしては綺麗な、儚い容姿だったから、ちょっとしたおつまみ程度の戯れとして付き合っていた…


ただの、お遊び。綺麗な顔しているから、啼かせたくなった。
それだけだったのに。


いったい、いつからだろう。
公久の事が、気になって仕方がなくなったのは。
公久に幹久の影を重ねて、愛しく思い始めたのは。
公久自身を、可愛いと思ったのは。恋愛なんてしないと思った俺が、公久を見てしまったのは。

自分を見ていない、公久を好きになったのは、いつのことだろう。

息子であるらしい、恋人を好きになった公久。
恋人の事が不安で、でも、自分に自信が持てない公久。

なんで、公久の恋人は、公久を不安にさせるんだろう。
公久は、生きているのに。生きて、付き合ってくれているのに。

あんなに思っているのに。

何故、俺は見てくれない?
その瞳に俺は映らない?

いつしか、俺の恋心は、公久を切望し、手に入れたいと望んだ。
あったばかりなのに、日に日に感情は大きくなるばかり。

どうして、あんなに気になる?
どうして、公久を見テイタイ?

答えなんかでない。
ただ、彼の事が気になって仕方がなかった。
俺らしくない。こんな余裕がないのなんて…幹久との恋以来だった。


どうして、俺は、見てくれない?

シアワセニ、シテアゲルノニ。

シアワセニ、ナルノニ


俺だったら、あんな不安公久にさせない自信があった。
それこそ、公久が不安に思う暇もないくらい、愛する自信がある。

それだけの人生の年数を重ねたつもりだ。


幹久が死んで、十年と、少し。
ずっとずっと、望んでいた。


また恋が出来る相手を。
その反面、もう、無理だと感じていた。
俺には、幹久の影が強く残り過ぎていたから。


どんな相手も、欲しくない。
恋はしたいけど、でも違うと、この恋は違うといって、恋することを拒絶する自分もいる。

からかうおままごとみたいな恋愛しか、できない。

公久に会うまで、俺は、恋をしたいと願いながら、幹久を想い続けていた。


だけど…


「公久、」

まだ、会って数週間もたっていないのに…

 
どうして、こうも気になる。どうして、こんなにあいつの顔がみたいんだろう。

幹久との話を誰かにしたのも、公久が初めてだった。
どうして、公久は、俺の心をこうも動かすんだろう…。

数日前、公久へ電話をした。
あれは…ちょうど、学会にいった日の休憩中だったか。
何故だか急に公久の声が聴きたくなり、衝動的に電話をしてしまった。
その電話は俺らしくもなく、動揺し、わけもなく緊張してしまっていた。
思春期の中学生か、と、内心自分の動揺に苦笑した程。

あの時の、電話。初めての、公久への電話。


『そう…ま…、』

あの時、公久と話している最中突然公久の声が消えた。
かと思ったら、次の瞬間、なまめかしい公久の声が聞こえた。

必死に声を殺そうとしているのに、漏れている喘声。

情事を髣髴させる、甘い声。

不覚にも、その声に、俺の半身は熱く擡げた。
そして、ああ、彼氏が嫉妬して俺に聞かせたんだ、とどこか冷静に分析している自分もいた。



俺が公久を奪おうとしていることに、気づいたのだろうか。

そいつは、延々と、公久のあの時の声を俺に聞かせた。

俺も俺で、その電話を切れなかった。
切らなくてはいけない。公久は、きっとこんな風に聞かれるのを望んでない。
頭ではそうわかっていたのに、理性が負けた。
気が付けば息を殺して、電話に耳をあてていた。

ただ公久の喘ぎ声しか聞こえなかったけど、その喘ぎの激しさから、公久の相手がよほど俺に見せつけたいのか牽制したいのか、執着が見え隠れしていた。


―どれほど、見えないその情事が続いただろうか。

『公久さんは、俺のものだ』

そういって、散々つながっていた電話は切れた。

若い男の声だった。それも静かな怒りが混じった…。

あれが、公久の言っていた、子供であり、恋人だったんだろうか。

随分、独占欲ありそうで、また、子供のようでもあった。

わざわざ電話で牽制するなんて、よほど公久が好きなのだろう。

電話をした俺にでも妬いたか…?

でも…妬くほど好きならば、何故あんなに公久は不安になっていたのだろう。
あんなに独占欲が強そうな彼氏なのに。ただ執着が強いだけの彼氏なのか…?


何故、年下の独占欲強そうな彼氏は、濡れ場を聞かせるくらい公久が好きなら、その感情を公久に見せてあげないのだろうか…。
俺に牽制する暇があったら、もっと愛せばいいものの。

子供だからか…?
意地になって、大好きなおもちゃを取られまいとしているだけなのか?
公久の彼氏にとって、公久はどんな存在なのだろうか。


 あの電話の後、公久との電話は通じなくなった。
 なにかあったのだろうか。

本当はすぐにでも、様子を見に行きたかったのだが、そんな時に限って親父が学会やらで、しかも急患が入り、とてもじゃないが、いける雰囲気ではなかった。

なにが、あった?何故、連絡がこない?
連絡がこないということは、仲直りをしたのか?


電話がかかってから、早三日。

ようやく、仕事が一段落した為、顔見世もかねて、公久の家に尋ねる時間が出来た。

あれから、連絡は取れないが、どうなっただろう。
公久は元気だろうか。あんな後だから、少し気まずいが、気にもなる。


 処方された薬はそろそろ切れてしまうはずだった。
実際、公久の体調はあまりよくない筈だ。
ストレス性からくる、胃痛や、腹痛、そのほか諸々…、本人はただでさえ、線が細くめったに家も出ていないようなので、色々と病気にかかっているようだった。


一定の限度を超えれば、倒れることは見えている。
はやる気持ちを、なんとか留めて、アクセルを踏んだ。
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