先行投資

槇村香月

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先行投資・俺だけの人。

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*
私はずるい。そう、ずるいんだ。
人魚姫じゃないのに…ちゃんと声もあるのに、樹の愛情を疑い、離れようとしている…。
進藤君みたいに縋ればよかったのか。離れたくないといえば…。

いや、いつかこんな日がきていた気がする。
だって、私と樹は違う。
樹はなんでも持っているけれど…私は何も持っていない。
樹は沢山の人に好かれているけれど…私は一人だ。

そんな私が樹を縛れるはずがない。
私が消えても…樹の中ではさほど、私の価値なんか…ないんだ。
そうだろう?

私と進藤君だったら…樹は進藤君を選ぶんだろう?
言い争いで、進藤君をかばったように…。
樹は私と違って、持つべきものが多すぎる。
私だけ見ていろ、とは言えない。

だから私は樹の選択に従う事しか出来ない。


 進藤君がいなくなった後、私はそのまましばらくぼんやりとしていた。
そして、夕方、買い物にいき、ケーキと樹が好きなハンバーグやチキンを買った。

樹は帰ってこないかもしれない。
でも…一緒に誕生日やろう、といっていた。
だから…。

「誕生日の日から始めよう…誕生日、二人で過ごすんだ。お互いのこと話し合って…。
そしたら…こんなごたごた…もう終わるんだろう…いつもどおりの私と樹になるんだろう…」

呟いた言葉は、生ぬるい風とともに消えて行った。

家に帰り、一人で何時間も料理を作った。2人で食べきれないほどのごちそう。
作っている間は楽しかった。樹はどんな顔してこれを食べるんだろう、だとか想像できたから。楽しい想像だけができた。
まるで取りつかれたように、何時間も料理を作っていく。
食べきれないほどのご馳走を全て並べ終わったとき、時刻は既に11時半になっていた。

樹は帰ってくるだろうか。もし、帰ってきたら…私を許してくれるだろうか。
進藤君の関係を…教えてくれるだろうか…。

「大丈夫だよな…樹…」
笑おうと思ったのに…それは失敗して、変な顔になってしまった。


55分、56分。
一分一秒が妙に長く感じる。

58…59…。
00.
6月20日。

「おめでとう…樹…」

…結局、
樹は帰ってこなかった。


目の前のごちそうを前に…私は少し泣いた。


*
日が昇る。あまり眠れなかった。樹がいつ帰ってくるかわからなかったから…。
帰ったら、おめでとう、って言いたかったから。
でも、結局、朝の10時になっても樹は帰ってこなかった。

6月20日。
何週間か前は、二人で過ごそうと話していたのに。
今家にいるのは、私一人だ。

樹は、誕生日一緒にいる相手を進藤君に決めたのだろうか。
そうだよな…、わたしよりも樹には進藤君が似合っている。
私なんかよりも…。

それに、私が浮気したと聞かされた樹に…今更どんな顔を見せればいいのかわからない。

軽蔑する?それとも、怒る?それともなんともない顔して笑う?

樹の反応がたまらなく、怖かった。

 一人でいると、樹のことばかり考えてしまう。
広い部屋に一人いると、どうしても、進藤君と樹の仲睦まじい想像が頭を過ぎる。
どうして、樹をひとり占めできないんだろう。どうして、こんなに独占したいんだろう。

怖い。酷く自分が嫌な人間になっているようで怖かった。

一人でいたくなかった私は、助けを求めるかのように蒼真に電話した。
キスしたときは、絶対許すものかと思っていたのに…。

それでも、一人で解決できない私は、蒼真を頼ってしまう。
卑怯者な私。
蒼真に、今日は一人でいたくないといえば、蒼真も丁度休みだったらしく、今から会おうと誘ってきた。
多分、沈んだ声をしていたのに、何も聞かないのは…蒼真なりの優しさなのだろう。


待ち合わせの喫茶店。蒼真は待ち合わせ時刻よりも数分遅れて、姿を現した。


「蒼真…、あのな…、樹を、取られたみたいなんだ…」
「とられた…?」
「ああ。モノみたいな言い方したくないんだけど…な…。」

あの時のキスが見られたこと、樹が出て行ったこと、進藤君がきたこと、私は包み隠さず蒼真にいった。蒼真は静かに聞いていたが、話が終わった途端、ごめん、と謝ってきた。

「蒼真…」
「俺がキスしちまったからだな…わりぃ…」
「…蒼真…、」

頭を下げて、ごめん、と言い続ける蒼真。
不思議と、あんなに怒っていたのが嘘のように今は怒りはない。
それに…


「いいんだ…もう…。私も悪かったし。それで、樹が私を浮気だと怒ろうが…何しようが…。もう…いいんだ」
「…いい…?」
「私は、樹の選択に従うだけだから。もういいんだよ…」
「公久…」

蒼真は、眉を寄せて、痛々しく私を見る。
そんな顔しなくてもいいのに。

「いいのか…それじゃあ、お前の意思は…、お前は、このままでいいのか…?」
「いいんだ…私には…負い目があるから…。樹の人生を…男を好きにならせてしまったのは、私の責任だから。小さい子供に、抱かないと世話をしない、と脅したのは私だ。これは当然の終わりなんだ。私と樹の…」

もしも、もっと普通な出会いをしていたら。
普通に樹に出会い、普通に恋をしていたら。

こんな風には、考えなかっただろうか。
もっと、普通の恋愛が出来たのだろうか。

樹と…あんな始まりをしなければ。

「私は…ただ、樹の幸せを祈るよ。それが、悪い大人の…親である私の願いだ」

彼女が…、と、言っていた樹。
私がいなくなれば…その願いもかなえられるだろう。
私さえ、いなくなれば…。

蒼真は痛々しい顔で私を見ていたが、話が終わると、ふっと笑いかけて、私の頭を撫でてくれた。

「公久…ああ、もう、お前ってほんと…馬鹿」
「知ってる…」
「でも、俺はそんなバカなお前が好きだぜ…」
「…」
「『知ってる』、だろ…」
「蒼真…」

ふっと顔をあげ蒼真を見つめる。
蒼真は優しいまなざしで、私を見つめていた。
そんな目で、見ないでほしい。
進藤君みたいな軽蔑した瞳で見てほしい。
そうじゃなきゃ…泣いてしまいそうになるから。
縋ってしまいたくなるから。


「蒼真」
「ああ、今日は失恋デートでもするか!な?」
「え…?そう…」

そうま、と口にする前に、蒼真は私の手を引いて、席を立つ。

「蒼真ったら…!」
「あ、これで…」

会計も一万円札を出して、さっさと私の分まで払う始末。もう…。
こいつは本当に…自分勝手というかなんというか…。

悩む暇さえも与えてくれない。


「行こうぜ」
にっと笑いかける蒼真。
樹の誕生日なのに…蒼真と出かける…
なんだろう、こんな誕生日初めてだ。
樹は、どうしているんだろう…。

私は樹のことをふと考えながら、蒼真の後を追いかけた。

蒼真とのデートはいつも私の予想を超えるものだ。
まず、最初に連れて行かれたのは、美容院だった。
失恋したならすっきりしなきゃ…と、言われ、何故か髪を切ることになったのだ。

そういえば、随分髪も切っていなかった。前髪も長くやぼったく見えるだろう。
最近外に出ていなかったから、外見には無頓着になっていた。

肩まである髪を1時間ほどかけて、ざっくりと切られる。ついでに…、と黒かった髪も、ほんの少し明るめに染められた。

仕上りに鏡を見せて貰ったが、いつも見る私の顔なのだが、私っぽくなくて、変な違和感を感じた。

「すっげぇ…いい感じじゃん。アイドルみたいだぜ」
「馬鹿」
「可愛い可愛い」
蒼真は出来上がりに満足し、可愛いを連発する。人前で可愛い可愛いをあまりに連呼するので気恥ずかしくなって、腹いせに何発か殴ってやった。

髪を切られた後は、近くの百貨店でウィンドショッピングを楽しんだ。
蒼真は何故か私の服を買おうと張り切っていたが、私はやんわりとそれを断った。

結局、買ったものといえば、樹の誕生日プレゼントに時計だけ。
後はただ見るだけだった。
その後、蒼真の家にいった。
蒼真の家はあまり私の家から離れていない。それに高級マンションなのだ。
やはり医者という職業は儲かるのだろうか。

それから私は他愛もない話を蒼真とし…
時間はあっという間に過ぎて、深夜の11時になっていた。

じっと、つい、蒼真の家の壁につけられた時計を睨む。
カチ、カチ、と動く秒針。もう1時間ほどで1日が終わろうとしていた。
1日が、終わる。樹の誕生日が終わるのだ。
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