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先行投資・俺だけの人。
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しおりを挟む好きだよ、と言って、笑い合っていた時が懐かしい。
出来るなら、樹と最初からやり直したい。
親だとか年齢だとか考えない、対等な人として、付き合いたい。
一人の人として、対等に、樹の傍にいたい。
でも…、想いとは裏腹に現実は上手くいかない。
時間がたつにすれて、少しずつ関係は可笑しくなっていく。
動いた歯車は、正しく回らない。
樹を見送った私は、そのまま洗い物をしたり洗濯物を干したり家事を行っていた。
仕事の方は、だいぶ片付いている。
絶好調、とまではいかないが、最低限のラインまでは達している。
絶好調にはなれないけれど、毎日それとなく過ごしている。
どこか、自分でも可笑しい事はわかっているのに。
でも自分でもどこを直したらいいかわからずにいる。
曖昧な症状。
医者も匙を投げてしまうような、不安定な病状。
多分、他人がどうにか出来る症状じゃない事くらいわかっている。
私が自分で、解決しないといけないことなど。
でも解決方法が自分じゃ見つけられない。
息抜きもかねて、溜まっていた家事をやる。掃除機をかけて、洗濯をして。
洗濯中、樹が出した洗濯物も一緒に洗ってやる。
出て行った10日間ほどの洗濯ものが、脱衣所にある籠に入れられていた。
ワイシャツやら、私が買ったこともないようなシャツが何枚も出てきた。
家出中、樹が買ったんだろうか。
衣服からは、また、何かの香りが漂っていた。香水のような…汗とは違う、香りだ。
進藤君と、同じ香りの。
「樹の…馬鹿…。もっと、わからないようにやってくれたっていいだろ…」
ぽい、っと、洗濯機にそのシャツを投げ捨てる。
浮気されている女って、こんな気分になるんだろうか。
苛々と、不信感でいっぱいになる。
どこか、樹の行動全てが進藤君につながっていく。
こんな私の態度に、樹は全く気付いていないのだろうか。
もう、樹の中で私はどうでもいい存在なのか?
気付いてほしい、でも気づいてほしくない。
矛盾ばかりだ。
私は、どうしたい?
樹と離れたい?
そう考えるのすら、最近は億劫でしていない。
最近の私は、どうも物事をきちんと考えられなくなっているから。
樹の事となると、感情的になってしまう。
私らしくなく、なってしまう。
なんなんだろうな、この症状は。
自分で自分が嫌になってしまう。
こんなに弱かっただろうか、私は。
洗濯機がピー、と音を鳴らしながら、洗濯を終えたことを告げる。
そのまま、いつものように洗濯機に駆け寄り…不意にくらり、とめまいが私を襲った。
「…っ、」
咄嗟に、洗濯機に寄り掛かる。視界に、青が広がる。
チカチカ、として、立っていられない。
なんだ…これは…。気持ち悪い。
駄目だ、身体が倒れる。
地面が、視界に近づいていく。
「いつき…」
咽かえる様な、激しい嘔吐感。ぐわんぐわん、と視界が歪む。
―気持ち悪い。気持ち悪い。
誰か、助けて…。
そう思った瞬間、私の視界はそこで暗転した。
「おい…」
肩を揺さぶられる。
誰かが、呼ぶ声。低くて、でも優しい、声。誰…_?
この優しい声は…。
樹?
違う、樹じゃない。
樹はこんな低い声じゃない。
これは…
誰だ。
「おい、ったく、無理しやがって。おい、戸塚さ…、公久」
私の身体を揺すりながら、名を呼ぶ、声。
公久、だなんて呼び捨てで呼ばれたのは久しぶりだ。
親以外そんな風に呼ばないから。
樹も、公久さん、だし。
名前で呼ぶような親しい友人などいなかったから。
誰、だろう。
こんな優しく私を呼ぶのは。
誰だ…?
わからない。
私を心配する人間なんて、いない…から。
誰も私のことなんか、気にしない。
私なんかどうだっていい存在だから。
…ずっと、一緒にいた樹でさえも。
もう…。
「おい、公久…たく、脈はあるし呼吸はある、顔色は悪いが…」
なん…だ…?声の主は私の顎に手をかけると、くっと上を向かせる。
「起きないとちゅーするぞ」
「ん、」
すれば、いいだろ。したいなら。
やけっぱちにそんな風に思う。
「本当にするからな、俺は」
サラリ、と顔に誰かの髪が当たった。
誰、なんだろう。でも億劫で目が明けられない。
キス、されてしまうのに。身体が起きそうにない。
それどころか、こんな優しい声の人ならばキスされてもいいか、なんて思う。
普段の私なら、そんな可笑しな事思わないのに。
こんな、誰ともわからない人間にキスなんかさせないのに。
樹とのことで、傷ついているのだろうか、私も。
「公久…、」
熱に浮かされたような、誰かの台詞。
ふに、と、何か温かなものが口を塞いだ。
軽い、触れるほどのキス。
樹の、キスじゃない。
違う人の…キス。
「んんっ…」
唇が覆われる。
何度も柔らかなそれは離れては、またくっついて、また離れていく。
繰り返される、淡い軽い、キス。
ちゅ、と音をたてて軽く下唇を噛まれる。
少し苦い煙草の味が、口の中に広がった。
苦い苦い、煙草の味。
樹とのキスではけしてしない、苦い、味。
樹ほど激しくはない、でも、手慣れたキスに翻弄され、全てが奪われそうになる。
何もかも、忘れそうになるくらい、気持ちのいいキスなのだ。
このキスを続けていたら樹のことも忘れてしまうだろうか…。
こんな、樹との事が不安だからって、私は簡単に他人にキスを許す人間だったか?
「ん…や…、」
意識がはっきりとし、軽く手足を突っぱね抵抗する。
「や…め…、ん、」
キスと共にそっと目を見開けば…そこには…
医者が、いた。
昨日も私に会いに来た…医者…後藤蒼真が…。
「やっぱり、お姫様はキスで覚ますのが一番だな」
いいながら医者は私の頬を一つ撫でる。
優しげな顔で微笑みを浮かべて。
どうして…医者が、ここに?
確か洗濯機の前にいたはずなのに…、私は今自室のベッドで横になっていた。
「な、なんで、お前が…」
「来ちゃ駄目だったか?」
「当たり前だ、どうして…この家が…
鍵は…」
家の場所を教えて、ないはずなのに…。
私の言葉に、医者はきょとん、と首を傾げマジマジと私を見据える。
「昨日、送ったじゃねェか。家まで。折角、俺がドライブに誘ったのに、途中で帰りやがって…
家はチャイム鳴らしたが、出ねえし、鍵かかってなかったから勝手に入った」
「あ…」
昨日。
そういえば、医者に車で送ってもらって…。
だからうちの場所を知っているのか。
でも、なんでわざわざ来たのか…
「でも、どうして、うちに…?今日は、病院は…?」
「あん?今日は午前中、俺は休診。親父が退院したからな。しばらく自由もきくの」
「そ、そうか…。その、退院おめでとう。お父さんによろしく」
「よろしく、ねぇ…」
「お、お前もいつまでもこんなところにいないで仕事の準備でもしろよ…」
そそくさと、そっぽを向き、医者との会話を終わらせる。
この医者は…苦手だ。
どうも、目の前にいると平然としていられない。
初対面の時にはあんなセクハラされたし…今は…キス、されたんだよな…。
樹じゃないのに…、キス…。
恋人でも、ないのに…。
罪悪感か、また胃がむかむかとこみ上げる。
キスしていいと、思ったのは他でもない私なのに。
そんな私の思惑に気付いたのか、医者は私の腕を取り、ベッドに乗り上げ私の身体を馬乗りになった。
「おい…?なにして…」
「ほっせぇな、腕…」
私の両手首を持ちながら、しみじみと零す医者。
長袖シャツから覗く、私の腕は医者の半分ほどの太さしかなかった。
「ちゃんと食ってんのか?それに、こんな暑い日に長袖暑くねぇ?」
「…外なんか、出ないから…うちの中だし、いいだろ。私の勝手だ」
「そりゃ勝手だが…。外そんな出ないの?」
「食事を買うくらいだ。後はネットでどうにでもなるし…。」
「不健全だねェ、病気になったらどうするのさ。それこそ、彼氏君が不安になっちゃうぜ…?」
へらり、とからかうように言う医者。私は医者をギロリと睨みつけたのち、視線を斜めへ落とした。心配、か。不意に、樹があの日出て行った日が過ぎる。
『俺が何しているかも知らないで、…俺が何を思っているかも知らないで…よくそんなこと言えるね…』
あの、突き放したような、言葉。いつもの樹とは、少し違った、あの顔。
怖かった、あの日の樹は私の知らない目をして。
私は樹が怖かった。
今の樹は、よくわからない。
樹はいつまでも変わらないと、思っていた。
いつまでも、私の傍にいると信じていた。
でも、それは、私の独りよがりな思いだったに過ぎない。
いつまでも樹は私と同じ思いな筈もないし、一緒にいてくれる保証だってない。
それどころか、樹ほどの人間ならば、誰だって隣にいたがる。
例えば進藤君とか、大学の子だって。
樹に合った子が、樹を欲しがるのだ。
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