先行投資

槇村香月

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先行投資・俺だけの人。

恋人じゃない、安らぎ

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いつものように、朝日が少し覗く時間に自然と目を覚ます。
多分時刻は5時を少し回ったところだろう。カーテンから覗く空は、まだ薄暗く鳥さえも鳴いていない。

そっと部屋から抜け出して、樹の部屋へ足を向ける。

極力、ドアの音を立てずに樹の部屋のドアを開けて、中を覗いた。


(いた…)
昨日までいなかった、ベッドに樹が気持ちよさそうに眠っている

昨日帰ってきたのを確かめるように、樹の寝姿を確認し安堵した。
すぅすぅ、とよだれを垂らして気持ちよさそうに眠る樹。
端正なその顔に涎、というのはどこかミスマッチだ。
疲れているのだろうか。
私は、そっと樹を起こさぬよう、部屋のドアを閉めた。


本日、6月11日。
樹の誕生日まで…あと9日。
誕生日になったら、色々話さなくてはいけない。今後のこと。
樹は私をどうしたいのか。私を切り捨てるのか。

もっともっと、大事な事を色々と話し合わなくてはいけない。


でも…誕生日がくるまでは…。
そのときまでは、まだ一緒にいたい。
諦めると決意しても…まだ、一緒に…いたい。
樹が私を望んでいなくても。

「樹…、お前を縛り付ける私は我儘だな…」

どこか寂しげな私の声は、すぐに空気へ混じって、消えた。
とんとん、と小気味いい音を立てて、きゅうりを包丁で切る。
このきゅうりは今日の朝食のサラダに入れる予定だ。
やはり、誰かの為に作る料理は一人の時よりも気合が入る。
ざっと皿に盛りつけをして、リビングへと運ぶ。
ふい、っと壁にかかった時計を見やると時刻は7時を過ぎていた。
そろそろ樹を起こした方がいいかもしれない。
そう思い、エプロンを外していると。

「おはよ、公久さん」

むぎゅ、っと背後から抱きつかれた。
シャツ越しに感じる、厚い胸板。
私をすっぽりと包めるほど成長した体躯に不覚にもどきりと、胸が跳ねる。


「公久さん、ぎゅー」
「こら、樹…」

茶化すようにそういって、樹は私の肩に回した腕を絞める。
細い私の身体は、簡単に樹の腕にすっぽりと収まってしまった。
昨日泣きそうだった樹はどこへいったのか。
今はまたいつものように、スキンシップ激しい、樹に戻っているようだ。

にこにこした樹を見ると、今までの家では本当にあったものなのか?と不思議に思う。

「公久さん~、公久さんだぁ」

くんくん、と私の肩口に顔を埋めて鼻をかぐ樹。
どこか、ぽけ~とした口調。
寝ぼけているのだろうか。樹は寝起きが悪いからな。

「早く顔洗ってこい」
「うん、」

私の言葉に、樹はダッシュで洗面所へ向かう。
パタパタと駆け出す姿は、主人の命令を忠実に守る、犬のようだ。

樹が犬なら耳を立てて、しっぽを振っているだろう。
私には今確実に、樹の犬耳としっぽが見えた気がする。


数分後、洗面所でちゃんと顔を洗ったらしい樹は、ついでに寝癖も直してきていた。
ふわ~、とあくびをひとつしながら、椅子につく。

「公久さん、洗ったよ」
「ん、ほら、ご飯だ」
「うん」

リビングのテーブルに並べられた朝食を見て目を輝かせる。
今日はサラダと、樹が好きなふわとろオムライスだ。
いつまでたっても、樹は子供っぽいオムライスが好きだった。

「オムライス!ね、ね。樹、ってケチャップでかいて」

それも、毎回、自分の名前をかけと要求してくる。
私は樹の要望通り、ケチャップで樹、とオムライスにかき、樹に皿を手渡した。
他人が見たら、「甘やかせすぎだ、」と言われるだろうか。


「ハートがない…」
「いいから黙って食べなさい」
「うん、」

大人しく、樹はスプーンを手に持ち、オムライスを外角から崩していく。
美味しい、と零しながら、オムライスを口に運んでいく樹。

その姿を見て、本当に樹が帰ってきたんだ、と実感する。
あっという間に樹は朝食を食べ終えて、ご馳走様、と手を合わせる。
そのタイミングに合わせるように、私は樹の前に食後のお茶を置いた。

「ね、公久さん。お願いが、あるんだ」

急に樹は真面目な顔になって、切り出す。

「なんだ…?」
「あのね、誕生日に…大事な話があるんだ。だから、その日は絶対家にいて」

誕生日に話。しかも大事な…。
誕生日に大事な話なんて。
別れ話…、か。
それしか考えられない私は、卑屈屋だろうか。

「わかった」
「絶対だよ、嘘ついたらハリセンボン飲ますからねっ」
「わかったって…ほら、あんまりしていると遅刻するぞ」
「…うん…」

促されて、樹はしぶしぶ席を立つ。

「公久さん!」
「ん…?」
「えっと…その、まだ具合、悪い?ちゅーしちゃ、駄目?」
「ん、駄目」

私じゃなくても、樹には進藤君がいるじゃないか。わざわざ私にキスなんかしなくたって。
樹がいくらキス魔でも、私だって、進藤君にキスした樹にあまりキスはしたくない。
キスしなければ、ずっと樹と一緒にいられる。

にっこりと笑って答えると、樹はがっくりと肩を落とした。

「ほら、っとに時間ないぞ、忘れ物はないな」
「…うん、」
「じゃっぁ、行く。ほら、いってらっしゃい」

がっくりと肩を落とす樹は、不意に私に手を伸ばし私にまた抱きつこうとしていた。
私はそれを何食わぬ顔でかわし、

「遅刻するぞ」
そういって、樹の手から逃げるように避けた。

樹は一瞬、唖然としたような、呆然とした顔を向ける…。
そして、どこかしょんぼりとし、玄関に手をかける。

「いってきます」
「おぅ、」
「あ、あのね、今日は早く帰れるから…、だから」
「…うん?」
「えっと、待っててね」
「あ、ああ」

早く帰るだなんて、今日は進藤君とは合わないのだろうか。
もしかして、進藤君と喧嘩して、我が家に戻ってきたのか?
ああ、あり得るなぁ。
樹の帰ってからのスキンシップも、進藤君と喧嘩中だからか。

「待っているから、ほらいってらっしゃい」
「うん、じゃ…」

いってきます、樹はそういって、いつものように学校へ向かった。
今までの、いつもの朝の光景。

なのに、私の中では、どこか違うものに感じてしまった。
たぶん、私と樹とのずれが、出てきたんだと思う。


樹の姿が見えなくなると、ほっと肩の力が抜ける。
緊張…していたんだろうか。
ふぅ、と天を仰ぎながら、一つため息を零した。
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