今宵、君と、月を

槇村焔

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5章

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貰った名刺を片手に、一度も行ったことのない椎名先生の家へ向かう。
夏目くんと会ったら、なんて切り出そう。
まだ怒っていて、話も聞いてくれなかったら…。
いや、たとえ拒否されても聞いて貰えるまで粘ってみよう。
必要以上に怖がるのは、もう辞めるのだ。

夏目くんが僕のことをどう思っているのか、僕が彼をどう思っているのか…、今しっかりと伝えないと後で絶対に後悔する。
これ以上、後悔は抱えたくない。
観覧車を前に切ない思いをするのは、もう辞めて玉砕覚悟であたって砕けてやる。


見知らぬ街を歩いて、頭の中では夏目くんのことを思い描いて…。
その時、僕の注意力散漫になっていたんだとおもう。
だから、僕のあとをずっとつけている男に気づかなかったのだ。


 人通りが少ない小道を曲がると、前触れもなく背後から力強く肩を掴まれた。
なに?と思った瞬間に、背後から鼻と口を布で塞がれる。
抵抗しようと身体を攀じるが、背後にいるのはどうやら僕より体格のよい男のようで、容易にふりほどくことができない。
声を出そうにも、恐怖で声も出ないし、男の手を外そうと手を伸ばし爪を立ててみるけれど、手は緩まない。
身体をピッタリと押し付けられて、耳元に男の吐息がかかった。


「んぐ…」
「…お前がいけないんだ。
お前が…、あの人のそばにいるから……」

男は僕の口元を覆っていないほうの手を首元へ移動させ、指先に思い切り力を入れる。
ぎゅっと首を締め付けられる圧迫感に、呼吸がままならなくなる。

視界がぼんやりと、かすむ。
薬品の匂いが強烈すぎて、胃液が迫り上がったように吐き気がこみ上げた。
クロロホルムか何か翳されてるんだろうかー?
意識がどんどん、遠のいていく。


「…んんん…」
「お前があの人を誑かすから…。独り占めするから…。だから…」

この男…、先生のストーカー?
首を圧迫する手は、憎しみが込められているように強い。
首を絞められているだけでも恐ろしいのに、男はハァハァと荒い呼吸を零しながら、僕の腰辺りに硬いものをこすりつけていく。
その硬いものがナニかなんて、同じ男だから嫌でもわかってしまう。

腰を反らせ、ピタリとあててくるモノ。
男はこの状況にひどく興奮しているみたいだった。
人が苦しんでいる様をみて喜ぶ猟奇的な男かもしれない。

この場で捕まえることができれば…
しかし、焦れば焦るほど意識が朦朧としてくる。
なんとかしなくちゃいけないのに…どうすることもできない。

このまま、死んじゃうんだろうか。
夏目くんに、この気持を告げることのないまま。
夏目くんに、あの時のキスの意味も聞けないままに。
このまま、先生のストーカーに殺されて僕の一生は終わってしまうんだろうか。


「夏…目くん…」
君に、伝えたいことがあるんだ。

「な…つめ…」
ああ、もうだめだ。目の前が真っ暗だ。
立っているのも覚束なくなり、力が抜けた。
その時…ー

「俺の大事な人になにしてんだ…」

ドスがきいた低い声とともに、圧迫感が消える。
支えを失った僕はそのまま、フラリと地面に倒れ込んだ。


「…は…っごほ…ごほ…」
気道に入った酸素に噎せ返る。
僕が咳き込んでいる間、「うぐ…」だとか「あぁ」だとか、悲痛なうなり声があがった。

僕を襲ったストーカーだろうか。
それとも…ー
ぜぇぜぇと、荒い呼吸を整えながら、顔をあげると…。


「殺してやろうか?ああ?」
そこには鬼の形相をした、夏目くんの姿があった。

どうして、彼が。なんで、ここに?

湧き上がる疑問は、男を殴りかかる夏目くんを見て消えさる。
舞うように軽やかに拳で殴りつける夏目くんに、僕は見惚れてしまい、思考が停止した。
かっこいい…。
とにかくかっこいい。
なんでこんなにかっこいいんだろう。


男との戦いの差は歴然で。
男はサンドバックのように、なすがままになっている。
顔は殴られすぎて、原型を留めていない。
容赦ない夏目くんに、ストーカー男はぐったりと地に伏せていた。

「な、夏目くん…それくらいにしたほうが…」
「宮沢さん。でも…」

僕が声をかけた瞬間、夏目くんの意識が男から僕へと移る。
その瞬間を見計らって、ストーカー男は脱兎のごとく逃げ出した。
夏目くんは、舌打ちをうつと、すぐに逃げ出した犯人を追おうとした。
それを、僕は夏目くんの服を握りしめて、とめた。
ストーカー男をこのままにしてはいけない。
このまま、先生に害が及ぶかもしれない。
それはわかっていた。
だけど…ーーー。


「い、行かないで…」
「宮沢さん…」
「側にいてください…」

お願いします、と懇願すれば夏目くんはそれ以上、ストーカーを追うことはなかった。
震える僕を夏目くんは抱きしめると、「もう大丈夫です、俺がついてます」と僕の震えが止まるまで、側にいてくれた。


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