今宵、君と、月を

槇村焔

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5章

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  誰かの視線を感じ始めたのは、僕の家が燃える前、先生が外に出始めた頃からだった。
最初は気の所為に感じた視線だったが、次第にそれははっきりとわかるほどあからさまなものになっていた。

花蓮ちゃんには、視線を感じるとだけ言ったが、本当は仕事帰りにあとをつけ回されることもあった。
段々と行為はエスカレートしていて、会社の僕あての郵便物に名無しの手紙もきていた。
手紙の中身はいつも真っ白でなにも書かれておらず手がかりもなかったから、会社の人にも相談していなかった。


 休日。
僕は、先生のことを相談するため満をカフェに呼び出していた。

「ストーカーねぇ。
それって、その先生の?お前のなんじゃないのか?
会社までつけられるって、先生じゃなくてお前目当てなんじゃないの?」
「そんな訳ないだろう。
僕なんか地味な男、ストーカーして何になるのさ…」
「いやいや、好みは人それぞれだし。
それに、おまえお綺麗な担当の先生に告白されたんだろう?」


やっぱりモテ期到来ってやつ?なんて、愉快そうにほくそ笑む満を僕は睨みつける。
満には隠し事もできないので、先生が僕に告白したことも報告している。
夏目くんに避けられて落ち込んでいることも…ー。
先生と夏目くんが知り合いだったかもしれないことも、話していた。


「そんで、その先生に鞍替えはいつする?
高収入で、綺麗なんでしょ。いい物件じゃん。トラウマ持ちなのはマイナスだけど目の保養にはなるじゃん」
「面白がってるでしょ、満」
「他人事だからな。
それに、今同じ屋根の下に住んでるだろ?
グラってきたりしないのか?」
「ある訳ないでしょう。花蓮ちゃんもいることだし…。それに…」
「確かにその先生、聞いた感じだと受け身っぽいというか、ネコっぽいもんなぁ…。
お前とじゃネコとネコで不毛な関係だもんな。
身体の問題って大事だよなぁ」
「ね、猫?」
「だろ?お前、先生抱けるのか?」


 満に問われ、ブンブンと首を横に振る。


「じゃあ、お前が抱かれる?トキメクの?そのお綺麗な先生に…」
「それも、ないけど…」
「じゃあ、さっさと断れば?下手に返事を伸ばしたら相手も可哀想でしょ。生殺し状態じゃん。
そんな状態なら、相手もイライラするんじゃないの?」
「そうだけど…。
でも、先生だって、この状態を望んでいるっていうか…ー」


ちゃんと断ろうと思うんだけど、話を切り出そうとするたびに先生に悟られて「まだ駄目」と、止められる。
ちゃんと振られるから、って言っていたのに、僕の返事は保留されたままでいる。

なんだか、このままずっとはぐらかされて、ずっと保留にされそうな感じもする。
仮にもし、僕が告白にOKする返事をしようとしたところで、先生は今みたいに保留にしてしまいそうだった。
まるで、今の状態を維持したがっているみたいだった。

そんな先生の態度だから、疑問に思う。
先生のあの告白は、先生の本心だったのかな…って。



「もしかしたら、先生なりの冗談かもしれないし」
「揶揄うような人なのか?」
「すっごく真面目な人だよ」
「じゃあ、そんな躊躇しないで、きっぱり断ってやれよ。
お前の真剣さが足りないから、その先生だって、真剣に取り入ってくれてないんじゃないの。
お前がそんなんだから、その先生だってこのままでいい…って思っているのかも」
「そうかな…」

確かに、考えてみれば満の言うとおりかもしれない。
先生が「まだ返事を聞きたくない」とはぐらかしても、話を切り出して先生を振ることはできた。
先生同様、僕も先生への返事を保留していた。
変化を怖がって、今を変えようとはしなかったのだ。


「なに、揺らいでいるの?好きだったの?」
「人としては好きだよ。だから、なかなか断れないんじゃないか。
それに、もし今断ったとして、同居まで解消されたらどうなる?
先生のストーカー問題は…」

「それとこれとは話が別じゃん?恋愛感情はないんだろ。
そのストーカー問題はあくまで先生の問題であって、お前の問題じゃないの。
お前は、先生の恋人でもなんでもないんだ。
お前が危険な目に合わない保証もないんだぞ?
それで、お前が傷ついたら、その先生、余計傷つくんじゃないか?」
「それは…、そうだけど。でも…」
「担当と作家。それ以上でも、それ以下でもないの。ただの仕事仲間それだけ」
「それも、そうだけど…」
「あんまり深入りしすぎると、自分のことおろそかになるぞ。
先生の人生はあくまで先生のもの、お前の人生はお前のものなんだから。お前が好きな年下くん、正論言ってるじゃん。
お前がその先生に肩入れしすぎなんだよ」

それは、確かに、そうなんだけど…ー。
満の言うことはもっともなんだけど、でも…ーー。

「先生に頼られるとさ、ちょっと安心するんだよ。
頼られてるってだけで、凄く安心するんだ。
だから、僕もずっとこの関係を望んでる。ずっと先生に頼りにされたいって、そう思ってるんだ」
「安心…?」
「ほら、僕って世話焼きだから。ついついあれこれ世話しちゃうんだよね。
多分、そういう女房気取りが元彼には重いって言われる原因だったと思うんだけど。
先生が僕を必要とするたびに、なんか…安心するんだ。先生には僕が必要だって…。あれこれ干渉しても、嫌われることはないって。
あの人と別れて以来、そういう癖がついちゃってるのかもね」

結局、過去が付きまとって、傷つかない道ばかり探している。
先生のことも、夏目くんのことも。

きっと、他の人なら簡単に考えられることも難しく考えて、自分で自分の足を踏んでいる。


「それってさ、先生への同情も入ってんじゃないか?
先生のこと可哀想だと思っているから、突っぱねることができないんじゃないのか?

一度腹を割って話し合って見たら?
グダグダしていると時間の無駄だぜ。
そうやってどんどん歳をとっていくんだから。もう恋のロングバイケーションは終わりでいいだろ。

もっと当たって砕けて見たら?
お前言ってたよな。本気の恋愛がしてみたい…って。
好きって気持ちをぶつけても重く感じることもなく、受け止めてくれるような人と次は恋をしたいって。

今のお前の態度ってさ、とてもそんな恋愛をしたいって感じじゃないんだよな…。
安心する道ばかり選んでない?
自分が1番安全で傷つかない道ばっか。それって本当の恋なの?
ただの気休めを探しているんじゃないのか?」

それで、お前は本当にいいのか?
先日、花蓮ちゃんに言われた台詞を満にまで投げかけられた。


「そうやってさ、なんでもかんでも、決めないで安全な道ばかり進んでいていいのか?
それで後悔しないのか」
「…駄目だと思うよ。自分でも」

わかっているけど、なかなか整理がつかない。
あと少し。ほんの少しだけ勇気があれば、今悩んでいるのなんて切り抜けられそうな気もするのに。


「わかってんなら、ちゃんと決別しろよ。過去の自分に。前に進めよ、いい加減」
「そうだよね…」
「お前って、そんなに器用じゃないんだから。あの人もこの人も、なんて考えない方がいいんだよ。
1つのことを全力でやる。それがお前にあってるんだよ
。それにさ、案外おまえが好きな年下のつばめ君もおまえと一緒でドヘタレなだけだったりして…?」
「ドヘタレ…?」

「こんな話知ってる?
昔、欧米文化が入り始めた頃。
ILOVEYOUって、訳すのに苦労したんだってさ。
なにせ、日本人はシャイでそう簡単に、愛してるなんて言わない時代だったからね。
二葉亭四迷って翻訳家も迷ってね、それで、アイラブユーをこう訳したらしい

『死んでもいい』って。
貴方の為なら、死んでもいい、ってそう訳したって話」
「死んでもいい…」
「重すぎるか?
でも、それくらい二葉亭四迷は愛は重いものだと思ったわけよ。
綺麗だよな、そう訳せるのって。

そんでもってさ、同じく夏目漱石は…、こう訳したらしいぜ。月が綺麗ですね、って」
「月が綺麗…」
「なぁ、もう少し色々意識してみたら?
お前は過去にとらわれ過ぎて、今を見てなさすぎなのよ。

もっと自惚れてもいいんじゃないの?
いいじゃん、その年でも本気の恋したってさ。恋の賞味期限なんてないんだから。
自分から腐らせたら損なわけよ。
お前も言ってみたら?月が綺麗ですね、ってさ。上目遣いで可愛くさ…」
「か、可愛くって…」
「何をもって、その若いツバメくんがまどろっこしいことしてるかわかんないけどさ…。
俺はお前たち両想いだと思うんだよね」

迷うだけ損!
満は、叱咤激励するように強く僕の背中を叩いた。
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