今宵、君と、月を

槇村焔

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1話

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 相良先生の担当になって以来、僕は憧れの夏目君と一緒に行動することも多くなった。
相良先生の家の同じ沿線に、夏目君が担当している作家さんがいるので、同じ方面だから…と途中までついてきてくれるのだ。

夏目君が担当している先生も、相良先生に負けず劣らず僕らの出版社では大作家様様だった。
僕の担当している先生と夏目君の担当している先生とで、出版社から出している本の売上の三分の一を占めているという噂だ。
読書好きの間だけではなく、一般の人にも名が通った有名人で作品だけじゃなく顔と名前まで知られていた。


 当初は作家同志が近所だからと、相良先生の担当も夏目君に…という話もあがっていた。
しかし、相良先生の番犬・花蓮ちゃんが、激しく反対したのでその話もなしになり、僕に担当が回ってきたというわけである。
夏目くんは、相良先生に合う前に花蓮ちゃんに門前払いされたそうだ。


花蓮ちゃんいわく、「顔が気に食わない」と。
僕に相良先生の担当が回ってきたのは、ひとえに僕が男っぽくなくて、これならば対人恐怖症の先生でも大丈夫じゃないか…と思われ推薦されたらしい。
担当につく前は不安だったけれど、すべては杞憂に終わり花蓮ちゃんには警戒されず、相良先生にも良くしてもらっている。

優柔不断で曖昧な言葉しか言えない気の弱さが災いして、僕は今まで何人もの作家さんから担当を外されてきた。
しかし、相良先生の担当になって3ヶ月経つが、今まで言い争いになったことはなかった。
締切もギリギリにはなってしまうけど、きちんと守ってくれる。
こうして夏目くんにも気にかけて貰えるし、出来ればこのままずっと先生の担当でいられたらいいなぁ…と思うところである。



「夏目くんは、椎名先生のところですか?」
「ええ。また呼び出されてしまって。困ったもんですよ。
椎名先生って、ほんと、自由人ですからね。
僕の言うことなんて、ほとんど聞いてくれません。
僕のこと奴隷かなにかと勘違いしているようで…。
宮沢さんも、もう慣れましたか?」
「あ、ええ…。少しは…」

仕事量も多いし、与えられるものも今までの課題よりも難しかったりするけれど、なんとかこなせている。
問題は夏目くんとの距離である。

 僕が相良先生の担当についたことで、夏目くんとの接する機会が増えた。
夏目くんは責任感が強いから、自分がつくはずだった相良先生の担当を僕がちゃんとできているか心配なんだろう。
しかし、夏目くんのような理想の男性にあれこれ世話をしてもらうと、僕の乙女脳はあらぬ妄想を繰り広げてしまう。
ようするに、先生には慣れてきたけれど、夏目くんへの耐性はまったくついていないのだ。

初めの頃はまともに夏目くんの顔は見れないし、どもってしまうしで大変だった。
僕が相良先生の担当になるまで、夏目くんとは同じフロアにいながら、飲み会の席か、朝すれ違った時に挨拶くらいしか会話を交わすことがなかった。
社内での席は離れていたし、夏目くんはいつも誰かに捕まっていたから。
僕はただ、遠くの方から夏目くんを見つめるだけしかできなかった。


見つめているだけでいい。
彼を見ているだけでいい。
もう30も過ぎているのに見ているだけで満足してしまうくらい、ずいぶんと穏やかな恋をしていると思う。
付き合いたいとか、好きになってほしいとか、そんな大それたことは思わない。
ただ、見ているだけで満足で幸せだったのだ。


同じラインに立てるなんて、夢にも思わない。

夏目くんの周りはいつも華やかで、そこに地味な僕が割って入る隙はない。
夏目くんという存在が人を惹きつけてやまないんだろう。
みんながみんな、夏目くんの特別になりたがっていた。


華やかな女の子に囲まれた夏目くんを見かけるたびに、夏目くんの存在が僕の中では遠い存在になっていく。
ブラウン管のアイドルでも見る女の子のように、僕は女の子に囲まれた夏目くんを遠くから見つめることしかできなかった。
同じフロアにいるのに、その存在は凄く遠かった。

夏目くんの視界のピントが、僕にあうことはないだろう。
僕だけが一方的に、夏目くんを見つめている。

 憧れと、尊敬と、恋心。
僕にとっての夏目くんは、そんな感情を抱いた別世界の住人だった。


「この休日、接待ゴルフですよ。休日までやってられませんよ…」
「お疲れ様です。
夏目君が期待されているから、きっと連れていってもらえたんですよ」

「ゴルフなんかよりも、俺は休日はひたすら本を読んでダラダラしたいです。
宮沢さん、椎名先生の新作読みましたか?」

「ああ、夏目君の担当の作家さんのですよね。
読みましたよ。凄い面白かったです。
ぐっと物語に引き付けられたというか。
書店でも目のつきやすいところに売り出されていましたね」

「ありがたいことです。椎名先生も喜びますよ。先生にカツをいれた甲斐ありました」
「カツ…?」
「ちょっと悩んでいたようだったので…ね。
甘ったれたこと言ってんじゃねぇよ…って少し…お灸を」


目を細めて、夏目君は笑う。
夏目君をよく知る人に聞くところによると、夏目君が目を細めて笑うときは、大抵よからぬことを考えているらしい。
見た目爽やかな夏目くんだが、中身は凄く腹黒なんだそうだ。
夏目くんが担当をしていた先生たちの間では、夏目くんは『鬼軍曹』とも呼ばれているらしい。

 爽やかで、優しそうな好青年に見えるのに、外見に似合わず強気なところや厳しいところもあるみたいで。
口が達者で偏屈な担当の先生たちにも丸め込まれることはなく、きちんと締め切り前に原稿を貰えるし、我儘や無理難題をいわれても聞き入れず強気な態度を崩さず対等な立場でいる。


夏目君が担当についてから、それまでhit作品に恵まれなかった作家さんも、夏目くんのアドバイスのおかげで、ヒット作を出し有名になった人もいる。
夏目君は一人一人の作家さんの精神的ケアも大事にしているようで、二人で飲んだ時に色々とコツや苦労話を聞かせてくれた。
僕もそんな夏目君みたいにプライべートでも精神的にも作家をサポートできる人間になりたいんだけど、まだまだ先は長そうだった。



「俺もいい加減、仕事で先生たちのアドバイスをするんじゃなくて、自分の幸せのために動くべきなんですけどね。
肝心なところで腑抜けのヘタレなんで…」
「ヘタレ?夏目くんが?」
「はい。すっごいヘタレなんですよ、俺。
行動に移す前に諦めることなんてしょっちゅうなんです。
この前も、スポーツジムに入会するのに、3時間ほど悩んで結局辞めたくらいですから…」
「3時間も…?それで結局やめてしまったんですか?」
「ええ。やっぱりお金貯めたいので、自分で筋トレしよう…ってなりまして。
悩んだ時間勿体無いですよね。
英会話なんかも、そんな理由で習うの辞めてしまったし…」
「でも、僕も夏目くんのこととやかく言えないです。ヘタレなのも一緒です。
自慢ではないですが、気も弱いし夏目君よりもきっと、ヘタレ度は上だと思いますよ。誇れることではないんですけどね…」

肩を竦めていえば、夏目くんは「そんなことないですよ」と慰めの言葉をかけてくれる。


「…俺は宮沢さんの優しい性格が好きですよ。
宮沢さんは、いつもみんなを気にかけてくれますし、みんな宮沢さんのほわわんとしたところに癒されているんです。
何を言っても怒らないし、八つ当たりされたとしても笑って受け流してくれる。
そんなところが可愛いなぁ…って」
「可愛いですか?」
「はい…。
頑張っているところが可愛いし、仕事でへこたれないところがいいな…って、…笹井さんが…」
「笹井さんが…」
「俺も、…宮沢さんのそんなところが、凄くいいな…って思ってますよ」

はっきりと告げられた言葉に、気を使われているとわかっているのに、顔が赤らんでいく。
可愛い…なんて、僕のような、30歳過ぎの男にいうセリフじゃないと思うのに。
それを嬉しいと思ってしまうあたり、重症である。


「ありがとうございます。」

視線を合わせ微笑むと、夏目君は目を泳がせて、自分の口元に手をあてた。

「夏目君…?」
「いや…すいません。不意打ちでちょっと…」
「不意打ちって…?」
「……なんでもありません…」

夏目君の様子に首を傾げれば、夏目くんはコホンと咳払いをして、
「宮沢さんは、結婚願望ってあります?」と話を変えた。


「結婚願望ですか?」
「はい。
椎名先生の次の作品が、結婚願望がある銀座の女と全くないヤクザの男のラブストーリみたいで、色々人に聞いてまして。
宮沢さんは…どうなのかな…と思いまして」
「ない…ですよ。もうこの年だし諦めたっていうか…」

そもそも、ゲイだし普通の結婚なんて無理だからね。
同性婚を考えたこともあったけど、そもそも結婚してくれなんて言ってくれるような相手なんていないし…。 なんて言葉は、胸の中にしまっておく。
ロマンチックなことを夢はみるが、それが現実にはならない。夢は夢のまま、空想で終わるのが常なのだ。
流石に30もすぎれば、いくら乙女至高な僕でも、夢と現実の区別ぐらいつく。

どんなに望んだって無駄なこと。空想は空想でしかないことを。


「結婚とか、そういう人生の大きなイベントは考えていませんね。
このまま、クビにならずに、退職までいけたらいいなぁ…って。
僕の望みはそれくらいです…」

会社内の成績も評価も、極々普通。
別に悪くもなければよくもない。
自分でいうのもなんだけど、平均的で口下手で特化すべき点がない僕。
結婚したい…なんて大それたことを思うよりも、いかに静かに安定して暮らせるか、そんなことが僕の最近の夢になっている。
平凡でいいのだ、僕は。
凄い幸せなんて望まない。
ただ、小さなしあわせを喜べる生活でいい。


「欲がないんですね…」
「つまんないですか?」
「いいえ、とても、宮沢さんらしいですよ。俺も似たような感じですから」
「夏目くんも…?」
「ええ。俺の最終的な夢もそんな感じですから。
退職して、大好きな人と縁側で日向ぼっこでもしながら、好きな本を読むんです。
お互い年取ったね、とか他愛ない会話をしながら」
「好きな人と日向ぼっこですか…。可愛い夢ですね」
「そのためには、夢のマイホームですね。
おかげさまで寮生活なんで、お金には困っていなくて貯金もたまってますけど。
マイホームを買うにはまだまだかかっちゃいそうです」

頬をかきながら、はにかんだ笑いを浮かべる夏目君に、僕は何も言葉を返すことができず曖昧に微笑み返した。


大好きな人と夢のマイホーム、か。
好きな人と一生を過ごせる未来が描ける夏目くんが羨ましい。


僕が担当している相良先生みたいに綺麗だったら、男でも一生一緒にいてほしいっていう稀有な人もいたかもしれない。
だけど、僕はあいにく、凄い綺麗って訳でもないし可愛いって訳でもない。
性格だって、甘え上手の可愛い性格でもないし、お世辞のひとつもいえやしない。

若い頃は、こんな僕でも男同士が出会いを求める店に行けばそれなりに誘いがあったけど、今じゃほぼ0
頼みこんでようやく一夜の相手を探すことができるレベルなのだ。



「夏目くんは今、付き合っている人とかいるんですか?
その人の為に、マイホームの夢を?」
「付き合っている人はいないんです。残念ながら。ちょっと気になっている人はいるんですけど…。
なかなか本命の人の前となると、いつもの強気でいられないっていうか…。
昔は随分浮ついた台詞を言っていたときもありましたが、今では臆病になってしまって…とても自分で告白なんてできそうにないですね。

仕事だとどれだけ無理難題押し付けられても大丈夫なんですけどね…。
いつも肝心なところでそうなんです、俺は」



苦笑する夏目くんに、釣られて微笑んだ。


好きな人と同じスピードで話し合いながら、道を歩いている。
そんな些細なことが、とても居心地がいい。

今日も、駅までの道を夏目くんの担当の椎名先生の新作について、会話に花をさかせていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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