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子供の頃、落ち着いた大人の恋に憧れていた。
相手を束縛しすぎず、それでいて誰よりも大切に想えるような、そんな綺麗な恋が大人になればできると思っていた。
年齢さえ重ねれば。沢山恋をしていけば。
だけど、そんな理想の恋を終えば追うほど理想とは大きく離れていって。
相手を傷つけて、自分自身も嫌になって、そうして恋は終わっていく。
年齢を重ねれば重ねるほど、恋は上手にはなれず諦めることが特技になっていた。
そろそろ、僕は恋愛適齢期を超えてしまうのかもしれない。
■□■ー1話ー■□□
駅から徒歩10分ほど歩いた、オシャレなカフェが立ち並ぶ通り。
その通りの高層ビルに入っている1フロアが、僕の勤務先である。
教芸出版。
古くからある出版者で、OL向けの雑誌から、ご年配が読んでいるような趣味の本まで幅広く手がけている出版社だ。
僕はそこの文芸部署に配属されていた。
僕の仕事は主に、小説家の先生から原稿を貰いにいったり、出版社がどんな題材を求めているかを作家さんと相談し、完成までをアシスタントする役目を担っている。
作家の先生の仕事がスムーズにいくように、原稿を締め切りまでに貰えるように。
出版社が売れると判断した作品を、作家さんに書いてもらえるように。
他にも色々と雑務があるけれど、大まかな仕事はその2つだ。
いかに作家の先生から期限までに小説を貰えるか。
売れる作品を担当の先生に書いてもらえるか。
簡単そうに聞こえるけど、実際これが凄く難しい。
すんなりと原稿は貰えることは滅多にないし、作家の先生と出版社側の思惑違いで、ギリギリで原稿を落とすこともある。
僕ら出版社と契約している小説家の先生の多くは曲者ぞろいだ。
難癖をつけて締め切りを伸ばしてくる先生もいれば、突然貴方のところでは書きません!なんてへそを曲げる先生もいる。
怒鳴られたり、厄介な作家さんには殴られたり難癖をつけられたりしたことも過去あった。
パワハラなんじゃないか…と悩むことも1度や2度じゃない。
もう辞めようか…と何度辞表を懐に忍ばせたことだろう。
さすがに、この仕事に務めて10年にもなったので、少しくらい偏屈な先生でも対応できるようになったけれど、それでもまだ胸を張れるほど仕事ができているとは言えない。
こんな性格も災いして、僕は出世コースからも、大きく逸脱している。
担当につく作家さんも、ちょっと性格に難がある人や、厄介な人にあたることも多かった。
昔から地味で、目立つこともなくて、気が弱い僕。
それは社会人になっても、残念ながら、変わることはなかった。
社会人になったら、気弱な自分を卒業する。
そう思い立ったこともあったのに、結局本質は変えられず、出世街道からも外れて、理想の自分とは程遠い人生を歩んでしまっている。
今の仕事を始めて10年。
仕事が嫌いな訳ではないのだが、時折、漠然とした不安にさいなまれる時がある。
何故、この仕事を選んだのか。
このまま自分のような能力がない男が、会社に残れるのか…なんて。
そんな消化不良な気持ちを抱きながら、毎日会社に行って、仕事をこなしている。
務めたばかりの情熱は、どこに行ってしまったのかと疑問に感じるくらい、最近では仕事に対する熱意は薄れてしまった気がする。
いっそやめてしまえば楽に慣れるのかな…なんて辞める勇気もないくせに、そんな後ろ向きなことばかり考えて、眠れぬまま夜を過ごす。
仕事だけでなく、プライベートも最近は随分と寂しい。
今年で38になったのだが、もう3年ほど恋人らしい恋人はいなかった。
内気な性格が相まって、交友関係も狭い。
極め付きは、僕は女子高生もドン引きするほどの乙女至高なゲイであった。
恋愛対象は男であり、更にいうなら僕は男に抱かれたいと思っている猫側のゲイであった。
そんな地味で平凡で無気力気味な乙女なゲイである僕の、些細な幸せ。
それは、同じ部署で出世頭と噂されている、夏目君をこっそりと見つめることだった。
夏目漱次
29歳。独身。身長は185センチ。現在彼女なし。
会社の独身寮暮らし。
これが、僕が知る夏目君の大まかなデータだ。
彼、夏目くんのことを説明すると、とにかくスマートで落ち着いた男である。
まだ29歳と若いのに、どんな仕事も予想以上の出来で仕上げていたし、同時期に入社した誰よりも行動が早い。
どんなに無理難題を言っても、彼はなんなくこなしてしまう。
まるで、漫画キャラクターのような人間だった。
夏目くんは成績だけじゃなくて、容姿も非常に良かった。
俳優のように爽やかなマスクに、ずっと聞いていたくなるような美声。
癖のない黒髪に、爽やかで優しそうな笑み。
夏目君におねだりされれば、強情なマダムな先生もいちころで夏目君に原稿を差し出すらしい。
そんな風に周りがチヤホヤしていたら、調子に乗りそうなものだけれど、夏目くんは、入社から数年たって謙虚だ。
驕慢な態度を一切見せることはなく、誰にでも優しく、誰にでも平等な態度だった。
天は二物も三物も与えるんだな、と感心してしまうほどである。
僕は、もともと面食いで惚れっぽいタチではあるが、夏目くんはまさに僕の好みドンピシャな人
僕の好みは夏目くんみたいな、いかにも優しそうな真面目な好青年だった。
「ちょっと、原稿貰いにいってきます」
朝礼が終わった後、会社鞄を片手に上司の笹井さんに声をかける。
僕の斜め前に座っていた笹井さんは、パソコンから視線をあげて「相良先生のところか?」と尋ねた。
「はい。
メールである程度はやり取りしたんですが、細かな打ち合わせはやはりお会いして直接がいいかなと思いまして」
「それがいいな。
また無理して、バタンキューなんて洒落にならないしな。
見た目どおりの、繊細すぎる人だから。
しかし行くなら、狂犬に気を付けろよ」
「狂犬…」
「番犬か、あれは…」
笹井さんは、苦々しい表情を浮かべた。
相良先生の家には、犬はいない。
狂犬とは、あくまでたとえだ。
笹井さんが言っているのは、僕が担当する作家の先生…相良先生の頼もしい娘、花蓮ちゃんのことだった。
花蓮ちゃんは相良先生の一人娘で、まだ高校生なのに大人っぽくて凄くしっかりしている女の子だ。
ただしっかりしている子なんだけれど、ちょっと難点もあって…。
「この間、お前がいないとき相良先生にどうしても校正箇所で、伝えなきゃいけないところがあって、相良先生の家に電話したら、番犬が出てよ。
父親の仕事相手になんて言ったと思う?」
「なんて言ったんです?」
「聞こえないので切らせていただきます、って。
電話の不調かと思って、もう一度かけると留守電に繋がってよ」
「はぁ…」
「俺が散々かけても一向に繋がらなかったのに、田中ちゃんがかけたら一発で出たんだよな、これが…」
田中ちゃんというのは、同じ部署の女の子である。
しっかり者の花蓮ちゃんの難点はコレ。極度の男嫌いなのだ。
僕の担当作家の相良先生は人見知りが激しく、また対人恐怖症を患っている。
同じ部屋にいただけで、緊張で気を失って倒れたり過呼吸になったりするらしい。
その対人恐怖症のせいか、相良先生は必要最低限は家から出ない引きこもり生活を送っており、そんな先生を娘の花蓮ちゃんはサポートしているのだ。
先生が対人恐怖症なら、花蓮ちゃん自身も大の男嫌いのようで、今まで追い返してきた担当は数知れず。
男とは話す価値もないと豪語してしまうくらいの、大の男嫌いだった。
笹井さんの電話の件はまだいいほうで、職場でも花蓮ちゃんに辛辣な対応をされた人間は両手の指では足りないくらい。
トラウマになるほどの罵詈雑言を浴びせられた人もいるらしい。
女子高生相手にトラウマなんて大袈裟な…と思うんだけど、実際、花蓮ちゃんは凄く頭も切れるし、雰囲気は女子高生というよりかは、仕事がバリバリできるキャリアウーマンのようなのだ。
年上の男相手にも怯むことはない、女王様みたいな性格である。
社内の偉い人や美形と称される人間が挨拶に行っても、花蓮ちゃんの態度は変わることなく。
むしろ、顔がよければいいぶんだけ、花蓮ちゃんの態度は頑なになり、より敵視していた。
美人で男嫌いな強気な女の子、それが花蓮ちゃんだった。
「花蓮ちゃんは、本当は先生想いのいい子なんですよ」
「まぁ、たしかにいい子なんだろうな。
聞く話じゃ、母親もいないのに、対人恐怖症の先生を支えてるんだろ?」
「はい。
僕なんかよりずっとしっかりしてますよ。
先生が精神的に不安的な時は、彼女がサポートしてくれます」
「しっかり者、ねぇ。
俺には噛み付いてばかりのお嬢さんだけどな。
お前、相当気に入られているんだな」
「はぁ…まぁ…」
気に入られている…んだろうか。
男扱いされていないだけのような気もするんだけれど。
初対面の時から、僕は花蓮ちゃんに追い返されたこともなければ、相良先生に怖がられたこともない。
安全な男だと思われているらしい。
見た目的にも、僕は小柄なほうだし中性的な顔をしている。
毛深くもないし、男らしさはない地味なタイプだ。
トレードマークの眼鏡のせいか、インテリ系で内気な真面目君と言われるし、実際その通りの人間である。
暴力なんて、縁のない世界に生きてきた。
「お前も男だ。そんな健気なお父さん想いの子と一緒にいてグラッときたことはないのか?先生に似て美人なんだろ、その子。
女子高生でも女を感じたりとか…」
「ありませんよ、そんな…」
「またまた~。素直になってもいいんだぞ、ん?」
ニヤけた顔で肩をつつかれても、残念ながら僕は花蓮ちゃんに興味がない。
そもそも、生まれてから今まで女の人に恋愛感情を抱いたことがないのだから。
まさか笹井さんも、僕が同じ部署にいる夏目くんに想いを寄せているなど思いもしないだろう。
常識人な笹井さんに告げれば、明日から距離を置かれること間違いなしだ。
「僕は笹井さんと違って、ロリコンじゃありませんからね」
「ロリコンってわけじゃ…」
「じゃ、いってきます!」
笹井さんに別れを告げて、フロアから出る。
社内ビルを出て、太陽の光に顔をしかめていると、後ろから小走りに走り寄る足音がきこえた。
「宮沢さん…!」
聞き覚えのある声に、僕の単純な心臓は、早鐘を打ち始めた。
まったく、なんて、単純な心臓なんだろう。
ひとつ深呼吸をして落ち着いて振り返れば、予想していた通りの顔があった。
「夏目君」
「今から、相良先生のところですか?
途中まで一緒にいってもいいですか?」
「あ、はい…」
ありがとうございます、と夏目君はにこりと笑うと、僕の隣に並んだ。
緩んでしまいそうな顔を引き締めて、冷静を装い、肩と肩とが触れ合ってしまいそうな距離を歩き始める。
相手を束縛しすぎず、それでいて誰よりも大切に想えるような、そんな綺麗な恋が大人になればできると思っていた。
年齢さえ重ねれば。沢山恋をしていけば。
だけど、そんな理想の恋を終えば追うほど理想とは大きく離れていって。
相手を傷つけて、自分自身も嫌になって、そうして恋は終わっていく。
年齢を重ねれば重ねるほど、恋は上手にはなれず諦めることが特技になっていた。
そろそろ、僕は恋愛適齢期を超えてしまうのかもしれない。
■□■ー1話ー■□□
駅から徒歩10分ほど歩いた、オシャレなカフェが立ち並ぶ通り。
その通りの高層ビルに入っている1フロアが、僕の勤務先である。
教芸出版。
古くからある出版者で、OL向けの雑誌から、ご年配が読んでいるような趣味の本まで幅広く手がけている出版社だ。
僕はそこの文芸部署に配属されていた。
僕の仕事は主に、小説家の先生から原稿を貰いにいったり、出版社がどんな題材を求めているかを作家さんと相談し、完成までをアシスタントする役目を担っている。
作家の先生の仕事がスムーズにいくように、原稿を締め切りまでに貰えるように。
出版社が売れると判断した作品を、作家さんに書いてもらえるように。
他にも色々と雑務があるけれど、大まかな仕事はその2つだ。
いかに作家の先生から期限までに小説を貰えるか。
売れる作品を担当の先生に書いてもらえるか。
簡単そうに聞こえるけど、実際これが凄く難しい。
すんなりと原稿は貰えることは滅多にないし、作家の先生と出版社側の思惑違いで、ギリギリで原稿を落とすこともある。
僕ら出版社と契約している小説家の先生の多くは曲者ぞろいだ。
難癖をつけて締め切りを伸ばしてくる先生もいれば、突然貴方のところでは書きません!なんてへそを曲げる先生もいる。
怒鳴られたり、厄介な作家さんには殴られたり難癖をつけられたりしたことも過去あった。
パワハラなんじゃないか…と悩むことも1度や2度じゃない。
もう辞めようか…と何度辞表を懐に忍ばせたことだろう。
さすがに、この仕事に務めて10年にもなったので、少しくらい偏屈な先生でも対応できるようになったけれど、それでもまだ胸を張れるほど仕事ができているとは言えない。
こんな性格も災いして、僕は出世コースからも、大きく逸脱している。
担当につく作家さんも、ちょっと性格に難がある人や、厄介な人にあたることも多かった。
昔から地味で、目立つこともなくて、気が弱い僕。
それは社会人になっても、残念ながら、変わることはなかった。
社会人になったら、気弱な自分を卒業する。
そう思い立ったこともあったのに、結局本質は変えられず、出世街道からも外れて、理想の自分とは程遠い人生を歩んでしまっている。
今の仕事を始めて10年。
仕事が嫌いな訳ではないのだが、時折、漠然とした不安にさいなまれる時がある。
何故、この仕事を選んだのか。
このまま自分のような能力がない男が、会社に残れるのか…なんて。
そんな消化不良な気持ちを抱きながら、毎日会社に行って、仕事をこなしている。
務めたばかりの情熱は、どこに行ってしまったのかと疑問に感じるくらい、最近では仕事に対する熱意は薄れてしまった気がする。
いっそやめてしまえば楽に慣れるのかな…なんて辞める勇気もないくせに、そんな後ろ向きなことばかり考えて、眠れぬまま夜を過ごす。
仕事だけでなく、プライベートも最近は随分と寂しい。
今年で38になったのだが、もう3年ほど恋人らしい恋人はいなかった。
内気な性格が相まって、交友関係も狭い。
極め付きは、僕は女子高生もドン引きするほどの乙女至高なゲイであった。
恋愛対象は男であり、更にいうなら僕は男に抱かれたいと思っている猫側のゲイであった。
そんな地味で平凡で無気力気味な乙女なゲイである僕の、些細な幸せ。
それは、同じ部署で出世頭と噂されている、夏目君をこっそりと見つめることだった。
夏目漱次
29歳。独身。身長は185センチ。現在彼女なし。
会社の独身寮暮らし。
これが、僕が知る夏目君の大まかなデータだ。
彼、夏目くんのことを説明すると、とにかくスマートで落ち着いた男である。
まだ29歳と若いのに、どんな仕事も予想以上の出来で仕上げていたし、同時期に入社した誰よりも行動が早い。
どんなに無理難題を言っても、彼はなんなくこなしてしまう。
まるで、漫画キャラクターのような人間だった。
夏目くんは成績だけじゃなくて、容姿も非常に良かった。
俳優のように爽やかなマスクに、ずっと聞いていたくなるような美声。
癖のない黒髪に、爽やかで優しそうな笑み。
夏目君におねだりされれば、強情なマダムな先生もいちころで夏目君に原稿を差し出すらしい。
そんな風に周りがチヤホヤしていたら、調子に乗りそうなものだけれど、夏目くんは、入社から数年たって謙虚だ。
驕慢な態度を一切見せることはなく、誰にでも優しく、誰にでも平等な態度だった。
天は二物も三物も与えるんだな、と感心してしまうほどである。
僕は、もともと面食いで惚れっぽいタチではあるが、夏目くんはまさに僕の好みドンピシャな人
僕の好みは夏目くんみたいな、いかにも優しそうな真面目な好青年だった。
「ちょっと、原稿貰いにいってきます」
朝礼が終わった後、会社鞄を片手に上司の笹井さんに声をかける。
僕の斜め前に座っていた笹井さんは、パソコンから視線をあげて「相良先生のところか?」と尋ねた。
「はい。
メールである程度はやり取りしたんですが、細かな打ち合わせはやはりお会いして直接がいいかなと思いまして」
「それがいいな。
また無理して、バタンキューなんて洒落にならないしな。
見た目どおりの、繊細すぎる人だから。
しかし行くなら、狂犬に気を付けろよ」
「狂犬…」
「番犬か、あれは…」
笹井さんは、苦々しい表情を浮かべた。
相良先生の家には、犬はいない。
狂犬とは、あくまでたとえだ。
笹井さんが言っているのは、僕が担当する作家の先生…相良先生の頼もしい娘、花蓮ちゃんのことだった。
花蓮ちゃんは相良先生の一人娘で、まだ高校生なのに大人っぽくて凄くしっかりしている女の子だ。
ただしっかりしている子なんだけれど、ちょっと難点もあって…。
「この間、お前がいないとき相良先生にどうしても校正箇所で、伝えなきゃいけないところがあって、相良先生の家に電話したら、番犬が出てよ。
父親の仕事相手になんて言ったと思う?」
「なんて言ったんです?」
「聞こえないので切らせていただきます、って。
電話の不調かと思って、もう一度かけると留守電に繋がってよ」
「はぁ…」
「俺が散々かけても一向に繋がらなかったのに、田中ちゃんがかけたら一発で出たんだよな、これが…」
田中ちゃんというのは、同じ部署の女の子である。
しっかり者の花蓮ちゃんの難点はコレ。極度の男嫌いなのだ。
僕の担当作家の相良先生は人見知りが激しく、また対人恐怖症を患っている。
同じ部屋にいただけで、緊張で気を失って倒れたり過呼吸になったりするらしい。
その対人恐怖症のせいか、相良先生は必要最低限は家から出ない引きこもり生活を送っており、そんな先生を娘の花蓮ちゃんはサポートしているのだ。
先生が対人恐怖症なら、花蓮ちゃん自身も大の男嫌いのようで、今まで追い返してきた担当は数知れず。
男とは話す価値もないと豪語してしまうくらいの、大の男嫌いだった。
笹井さんの電話の件はまだいいほうで、職場でも花蓮ちゃんに辛辣な対応をされた人間は両手の指では足りないくらい。
トラウマになるほどの罵詈雑言を浴びせられた人もいるらしい。
女子高生相手にトラウマなんて大袈裟な…と思うんだけど、実際、花蓮ちゃんは凄く頭も切れるし、雰囲気は女子高生というよりかは、仕事がバリバリできるキャリアウーマンのようなのだ。
年上の男相手にも怯むことはない、女王様みたいな性格である。
社内の偉い人や美形と称される人間が挨拶に行っても、花蓮ちゃんの態度は変わることなく。
むしろ、顔がよければいいぶんだけ、花蓮ちゃんの態度は頑なになり、より敵視していた。
美人で男嫌いな強気な女の子、それが花蓮ちゃんだった。
「花蓮ちゃんは、本当は先生想いのいい子なんですよ」
「まぁ、たしかにいい子なんだろうな。
聞く話じゃ、母親もいないのに、対人恐怖症の先生を支えてるんだろ?」
「はい。
僕なんかよりずっとしっかりしてますよ。
先生が精神的に不安的な時は、彼女がサポートしてくれます」
「しっかり者、ねぇ。
俺には噛み付いてばかりのお嬢さんだけどな。
お前、相当気に入られているんだな」
「はぁ…まぁ…」
気に入られている…んだろうか。
男扱いされていないだけのような気もするんだけれど。
初対面の時から、僕は花蓮ちゃんに追い返されたこともなければ、相良先生に怖がられたこともない。
安全な男だと思われているらしい。
見た目的にも、僕は小柄なほうだし中性的な顔をしている。
毛深くもないし、男らしさはない地味なタイプだ。
トレードマークの眼鏡のせいか、インテリ系で内気な真面目君と言われるし、実際その通りの人間である。
暴力なんて、縁のない世界に生きてきた。
「お前も男だ。そんな健気なお父さん想いの子と一緒にいてグラッときたことはないのか?先生に似て美人なんだろ、その子。
女子高生でも女を感じたりとか…」
「ありませんよ、そんな…」
「またまた~。素直になってもいいんだぞ、ん?」
ニヤけた顔で肩をつつかれても、残念ながら僕は花蓮ちゃんに興味がない。
そもそも、生まれてから今まで女の人に恋愛感情を抱いたことがないのだから。
まさか笹井さんも、僕が同じ部署にいる夏目くんに想いを寄せているなど思いもしないだろう。
常識人な笹井さんに告げれば、明日から距離を置かれること間違いなしだ。
「僕は笹井さんと違って、ロリコンじゃありませんからね」
「ロリコンってわけじゃ…」
「じゃ、いってきます!」
笹井さんに別れを告げて、フロアから出る。
社内ビルを出て、太陽の光に顔をしかめていると、後ろから小走りに走り寄る足音がきこえた。
「宮沢さん…!」
聞き覚えのある声に、僕の単純な心臓は、早鐘を打ち始めた。
まったく、なんて、単純な心臓なんだろう。
ひとつ深呼吸をして落ち着いて振り返れば、予想していた通りの顔があった。
「夏目君」
「今から、相良先生のところですか?
途中まで一緒にいってもいいですか?」
「あ、はい…」
ありがとうございます、と夏目君はにこりと笑うと、僕の隣に並んだ。
緩んでしまいそうな顔を引き締めて、冷静を装い、肩と肩とが触れ合ってしまいそうな距離を歩き始める。
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