切なさよりも愛情を

槇村焔

文字の大きさ
上 下
58 / 61
そんなひとどこにもいない。

58

しおりを挟む
翌朝。
菜月は利弥の腕の中で目を覚ました。

(利弥さん…)
少し窪んだ目元。痩せた頬骨。
利弥は目に見えてやせたと思う。
普段一緒にいる菜月ですらわかるくらいなので、会社でもきっと噂になっているだろう。

プライベートで何かあったのか、とか変な女と付き合っているんじゃないか、とか。
そのうち会社の人が家に押しかけてくる日も遠くないかもしれない。


(社長さんなんだから、いつまでもこんな風だったら駄目だよ。利弥さんはお飾りなんじゃないんだから。
こんなところで、つまづいていちゃ、ダメなんだよ。俺1人にこんな風になっていたら、駄目なんだ)


普段は後ろに流している前髪が、今は下ろされておりいつもより子供っぽくなっている。
オールバックにまとめているときは、隙のないヤクザ顔負けの男なのに。
眠っている今は無防備で幼い。

出会った時は、こんな完璧な人には悪夢で怖がる自分のことなんて、絶対に理解して貰えないと勝手に利弥に対して理想の完璧な男を重ねていた。


(完璧な利弥さんの完璧じゃないところを知るのは、俺だけでいいんですよ…。
どうするんです、他の人にも利弥さんの弱いところばれちゃったら。今までずっと隠していたんでしょう。
1人で頑張ってきたんでしょう。
こんなところでダメになっちゃ、ダメじゃないか。
俺1人の出現で、今までの努力無駄にするつもりなんですか…)


母親と、香月のことで悪夢を見ると言っていた利弥。
彼は今までの人生で、一体どれほどのものを背負ってきたのだろう。
きっと、小牧の話が利弥のすべてではない。
小牧の話は、あくまで利弥の一部でしかない。
香月のことは、香月しかわからない。
そして、また利弥の想いも、利弥しかわからないのだ。
どれだけの憎しみを抱えていたのかも、どれだけ寂しさや孤独と闘っていたのかも、利弥でないとわからない。


(寝ている時は子供っぽいのにな)

菜月は眠っている利弥の前髪をかきあげて、現れた額に口づけるとベッドから降りて落ちている服を身に着けた。
服を一緒に、昨日利弥に破られた香月との写真も集めた。

「あれ…おかしいな…」

ほろり、と涙が頬を滑り落ちる。
ほろり、ほろり、と。
バラバラにされた写真を拾い集めるたびに、こみあげてくる涙を止めるのに必死で、ぼやける視線は何度拭ってもクリアになってくれなかった。
 

(俺は、かっちゃんみたいになれないのかな。
利弥さんは俺と一緒にいると、復讐に囚われてしまう。
俺が存在すれば、利弥さんは意固地になる。子供みたいに意地になるんだよね。
プライドみたいなの、捨てたらきっと楽になるのに。それが、できないんだ。利弥さん不器用な人だから。
だから、ずっとずっと、もういない復讐相手を恨んで憎んで、終わらない復讐心にとらわれている)


そんな不器用な人をすきになった自分もまた、けして上手な生き方はできていないんだろう。
我武者羅に、迷って迷って、先を見るのを怖がっている。

生き方が上手な人だったら、こんな風に悩むこともないのだろうか。
1人の人に拘ることもないのだろうか?


 このまま、利弥さんのもとを、出よう。
昨夜、抱かれている間ずっと考えていたことだった。
利弥が菜月の言葉を聞いてくれるなら、このまま彼との生活を続ける。
そして、もし聞く耳を持たないようだったならば、この生活をやめる。
一種のかけだった。
そして、昨日見事に菜月は賭けに負けたのだった。


逃げたくない。利弥をほおっておけない。
その思いは今も寸分も変わってはいない。
傍にいたいのも、彼が好きだといった言葉も、どれもこれも逃げないと利弥に宣言した時のままだ。

賭けは現状を変える〝きっかけ〟でもあった。
どれだけ好きだと言い続けても、利弥を変えることはできない。
ならば、いっそのこと、利弥の元を離れ考える時間を設けてみたらどうだろう。
逃げるのではなく、考える時間を設けるため利弥の側から離れるのだ。
もしかしたら、自分も利弥と一緒で意地になっているのかもしれない。

ただ必死になってぶつかって、自分の意見を言って、届かないからと傷ついて。
利弥もそんな必死の菜月に、同じように冷静になれずにいたのかもしれないと考え、菜月は昨日賭けにでたのだった。

利弥が素直に聞き入れるなら、このままでいよう。
けれど、もし聞き入れてくれない場合は、ここから出よう、と。

「北風と太陽みたいに、俺は冷たい風をムキになって利弥さんには浴びせていたのかもしれないよね。自勝手な思いは、よかれと思っていても相手に負担かけていただけかもしれないね」

ずれかけていた利弥の布団を引き上げて、一度自室に戻ると昨夜まとめたボストンバックバックに集めた香月の写真と、財布をつめた。
そして、出て行く前に、もう一度菜月は利弥の部屋に赴いた。


「利弥さん…、俺が出て行ったら少しは、哀しそうな顔してくれると嬉しいな。いくら嫌っているっていってもさ、今までずっと一緒に暮らしてきたんだから…。せめて、うさこさんの半分くらいでもいいから、哀しんでよね」

さようなら。
小さく別れを告げると、菜月は静かに利弥の家を出た。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

貴方の事を心から愛していました。ありがとう。

天海みつき
BL
 穏やかな晴天のある日の事。僕は最愛の番の後宮で、ぼんやりと紅茶を手に己の生きざまを振り返っていた。ゆったり流れるその時を楽しんだ僕は、そのままカップを傾け、紅茶を喉へと流し込んだ。  ――混じり込んだ××と共に。  オメガバースの世界観です。運命の番でありながら、仮想敵国の王子同士に生まれた二人が辿る数奇な運命。勢いで書いたら真っ暗に。ピリリと主張する苦さをアクセントにどうぞ。  追記。本編完結済み。後程「彼」視点を追加投稿する……かも?

白い部屋で愛を囁いて

氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。 シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。 ※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

さよならの合図は、

15
BL
君の声。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

運命の番はいないと診断されたのに、なんですかこの状況は!?

わさび
BL
運命の番はいないはずだった。 なのに、なんでこんなことに...!?

【クズ攻寡黙受】なにひとつ残らない

りつ
BL
恋人にもっとあからさまに求めてほしくて浮気を繰り返すクズ攻めと上手に想いを返せなかった受けの薄暗い小話です。「#別れ終わり最後最期バイバイさよならを使わずに別れを表現する」タグで書いたお話でした。少しだけ喘いでいるのでご注意ください。

ゆい
BL
涙が落ちる。 涙は彼に届くことはない。 彼を想うことは、これでやめよう。 何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。 僕は、その場から音を立てずに立ち去った。 僕はアシェル=オルスト。 侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。 彼には、他に愛する人がいた。 世界観は、【夜空と暁と】と同じです。 アルサス達がでます。 【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。 随時更新です。

処理中です...